北御門つぐみと魔法のステッキ
母の四十九日の帰り道、寒空の下で、少女は願った。
「おとーさん、わたし、まほーしょーじょになりたい」
歳の離れた父は笑って少女の頭を撫でる。
どこにでもある、これと言って語るべきことも無いエピソード。
ただ一つ違っていたのは、
……少女の父が、筋金入りの天才だった、ということである。
○
宵闇の迫る繁華街を赤色灯が染め上げる。
警視庁城南署からは既に十数台のパトカーが出動していた。
「こちら城南17号より本部、青山通りを右折して南下したマル怪は都道413号線に左折。繰り返す、マル怪は413号線に左折」
『本部了解。青山霊園に阻止線を張っている。何としてそちらに追い込め』
「城南17号了解……っと」
無線を戻しながら、年嵩の警官はパワーウインドウを開けた。
九月だというのに、まだ暑い。日中コンクリートに炙られた生温い空気が車内に流れ込んでくる。
「阻止線、持つと思います?」
運転を任せている若い警官が、分かり切ったことを聞く口調で尋ねた。
答える代わりに、年嵩の警官は懐から煙草を取り出す。
「……この車、禁煙ですよ」
「硬ぇこと言うなよ」
マル怪。
この春から都内を騒がしはじめた怪人だ。
器物損壊や軽犯罪法違反、都の迷惑防止条例違反などの小さな罪を中心にこそこそと悪事を働くのだが、何せ怪人だ。悪目立ちする。
“地域住民の不安感を煽る怪人を捕縛し、人心に平和を取り戻すべし”との警視総監の大号令で警視庁を挙げての大騒動になっていた。
「しかしまぁ、噂は本当なんですかね?」
「改造人間、ってか? 本当ならその技術だけでノーベル賞モンだがね」
多い時には二十台からの動員をかけたパトカーを振り切る脚力。
ジュラルミンの大楯をも引き裂く腕力。
三階建てのビルから無傷で飛び降り、高速道路に攀じ登る。
どう考えても、人間技ではない。
そんなことは、誰が考えても分かっている。
分かってはいるがその話がいまいち盛り上がらないのは、それに輪をかけた“不思議”が存在するからだった。
マル怪、とは違う、もう一つの……
『本部より城南各車、青山霊園にマル魔出現。繰り返す、青山霊園にマル魔出現』
「……奴さん、お出でなすったぜ」
「……みたいですね」
○
光が、浮いている。
丁度テニスボールくらいの大きさの光が纏わりつくのを、北御門つぐみは鬱陶しそうにステッキで払いのけた。
「Q太、じゃれてる暇、無いよ。敵が近くに居る」
「うん、そうだね。近くまで来てる」
青山霊園に浮かぶ光の球、というとそれだけでもう火の玉扱いされそうだが、つぐみはまるで気にする様子がない。
なんとなれば、このQ太は苦楽を共にした相棒だからだ。
ピンクを基調とした、フリフリのエプロンドレスに愛らしい星をあしらったステッキ。
そう、つぐみこそは、この大東京をたった一人で怪人の魔の手から守る魔法少女なのだ。
Q太と出会い、魔法少女として目覚めたつぐみはこの春先、三月から毎週一回程度のペースで現れる悪の怪人と熾烈な戦いを繰り広げてきた。
最初は戸惑いもあったものの、今では立派な戦士だ。
「……気を付けて、つぐみ。今度の敵はいつもの奴とは違うみたいだ」
「そうなの?」
「うん、巧く説明は出来ないけれど…… なんだか良くない予感がする」
○
青山霊園の一角、つぐみ達からも警視庁の阻止線からも見えないところに、巨大な機械の塊がある。
「社長、スタンバイ全て完了です」
社長、と呼ばれた男――北御門春臣は、モニター越しに愛娘であるつぐみの雄姿を見つめていた。
ここにある機械は全て、春臣が開発した特別製だ。
つぐみの目の前に、光の球を出現させる機械。
複数方向から波長の違う音波を照射することで、遠く離れたつぐみにだけ“Q太”の声を聞かせる機械。
“Q太”の声を担当する声優まで雇った。
当然、怪人も春臣の仕込みだ。
スウェットスーツのように着込むだけで身体能力を格段に向上させる、線維性パワードスーツは中々の自信作だった。
全ては、愛する娘の、つぐみの夢を叶える為。
「つぐみ、父さんはこんなことしかしてやれないが……頑張れ!」
「社長、怪人、来ます!」
○
つぐみは怪人の繰り出す激しい肉弾攻撃を、捌き、躱し、受け流す。
いつもよりも、強い。
技のキレ、一撃一撃の重さが、違う。
「でも、私は、負けないッ!」
頬を怪人のパンチがかすめる。
口の中が、切れた。
血の混じった唾を、霊園の玉砂利に吐き捨てる。
拳。
見切った。身を屈め、腹に、両手持ちで叩きこむ。
「必殺! メガトンステッキ!!」
ステッキ先端の星には、鉛が詰まっている。
非力なつぐみでも遠心力を味方に付ければその一撃は岩をも砕く。
ドム、と鈍い音がして、怪人が倒れ込んだ。
手加減は、出来る相手ではなかった。
後は、いつも通りに姿を消すだけである。
魔法少女とは、ミステリアスでなければならないのだ。
○
「イエスッ!」
春臣のガッツポーズに、スタッフたちはやれやれと溜息を吐く。
このお遊びは、いつまで続くのだろうか。
4クール52週で飽きてくれればいいのだが。
その時、計画チーフの携帯が鳴った。
「……もしもし、早乙女です」
『ああ、早乙女課長、すいません、小笠原です』
早乙女の背筋を嫌な汗が伝った。
「小笠原、お前、今日の怪人役じゃないのか?」
『はい、そうなんですけど、交通事故に巻き込まれちまいまして…… すいません』
「おい、大丈夫か?」
『あ、それは大丈夫です。鍛えてますんで。ところで、今日の撮影、どうなりました? 誰か代役とか……』
「ああ、そっちは心配するな。こっちで何とか、な」
『はい、すいません』
通話を切り、早乙女は星の瞬き始めた天に尋ねた。
おい、あの怪人は、誰だ?
○
東京都上空35786kmに、それはひっそりと浮かんでいた。
巨大な、黒い人工物。
いや、人工物というのは必ずしも正しくない。
地球外天体由来知的生命体の手によるその物体は、遥か星辰の彼方からこの惑星にまでやって来たのだ。
「調査用のインターフェイスがやられた、だと?」
「はい、ゴズマン様」
宇宙船の最深部、謁見の間で行われる報告には異様な緊張感が伴っている。
地球侵攻軍司令官である侯爵ゴズマンは、怒りを露わにしていた。
「事前の調査では、調査用インターフェイスを撃破し得る戦力がない、ということであの都市を調査対象に選んだのではなかったか?」
「はい。畏れながら、調査部の見落としにございます。連中は、まるで“手慣れたもの”のようにインターフェイスを追い込み、一撃にて戦闘不能にしてのけたのです」
「……恐るべきことよ」
太陽系第三惑星。
この青い星を、必ず手にする。
侯爵ゴズマンは、誓いを新たにするのであった……