卒業式のあとで
「饒舌シリーズ 図書部の話」の、あったかもしれない最終話。
ちらちらと降り始めた小さな雪の粒が、風に乗ってくるくると回りながら僕の目の前を次々と通り過ぎていく。僕の立つ前の方には、華やかな制服姿の一団がいて、喜んだり、叫んだり、泣いたり、笑ったりしている声が粉雪と一緒に風に乗って僕のところにやってくる。彼らの手には一様に、円筒形の黒い筒がある。卒業証明書の入った筒だ。――今日は卒業式だ。
彼らは今日、この学校を出ていく。2年後は自分があそこに立つのだ、と考えながら彼らを眺めるけれど、どうもうまく想像できないで、ただぼんやりと眺めている。さざめきは、奇妙に浮き立っていて、僕はただそれを傍観している。
傍観者――僕はその言葉を頭に浮かべて、なんとなく悟った。これが、傍観者の気持ちなのだ。先輩は――新荷先輩は、いつも、この気持ちを抱えていたのだろうか。
卒業生の一団が徐々に減っていく。それぞれの部活に向かったり、友達とともに街に出たりするのだろう。名残を惜しむようにいつまでも残る一団もいるし、あっという間に立ち去る人もいる。そんなすべてを粉雪が横切っていく。景色のようにその様子を眺めていると、一団の中から外れた場所にぽつんと立っていた人影がひとつ、ふらりとこちらに近づいてくるのが見えた。
「あ……あらたに、先輩」
「やあ、君か。寒い中、そんなところに突っ立って、ご苦労だね」
いつものにやにや笑いを浮かべて、先輩は言った。今日は、自慢の長い黒髪を二つにくくっている。ツインテールというのだろうか、側頭部でごく簡単にまとめて、あとは両肩に流すという見たことのない髪型だ。さすがの新荷先輩も、卒業式のドレスコードにはあらがえなかったらしい。そもそも校則に、『肩より長い髪は華美でないようにくくること』と明記されている学校なので、いままで見逃されてきたことがおかしいのだけど。僕は珍しい先輩の姿に、何と言っていいかわからずに、黙りこくった。何か言いたい、けれどなにも浮かばない。新荷先輩は、黒い筒を片手にもてあそびながら、もう片手を腰に当て、尊大そうな、見慣れた姿勢で僕の言葉を待っている。髪型以外は、どうやらいつも通りだけれど、けれどどうしてか、いつもと決定的に違う気がする。
何が違うのだろう、と僕は不思議に思う。
僕の言葉を待って、にやにやと笑みを浮かべている先輩を見て、ほどなく気が付いた。『饒舌』という異名を持つ先輩の、沈黙。新荷先輩の沈黙という世にも奇妙な間――僕は唐突に悟る。
新荷先輩は、もうここには戻ってこない。きっと、部活にも顔を出さずに、そのまま帰ってしまうつもりなのだ。部室で待っているみんなを、置いて、行く。行ってしまう。傍観者としての自分を保ったまま。――だから、先輩は何も言えないのだ。何か言えば、きっと僕は引きとめてしまうから。
「せ、先輩」
僕はその突然の確信にうろたえて、思わず声を出していた。手を中途半端に先輩に差し出して、けれど次の言葉が浮かばない。僕は引きとめたいのか。それとも、先輩の望み通り、行かせた方がいのか。迷い、決めあぐね、おろおろとみっともなく視線を泳がせる僕を前にして、新荷先輩は、「くっくっく」と小さく笑った。
「なんだい、君、その手は。物欲しそうに手を出されても――コレくらいしかあげられない」
ポン、と。バトンのようにごく気楽な感じで、僕の手に何かを握らせた。反射的に受け取ってしまう。見れば、黒い筒だった。新荷先輩の、卒業証書。
2年早い卒業証書を手に呆然とする僕を見て、
「くふ。ふ、ふっ、あは、あっはっはっは、なんだい、なんだい、君が欲しがるからやったのに、その顔は。口なんか開けちゃって間抜けだねぇ」
新荷先輩は肩を震わせ、こらえきれない、という風に、爆笑した。心底愉快そうに、おなかを抱えている。
「せ、先輩、違うんです、」
僕はあわてて返そうとするが、新荷先輩は僕の手をひらりとかわして、からかうように数歩逃げた。
「わっはっは、遠慮するなよ、先輩からの施しだ。なに、ごくつまらない粗品さ」
「そ、粗品って、ちょっと、先輩、困ります!」
ただからかわれているだけだとわかっていても、こんな大切なものを押し付けられてはかなわない。僕は大慌てで追いかけた。
愉快そうな笑い声を上げながら、大きくさらに数歩逃げた後、先輩は唐突に、くるり、と振り返った。僕はハッと硬直した。
「――あげるよ、記念にね」
先輩のその表情に、僕は一歩も動けなくなった。柔らかな、笑顔。優しさと、諦観と、そして、決別を込めたその表情に――僕は、見蕩れてしまった。先輩はそんな僕の反応を見て、ふっと笑みを緩めた。
「じゃあね」
ひらり、とその手を振って、たった一言、そう言って。――先輩は、卒業していった。
※ ※
ちなみに、余談。
渡された黒い筒――卒業証書の入っているはずの黒い筒の中身は、空っぽだった。僕はその間の抜けた空間を前にして、もっと間の抜けた顔をさらす羽目になった。
ストーリーライン上、この展開はありえないということで、if入りいたしました。