第13話『評価不能』
その記録は、
提出された時点では
特に問題視されなかった。
形式は整っている。
項目も埋まっている。
ただ一箇所を除いて。
特記事項の欄が、
空白だった。
それ自体は、
珍しくない。
これまでにも、
何度も見てきた。
だが今回は、
少しだけ状況が違った。
同じ週の中で、
同様の記録が
複数あった。
いずれも軽微な案件。
対応済み。
再発もない。
だから本来なら、
処理済みとして
流れていくはずだった。
だが、
確認担当の手が
一瞬、止まった。
「これ、
特記事項なしってことで
いいんだよね?」
問いかけは、
軽かった。
確認というより、
形式上の確認。
彼は、
即座に答えなかった。
考える必要は、
ない。
判断基準は、
すでに共有されている。
問題が起きていないなら、
書く必要はない。
空白は、
許容されている。
それなのに、
その場に
沈黙が生まれた。
誰かが
「なし」でいいと
断言すれば、
それで終わる。
だが、
誰も断言しなかった。
彼も、
言わなかった。
理由は、
単純だった。
「特記事項なし」と
明記することと、
空白のままにすることは、
制度上、
完全には同一ではない。
どちらも
処理済みだが、
意味の持ち方が違う。
「なし」は判断。
空白は、
判断の省略だ。
それを
問題と呼ぶ規定は、
存在しない。
だが、
評価項目として
扱う文言も、
用意されていなかった。
結果として、
その記録には
新しいラベルが付いた。
評価不能。
赤でも、
黄でも、
青でもない。
対応不要。
だが、
分類もされない。
彼は、
その文字を見た。
初めて見るわけではない。
だが、
自分の関与した記録に
付いたのは、
初めてだった。
不安は、
なかった。
叱責も、
修正指示も、
出ていない。
ただ、
少しだけ
空気が変わった。
次の会議では、
その話題は
深掘りされなかった。
「今回は、
判断材料が
足りなかったということで」
それだけで、
先に進んだ。
彼は、
安堵もしなかった。
評価不能は、
失敗ではない。
成功でもない。
ただ、
処理の対象外に
置かれただけだ。
帰り際、
彼は記録室に立ち寄った。
評価不能のファイルは、
専用の棚にある。
数は、
多くない。
だが、
ゼロでもない。
彼は、
その棚を
初めて
意識的に見た。
そこに並ぶのは、
事件ではなかった。
誰かの感情でも、
衝突でもない。
ただ、
判断されなかった
出来事の痕跡。
制度が、
何も言わなかった
記録たち。
彼は、
一冊を
手に取らなかった。
触れなかった。
触れた瞬間に、
関与になる。
関与は、
判断を呼ぶ。
判断は、
生成を伴う。
それは、
この場所が
求めていない。
棚から離れ、
廊下を歩く。
今日も、
問題は起きていない。
だが、
初めて
制度がそれを
評価できなかった。
それだけが、
静かに残っていた。
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