vol.31
「えっ?」
素っ頓狂な声を上げた臣吾に、父は息継ぐ間もなく、
「実は父さん、もうそのつもりで家も買ったんだ。閑静な高級住宅地で広い庭付きで、若者の憧れの街だぞ」
「ちょ、ちょっと……」
「もちろん周辺の教育環境も充実してる。お前はこちらで高校、大学に通えばいい。世界的に有名な大学だってこちらにはいくつもあるんだ。ほら、お前、英語だけは得意だって言ってただろ? こちらへ来ればその長所を活かせるぞ」
「んな、急な……」
「父さん、この年になって外国で仕事をしてみて、自分の視野の狭さをつくづく思い知らされたんだ。若い頃から広い世界を見ていて悪いことは何もない。臣吾、父さんと一緒に……」
「待てったら!」
ようやく父の言葉を押し切って、臣吾は語気を荒げた。
「いきなりそんなこと言われたって、はいそうですかって行けると思うか! こっちにだって都合ってもんがあるんだよ!」
「ああ、確かに馴染んだ学校や友達と離れるのは辛いだろう。だがお前くらいの年齢なら新しい友達なんてすぐ……」
「勝手なこと言うなよッ!」
怒りを爆発させた臣吾に、父が電話の向こうで押し黙る。だが臣吾の勢いは止まらなかった。
「いつもいつも父さんはそうじゃないか。そっちへ行ったのも自分の都合、帰ってくるのも自分の都合で、俺のことを本当に考えてくれたことなんてあったの? いつだったか、父さん、久々に家に帰るから空港まで迎えに来てくれって言ったことあったよね。俺は約束どおり迎えに行ったのに、三時間待っても父さんは来ない。事故に遭ったんじゃないか、飛行に乗りそびれちゃったのかってすごく心配したのに、父さんはケータイに電話してきただけだった。仕事の都合で帰国が一週間延びたって……そう言っただけだった」
「臣吾」
「単身赴任するとき、父さんは一年以内に戻るって約束したよね。もう三年になるんだよ。そのうえ副支店長になって、帰れないからこっちへ来いなんて……」
言いつのるうちに興奮してきて、目頭が熱く潤んでくる。何か言おうとする父をさえぎり、
「てめぇの都合で他人を振り回してんじゃねぇっ!」
捨て台詞を叩きつけて電話を切る。再度かかってくるかと思ったが、携帯電話はそれきり沈黙してしまった。
携帯電話を握り締めたまま、臣吾はその場に座り込んだ。怒鳴りつけると怒気は雲散霧消し、ざらざらとした後味の悪さだけが残る。近頃、たまに電話があってもいつもこんな調子だ。何となく打ち解けられず、何となく強情を張って、何となく気まずいままに終わる。
――次に電話が来るのは早くとも一ヵ月後だろう。
「まあ、いいさ」
カッコつけて独りごちる。
「どうせ俺にはここを離れる気なんか……」
ブルルル、ブルルル。
ポケットに振動を感じて一瞬棒立ちになった臣吾は、先程よりもっと危なっかしい手つきで携帯電話を取り上げ、耳にあてがうのもそこそこに、
「もももしもしっ? 父さんっ? まだなんか用? どうしてもっていうなら俺――」
「あ……前嶋さんの携帯電話ではございませんでしょうか」
聞こえてきたのは若い女性の声だ。臣吾は上ずった声をちょっと詰まらせ、蚊の鳴くような声で「……そうですか」と答えた。
「入院されていた――姉さんのことでお電話差し上げたのですが」
「……妹に何か?」
平静を装って訊ねながら、心臓がバクバクと脈打つのを止められない。
「それが……今朝意識を回復されましたので、お電話しようと思っていたところ……つい今しがた見たら病室にいらっしゃらなくて……お捜ししたのですが、お見舞いの方ともども、病院から消えてしまったんです」