vol.30
少女の容態が安定すると、臣吾は後のことをアレックスに任せて一旦家に戻った。NSIが張り込んでいるかもしれないと思ったが、家に辿り着いて自室のベッドに倒れ込み、泥のように眠りこけるまで、誰にも咎められることはなかった。
丸一日眠りつづけて目が覚め、二日サボった学校へ戻ると、悪友たちが臣吾の仮病を散々からかってきた。
「試験が怖くて腹痛にでもなったのか」
「まさか恋わずらいってんじゃないだろうな」
臣吾も笑いながら悪友を拝み倒して、授業のノートを手に入れた。むろんノートは借りられることを見越した悪意のある落書きで彩られ、臣吾は苦笑しながら複写機にコインを投入する。
何も変わらない日常に戻ってみると、あの一日が夢だったかのように思われてくるからふしぎなものだ。ひとに話しても、一介の高校生がトップエリートと称されるNSIの一捜査官にタメ口を利いただの、反政府組織と行動をともにしただのという与太話は決して信用されないに違いない。
そして何より、あの少女にまつわる政府の罪。
医者が診れば、少女の負った傷が銃弾によるものであることはすぐ分かったはずだが、病院では何も訊かれず、緊急連絡先として教えた携帯電話の番号にも今のところ着信はない。高校生という身分上、あまり連絡が頻繁なのも困るが、音沙汰がないと悪い想像ばかりが膨らんでいく。
ブルルル、と携帯電話がポケットの中で振動しはじめ、臣吾は飛び上がるほど驚いた。危うい手つきで携帯電話を開き、「はいっ、も……もっしもしィ」と息を切らせつつ耳にあてがう。病院からかはたまたNSIからかと緊張している臣吾の耳に届いたのは、しかし恐れていたそれではなかった。
「もしもし。臣吾か?」
「あ……父さん」
一気に虚脱感が襲ってきて、臣吾はその場にうずくまる。
「何だよ……」
「ずっと連絡しなくて悪かった。ちょっと話があるんだ。時間は大丈夫か?」
「まあ……少しなら。何の用?」
電話の向こうで父がためらうように口ごもる。臣吾が眉を顰め、
「もしもし? 聞こえてんの?」
と訊ねると、
「ああ……」
返答はするものの歯切れが悪い。
「いや、すまない。急な話なんだがな」
「うん」
「父さん、今まで平の駐在員だったが、昇格して副支店長になったんだ」
なんだ、栄進の報告か。臣吾は拍子抜けする思いだった。
「そりゃおめでと」
「ああ……だがな、副支店長ともなると、今まで以上に仕事が忙しくなる。こっちもなかなか離れられなくなるし、休日出勤も多くなるから、そっちに戻れるのは半年に一度の長期休暇くらいなんだ」
これまでもしょっちゅう帰って来ていたというわけではないだろうに。
言い訳めいた父の言葉に、臣吾は少し不愉快になる。母を亡くした臣吾をはじめ家庭教師に預けっぱなしにし、ついで私立の中高一貫校に無理やり押し込むと、父は逃げるように母国を去った。不慮の事故とはいえ、妻と胎児を同時に亡くした事実はそれほど耐えがたかったのだろうが、後に残される息子の心細さは考えてもくれなかったのだろうか。
一人暮らしが長くなると、父からの月々の振込みでやりくりするすべも身につけ、どうやら道を踏み外すこともなく今日まで真面目に生きてきた。今さら寂しいという子どもっぽい感情もないが、捨てられた恨みは未だに心の奥底に苦く澱んでいる。
父の話をうっとうしく聞いているうち、次第に腹が立ってきて、
「で、何の用だよ」
臣吾はわざと話の腰を折ってつっけんどんに訊ねた。
「ああ、ごめんな、回りくどくなって。そういうわけだから父さんはあんまり帰れなくなるけど、いつまでも親子が離れ離れというのも悪いし……お前さえ良ければ、こっちで一緒に暮らさないかと思って」