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vol.6

 できるだけゆっくり開くつもりだったドアが、鍵をまわすや不意に外側から掴まれて無理やり押し開かれた。


「どうも、失礼いたします」


 慇懃な言葉つきには餓狼のごとき烈しさがたわめられていた。ドアの向こうから現れた長身の若い男は端正な青白い顔をして、野暮ったくなりがちな暗色の制服を伊達に着こなしている。その胸に光る残照を模した金色のバッジに、臣吾の目が眩んだ。


 NSI――国家特別捜査官!


 切れ長の三白眼をすがめた男は、ドアを手で押さえたまま臣吾の顔をじっと見下ろす。


「お騒がせして申し訳ありません。実は、尋ね人がありまして。ぜひ、捜索にご協力いただければと足を運んだのです」


「僕、知りません」


「そう仰らずに。こちらをご覧いただきたいのです」


 胸ポケットから引き出された一枚の写真が臣吾の鼻先に突きつけられる。臣吾はあっと叫びそうになるのを堪え、写真を手に取ってじっくり眺めるふりをした。だが、早鐘を打ち出した心臓は止まらない。


 たいそう精巧なモンタージュ写真だった。栗色の柔らかそうな髪を後ろで束ね、ややきつい弧を描く眉の下から不敵な目をこちらにまっすぐ向けている少女。アッシュの瞳も白い肌も、リアルな質感によって本人を目の当たりにしているかのようだ。


「どうです。ちょっと見ない顔でしょう。お心当たりは?」


 臣吾はなるべく平静を装って男の顔を見上げたが、「知りません」と答えるまでに不自然な間が空いた気がして肝が冷えた。男は納得したように頷いたが、引き下がる気配は見せない。写真を胸ポケットに戻すと、さりげなく家の中を見渡した。


「この少女、親御さんから捜索願が出ているんです。大事な娘だから早く捜してくれと泣きつかれていまして、こちらも楽じゃないですよ」


 嘘だ。たかが移民の子を捜すために、わざわざ国家特別捜査官が出しゃばってくるはずもない。だが、臣吾には何も言えない。男の眼光に射すくめられて、自分の動揺がすっかり見抜かれていそうな気がする。


 能面のような無表情を崩さず、男は軽く咳払いした。


「実は、少女が持っていたある物が、こちらのマンションの階段付近で見つかりまして。もしかしたら階段をのぼってこちらのマンションのどこかで匿われているのではないかと睨んだのですが、ご存知ありませんか?」


 一瞬のうちに口腔が干上がり、息が止まりそうになる。


 少女が持っていたある物といえば、ひとつしかない。


「どうです?」


 細身から発される言葉少なな気迫に圧倒されて、臣吾は声も出ない。やっと押し出した「知りません」の一言がかすれた。臣吾の動揺に気付いていないはずはないだろうに、少しも表情を変えない男が不気味だった。


 非常階段で臣吾と会った少女は、恐怖に駆られて手持ちの金塊を投げつけてきた。小さな金塊は踊り場の網目をすり抜け、地上までまっさかさまに墜落したのだろう。それが運悪く国家特別捜査官の目に留まった……。


「ほう、少女が何を持っていたのかも訊かれないんですね。変わった方です」


 男がのっぺりとした顔つきのまま哄笑する。臣吾は全身から冷たい汗が噴き出すのを感じつつ、懸命に自分に言い聞かせた。


 ――しっかりしろ、相手はまだ確証を握っているわけじゃない。何を言われても知らぬ存ぜぬで押し通すんだ。


 露骨に迷惑そうな顔をしてみせた臣吾は、ドアノブを握るとキッと鋭い目で男を見据えた。


「いい加減にしてもらえますか。僕、忙しいんです」


「そうですか」


 男が名残惜しそうな声を出す。だがその面持ちは変わらない。「何かお気付きの点があったら国家特別捜査局、釘宮まで。GOOD EVENING」と流暢な発音で告げて、ドアから優雅に身を離した。


 臣吾がドアを閉めようとした、そのときだった。


「ねえ、たいへーん。お湯なくなったのー」


 浴室に、その幼い声が幾重にも反響した。


 閉まりかけたドアのごく細い隙間に、恐ろしいほどの速さで釘宮が身を滑り込ませてくる。息を呑む臣吾に向かい、壊れた人形のごとく無表情のまま「今のは何ですか? いったい誰ですか? この世帯に女性はいないはずでしょう。世帯主のお父上は十年以上前に奥様と死別されているはずだ。あなたにも妹はいない。従妹もいない。誰です? 誰なんです?」と早口に問いかけてくる。


「か……彼女ですッ!」


 釘宮が、ニィと唇をゆがめる。初めて見る笑顔は想像以上に不快で、臣吾は背筋に悪寒を感じた。


「彼女ですって?」


「恋人だよ。いいだろ、別に!」


 躍起になって言いつのると、釘宮は急に笑みを掻き消した。臣吾の動揺が、照れから生じたものか、嘘から生じたものか、とっさに判断がつきかねるといった態だ。


「人のプライバシーなんか放っとけよ。それとも家宅捜索令状でもあるのかよ!」


 痛い点を突かれたというように、釘宮が唇を噛んで身を引く。その刹那を狙って臣吾は勢いよくドアを閉め、もどかしい手つきで施錠してチェーンを掛けた。戸締りが終わると急に虚脱感を覚え、その場にくたくたと崩れ落ちる。「お湯が渦になって消えたのー」という呑気な声が、背後から聞こえてきた。


 ――やれやれ……。


「いま行くよ」


 返事をしつつ、臣吾はドア越しの密やかな息遣いをつぶさに感じ取っていた。


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