vol.12
入り口に立っているのは、褐色の肌をした美しい女性である。光沢のあるウェーブの黒髪を無造作に束ねて肩にかけ、ぽってりと厚い唇には色気があるが、その優雅な線を描く腕には似つかわしからぬサブマシンガンが構えられていた。その剣呑な銃口は、まっすぐ釘宮を狙っている。
「NSIもたいそう暇と見えるネェ。白昼堂々治外法権の館内に押し入り、罪のない移民を追い散らして、銃をバンバンぶっ放すんだからサ。あんた、一人? ハッ、NSIも人手不足だネェ」
「アレックス……何しに来た」
釘宮が苦々しげに吐き捨てる。どうやら、互いに知らぬ仲ではないらしい。
脇に抱えたサブマシンガンを一ミリたりとも動かさず、アレックスと呼ばれた女性は不敵に笑う。
「このアレックス様の情報網をナメないでもらいたいネェ。一人で移民なんちゃらセンターへ乗り込んでった馬鹿なNSIの話なんざ、ものの三秒で伝わるよ。サ、銃を捨てるんだ。それともあたしの相棒に火を吹かすかい」
不快げに鼻に皺を寄せた釘宮が、銃を持つ手からゆっくりと力を抜いていく。銃がその手から離れるかと思われ、アレックスがしたり顔になりかけたまさにそのとき、釘宮が突然振り返って二度三度と銃の引き金を引いた。ドンッ、ドンッという小規模な爆発音にも似た銃声は先程よりずっと物々しく、臣吾の耳を瞬時に聾する。
「うわッ!」
予期せぬ反撃にアレックスがひるんだ。サブマシンガンの照準がわずかにぶれた。その隙を突いて釘宮の銃が構え直され、アレックスの額にぴたりと狙いを定める。
ふさぎ込むような重い沈黙が訪れた。
アレックスが釘宮を睨む。ぎらぎらと敵意の閃く、それでいて好戦的な瞳は、悔しげなようでいてどこか面白がっているふうにも見えた。
白い手袋の親指がゆっくりと撃鉄を起こし、もったいぶるように人差し指が引き金に絡められる。アレックスが少しでも身じろぎすれば、彼女のなだらかな額には無残な風穴が空くことだろう。
「……ふぇ」
異様な緊迫を孕んだ空気の下で、栗色の髪に覆われた少女の肩が、今までとは比べものにならないほど激しくわななきはじめた。
その異変に気付いたのは、はじめ臣吾だけだった。だが、アレックスがかすかに眉を動かし、やがて釘宮が振り向く頃には、少女の泣き声はただ激しいばかりではなくなっていた。
「いや……暗いよ、怖いよお……お母さん……お母さん……!」
うつ伏せになったまま髪を掻き毟り、床にのたうつ少女の姿に、釘宮の顔面が見る間に蒼白になっていく。
「お母さん……わたしも連れてって……いや、イヤアアアアッ!」
金属質な悲鳴に耐えかねたかのように、釘宮がとっさに銃口を少女に向けた。だが、発砲するより早く、タタタタンッ! と軽快な銃声がつづけざまに駆けていく。
アレックスの構えるサブマシンガンの銃口から白煙が立ちのぼっていた。足を開いて踏んばるアレックスは発砲の反動も物ともせず、釘宮に向けてさらに引き金を引こうとする。
「クッ……!」
薄い唇を噛んだ釘宮が、アレックスを威嚇するように銃口を向けながら一散に非常口のほうへと走り出した。アレックスは追撃せず、釘宮もそれ以上撃つことはなしに、開け放たれたままの非常口から退却していく。釘宮が去り、アレックスはやっとサブマシンガンを下ろした。だが眼光は相変わらず鋭い。
ごく短い銃撃戦が終わっても、少女はヒステリックな金切り声を上げてわあわあ泣いている。アレックスは若い女性とも思われぬ冷めた目で少女を見下ろしていたが、ジーパンの腿を大きく動かしてつかつかと少女のもとに歩み寄った。少女はアレックスに気付かない。サイレンのように甲高い唸り声を上げて泣き喚いている。
身体を斜めに傾けて吐息をついたアレックスが、「面倒臭いんだよね、こういうのサ」とつぶやくなり、少女の上膊にどこからか取り出した注射器の針を突き通す。
「……って、ちょっと、おい! 何やってんすか!」
臣吾が止めに入ったときには、注射器の中身はあらかた少女の体内に飲み込まれていた。少女の瞼がとろんと眠たげに落ち、程なくして上半身がぐらりと力なく傾く。少女の身体を抱きとめたアレックスは、胡乱げな目で臣吾を振り向いた。
「何って、鎮痛剤サ。成人用の分量だから、ちょいと効きが強かったみたいだけど」
アレックスに凭れかかったまま、少女は早くもくうくうと寝息を立てている。臣吾は抗議の言葉を呑み込んだ。強引なやり方ではあったが、こうでもしなければ少女はおさまらなかっただろう。
それよりサ、とアレックスは漆黒の瞳に痛ましげな色を刷いて老人の遺体へ目を落とした。
「爺さん、可哀想にネェ。とんだとばっちりじゃないか」
「ええ……噂には聞いてたんですけど、まさかNSIがあそこまで冷酷非道とは思いませんでした」
臣吾は釘宮の酷薄な顔立ちを思い浮かべる。虫けらでも殺すかのように、釘宮はいともあっさりと老人を射殺した。情けも慈悲もなく、ただ「邪魔だった」というだけで。
唇をきゅっと尖らせたアレックスが不服そうに臣吾を睨む。
「釘宮のせいでしかないとでも思ってんのかい?」
「え……」
「もしもあんたがこの子を連れてりゃ、あんたも爺さんと同じ運命を辿っただろうサ」
臣吾はつい老人の遺体に目を向けた。苦悶の形相のまま事切れている老人の身体からは、まだ生体の温みを帯びた血液が物憂く流出しつづけている。爪先まで届きそうなおびただしい量の血に、臣吾は思わず身を引いた。
――俺がこの子を預けさえしなきゃ、この人も死なずに済んだのか。
臣吾は唇を噛んだ。
――この人は、俺のせいで。
自責の念が胸を焼く。そんなことはない、そもそも少女を預かると言い出したのは老人自身だ、すべては不可抗力だったのだ。そう思えば思うほど、それはどんどん言い訳じみてきて、口の中でうつろに空転する。
――俺のせいで……。
「どっこらせ」
眠れる少女を肩に担ぎ上げて立ち上がったアレックスは、片方の眉を上げて「で? あんたはどうすんだ」と訊ねた。一言も責めず、何の含みもないその短い問いかけが、かえって臣吾の肚を決めさせた。
「俺も行きます」
「そうか」
色っぽい唇のはじを持ち上げて、アレックスが凛々しく笑う。理由や覚悟の程など重ねて問いはしない。「じゃ、ついてくるといいよ」と言い捨て、どこへ行くとも告げずに歩き出す。
臣吾は老人の遺体に向かって静かに合掌したのち、あわててアレックスの後を追った。