vol.33
NSI車の後部座席は意外に快適だった。釘宮の運転も巧みで、相当のスピードを出しているのに危険はまったく感じない。しりぞいていく景色を車窓から眺めつつ、臣吾は頭をからっぽにした。
「どうして呼び立てられたのか、訊かれないんですね」
ハンドルを握りながら、釘宮が問う。あいかわらず感情の籠もらない平坦な声で、何を思って訊いているのだかさっぱり分からない。
臣吾は顔を窓に寄せ、
「着けば分かることだから」
「現場に到着したらすぐネゴシエーションに入っていただくことになります。現在の状況だけでも頭に入れておいていただきたいのですが」
「ネゴ……?」
ネゴシエーション、交渉のことです、と釘宮はカーブを曲がりながら言う。
「現在、首都鉱山銀行が襲撃され、行員らが人質となっていることはご存知ですか?」
「ニュースで見たよ」
「それは素晴らしい。では、犯行グループが青い翼一味ということも?」
驚いて釘宮に顔を向けると、「マスコミもそこまではキャッチしていなかったでしょうが、手口が青い翼と酷似していたので、最初から青い翼の犯行ではないかと睨んでいましてね。さきほど対策本部に連絡があり、青い翼と断定された次第です」と釘宮が説明する。
驚いたとはいえ、意外性があったわけではない。むしろ、自分の予感が当たったことに対しての驚きのほうが大きかった。
「あの子も……ソフィーもいるんだろ」
「電話をかけてきたのはアレックスでした。一緒にいると見なすのが常道でしょう」
覚悟していたはずなのに、実際にその言葉を聞くと咽喉の奥がヒュッと音を立てて閉まる。
――あの子は自分が何をしているのか、ちゃんと理解しているのか。
記憶と意志を取り戻したとはいえ、たかだか十三、四の少女だ。青い翼が何を企んでいるのか知らないが、いいように言いくるめて協力させるのは容易いことだろう。まして少女はNSIや政府、自国民に対する無分別な憎悪を持っているのだ。青い翼にとって、これほど格好な切り札もあるまい。
「国家特別捜査局よりあなたにお願いしたいのもそのことです。青い翼にとって、ソフィーは他の同志の命と引き換えにしても守りぬきたい掌中の珠。作戦を立てた者や実行した者は別にいますが、ソフィーの持つシンボル的な役割を考えれば、彼らでさえ小物に過ぎません。逆にいえば、ソフィーひとりを落とせば鉄の城は陥落したも同然です」
「落とすって、どうやって」
「簡単なことです。あなたの声で、あなたの言葉で、あなたの口から、ソフィーに訴えていただければいい。暴力反対でもいいし、青い翼に利用されているだけだと説いていただいても構いません。ソフィーが翻意し、青い翼から離れることを決意する方向へ持っていってくださればいいんです」
少女の厳しい顔つきが瞼の裏でまたたく。
――そんなに簡単に事が運ぶだろうか。青い翼も傍にいる状況で、そんなに簡単に洗脳が解けるものだろうか。……いや。
「釘宮」
「何でしょう」
「お前、政府のしたことが正しいと思っているのか?」
こんなことをNSIの捜査官に話しても仕方がない。
そう思うのに、言葉は止まらない。
「甲藍金山に目をつけたのはまだしも、金を手に入れるために取引もしないで、甲藍村の人を一方的に虐殺するのが政府のやり方なのか? それが政府にとっての正義なのか? それに逆らって、でも訴えかける場がなくて、反政府組織と行動をともにせざるを得ないあの子は……いや、そもそも移民ってのは、そんなに許されない存在なのか?」
「……じきに着きます」
釘宮は問いには答えずにそれだけ告げた。
二人を乗せたNSI車は徐行して対策本部の中に滑り込んだ。停車してすぐ臣吾は待ち構えていた捜査官たちに引っ張り出され、釘宮とともに丁重に迎え入れられた。
先に交渉をしていた捜査官が、連れて来られた臣吾を見ていささか拍子抜けした顔をする。
「交渉のエキスパートって……この方ですか」
「左様です。進捗状況を説明してさしあげなさい」
物腰こそ崩さないものの、釘宮は威厳をもって命じた。
「あ、ええと……さっきまで電話口で話していたのはアレックスと名乗る若い女性です。非常に落ち着いていて、かなり手馴れた感じでした。こっちとしては手ごわいですが……現場の情報としては、人質は全部で十九名、女性四名、男性十五名。全員無事だそうですが、要求を通さなければひとりずつ殺害していくとの予告がありました」
殺害。
手を震わせながらマシンガンの銃口を突きつけてきたアレックスの姿が思い出される。あのアレックスに殺せるはずがあるまいと思いながらも、確信は持てない。
「要求は何ですか」
「それが、普通の立て籠もりにありがちな逃走経路の確保や、車の要求ではないんです。なんでも、マスコミ各社を集めて、自分たちの声明を公表してもらいたいとか……」
捜査官の声が小さくなっていく。釘宮は無表情のまま、いやにゆっくりと舌打ちをした。
「あの子を前面に立たせて甲藍村事件の真相を白日のもとに晒そうという魂胆でしょう。しかし、そうはいきません。分かっていますね」
振り向きざま、釘宮は臣吾に力強く念を押した。それでも反応の芳しくない臣吾に、さらに顔を寄せてくる。
「現実を見てください。もしも現政府が倒れたら、何が起こると思いますか。経済的に大打撃を受けて貨幣価値はより暴落するでしょうから、キャベツひとつ買いに行くのに札束をごっそり持っていかなきゃならなくなるでしょう。そんなことになれば、たとえば前嶋さんのお父上が勤めていらっしゃるような商社も赤字に起因する人員削減が行われます。前嶋さん、お父上ともども路頭に迷いたいですか」
尤も、そんな個人的な悲劇で済めば幸いです。今、軍部のほかに有力な政治団体はありません。史上初の移民政府の樹立とまではいかなくとも、思想的に移民寄りの政党が実権を握れば、自国民のほうが国を追い払われる結果になりかねません」
「……」
「全国民の命運が前嶋さんにかかっているんです。あなたは正義などというあやふやなもののために、全国民に対して責任を負えますか?」
何も言えず、臣吾はうつむき。
そして、静かにかぶりを振った。