vol.29
病院探しは難航を極めた。どこを回っても外来入り口には「診療時間終了」の札がかかっていて、扉を叩いても誰も出てこない。
「小さいところじゃだめだ。夜間診療や救急を受け付けてる病院じゃないと」
「あたしはそういうのはさっぱりだ。あんたに任すよ。どこにつければいいんだい?」
アレックスがハンドルを切るジープで、臣吾は都心部の病院を片っ端から当たった。だが、夜間受付をしている病院の看護師も、移民の少女を見るなり門前払いを食わそうとする。
「失礼ですが、患者様は国民健康保険証はお持ちですか?」
臣吾が口ごもると、看護師はじろじろと二人の風貌を見て、「申し訳ございませんが、保険証をお持ちでいらっしゃらない患者様は……」と素っ気なく言い放つ。三軒、四軒に断られるくらいなら何でもなかったが、少女を医者に診せられないまま時間ばかりが刻々と経過していくと、臣吾にも焦りが出はじめた。
応急処置として少女の傷口には布が巻かれている。その布も臣吾の開襟シャツの裾を切り裂いて捻出したもので、清潔とはいえないが背に腹はかえられない。腕の付け根辺りも細い紐で縛り上げ、血の勢いを弱めているが、到底止めるにはいたらなかった。
もしもこのまま血が止まらず、輸血も受けられなければ……。
臣吾の背筋に寒気が走る。
「あった、総合病院!」
アレックスがアクセルを踏み込んだ。
――次で断られたら。
動悸のために息が苦しい。
少女の皮膚からは血の気が失せ、もともと白い肌がいっそう蒼くなっている。
――死なせるわけにはいかない。絶対に。
ジープが駐車場に滑り込む。少女を抱いた臣吾は停車を待たずにジープを降り、夜間受付の入り口に駆け込んだ。美人だがいくらかむくんだ顔をした受付の看護師が、怪訝そうに臣吾を見上げる。
「緊急なんです。診てもらえませんか」
「ご連絡をいただいておりませんが……」
「一刻を争うんですよ!」
詰め寄っても看護師は動じない。血まみれの少女にちらりと目を落とし、眉を顰めて、
「あいにく、当直医は只今外出中で……」
「嘘つけよ! 人の命に関わることなんだぞ!」
「何を騒いでるんだ」
受付の押し問答を聞きつけたのか、当直室から医者が現れた。臣吾は看護師を無視し、「緊急患者なんです。診てやってください」と医者に向かって頭を下げる。
臣吾を見、少女を見て、寝癖の頭を掻いた医者はいかにも億劫そうに、
「なんだ、こんな時間に」
「診てやってください。お願いします」
医者が近寄ってきて少女の顔を覗き込んだとき、臣吾はかすかな希望を見出した。
だが、医者の返事もつれないものだった。
「何だ、こりゃ移民の子どもじゃないか。だめ、だめ。移民なんか市民病院じゃ診られないよ」
臣吾はがくりと項垂れた。医者が「悪いけど、他を当たってくれ」と告げ、くるりと背を向ける。看護師は一件落着といった表情をして、やや所在なげに手元の資料をまとめはじめた。
「……移民じゃないです」
「んー?」
面倒臭そうに振り向いた医者を、臣吾は血走った目で睨みつけた。
「この子は移民じゃない」
「何を言ってる。見れば誰だって分かることだ」
「移民じゃない」
「医者を騙す気か。いい加減にしなさい」
臣吾は俯いたまま声を振り絞った。
「この子は……僕の妹なんです」
医者も看護師も呆気にとられたように押し黙る。臣吾は少女を抱いたまま、床に膝をついて深々と頭を下げた。
どれだけの時間が経ったのか、最初に沈黙を破ったのは医者だった。
「……診察の準備をしなさい」
「でも、先生」
「やるんだ」
強い口調で看護師に命じた医者は、臣吾の腕から少女を抱えあげた。少女は薄く目を開き、息をあえがせながらも灰色の瞳で必死に臣吾を探している。
「君はいい兄妹を持ったな」
誰にともなくつぶやいた医者は、看護師につづいて診察室へと足早に入っていった。