父とネグレスト
小学校1年生の私と、3歳の妹と、両親。
妹は、父親のことを「どこかのおじさん」と思っていた。
母は娘たちに、父と認識させまいと頑張ったが、私は彼が父親だと知っていた。
”父”は、同じテーブルで一緒に食事した事もない人で
ほとんど家に帰って来ない。
私は「お父さん」と呼んだ事が、無い。
口を聞くと、母は私を無視し食事も作ってくれないからだ。
「悪い子」と罰する。
ある時、なぜか父が私だけを外食に誘った。
母は睨んだが、私は何故か父について行った。
既に飲んでいたのに父はいつも通り飲酒運転。
車の中で、のらくろのガムを一枚くれた。
驚いた。
6年間一緒に暮らして来たのに、接点が生まれたのはその日が初めてだった。
車の中で、どんな会話をしたのか覚えてない。
飲み屋を転々とはしごしながら、父は上機嫌に車を運転する。
なじみの居酒屋やスナックに私を連れまわした。
ロックの酒も飲ませた、つまみの美味しさを教えてくれた。
ラリッた父はつまようじで舌を刺していたが、私は笑った。
深夜(もう明け方だったかも)帰宅してから、母は3日口も聞いてくれず
食事もくれなかった。
父と接点を持ったことの、罰だった。
間もなく両親は離婚。
父と再会したのは、20を超えた年だった。
居酒屋で、2回目の再会の夜に
目の前のおつまみの話、酒の話題は出来ても
妹とも私とも、昔の思い出は何も語れない中
たった一つ
「のらくろのガム、渡したの覚えてるか?」
と聞いた。
ガム一枚分の思い出、だけど、一枚分は親子関係があった。
3度目の再会の場で、具合が悪い父を予定変更して病院に連れて行くと
余命3か月の通告、物語みたいなことってあるんだと感心した。
死ぬ前に、紙袋いっぱいに入った子供時代の姉妹の写真を私たちに手渡した。
今の家族に捨てられるから・・との事だったが、私はすぐ捨ててしまった。
当時の家族は、傷付けあうだけで悲しい関係だった。
家族写真は直視できない、全部ゴミに見えるので今も嫌いだ。
大人になって結婚して振り返ると、奇妙で悲しいだけの4人家族。
当時3歳だった妹に父の記憶は一切ない。
父の苗字を名乗っていた日を、知らない。
けれど私には、ガム一枚の思い出がある。