vol.3
不躾なのも忘れて、臣吾はぽうっと照らし出された少女の顔をまじまじと見つめた。
勝気そうに釣り上がった大きな瞳の印象的な、どことなく猫を思わせる愛らしい顔立ちは、しかし一見して自国民でないと分かるものだ。ふわふわした柔毛やつややかな肌の色素は薄く、なかんずく際立っているのは瞳の色で、かぎりなくアッシュに近い光がじっと臣吾を見据えていた。
高校の制服を着た臣吾の風体を頭のてっぺんから爪先までためつすがめつした少女は、ようやく安心したように全身から力を抜く。だが臣吾のほうは少女から目をそらすことができない。頭から生えた尻尾のような長い髪を結わえる二本の麻紐、濃い赤地に茶色の幾何学模様が織り込まれたサリーのような衣装、何より少女の独特な風情のある容貌は、明らかに彼女が移民であることを物語っていた。
差し出そうとした掌の中の金塊をギュッと握り締める。
――俺は今、とてつもなく厄介なことに関わろうとしているのかもしれない。
特権的な富裕層のみ居住することを許された高層マンションに、勿論移民など住んでいるわけもない。それどころか、マンション住民の反移民感情は一般よりはるかに根強く、女子どもであろうとも容赦はしてくれないだろうと思われた。
気にはなるが、下手に関わらず放っておいてやるのが情けというものかもしれない。
「これ……返すよ」
金塊をむりやり少女の手に握らせた臣吾は、心の透けて見えそうなだらしない作り笑いをして、「ここにいたら危険だから、早く帰んなよ」と後ずさりした。既に十一階まで到達しており、目的階はすぐそこだったが、少女を跨いで上がっていくこともできない。稼動しはじめたエレベーターで昇るより他ないだろう。
少女は無表情に金塊を見下ろし、アッシュの瞳をふたたび臣吾に向ける。哀れみを乞うていないだけに、無垢な瞳はかえって胸に突き刺さる。
「いやあ、それじゃ、そういうことで……」
笑みを引きつらせながら階段を後ろ向きで下りようとすると、「あ、ねえ」と少女が腰を浮かす。が、立ち上がるや否やにその身体がぐらりと傾いた。
「危ないッ!」
とっさに腕を出し、臣吾は少女の小さな体躯を支えた。ふんわりした重みが胸にのしかかり、「うくぅ」と少女が咽喉の奥から悲鳴を漏らす。髪から立ちのぼるねっとりと甘い汗の香りが臣吾の鼻腔を突いた。少女の息は上がったまま、見え隠れする白いうなじも細かな汗に輝いている。誰に追われているのか知らないが、相当長い距離を逃げてきたのに違いなかった。
ほんとうに放っておいてやるのがいいのか?
突き放そうとした自分が、急に悪者に思えてくる。考えてみれば、近ごろ面白半分に移民を襲う心ない若者が増えているのだ。もしかしたらこの少女も、若者に追われてここまで懸命に逃げてきたのかもしれない。追い返すのはあまりに人道に反している。
そんなふうに、良心にちくちくと刺さるものを感じる一方で、面倒事に巻き込まれたくないという気持ちも隠しようもなく頭をもたげていた。汗で濡れた開襟シャツがべっとりと肌にまとわりついている。早く家に帰ってシャワーを浴びたい。あと一週間後には期末試験もある。英語と世界史は今からヤマを張らなければ、また追試を受けさせられるかもしれない。
断るんだ。勇気を持ってNOと言うんだ。
「あ、あの……俺……」
「足、くじいた」
こちらを見上げてくる灰色がかった瞳が潤んでいる。そのきらめきは何より雄弁で、臣吾の決意も揺らぎはじめる。
「俺、あの、シャワー、いや、期末がっ……」
舌がもつれる。胸の中で七科目の問題用紙と少女とが天秤にかけられる。先程まで問題用紙のほうにわずかに比重が傾いていたものの、今では少女のほうが断然重くなっていた。
その少女が、悲しげに目尻を下げて桜色の唇を動かす。
「おんぶ、だめなの?」