vol.15
どのくらいそうしていただろう。泣きやんでぐったりした少女に肩を貸していた臣吾は、階上の足音に気付いて顔を上げた。一人の足音ではない。しかもかなり荒々しく、迷う様子もなしに地下室の入り口のあるカウンターの裏へとやってくる。
少女の肩を抱き寄せて、臣吾は身を硬くした。カンカンカン……と梯子を下りてくる硬質な足音が、隠し扉のすぐ前で立ち止まる。緊張に声も出ない臣吾の眼前で、隠し扉が開ききるのを待つのももどかしげに、人影が三つ飛び出してきた。
薄暗がりの中にアレックスの顔を見定めて、臣吾は全身でふーっと深い溜め息をついた。
「なんだ……脅かさないでくださいよ」
「バカ言ってる場合じゃないよ。その子を迎えに来たのサ」
見れば、アレックスが率いているのは屈強な体躯をした移民の男たちだ。彼らの視線は臣吾を通り越し、まっすぐに少女を見つめている。
臣吾は無意識のうちに身構えていた。
「この子を……なんで?」
「その子が持ってたっていう金の純度を調べたら、面白い事実が発覚してネェ。青い翼としちゃ、ちょいと放っておけない事態になったのサ」
言葉つきは余裕ぶっているが、その実、切羽詰った雰囲気が感じられる。臣吾は少女を背でかばい、真向からアレックスを睨んだ。
「連れてなんか行かせません」
「危険を冒して隠れ家まで提供してやったっていうのに、協力しないつもりかい。それに、今度のことは直接その子との関わりもある。その子が来るにせよ来ないにせよ、あんたに決める権限はないね」
「この子に関係すること……?」
アレックスの言葉に迷い、臣吾はちらりと少女を振り返った。少女は不安そうに身を縮め、臣吾と目を合わせるなり「わからないの」と首を振る。
体勢を崩さない臣吾に、アレックスは肩をすくめた。
「あんたは底抜けのお人よしだな。尤も、本気でその子のことを思うんなら、こっちに引き渡すべきだと思うけどネェ。その子は、例のコウラン村消失事件の重要参考人なんだから」
「えっ?」
もう一度少女を振り返った臣吾に向かって、アレックスは意気揚々と、
「そういうわけだから。その子、いただいていくよ」
その一声を引き金に、二人の男たちが歩み寄ってくる。行く手を阻もうとした臣吾は思いきり胸倉を掴まれ、「どいてろ」と、いとも軽々と投げ捨てられた。ドォン! と部屋全体が揺れたような気がしたのは、背中を壁にしたたかに打ちつけたためだ。
「……いってぇ……」
ギシギシと折れそうに軋む背骨をさすり、臣吾は涙目をうっすらと開く。ぼやけた視界の中で、少女が二人の男に無理やり引っ立てられていくのが見えた。
「ま……待て……」
少女はキーキーと猿のように甲高い声を上げ、身をよじって逃れようとしていたが、二人の男に両手首をつかまれて抵抗むなしく運ばれていく。アレックスは腕を組み、美しい顔をにこりとも笑わせずにその様子を眺めていたが、やがて男たちを先導するように歩き出した。臣吾も後を追いたかったが、背中に鈍痛が響いて立つことさえままならない。
一行は貯蔵庫の梯子から階上へとのぼり、床板を踏み鳴らす音が程なくして頭上から降ってきた。「やなのーっ! やなのぉーっ!」という少女の喚き声もだんだん遠ざかっていく。
「クッ……」
臣吾は必死で床を這ったが、到底追いつけるものではない。ジープの去っていくエンジン音が聞こえてきたのはまもなくのことだった。
ジープが発進すると同時に、臣吾の両手両足から力が抜けていった。
「ちくしょう……ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……!」
どす黒い後悔の念に襲われて、臣吾は自分の額を何度も床に叩きつけた。
――守ってやると言った、その舌の根も乾かないうちに……アレックスが戻ってくる前にあの子を連れて逃げればよかった。あいつが金塊を見て目の色を変えたことはすぐ分かったじゃないか。俺はなんてマヌケなんだ……!
「ちくしょう……」
最後に頭をゴツンと打ちつけ、自分を痛めるだけ痛めつけて、臣吾はようやく気を鎮めた。
――助けられなかったわけじゃない。少なくとも、青い翼の一味は少女を殺しはしないだろう。
そんな目算にも慰められて、気持ちが徐々に凪いでいく。呼吸を整えて顔を上げると、背中の痛みもだいぶ引いていた。臣吾は息をつきながら梯子をのぼり、酒場の煤けた扉を開けた。燦々と降りそそぐ夏の日が、何だか無性に懐かしい。
しかし、肝心なのは少女の行方だ。ジープの影が見えないかと周囲を眺め渡したが、姿かたちはおろかエンジンの音さえ聞こえない。
「……だめか、やっぱり」
吐息をついて目を落とすと、白っぽい未舗装路に太いタイヤの痕がうっすらと刻まれている。目で辿ってみると、軌跡はずっと遠方までつづいていた。
考えるまでもない。臣吾はいまや唯一の手掛かりであるタイヤの痕跡を追って走り出した。