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vol.14

 こわごわ階段を下りた先は地下室だった。ワイン貯蔵庫に模された廊下を通りすぎ、突き当たりの棚を押すと、棚がくるりと回転して隠し部屋が現れる。


「ここがあたしたちのアジト」


 アレックスは誇らしげに告げたが、天井から豆電球がぶら下がっているだけの殺風景な部屋は、ただの空き部屋以上のものには見えなかった。


 抱えていた少女の身体を部屋の一隅に横たわらせ、すっかりだるくなった腕を揉みながら、臣吾は勧められるがままに床に座った。


「喫茶店じゃないけど、上に行きゃコーヒーぐらいは出せる。ま、肝心の豆がないから、どっちにせよ買ってこなきゃ駄目だけどね」


「あ、いえ、結構です。それより、その子を寝かせるベッドか何か……」


「心配すんなって。人間の身体はベッドの上で寝なくても死なないようにできてるサ」


 アレックスは臣吾の前にどかりと胡坐をかく。


「で、これからどうするかね」


「あの」


 向かい合わせになって何となくどぎまぎしながら、臣吾はおずおずと訊ねた。


「どうして俺たち、っていうか、あの子の味方をしてくれるんですか?」


「そりゃ、NSIにいじめられてる移民の女の子って聞いたら、たとえ同胞じゃなくても誰だって助けてやりたくなるサ。しかも、あんな美少女と来たら尚更ね」


「でも、俺、どうしてあの子がNSIに追われているのかも知らないんです。確かに変わった外見だし、あんまり見ない民族だけど、何か特別な能力を持っているようにも見えないし……そりゃ、金を持ってはいたけど……」


「金?」


 アレックスは床に横たわる少女を見て素っ頓狂な声を上げた。それきり眉間に皺を寄せ、難しい顔つきになる。


「こりゃ、思ってたよりずっと根の深い事件かもしれないよ。その子がNSIの金を持ち逃げしたとかサ」


「そんな……あんな小さな子が」


 思わず絶句した臣吾に対し、アレックスはあくまでも淡々と、


「あの子が直接やったわけじゃなくとも、両親がテロ組織の一員であの子に戦利品を託したか、大人の騙されて持たされたとか、理由はいろいろ考えられる。よくある話サ。なにせ、こっちはプロだからネェ」


「プロ?」


「あっと……言っちまった」


 芝居がかった仕草で口元を手で覆ったアレックスは、思わせぶりに笑って、


「ま、ここまで来て互いに秘密はナシだね。あたしは反政府組織の”青い翼”のメンバーなんだ」


「青い翼……」


 そういえば、そんな反政府組織の名称を何度か聞いたことがある気がする。しかし、すぐには思い当たらない。


 考え深げな面持ちになった臣吾に、アレックスは少し鼻白んだが、


「ニュースにゃあんまり出ないけど、反政府組織の中で最も暗躍してんのはうちサ。過激なだけのテロ組織は他にも掃いて捨てるほどあるが、青い翼は今、情報網の強化に力を注いでいるんだ。デモ行進をしたり、釘宮みたいに出すぎた真似をする捜査官を止めに行ったりするのは、活動のほんの一環だよ。むしろカモフラージュみたいなもん。主勢力はもっとでかいことをするために、目下のところ地下にもぐってんのサ」


「ふぅん」


 それならマシンガンを所持しているのも、釘宮と顔見知りであるのも納得できる。若いアレックスはさしづめ陽動作戦を担わされているのだろう。肉付きのいい身体は程よい筋肉に引き締まり、身のこなしも機敏で、動作のひとつひとつにこなれた気配が窺われる。


「そんなことより、まずはあの子の身元を調べるっきゃないネェ。敵の出方が分からなきゃ、こっちもお手上げサ」


「NSIはあの子をどこかへ連れ去るつもりでしょうか」


「いや」


 アレックスが険しい表情になった。


「あたしが思うに、奴さんらは多分、あの子を殺す気だと思う。理由は分からないけど、あのとき銃を突きつけたのは脅しなんかじゃない。釘宮は本気であの子を殺すつもりだったんだ」


 断定的なアレックスの口調に、老人が今際に口走った言葉が重なる。「この子……この子、は……」とつぶいて息を絶やした老人は、その後に何を言おうとしたのだろうか。


「あの子、処刑されなければならないほど重い罪を犯したんでしょうか」


「迂闊なことは言わぬが仏サ」


 それっきりアレックスは口をつぐんでしまったが、表情は沈み込んでいる。NSIは確かに冷酷非情な組織ではあるが、無実の人間や軽犯罪者まで見境もなく射殺することは滅多にない。相手が幼い女の子であればなおさら、NSIに対する国民の反感が煽られることを恐れて、軽率な行動は慎むことだろう。


 だが、実際にはNSIの追及は執拗で、しかも手段すら選んでいない。その事実が臣吾を不安にする。


「これ……もしあの子の身元確認に役立つなら」


 臣吾がポケットから取り出した金塊をアレックスに差し出したのは、少女に対する疑心暗鬼をこれ以上育てたくないがためだった。アレックスは金塊をつまみ上げてあらゆる角度からしげしげと眺める。


 その目が、突然細められた。


「モノホンだぜ、こりゃあ……もしかして……いや、まさか」


「何か分かったんですか」


 問いには答えず、アレックスは部屋の片隅で昏々と眠りつづける少女へ目を向けた。先程とは打って変わったアレックスの厳しいまなざしに、臣吾は落ち着かない気分になる。


「これ、ちょっと借りていくよ。もしかしたら、ほんとうに……」


 あわただしく立ち上がったアレックスは、どすどすと荒っぽい足音を響かせて隠し部屋を出ていく。どこへ行くのですか、どういうことですか、どのくらいで戻ってきますか、そんな問いかけをする暇は一切与えられず、酸欠の金魚のように口をぱくぱく開閉させる臣吾の前で、隠し部屋の扉は無情に閉ざされた。


 取り残された臣吾が心細さと闘いながらつくねんと座り込んでいると、「ん……うーん……」と少女が低いうめき声を漏らして伸びをした。


「目が覚めたか」


 救われた思いで声をかけると、少女はゆっくりと半身を起こして目を眠たげにしばたたかせ、次いで戸惑ったように辺りを見回した。


「ここ……どこ?」


「青い翼のアジトだよ。アレックスが連れてきてくれたんだ。あ、アレックスっていうのは青い翼のメンバーらしいんだけど、お前が釘宮に撃たれそうになったときに助けてくれた人で、ええと、ほら、移民紛争解決センターで……お、覚えてないかな……」


 下手な説明に少女が目を白黒させている。その表情には何ら変わった様子がなく、つい先刻に金切り声を上げて暴れだしたのが嘘のようだ。


「あおいつばさ、ってなに? あれっくすってだれ?」


「いや、いいんだ。親切な人が助けてくれたってだけ」


 簡単に説くと、少女は釈然としない面持ちで「ふーん」とだけ言った。臣吾は告げなければならない言葉を咽喉の奥に呑み込む。痛々しいほど無邪気な少女に向かって、記憶を失う前の君はお尋ね者だったのかもしれないなどと、いったい誰が言えるだろう。


 臣吾は移動して少女の隣に腰を下ろした。少女は無心に臣吾の顔を見上げる。アッシュの瞳は暗がりの中でもまっすぐに澄んでいた。


 もしかしたら、記憶を喪失する前に、少女は大罪を犯していたのかもしれない。でも、今のこの子には、何の罪もない。


 そう思うと、少女の境遇が心底から哀れだった。


「なぁ」


 臣吾は目を伏せながら、「俺、お前のこと、守るから」


 少女の表情がかすかに揺らぐ。臣吾は幾度もつっかえながら、それでも声を絞り出すように、


「NSIや釘宮がどんなに追ってきても、絶対、守ってやるから……だから……そう、心配すんな」


 少女の目がふっと潤み、可憐な顔がくしゃくしゃと崩される。次の瞬間、少女は栗色の髪をぱっと翻し、声を放って泣き出した。


 地下室の静寂に、少女の泣き声だけが響きわたる。涙は堰を切ったように溢れ出して止まる気配もない。


 臣吾は黙って栗色の柔らかな髪を撫でつづけていた。



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