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vol.13

 アレックスの運転するジープは、大通りを抜け、曲がりくねった細い道へと入っていく。臣吾はこのあたりの地理には不案内だったが、こまごまとした薄暗い商店にはさまれた狭い道には一目で移民と分かる貧しい身なりをした人びとが溢れ出し、一種のスラム街なのだろうと容易に見当がつく。


 人混みの中、ジープは遅々として進まない。時たまアレックスは苛立ったようにクラクションを鳴らしたが、「まったく、とろとろ進みやがって」と毒づく声はどこか愛おしげだった。当初受けた印象より、ずっと情の濃やかな女性なのかもしれない。


 臣吾は眠ったままの少女を抱いて助手席に座っていた。軒を連ねるみすぼらしい商店の脇には露天商がおり、色艶の悪い魚や怪しげな瓶詰めの酒等を売りさばいている。店員も扱けた頬に疑り深そうな金壷眼をしていたが、客も人相の悪い者ばかりで、あちらこちらで殺伐とした価格交渉の声が絶えない。店員も客も互いに仇敵同士のように睨み合い、中には自分の思い通りに値を下げられないからと腹癒せに売り物を床にぶちまける客や、箒を振りまわして客を追い返す店員もいる。


 客同士でも、押しのけあったり割り込んだりする程度なら罪のないほうだ。他人の手にした商品を横からもぎ取ったり、他の客の財布をスったりと、およそ日常的な買い物風景とは思えない光景が繰り広げられていた。


 臣吾は黙って顔をそむけた。自国民の中でも中流以上の家庭に育った臣吾にとって、荒廃しきった移民たちの生活は見るに耐えないものだった。


「カネがないだけじゃない。店にも物が少ないのサ」


 ハンドルを器用に操りながら、アレックスが事もなげに言う。


「前の政府の頃にはまだ供給があったんだけど、倒れる直前から少しずつ雲行きが怪しくなってきてネェ。物価高騰の嵐が来て、市場は大混乱サ。今ではその高騰が収まった代わり、スラム街の商店じゃ満足なものが手に入らないってのは常識だよ。腐りかけの魚、育たなかった野菜、レストランの残飯、売れ残りの猫用缶詰まで、みんな移民の食料として商店で売られて、食卓に並ぶのサ。ひどい話だと思わないかい?」


 淡々とした口調に、政府の仕打ちに対する怒りと諦めが滲んでいた。


「旧政府で移民を受け入れるだけ受け入れといて、新政府になると急に掌を返すなんて、こっちにゃたまったもんじゃないよネェ。しかも、祖国送還や他国移送の手間を省いて、移民みずから出て行くように仕向けるってのがセコいじゃないか。そんなら意地でもいてやろうって気になっちまう」


「あの……」


 臣吾は思いきって訊ねた。


「NSIの釘宮さんとはお知り合いなんですか?」


「お知り合い、なんて上品なもんじゃないネェ。ま、腐れ縁ってとこ」


 アレックスがさばさばと言い放つ。怪訝な顔をする臣吾に、アレックスはいたずらっぽい笑みを見せて「到着したら説明してやるさ」と言った。


 進まないジープの助手席で、少女の重みを膝に感じながら、臣吾は次第に不安になってくる。思い立ってついてきたはいいものの、よくよく考えてみれば、自分はアレックスの素性すら知らないのだ。


 ――まさかこのまま奴隷として遠い国に売られちゃったりしないだろうな。


 やや古めかしい想像に耽りつつ、臣吾はそっとアレックスの横顔を盗み見る。落ち着いているため大人びて見えるが、年の頃はせいぜい十八、九といったところか。褐色の肌は移民のそれに違いないが、質素ながらに小ざっぱりとしたタンクトップとジーパンは、道に溢れる物乞い同然の身なりをした移民たちとは雲泥の差である。本物のマシンガンを所持しているくらいだから、決して貧民の出ではあるまい。黒曜の瞳は知性のきらめきを宿し、言葉も粗野だがなめらかで、幼少時から授けられた豊かな教養をうかがわせる。


 しかし、良家の子女であるなら、なぜマシンガンなどを振り回しているのだ。


 不可解に思いつつ、臣吾は「何じろじろ見てんのサ」という声に、急いで前へ向き直った。


 長い時間をかけて通りを抜けたジープは、やがて酒場の前で停車した。剥げかけた外壁の青いペンキ、古びた看板、窓枠なども半ばは朽ちて、営業しているのかどうかも分からない。白いレースのカーテンのかかった室内も真っ暗で、ジープを降りた臣吾は少女を抱いたまましばらく棒立ちになってその建物を見上げていた。アレックスはジープのドアをロックすると、ためらう様子もなく酒場の入り口へと歩き出す。


「あのう……」


 当然ながら、臣吾は未成年だ。アレックスとて自国の法律に則れば飲酒のできる年齢ではあるまい。だがアレックスは構わず木製のドアを開く。


「何ぐずぐずしてんのサ。さっさと来なよ」


「いえ、俺、酒は……」


「酒なんか飲むもんか。いいから来なって」


 ドアの隙間から身を滑り込ませたアレックスは、臣吾を見ながら焦れて腕組みをする。


「来ないんなら、その子だけでも置いてきな。あんたはいらないんだからサ」


 その言い方が少なからず癇に障り、臣吾は仏頂面をして「分かりましたよ。行きゃあいいんでしょ、行きゃあ」と小声でつぶやいて後に従った。


 広からぬ酒場は丸テーブルが詰め込まれているせいで余計に窮屈に感じるが、ひと気はなく、密閉された熱気が重く澱んでいる。かび臭さが鼻腔を刺激し、臣吾は少女を抱いたまま危うくくしゃみをするところだった。


 アレックスは馴れた足取りでカウンターの中に進むと、不意に足を止めた。落とされた視線の先には、床下収納の戸とおぼしき四角い縁取りがある。やおらひざまずいたアレックスは、取っ手に指をかけた。ギ、ギ、ギと油気のない音がして、戸が徐々に開いていく。


 ぽっかり開いた穴の中は闇に閉ざされていた。


 嫌な予感がして、臣吾は後ずさりする。


「あの、まさか、その……中に入れってこと……?」


「そう。その子、頼むよ」


 さらりと言い置いて、アレックスが穴の中に消えていく。臣吾はがっくりと肩を落とした。このまま知らん顔して帰ってしまえたらどんなにいいだろう。


 でも……。


 ――損な性分だ。


 少女の寝顔を見、臣吾は深い溜め息をついた。


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