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第9話『同じ速度』


彼は、

自分の動きが遅いとは思っていなかった。


これまで通りだ。

判断も、

行動も。


周囲がどうかは、

意識していなかった。


変化に気づいたのは、

他人の側だった。


放課後、

委員会室での作業中、

彼が用紙を一枚処理したとき、

隣の席の生徒が

少しだけ遅れて動いた。


ほんの一瞬。

目で追わなければ、

分からない程度だ。


それが、

何度か続いた。


彼が動く。

その後に、

周囲が動く。


以前は、

同時だった。


合わせていた、

と言ってもいい。


彼はそのズレを、

不安には感じなかった。


ズレが、

結果に影響していないからだ。


顧問も、

気づいていない。


数値は安定している。

処理速度も、

想定の範囲内。


誰も、

問題だとは言わない。


昼休み、

教室で同じことが起きた。


彼が立ち上がる。

少し遅れて、

周囲が動く。


それは、

指示でも、

合図でもない。


ただ、

そうなった。


彼はそこで初めて、

自分が「遅れていない」ことに気づいた。


以前と、

同じ速度で動いている。


変わったのは、

周囲の方だ。


理由は、

分からない。


だが、

原因を探すほどの違和感はない。


授業は進み、

昼休みは終わり、

放課後になる。


彼は自分の速度を、

意識しないようにした。


意識した瞬間、

基準が生まれる。


基準が生まれれば、

遅れや早さが定義されてしまう。


定義されれば、

問題になる。


問題にする必要は、

ない。


家に帰り、

机に向かう。


ノートを開く。


彼は一度だけ、

「同じ速度」と書いた。


すぐに、

その言葉が不適切だと気づく。


同じなのは、

自分だけだ。


他は、

分からない。


彼はその言葉に線を引き、

ページを閉じた。


気づいたことは、

書かれなかった。


書かれなかったことは、

残らない。


今日も、

特に問題はなかった。


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