vol.23
耳をつんざくサイレンの音に、全員が顔を上げた。
「き、緊急事態なんじゃないですかっ?」
「落ち着きな」
狼の遠吠えのようなサイレンを聞いても、アレックスや男たちは焦るそぶりも見せない。処置の手を止め、辺りの様子を窺うように周囲を見渡している。
天井から爽やかな音を立てて埃が落ちる。アレックスが背中のマシンガンを握った。
「ややや、やっぱり緊急事態じゃ……」
「落ち着きなっての!」
「は、はいっ!」
臣吾が身をすくませると同時に、処置室外の階段のほうから派手な足音が聞こえた。仁王立ちになったアレックスが、入り口に向けてマシンガンを構える。
他の男たちは早くも裏口のドアを開け、逃走の準備をしていた。そのうちの一人は眠ったままの少女を背負おうとしている。
階段の足音が近付いてきた。
「あ、あのう、俺は……」
「素人がいたって足手まといなんだっ、さっさと逃げな!」
「は……はいぃっ!」
マシンガンを構えたアレックスに逆らいようもなく、最初から逆らうつもりもなしに、臣吾は素直に背を向けて走り出した。
だが、裏口にさしかかる一歩手前で表のドアが破られる音がし、
「そこまでです」
聞き慣れた金属質の声が耳を打ち、臣吾はその場に佇立する。少女を背負っていた男も逃げ切れず、悔しげに唇を噛んで振り返った。
踵を返した臣吾の目に飛び込んできたのは、数多の手勢を率いた釘宮である。武装した部下たちに階段付近を固めさせ、釘宮自身も拳銃をこちらへ向けて、一歩ずつ歩み寄ってくる。
「残念でしたね、少女の記憶を引っ張り出す前に乗り込まれてしまって」
「それ以上進んだら相棒に物ォ言わすぜ」
マシンガンを構えなおしたアレックスに、釘宮は「ほう、それは恐ろしい」と笑みを浮かべて歩を止める。
「あたしたちが何をしたって言うんだい。あんたらにゃ、ここへ踏み込んでくる権利はないはずだよ」
「果たしてそうですか?」
目を細めた釘宮は、まっすぐ臣吾を見つめてくる。笑っているのに冷徹なまなざしが、臣吾の肝を冷たくした。
唇の端を上げた釘宮は、
「確かに、合法なデモをされているだけの組織に対して、我々国家特別捜査局は何ら捜査の権限を持ちません。だけど、自国民の少年の誘拐となれば話は別だ」
「何っ……」
アレックスが目を見開いてこちらを振り返る。臣吾は思わず俯いたが、そそがれる視線が痛い。ばくばくと動悸がし、罪悪感が胸に桐のように揉み込まれた。
釘宮の言うとおり、青い翼が害のないデモ行進等をするばかりの組織であったなら、それが反政府組織と分かっていてもNSIには手出しのしようがなかっただろう。だが、今、ここには前嶋臣吾という自国籍を有する少年がいる。たとえ臣吾自身に「誘拐された」という意識がなくとも、こうした状況は、NSIにとっては青い翼を引っ立てるに足る格好の材料であるのだ。
不敵な笑みを消しもせず、釘宮がアレックスに銃口を向ける。
「さて、前嶋さん。こちらへいらしていただいてもよろしいですか」
「行く義理なんかない」
「おやおや、これは随分な言われようですね。勘違いしないでいただきたいが、我々はあなたを逮捕するために来たのではありません。あなたを保護しに来たのですよ」
臣吾は困惑してアレックスの顔を見る。アレックスは苦りきったような表情で、「行け」とも「行くな」とも言ってくれない。
沈黙のまま、時間だけが過ぎる。実際にはほんの五、六秒が、臣吾には一時間にも二時間にも思われた。
不意に、釘宮が紅い唇をニィと笑わせた。
「そこの黒人女のせいでいらしていただけないというのなら、仕方がありません。人質を救出するために、誘拐犯を射殺しなければなりませんね」
脅すように拳銃の撃鉄を起こした釘宮に、臣吾は目を瞠った。
「やめろ!」
釘宮がゼンマイ人形のように首をひねり、そして頬の引き攣ったような笑顔を見せる。
「行くよ……行きゃ、いいんだろ……」
なかばヤケッパチにつぶやいて脚をぎくしゃくと動かすと、釘宮は満足そうに大きく頷いた。だが、拳銃の先はアレックスに向けられたままだ。
そろりそろりと足を踏み出し、ようやく釘宮のもとに辿り着くと、釘宮は片手を挙げて部下を呼んだ。灰色の制服を着た若い捜査官が二人、両脇から臣吾を手荒く拘束する。「いてッ」と臣吾が声を挙げても容赦はしない。
――これじゃ保護というより被疑者扱いじゃないか。
はぁ、と溜め息をつきかけたときだった。
釘宮が肘を伸ばし、アレックスに向けて銃の狙いを定めたのは。
「釘宮、あんたっ……」
「Good bye, Bloody beauty! See you in the hell!」
狭い処置室に、一発の銃声が響きわたった。