vol.11
パン、パン、と銃声は立てつづけにはじけ、建物正面に張られていたガラスが鋭い音を立てて粉々に飛び散る。水を打ったように静まり返っていた移民たちは、ガラスが割れるや否やに突如としてパニックに陥った。絹を裂くような悲鳴と足音が入り乱れ、皆が建物の奥へと殺到する。
「職員が誘導します! 指示に従ってください!」
職員の一人が咽喉を嗄らして叫んでいたが、他の職員たちも浮き足立って、とても収拾のつく状況ではなかった。
ロビーにひとり取り残された臣吾はひたすら呆然としていた。自分も逃げなければ、と思いつつ、押し合いへし合いしている移民たちを目の当たりにすると足がすくんで動かない。つい先程出て行ったばかりの老人と少女の身の上も気がかりだ。逃げまどう移民たちにも臣吾に注意を払う者はなく、臣吾の茫洋とした目はガラスが破れて剥き出しになった青空へと向けられていた。
不意に通りの向こうから老人が死に物狂いで駆けてくるのが見えた。速く走れぬ少女を後ろから押しやり、身を挺して彼女の盾となりながら、「はよう入りゃッ」と少女を急かしてガラスの破片の散らばったロビーへ飛び込んでくる。
立ちすくんでいる臣吾に気付き、老人がこめかみに青筋を立てた。
「何やっとるかえ。とっとと逃げえッ!」
老人の足が、臣吾を怒鳴りつける一瞬だけ止まった。
タイヤを軋らせながら乗用車が車道に急停止するのを、臣吾は見た。助手席の窓から覗く蒼白い顔の主は、遠目にも見まがいようがない。眇められた三白眼がこちらを睨む。
向けられている銃口に気が付いたとき、すべてはもう終わっていた。
走り出そうとした老人が、突然顔を苦しげにゆがめて背を仰けぞらせ、膝から崩れ落ちていく。その筋張った手が、最後の力で、少女を床に伏せさせた。老人はうつ伏せになった少女を護ってその小さな背中に覆いかぶさる。白い麻のシャツの背中に広がる赤黒い血が、青いタイルの上へとなめらかに流れ出していった。
老人は蒼白になった顔を上げ、唇の端から血の泡を吹きつつ、しゃがれた声を振り絞る。
「……お前さん……この子……この子、は……」
「お、おい……爺さん!」
屈み込んだ臣吾の目の前で、老人の頭ががくりと落ちる。黒く乾いた瞳孔が剥製のように光を放って開いていくのを、臣吾は茫然自失して眺めた。いつしか銃声はやみ、移民や職員たちも我先にと避難してしまい、発砲の生々しい爪痕を残したロビーは不気味に森閑としていた。
おもむろに車のドアが開き、長身の影が踵の音を響かせて道路に降り立つ。硝煙の上がる銃口を油断なく向けて、一歩ずつこちらに近寄ってくる。臣吾は床に片膝をついたまま、銃を握って迫ってくる釘宮を見上げた。老人のあまりに呆気ない死には現実感がまるでなく、銃口を見ても恐怖さえ湧かない。
釘宮の軍靴の下で、ガラスの破片がシャリシャリと軽やかな音を立てて砕けた。臣吾の心臓が急速に収縮していく。
「ソフィーさんは、その下にいらっしゃるのですね?」
たっぷり二メートルほどの間隔を置いて立ち止まった釘宮が、尖った顎をしゃくって問う。その冷ややかな言葉で、臣吾は我に返った。
そうだ、老人の遺体の下には少女がいるのだ。
「く……来るな。治外法権だぞ」
「ギャラリーはいませんが?」
誰もいないロビーをわざとゆっくり見渡し、釘宮は薄笑いを浮かべる。
臣吾の背筋に悪寒が走った。
「ソフィーさんは何をしていらっしゃるのでしょう。失礼ですが、前嶋さん、呼んでいただけませんか」
臣吾は黙って釘宮を睨みつける。緊張のあまり、口腔はすっかり干上がっていた。
男にしては長すぎる睫毛を伏せた釘宮が、「残念ですね」とつぶやいて銃口を老人の亡骸に突きつけ、足早に近付いてくる。とっさに立ち上がって行く手を阻もうとした臣吾の身体は、釘宮の白い手袋を嵌めた手にあっという間に弾き飛ばされた。
軍靴の爪先が、遺体の脇腹を軽く持ち上げる。腰をしたたかに打ってうずくまった臣吾は、釘宮があたかも邪魔な荷物を足でどけるかのように老人の遺体を蹴飛ばすのを、歯を食いしばって眺めていた。
何の抵抗もなくどうと引っくり返された老人の身体の下から少女が現れる。胎児のように背を丸め、懸命に縮められた手足は小刻みに震えていた。だが、恐怖ゆえの戦慄というより、どこか痙攣的な震えである。
釘宮は躊躇することなく、銃口を少女の頭に向け、引き金に人差し指を掛けた。
――いけない。釘宮はあの子を殺す気なのだ。
「や、やめ……」
「手を上げな」
臣吾の必死の訴えを遮って、ロビーに朗々と響きわたったのは女性の力強い声である。釘宮ははっとしたように表情を硬直させた。