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短編

また、あいにきます

作者: ケー/恵陽

 先生、お久しぶりです。


 先生に謝らなければならないことがあります。


 今更なんて思わず聞いて下さい。僕が社会に出て、しっかりした人間になったらずっと謝ろうと思っていたんです。


 高校を卒業してもう五年……六年くらい経ちます。漸く最近自分が社会に認められてきたんじゃないかと思えてきました。だから、先生に会いにくるのにこんなに時間が経ってしまいました。


 でもきっと先生なら、少し困った顔で静かに僕の告白を聞いてくれると思うのです。




 僕から先生の一番最初の印象は『無害な教師』でした。


 他の幾人かの教師と同じで、機械的に授業をこなし、あとは適当に濁しているように見えたからです。でも真実は違いました。それは自分たちに責任があることも僕はわかっていなかったのです。


 当時の僕は、いえ僕らは真面目ではなく、かといって不真面目すぎることもありませんでした。何しろ高校時代の僕らは何もかもがつまらなかったんです。授業はつまらないし、先生たちは何をしても生徒には結局逆らえないと知っていたし、だからこそ友人たちとふざけあうことが何より楽しかった。度を過ぎた行為があったことは理解しています。夜に花火をするため学校へ忍び込んで見つかったこと。掃除の時間に箒を竹刀に見立ててゲームをして、窓ガラスを割ったこと。王様ゲームで教頭先生のカツラを頭から叩き落として、追いかけられたこと。僕たちは何でも出来ると過信していたあの頃、それは本当に過信だったとわかっています。


 それに最たることは煙草を隠れて吸っていたこと。見つかった時はひやりとしました。でも先生は静かでした。静かに怒っていました。それが一番堪えました。


 怒鳴りこそしないまでも、駄目なことは駄目だと言い続けていました。それを毎度無視してすみませんでした。今思えば、とても真っ当な行動だとわかります。それだけでなく、暴力に訴えようとする僕にそうではないのだと根気よく諭してくれたこと、その時はうざいなんて思ってもいたけれど嬉しさも感じていました。見捨てないでくれていることを先生からはしっかり感じ取れました。生徒を信じることは、口ではそう言いながら適当に流す先生も多かった。その中で体を張って向き合ってくれたのが先生でした。


 世間に甘やかされていたと気付いたのは卒業後でした。僕の卒業後の進路は先生も知っていますよね。地元の会社に就職したんです。今もまだ同じ会社で働いています。周りは就職したけどやめたとか、転職したいと言います。僕も考えますが、此処で続けられないならきっと転職しても無理だろうと思いました。わかっていますか、先生。就職したら嫌でも一年以内に辞めない方がいいと言ったのは先生です。幸いなことに最初はきつかったですが、仕事内容が僕にはあっていたようです。楽しく仕事が出来ています。


 でも社会に出て最初に行き当たったのは自分の無力さでした。いきがって何でも出来ると思っていた高校時代。振り返ると恥ずかしさでいっぱいです。


 たとえば挨拶で、僕たちと会った時に先生は必ず「おはよう」や「こんにちは」と挨拶をしてくれました。僕はそれに軽い会釈で返すことが多く、そうすると先生は違うだろうと言うのでした。会社に入って、挨拶をする時にその癖で会釈ですませようとしたところ、怒られました。


 それから上司から指示されて仕事をして、出来たら終わりましたという。それだけのことなんですが、それだけじゃいけないのだと最近やっと気付きました。言われたことにプラス何かをすることで上司への覚えもめでたく、仕事もしやすくなるのだとわかりました。


 先生。先生は、今の僕を見てどう思いますか。


 先生から見て、立派になったと思ってくれますか。






 ところで先生、最初に僕が言ったことを覚えていますか。今日僕が来たのは大切な話があったからです。


 今日は、ある告白をしにお伺いしました。




 卒業間近のことでした。


 おそらく先生にも忘れられない出来事だったと思います。あの時のことは悔やんでも悔やみきれません。僕は先生の想いを何も知らなかったけれど、先生の哀しい呟きを今でも忘れていません。


 何をじゃれていたのかはもう覚えていません。じゃれあいが喧嘩に変わってしまったあの時のことです。僕らが暴れて、宥めにやってきた先生を逆に殴ってしまい、それだけでも真っ青になりました。更に先生の胸ポケットから飛び出した万年筆を踏んでしまいました。


 あの時、すぐに起き上がった先生は折れた万年筆を真っ先に見つけて、耐え難い表情を浮かべました。


 それを踏んだのは、僕でした。


 ずっと言えなくてごめんなさい。先生はいつも朗らかに笑っていました。僕がいけないことをした時はもちろん叱られましたけれど、そんな表情は知りませんでした。苦しいと喘ぐ、見ていたくないものでした。


 万年筆を誰が踏んだかはおそらく皆覚えていなかったでしょう。でも言えなかったことが苦しかった。僕はいきがっていた癖に、本当に臆病でした。


 知らなかったのです。というのは簡単です。知らなかったから許されるべきという言い訳です。今ならそう思います。でも先生の呟きがずっと引っかかっていました。それにその時は咄嗟にシラを切ることしか頭に浮かびませんでした。まだ未熟な僕でした。今思うと顔から火が出そうなほど恥ずかしいです。情けない。


 先生は誰が踏んだかなんていいんだ、と言ってくれましたが気になっていました。職員室でその後先生の机の上に折れた万年筆がセロハンテープでぐるぐる巻きにされて置かれているのをみました。他の先生にこっそり聞いたのです。捨てないのかと思ったから。返ってきたのは大事なものらしいという答えだけでした。でも後で知ったんです。


 あれは、先生の娘さんの形見だったんですね。


 卒業式で最後に謝ろうと思って先生を捜しました。職員室へ向かう先生を見つけ、呼び止めるつもりでした。でも先生はあの万年筆を愛おしそうに撫でながら呟いていました。


「お前に執着するのはもうやめにしようか。お前のような者を出さないためにと頑張ってきたけれど、もう限界なのかもしれないな」


 物悲しい響きの呟きにただただその時は足が竦みました。結局謝ることも出来ず、僕はその呟きの意味もわかりませんでした。


 正確に理解したのはそれから二年も後です。同窓会をしたのです。そこで先生が教師をやめたことを知りました。それと先生が娘さんを一人亡くされていることも。


 一人暮らしをしていた娘さんが、暴漢に襲われて死んだのだと聞きました。先生がいつも、僕たちを気にかけてくれたのはそういう奴らになって欲しくなかったからだったんですね。僕らに真っ当な道を示してくれていた。それに気付いた時に、涙が零れそうでした。そんなこと全然知らなかった。


 万年筆は先生が大学合格の祝いに送ったものだとも聞きました。大切にしていたのを聞きました。その時に僕は立派な大人になって先生に会いに行こうと思いました。先生が導いてくれた道です。本当にお世話になったことを伝えに行こうと思いました。


 伝えに、行こうと……思っていたのです。本当に。


 先生!


 先生、すみませんでした!


 謝れなくて。あの時勇気がなくてすみません!


 この、今の僕を見てもらおうと思いました。思っていました。社会人になったよと笑って話して、先生とお酒を飲み交わす日を楽しみにしていました。それなのに――先生!


 ……どうしてもう、そんな所に居るんですか。僕を直接叱って欲しかった。そんな暗い所に居るのじゃなくて、お茶を飲みながらゆっくり話したかった。謝罪だけじゃなくて、本当は他にもいっぱい話したいことがあって。それを先生に聞いて欲しいと思っていたんです。先生は今でも俺の先生なんです。


 先生、先生……どうして何も言ってくれないんですか……!


 先生、会いたいです……。






 ……先生。


 先生、ありがとうございました。


 本当に本当にありがとうございました。……お墓の前で泣くなんて、しっかりしろと叱咤する声が聞こえてきそうです。でもその声が直接聞けないのが寂しいです。


 口惜しいです。


 哀しいです。


 切ないです。


 泣きたいです。


 ……大声を上げて泣きたいです。泣き喚きたいです。


 でもそうしたら僕が心配で娘さんのところへ行けなくなっちゃいますね。……引き止めてごめんなさい。


 今度は謝罪じゃなくて、いい報告を持ってきます。先生の教え子でいられて、よかった。


 先生を教師に持てたことが僕の誇りです。


 さようなら、先生。


 ありがとうございました。




 ……お元気で。






 ■ ■ ■






 ……なんて美談で終わらせましたけど、まだ言うことがあったんでした。戻ってきました。


 先生、奥様に話を伺いました。


 僕のことも随分話していたとのことで、どんな話を聞いたのかと興味深く聞かせていただきました。


 けどあれはないんじゃないですか。先生に追いかけられて真冬のプールに落ちたとか。それが原因で風邪引いたとか。意外と体は弱いらしいとか。恥ずかしいことばらさないでくださいよ。


 それから何で僕が実は甘いもの好きだとか知っているんですか。おかげで奥様から知り合いに戴いたのだけど甘すぎて自分の口には合わないからと、お菓子の箱を丸ごともらってしまいました。


 美味しかったけど、何故そんな話をしてるんですか、先生。僕の恥列伝をばらさないでください。そういうことほど、胸に収めたまま旅立ってくださいよ。


 ……本当に恥ずかしかったんですから。でも、ありがとうございました。


 不審者よろしくうろうろしていたので奥様にすぐ気付いてもらえたことには感謝します。せめて僕の格好いいところで覚えていて欲しかったけれども。体育祭で応援団姿がいつもより凛々しかったとか、何気に足が速いとか、そういうことは伝えてくれなかったんですね。先生ぇ、ひどい。


 今日は時間がありませんでしたけど、今度は先生の恥も奥様にばらしておきますから。覚悟しておいてくださいね。




 それでは、また会いにきます。




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