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vol.27

 ギッ、と背後から車のドアの開く音がする。ジャリッ、ジャリッ、と未舗装路を踏む軍靴の足音が、ゆっくりと忍び寄ってくる。後ろを振り向く勇気もなく、逃げ出すほどの気力も当に使い果たしていた臣吾は、せめて少女だけでも守るべく、目をつぶってその華奢な身体を抱き寄せようとした。


 が、臣吾の抱いたものは、ただ一陣の風ばかりだった。


 目を開くと、恐れげもなく立ち上がって若い捜査官を睨みつけている少女の姿が目に入った。制止しようとしてためらう。灰色の瞳を憎悪に爛々と燃やし、猫のように鋭く尖った歯で血のにじむほど唇を噛み締めている少女は、既に臣吾の知っている少女ではなかった。


 息を呑む臣吾の目の前で、少女はしなやかに身を翻して運転席へと潜り込んだ。止めようとした臣吾は、少女が運転席のドアを開けて男の骸を蹴落とすのを見て言葉を失う。少女は平然と血で濡れたシートに座り、アクセルを踏んだ。臣吾を荷台に載せたまま、トラックが非常な勢いで発進する。


「おい、お前……」


 声を掛けようとしたところで急旋回した車体から振り落とされそうになり、臣吾はあわてて貧弱な荷台にしがみつく。唐突に進路変更したトラックは、強引に逆方向から車線を突っ切った。


 アクセルが踏み込まれ、トラックが狂的に速度を増す。その狙いを悟り、臣吾ははっとした。フロントガラスの向こうには、顔面蒼白の捜査官が呆然と佇んでいたのだ。


「やめろ!」


 臣吾の制止は間に合わなかった。バンパーから物を撥ね飛ばす音とともに車体を押し揺るがす衝撃が伝わり、臣吾はたまらず荷台から転げ落ちた。


 道路にぼろきれのように捜査官が横たわっている。ぐったりしているが、息があるのかどうか遠目には判じられない。


 トラックは捜査官を撥ねると急に力を失い、見る見るうちにスピードを落としはじめた。走行中に運転席のドアが開き、少女が飛び出してくる。運転手もなく不安定に走りつづけるトラックは、軒を連ねる倉庫のひとつに突っ込み、壁に頭をめり込ませてやっと止まった。だが少女の表情はひどく醒め、少しも驚く様子はない。


「あ、あの……」


 声をかけると少女は振り向いた。だが、それ以上言葉がつづかない。栗色の乱れ髪に縁取られた小さな顔は、しんと底冷えのする憎悪に満ちていた。どんな言葉も、彼女の心の岸には届きそうにない。


 黙り込んだ臣吾の前で、少女が静かに口をひらいた。


「あなたのこと、覚えてる」


 つい昨日までの無邪気な話しぶりとは似ても似つかぬ大人びた口調に、臣吾は目をしばたたかせる。少女はだるそうに手で頭を支えた。目元に一抹の憂いがかかる。


 なぜだか臣吾は、肌に粟立つものを覚えた。


「変な感じ。記憶が混在してる、っていうのかな。記憶喪失だったときの――あなたといたときの記憶も残ってるのに、本来の私自身の記憶もちゃんと戻ってきた」


「君自身の……記憶?」


 少女はまっすぐ臣吾を見つめる。滾るような怒りを抑えた、それでいて哀切な瞳だった。


「目の前で、家族が燃えていくのを見たことがある?」


 遠いところから、まだ銃撃戦が聞こえてくる。


「あの日、私は溶練炉にいたの。国の偉い人と揉めてるからといって炉はずっとお休みだったんだけど、私は炉にある出来損ないの屑金が欲しかった。ちょうど母の誕生日が近付いていたから、屑金でアクセサリーを作ってプレゼントするつもりだったの。石ころみたいにごろごろしてるのをたくさん拾って――帰ってみたら――」


 少女は涙を堪えるように顔をゆがめた。彼女が見たであろう凄惨な光景を思い、臣吾も口をつぐむ。


 しばらく肩を震わせていた少女は、ゆっくりと声を絞り出し、


「――みんなを呑み込んで瓦礫の山になった集会所を見ていたら、ぷつんと意識が途切れた。次に気付いたとき、灰色の制服を着た男が銃を持って近付いてくるところだったわ。何か叫んで、銃を突きつけられて、私は反射的に逃げた。ほとんど飲まず食わずでずっと逃げつづけて――あのマンションで、あなたに会ったの」


 かぶりを振って、少女は苦しそうに告げた。


 救われたことを手放しで喜べない気持ちが、臣吾には痛いほど分かる。母が事故に遭ったとき、臣吾は同じ気持ちをいだいた。アレックスには話さなかったが、事故は臣吾の目の前で起きたのだ。突如歩道に乗り込んできた暴走車が母を引っ掛け、倒れた母を置き去りにして走り去った光景を、臣吾は昨日のことのように思い出せる。


「ご一緒だった息子さんが無事でいらしたのは何よりね」


 そんな近所の主婦の慰めは、却って臣吾を自責の念に駆らせるばかりだった。


 ――どうして何もできなかったのだろう。どうして母を助けられなかったのだろう。どうして犯人を捕まえられなかったのだろう。どうして、どうして、どうして……。


 どうして、生き残ってしまったのだろう。


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