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1.村のはずれの家で

 部屋中を照らしていたまばゆい光。

 それが役目を終えてゆっくりと晴れていく。


 白一色だった世界に薄暗い照明による輪郭が戻り、残ったのは静寂。

 そして、その中心に立っていたのは一人の少女。


 均整の取れた体つきに、輝きを宿した琥珀の瞳。

 美しさ、可愛らしさを極めて高いレベルで統合した誰もを魅了する顔立ち。

 艶めく亜麻色の髪はふわりと軽く揺れ、その柔らかい質感を誇示する。


「終わったみたいだね」


 少女のすぐ傍らから、優しげな声がかけられた。

 声の主の女性はやや人間離れした印象を感じさせる透明感のある銀髪をいじりながら、柔らかな表情を浮かべている。


 そして彼女の口から、ゆっくりと一つの問いかけが紡がれた。


「……女の子になってみた気分はどう?」






「んん……?」


 遡ること、少し前。

 とある小さな村。そのはずれに、一人の少年が立っていた。


 名前はニール・フェイン。


 18歳となる彼は一応は村長の息子という立場ではあったが、普段の振る舞いは真面目でありながらどこか控えめ。

 どこにでもいる平凡な少年。そう皆から認知される存在だった。


「やっぱり……おかしいよな?」


 そしていつもの村の仕事の手伝いの帰り道。

 ちょっとした気まぐれで普段通らない道を選んだ彼は、とある違和感を覚え立ち尽くしていた。


 その視線の先にあるのは一軒の家。

 古い木造家屋で、森へと続く小道のそばにひっそりと佇んでいる。


 ここは数年前から空き家だったはずの場所。屋根は傷み、窓は板で塞がれ、誰も近づかなくなって久しい。

 村の中では夜になると不気味だと噂されることすらあった。


 ……そのはずだった。



 現在、ボロボロだった屋根は綺麗に補修されている。

 それも最近になって手を入れたことが一目で分かる出来だ。


 荒れ放題だった庭先も同様だ。

 腰の高さまで伸びていた雑草は残さず刈られ、地面は踏み固められている。



 ここには人が住んでいる。

 それも、つい最近から。


 そう結論づけるには、十分すぎるほどの痕跡だった。


 それを眺める彼の胸は落ち着かなかった。

 誰かがあんなところに住み始めたなら、本来は話題になっていてもおかしくないからだ。


 だが、この家のことを語る声を一度も耳にしていない。

 村長である父からも、村の集まりの中の何気ない雑談でも。


「……」


 考えれば考えるほど、しっくりこない。


「いってみるか」


 意を決したニールは小さく息を吸い、家へと歩み寄っていった。


 立場が背中を押すわけではない。

 ただ、妙な好奇心が彼の足を前へと動かしていた。




(誰か……いるよな)


 玄関先に立つと、考えていた通りかすかな人の気配を感じられた。

 だが目立った生活音らしいものはなく、空気だけが張り詰めている。


 ニールはためらいながら手を伸ばす。


「……」


 ノックをしようとした指先が扉に触れる寸前、その瞬間だった。


「おっ……と?」


 視界が、わずかにグラリと揺れた。


 立っていられなくなるほどの眩暈でもないが、視界の焦点が一瞬ぶれたような感覚。

 眼前の家の輪郭が薄く滲んで見える。

 すぐそばの玄関に手を伸ばせない。


 まるで視界と現実の間に薄い膜が一枚差し込まれ、その膜が静かにこちらを押し戻してくるような感覚。


(なんだ……これ)


 遅れて、頭の奥に軽い圧迫感が生まれる。


 ここに来た理由。扉を叩こうとした目的。

 それらは思い出せるのに、その行動へと繋がらない。


 ただ、自然と先へ進む気持ちが削がれていく。


 『今日はここまででいい』

 そう、諭されているようにすら感じられる。


「……」


 ニールは気付かぬうちに、扉から半歩だけ距離を取っていた。

 ふぅと息を吐き、無意識に小さく首を振る。


(あとで父さんに聞いてみよう)


 振り返りながら、彼はそう心の中で繰り返した。




 その夜のこと。

 夕食を終え、食器を片付けていた母が一度手を止める。

 そして父が椅子に腰掛け直した、そのタイミングだ。


「父さん、もし知っていたらでいいんだけど」

「ん、なんだ?」


 ニールは尋ねる。


 村のはずれの空き家のこと。

 最近、人が住み始めたように見えること。

 それについて、何かしら知っていないか。


「……!」


 それを聞いた父は、ぴたりと動きを止めた。


「あぁ……あそこか。あそこはなぁ……」


 しどろもどろな返事。ゴホンと咳払いをひとつして、視線を卓の上に落とす。


「ええと、まあ……そうだな。あそこは……」


 なんとも歯切れが悪い。

 明らかに何かを知っているが、言い出せない意図を感じさせる。


 母もまた、妙に忙しなく動き出す。

 さっきまで落ち着いて片付けていた食器を、必要以上に丁寧に拭き直しながら、二人の間に割り込むように言い放った


「そういえば明日は朝早かったわね」

「そうだったな。ニール、今日のところは早めに寝なさい」


 明らかに話が逸れている。

 両親とも、嘘が得意なタイプではない。

 特に父は隠し事をするとすぐ態度に出る。


 今もまさに、その通りだった。


「……わかったよ」


 これ以上突っ込めば、二人ともますます慌てるだろう。

 そう思い、ニールはそれ以上話題には出さなかった。


 腑に落ちないものは残る。

 だが、家の空気をこれ以上ぎこちなくするほどのものではない。




(何だったんだろうな)


 布団に入ってからも、あの時の父の様子が何度か頭をよぎる。


(もう一度……行ってみようかな)


 このモヤモヤを解消したい。納得を得たい。

 不思議な高ぶりを胸に覚え、近日中の再度の来訪を誓いながらニールは眠りに落ちていった。





「ニール、少しいいか」

「どうしたの、父さん?」


 その翌朝。母が朝食の支度をする音がまだ家の中に残っているうちに、父がニールを呼び止めた。


 声の調子がいつもと違う。

 なにやら緊張しているような、そんな雰囲気。



「その……例の家のことなんだがな」


 その言葉を聞いた瞬間、ニールは思わず父の顔を見る。

 昨日の夜は、あれほどはぐらかされていた話題だ。



 そしてそこからの言葉はさらに衝撃的なものだった。


「向こうの家主が、お前と会いたがっているそうだ」


 あまりにもあっさりと告げられ、ニールは一瞬言葉を失った。


「……え?」


 昨夜から、ほとんど時間は経っていない。

 夕食の後の席で話を振ったばかりで、そのときは曖昧に流されたはずだ。

 それなのに、どうしてもう話が通っているのか。


「昨日はそんな話してなかっただろ」


 思わずそう口にすると、父は露骨に視線を泳がせた。

 言葉を探すように口を開き、閉じ、また開く。


「いや、その……ちょっとな。向こうから、話があったというか……」


 説明になっているようで、なっていない。

 父自身も、どこまで話していいのか分かっていない様子だった。


「ともかく、詳しいことは父さんからは言えん」


 ニールは一瞬、返事を忘れる。

 昨日感じた違和感と、今朝のこの急展開が頭の中で噛み合わない。


 昨夜ははぐらかされ、今朝には面会の話が決まっている。

 まるで、自分が知らないところで話が進んでいたかのようだ。


「……わかった。あとで行ってみるよ」


 そう答えると父は目に見えてほっとした顔をした。

 それがまた、妙に引っかかった。




 昼過ぎの約束の時間。

 例の家の前に立ち、ニールは小さく息を整えた。


 昨日と同じ場所だ。


 胸の奥が、静かにざわつく。

 その理由ははっきりしている。

 昨日この玄関先で感じた、あの説明のつかない感覚だ。


 拒まれるというより、自然と身体が引き返すことを選んでしまうような、あの不思議な感覚。

 無意識のうちに、トクントクンと鼓動が早まっていた。


「ふぅ……」


 もう一度だけ、深く息を吸う。

 ゆっくりと吐き出し、肩の力を抜こうとする。


 父に言われたから来た。自分は招かれている側だ。

 そう言い聞かせる。



 手を伸ばし、扉を叩く。

 それだけのはずだ。


 なのに、踏み出そうとする足元が少しだけ頼りない。

 地面がわずかに柔らかくなったような錯覚すら覚える。


 だけど逃げたいという気持ちはなかった。

 緊張とともに、不思議な高揚感が背中を押す。


 ニールはゆっくりと、一歩を踏み出し扉へと手を伸ばした。


「…………」


 指先がドアの表面に触れる、そのほんの直前。



「開いているから、入っていいよ」

「────っ!!」


 ニールは思わず伸ばしていた手を引く。

 驚きで肩が跳ね、心臓が一拍遅れて大きく鳴る。


 唐突に、()()()()()声がした。



 声をかけられる準備などまったくできていなかっただけに、オーバーに反応してしまった。



 だが数秒経ち、今の声を思い返す。


(今の声……女の人)


 女性の声。

 それもドア越しにも関わらず、澄んでいてよく通る声だった。

 抑揚は控えめなのに、不思議と印象に残る。


 そして警戒のかけらも感じさせない、むしろ待ちわびていたかのような期待を感じさせる声色。


 この声に呼ばれて、引き返す理由は見つからなかった。



 ギギィ…………


 ニールはそっと扉を押した。


 昨日のような不可思議な抵抗はない。

 ほんの少しの音と共に、扉は滑らかに内側へ開く。


 この一歩が自分の人生を大きく変えるかもしれない。

 根拠のないそんな予感を微かに抱きながら、家の中にゆっくり足を踏み入れた。


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