vol.20
「――入らない」
きっぱりとした臣吾の答えに、アレックスが目を見開く。銃口をぐりぐりと顎に抉り込み、「嘘。嘘だろう」と強気に繰り返す口調には、しかし顕著な動揺が見え隠れしている。
「嘘じゃないです」
声は澱みなく滑り出た。恐怖が臨界点を突破してしまったのか、全身の戦慄もおさまり、汗もひいている。動悸もしない。臣吾に見つめ返されたアレックスのほうが、却ってたじたじとなっているほどだった。
心はひどく穏やかになっている。無理に勇気を奮い起こしたり、虚勢を張ったりしているわけではない。意識的に選択した、というより、口からポロリと零れ出た答えが「青い翼には入らない」だったのだ。
口にするまでは怖くて仕方なかったのに、答えてしまうとむしろ恐怖は鎮まった。こうなればアレックスに撃たれるほかないと開きなおると度胸が据わり、「来るならいつでも来い」という心境になる。
「あんた……ただの脅しだとでも思ってんのかい?」
アレックスは呻くようにつぶやいた。押しつけられた蛇口から細かな戦慄が絶え間なく伝わってくる。
「……うまく言えないですけど」
臣吾の声は太くしっかりとして、途切れがちではあったがつっかえることはなかった。
「俺が死にたくない一心で同志になるって誓っても……あなたは俺のこと、心から信用できないでしょう。俺だって、あなたや……ほかの構成員にいつ襲われるか分からないってびくびくしながらここで生活するのはヤだし……第一、現政府がほんとにそんな事件を起こしたのかどうか……証拠だってないじゃないですか。そんな曖昧な理由で、みんなを……友達とか、親とか、親切にしてくれたいろんな人のことを裏切れないです。だから入らない。……入れないです」
言い終えて、臣吾は目を閉じた。
――ここまで来て、意地なんか張ったって仕方がないだろう。ホント、損な性分だ。
そう思いながらも、心持ちは安らかなものだ。
下顎にぴたりと添えられていた銃口が、前触れもなくふっと離れた。何気なく目を開けた臣吾の頬に突然ガツンと硬い平手打ちのような衝撃が食らわされ、臣吾は一気に横なぎに吹っ飛ばされた。
「……?」
床に這いつくばった臣吾が眉を顰めつつ顔を上げると、目を血走らせたアレックスがマシンガンの銃口を握って仁王立ちしていた。マシンガンで顔を殴られたのだと合点すると同時に、頬から顔全体に鈍い痛みが押し寄せてくる。殴られた拍子に唇でも切ったのか、鉄臭いような血の味がした。
半身を起こした臣吾の額に、アレックスがマシンガンの銃口を向ける。だが、銃口はぶるぶる震えて焦点が定まらない。臣吾はふと、アレックスは人を撃つのは初めてなのではないかと思った。
「最期に訊いてもいいですか」
「……なに?」
「あの子、その甲藍村での事件とはどんな関わりがあるんですか。どうしてNSIにも青い翼にも追われなきゃならないんですか」
アレックスは唇をゆがめ、何か皮肉を言おうとしたらしい。だが言葉が浮かばないのか、しばらくもどかしげに唇を動かしたのち、諦めたように濃い睫毛を伏せた。
「あの子は、甲藍村の生き残りなんだ」
「え、だって、村人は全滅したんじゃ……」
「いちいち二百余名全員の戸籍照会なんかできると思うかい? ある程度は調べたとしても、子どもの一人や二人ならいくらでも逃げられる」
「けど、なんであの子が生き残りだって分かるんですか?」
「忘れたのかい。あの子、金を持ってたじゃないか」
なぜだか、アレックスは疲れたように笑った。「あの金の純度が、甲藍村に製錬された金の純度と一致してネェ」
臣吾の脳裏に、さきほどアレックスの語った光景が甦った。家族、友人、親しいもの、近しいものすべてを包んで燃えさかる紅の業火。木や肉の焼け焦げる臭いが鼻腔を突く。そして、炎の轟音に混じって聞こえる、親兄弟友人たちの悲痛な泣き声。「出してくれ! 出してくれ! 熱い! 熱い!」……悲鳴は徐々に小さくなり、やがてどどどっと音を立てて建物が崩れ落ち、周囲には無残な静寂が残される……。
その光景を、少女はどんな思いで見つめていただろう。あのアッシュの瞳は、炎を反射して何色に輝いただろう。
「あの子の記憶が戻りゃ、もっと確かなことが分かる。これまで甲藍村虐殺事件は噂でしかなかったが、きっとあの子が真実を語ってくれるだろうサ」
アレックスがおごそかに告げた。
「現政府を法廷に引っ張り出すことはできなくとも、反政府組織の拡大や構成員確保には充分に役立つ。国内だけじゃない。諸外国や世界連盟に対して訴えかければ、力はより強大なものになる。だから、ここであんたにチクられるわけにゃいかないんだ」
「あ、あのっ……あの子に会うことはできますか」
考える暇もなしに言葉が口を突いて出てしまった。アレックスは驚いたようだったが、我が身よりも少女のことが気懸かりな臣吾にとっては、命乞いより切実な望みだ。紡がれた虐殺のイメージに心を浸していると、故郷にも戻れず、親兄弟も死に絶え、記憶まで失って、NSIに命を狙われながら放浪している少女の孤独が身に沁みてきた。
だが、呆れてぽかんと口を開けたアレックスを見ていると、なんだか自分が恐ろしく常識はずれなことをしているようで、臣吾は焦って顔の前で手を振った。
「物を頼める立場じゃないっていうのは分かってるんですけど……ホント、あの、会うだけでいいんです! 会ったら、いや、顔見たらもう死にます! 即死にます! 即死です!」
「てめぇが銃で撃たれそうだったときにゃ、こっちがたまげるくらい冷静だったくせに。面白い小僧だネェ、あんた」
ようやくアレックスが白い歯を見せて笑う。
「……あんたを同志にできなかったことが残念でならないが、仕方がないな。だが、ほんとうに顔を見るだけだ」
ごく軽い口調で言ってのけたアレックスの表情には、処刑の瞬間を一秒でも延ばせたことへの安堵がありありと滲んでいた。