vol.28
「私はこの国の国民が憎い」
凍った瞳で少女がつぶやく。
「政府に大事にされている国民が憎い。NSIに守られている国民が憎い。帰る国のある人たちが、みんな、みんな憎い」
「……」
「あなたには感謝してる。けど――あなたの傍にはいられない」
少女がふっと目を伏せる。
いつしか屋上の銃声はやんでいた。サーチライトが音もなく消える。
「でも、それじゃあどこへ行く気だ。青い翼は、もう……」
「ソフィーさん」
ぞっとするほど優しい声が聞こえた。闇の中からのっそりと釘宮が姿を現す。
臣吾は目を瞠った。両手を後ろにまわされ、こめかみに銃口を突きつけられて引っ張り出されてきたのは、屋上に踏みとどまったはずのアレックスだったのだ。
「ア、アレックスさ……!」
悔しそうに釘宮を睨んでいたアレックスは、二人に気付くとばつが悪そうに笑った。
「ざまぁねぇな。マシンガンの弾が切れちまったんだ」
「ソフィーさん。あなたをお迎えに参りました」
優しいが、無機質な声でくりかえす釘宮に、少女ははっきりと嫌悪の色を示して「行かない」と身を引いた。
「おおっと、よろしいのですか? こちらには人質がいるのですよ」
釘宮が拳銃をアレックスのこめかみに押し当てる。少女がぐっと唇を噛んだ。
切れ長の瞳に狡猾な光が湛えられる。
「あなたがお逃げになったら、私は迷わずあなたの同志を射殺します。よろしいのですか?」
「――そんなことしたら、ただじゃ済まないわ――」
「おやおや、このバッジがご覧いただけませんか? NSIがマシンガンを握った反乱分子たる移民を、職務上やむを得ない状況において射殺するのは致し方ないこと。この国では、移民の命は枯れ葉ほどの価値も持ちません。街の治安を乱す反乱分子ならなおさらね」
太く長い指が、勿体をつけながら撃鉄を起こす。夜の静寂に、その音が大きく響きわたった。
「逃げろ、お嬢ちゃん」
アレックスが低い声で言う。
「あたしのことなんか構わないでいいよ。どうせ死ぬつもりだったんだ。それに、あんたが来たって二人とも殺さ……」
その言葉をさえぎるように、アレックスの口に太い銃身が突っ込まれる。ガッ、と鉄と歯のぶつかり合う硬質な音がし、アレックスがうめいた。
「ソフィーさんの意志を尊重しましょう」
たしなめるように静かな声音は、この場ではいっそう不気味だった。少女に向き直った釘宮が、哀れむように目を細める。
「あと十秒だけ待ちます。十秒経ってもおいでいただけなければ……」
銃身をくわえさせられてもがき苦しむアレックスに、少女が棒立ちになる。臣吾は釘宮と少女とを代わる代わるに見た。どちらも一歩も譲る気配はない。
「一、二、三……」
釘宮が時間を数え出す。少女はなすすべもなく突っ立ったきりだ。
「ちょ……釘宮、ちょっと待ったァ!」
大声でわめく臣吾にも、釘宮はちらりと一瞥をくれただけで、「四、五……」と平坦な声で数を重ねていく。
臣吾は矢も盾もたまらず叫んだ。
「俺! 俺も人質なの!」
「人質?」
釘宮が表情を動かした。
唖然としている少女に構わず、臣吾は何度も頷いて釘宮を睨む。
「この子……そう。この子が、もしあんたがアレックスさんを殺したら俺を殺すって!」
「え?」
「甲藍村に代々伝わるっ……毒、そう毒薬があるんだ! 金を溶かして何かした奴を俺に飲ますって!
なあ、どうすんだ! 枯れ葉ほどの価値も持たない移民の命と、名門高校に通うオール3、いや英語は4の前途有望な若き自国民の学生の命を天秤にかける気か!」
「私、そんなこと――」
「嘘を言うな嘘を! 殺すって言ったじゃないか! ああー怖いよ助けて釘宮さん! ってか、とっととアレックスさん放せよ! 俺が大事なら彼女を放してあげろよ!」
上ずった声でのハッタリに黙って耳を傾けていた釘宮が、不愉快そうに舌打ちをする。猿芝居を見抜かれたのかと口をつぐんだ臣吾の前で、釘宮は渋々ながら拳銃を下ろした。
「……卑怯な手を使ってくれるものですね、ソフィーさん」
――こいつ、もしかして馬鹿か。
真面目くさった顔をしている釘宮を、臣吾はやや呆れつつまじまじと見つめた。
縛めを解かれたアレックスが、ゆっくりと、しかし着実な足取りで近付いてくる。褐色の肌が少し煤で汚れているが、傷ひとつなく元気そうだ。
「やるじゃん」
小声でささやき、ちょっと笑ってみせたアレックスだったが、すぐ厳しい顔つきになって少女を振り返る。焦げついたような銃創からは止めどもなく血が溢れ、白いシュミーズを真紅に濡らしていた。素人目にも、その出血量が決して少ないものでないことは明らかだ。
釘宮が銃口を下ろしてから、少女は目に見えてふらついていた。倒れかけたアレックスが抱きとめると、紙のように白い顔をしてぐったりとその胸になだれ込む。アレックスは少女の身体を軽々と抱きかかえ、ジープに向かって運んだ。
無防備なアレックスの背中を、釘宮は黙って見送っている。臣吾はその脇を足早に通りすぎ、アレックスの後を追おうとした。
「……いけませんね、自らの身体を張ってNSIを脅すとは」
立ち止まって振り向くと、釘宮は灰色の制帽を目深にかぶって表情を隠した。そうして、アレックスとは反対の方向に歩を進めていく。
臣吾はその後姿をじっと眺めていた。
「おーい、あんた!」
ジープに乗り込んだアレックスが手を振っている。
「来るんだろ? 乗ってきなよ!」
「はいッ!」
踵を返した臣吾は、走り出したジープの助手席に飛び乗った。釘宮の影は闇にまぎれてどこにも見えなくなっていた。