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未完成なイデア  作者: 綴 朔哉


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温かい世界でふれた手と、未来の約束。 調side



 綴が眠ったことを確認して俺は、安堵のため息をこぼす。

 いつもより呼吸は浅いが、さっきまでの荒さはない。

 無理をしているときほど、綴はよく眠る。昔からずっとそれは変わることはなくて、体が限界を迎えた時、半ば気絶するかのように意識を手放す。


 綴がいつも気に入って使っている紫色のマグカップを、そっと手から取り上げれば、まだ僅かに熱が残っていた。


 本人は大丈夫だと頑なに言っていたが、とてもじゃないけど今の状態は誤魔化せる段階にない。

 綴を洗面所で見た時、顔面は真っ青で血の気が引いていたし、目はどこか虚ろだった。

 最近こういうことが、増えたように思う。その事がずっと気掛かりで、頻度や回復にかかる時間も明らかに多く、長くなっている。



 

 昨晩――。綴から報告として聞いた、一本の動画。

  

「桜から聞いたんだけどね……」 

 そう言った綴の表情には、疲れが滲んでいた。任務帰りなら、特筆して珍しいわけではない。

 けれど、目の前の綴にはどこか違和感があった。


 ――ただ疲れているだけか……?


 今ひとつ確証が持てず、様子を見つつ、桜が見つけたというそれを、タブレットで見せてもらう。動画が流れている間、殆ど無意識に俺は息を止めてしまっていた。


 人の形が崩れていく。比喩でもなんでもなく、物理的に。

 只々、気分の悪くなる動画。

 

 俺も桜の言った通り、初めはフェイクだと思った。いや、そう思いたかっただけかもしれない。SNSの海に転がっている怪談まがいの動画と大差ないのではないかと。

 死ぬほど趣味の悪いやつが作った、最低の作り物であってほしい。これが編集された嘘であってくれと、心のどこかでは願っていた。


「和に調べてもらったんだけど、出所は不明。アップされたアカウントもすでに削除されてるみたいで、編集痕もないらしい」

 こういった案件にも詳しい和が、解析した結果ならば、それが事実なのだろう。

 和によって簡易的にまとめられた解析結果を見ると、フレームの繋ぎ目も、不自然な圧縮もない。映像としては、限りなく「素」に近いもの。

 そう、記載されている。


 つまり、本物である可能性が高い。


「……これは……かなり厄介だな」 

 溶ける、という現象。物理法則から逸脱していて、しかも人を対象にしている。

 これは、偶然や事故の類で起きるものじゃない。これは放っておけば間違いなく、被害が拡大してしまうものだ。


「……俺から縁に報告しておく」

「ありがと……調」

 そう言った綴の様子に違和感が、確信へと変わる。


「綴、お前体調よくないだろ」

 いつもより僅かに低い声、言葉の間。時々、細められる目。

 

「……なんで、調は気付いちゃうかなぁ」

 綴は一瞬だけ言葉を詰まらせ、それから曖昧に笑った。

 体調不良を否定しなかった綴を、これ以上問い詰める必要もないので、手を引いてソファへと座らせる。

 その足で収納棚に仕舞ってあるブランケットを取り出してきて、体が冷えてしまわないように綴の体に掛けた。

 食べられそうなものを本人に聞いてから、俺はキッチへと向かう。

 鍋に作り置きしている出汁を注ぎ、コンロの火をつけてから醤油やみりん、砂糖なんかで味を整え、沸騰してきたら頃合いを見て麺を投入する。

 ほぐしつつ葱を切って、食べやすいように少し小さめの器を選び、盛り付けたそれを綴の所へと運んでからもう一度キッチンへと戻り、薬と水を手に戻る。


 ――食欲は今の所、問題なさそうだな。


 うどんを食べきれた綴が部屋へと戻る所を見届けて、俺も歩き慣れた廊下を通って自室へと向かう。

 灯りはつけず、窓際に置いてある椅子へと腰を下ろした。

 スマホを手に取って、普段はあまり掛けることのない登録名を探す。


 (えにし)――。


 ひとつため息ついてから、その名前をタップした。呼び出し音は、二回ほどで切れる。


「……珍しいな、何かあった?」

「人が溶ける動画が出回っているようで、和による簡易解析の結果、技術的な捏造の可能性は低いとの見解です」


「人が溶ける動画、ねぇ……また悪趣味なもんが出てきたな」

「……はい。今のところはあくまでも、状況証拠だけではありますが……」

 ただ長年の経験に基づく勘は、当たることが多い。こういうものは、大抵がギフトの能力によるものだ。


「とりあえず俺の方でも調べてみるから、何か動きがあれば伝えてくれ」

「わかりました」


「……調、綴の様子はどうだ?」

 俺は縁の問いに、即答はしなかった。少し間を置いてから、言葉を選ぶ。

 

「綴は……特に変わりはないですが、最近少し体調が優れないことが多いみたいで……」

「……そうか。サクリファイスが現れる兆候かもしれないし、無理はさせるな」

「……わかっています」

 口ではそう答えながらも、俺は心の中で付け足す。


 ――そんなこと言われなくても、そうするつもりだ。

 

 縁が綴のことを気にかけていて、それが正しいことなのも理解している。

 

 それでも――。あいつを守る役目は、俺にもあるはずだ。

 

 最低限の会話。通話が切れて、部屋には静寂が戻る。


「……懐きすぎなんだよ」

 ふとそんな言葉が、誰もいない静かな部屋でこぼれ落ちた。 


 尊敬も、恩もある。だけど綴があの人に向ける、無防備な信頼を見るのは面白くない。

 胸の奥にちくりとしたものが、残る。


 綴は俺にとって、初めて……信じてみたいと思った相手だった。力や価値なんか関係なく、ただ話をしてみたいと思えた。


 そんな存在を圧倒的に強くて、手の届かない場所にいる人に連れて行かれてしまうような気がして、縁の事をいまだに俺はあまり好きになれない。


 ――馬鹿らしい。


 こういう時は、嫌でも思い出してしまう。




 

 両親は、俺の事を愛してはくれなかった――。


 物心ついた時から俺のことなんて見えていないみたいに接し、一度だって褒めてもらったことはない。

 きっと俺は望まれて生まれてきたわけではなくて、両親は仕方なく俺を家に置いていたんだと思う。

 子供を捨てるのは、世間的に体裁が悪いから。


 二人が求めていたものは、俺じゃない。


 俺が能力覚醒をしたのは、六歳の頃。何の前触れもなく、手に持っていたコップが突然、凍ったのだ。


 唐突なその出来事と伝わる冷たさに、幼い頃の俺は驚いて思わず大泣きしたのを覚えている。


 ぱしんっ――。

 

 泣き声に駆け寄ってきた母は心配し、抱きしめてくれるどころか、俺に手を挙げてきた。


「うるさいっ! 泣かないでよ」

 耳がキーンとするような怒鳴り声と、頬を叩かれた痛み。


 ばちんっ――。

  

「母さんを困らせるな!」

 その声を聞いてやってきた父にも、頭を強く叩かれ床へと突き飛ばされて何度も「黙れ」と言われる。混乱した状態では、涙は止まらない。


 だけど泣けば泣くほど、さらに叩かれる。 

 

 その時、幼いながらに理解した。この二人にとって、俺は邪魔な存在なのだと。


 けれど、力の価値に気づいた瞬間。それまでの両親の態度は、一変した。


 あれほど疎まれていた俺に笑いかけ、優しく褒めてくれる。

 

 だけど、その笑顔の奥に愛なんてなくて――。


「お前は凄い子だ」

「あなたは特別な子なのよ」

 そう言われる度に、胸の奥は冷えていった。俺を見ているようで、見ていない。

  

 興味があったのは、俺が持つ強大な能力にだけ。それを鼻にかけて隠そうともせず、親戚や近所に得意げに話し回り、自慢していた。


 まるで自分たちが特別な存在であるかのように振る舞い、俺の力を自分たちの栄光のように周囲へ見せびらかす。

 

 やがてその噂が耳に届いたのか十歳のある時、家に二人の男が来た。そいつらは俺の能力を欲しいと言って、両親はその話にすぐに乗った。


 子供を売る為の交渉をしている自覚などないのか、終始二人は笑っていて、自分たちの息子を手放すことに何の躊躇いも、後悔もなかった。


 その時、確信に変わった。両親は俺のことをただの一度も、愛おしいと思ったことがなかったのだと。


 取引は、呆気なく終わった。いくつかの書類にサインがされ、金を手渡されただけ。

  

 俺を売って、大金を手に入れた両親の表情には満足しかなかった。

 

 俺が家を離れる時、引き止められることも、抱きしめてくれることもなくて。


 初めから両親にとって、俺はそういう存在ではなかったのだろう。今さら特に、驚きもしなくて――。


 俺は愛されたことなんて一度もなくて、最初からずっと両親にとって「商品」でしかなかった。


 だから何の感情も湧かず、何もかもがどうだってよくて。

 

 玄関を出る時も、振り返ることはしなかった。


 目が合ってしまえば、可能性なんてないと分かっていても、きっと期待をしてしまう。

 

 だから、俺は何も言わずに歩き出す。 

 

 俺は車へ乗せられるときも、特に抵抗はしなかった。逃げようと思えば、そうできたのかもしれない。


 だけど逃げる理由も、特になくて。


 窓の外を見慣れた景色が、流れていく。俺よりも小さな子が、母親と手を繋いで歩いていく姿が見えた。


 羨ましい、とは思わなかった。最初から俺には無縁なことで、愛された記憶も、抱きしめられた時の温もりも、俺は何ひとつ知らない。


 静かな車内の中、俺は言われるがまま施設へと連れてこられた。

 実験体だろうが、なんだろうが大した差なんてなくて。

 生きる意味なんて考えるだけ無駄なこと。俺はずっとそう、思っていた。


 俺の能力である「氷結」は、この時点で殆ど完成状態に近く、当時の状況では能力を付与するディナミス実験が主で、(あまね)が受けたような強化の為のエニスキシ実験はまだ実装されていなかった。

 ただ週に二回程度は実験室へと呼び出されて、能力負荷の限界を調べられ、数値へと置き換えられていく。

 その日は身体的にも、精神的にも削られるが、そんな事を大人たちは特に気にもしない。

 

 それ以外の日は毎回決まった時間に、身体の至る所の数値をよく分からない機械で測られるだけ。


 後の時間は誰にも干渉されることはなく、表面上「生活をさせてもらっている」という体裁は整っていた。

 だから檻に閉じ込められるわけでもなく、決まった範囲内でなら好きに過ごせた。

 本なんかも自由に読めたし、食事もそんなに悪くなくて。

 深く物事を考える必要がなく、余計な感情に振り回されることのない日々は、楽で。


 そういう意味では、俺にとってここは一番静かで安全な場所だった――。


 そんな折、何気なく足を向けた共同スペース。その日、そこには見たことのないやつがいた。


 痩せた小さな体。視線は床に落ちていて、瞬きの回数が異様に少ない。

 呼吸はしているはずなのに、生きている感じが薄く、膝を抱えたまま、微動だにしない。

 

 ――なんだ、こいつ。


 最初に浮かんだのは、そんな感想だった。 

 

 周りは珍しがってはいるものの、自分から敢えて話しかけるようなことは、誰もしない。

 

 俺も普段なら面倒だと、関わりもしなかっただろう。 

 なのに何故かあの時は違って、俺はそいつに自ら声をかけた。

 

 ――それが、綴。


 綴がゆっくりと顔を上げたその瞬間、得体のしれない冷たさを纏う瞳と視線が合う。

 ぞくり、と俺の背中には冷たいものが走った。


 感情が映らないわけではない。ただ自分の「意志」のようなものが、どこにもみえない。

 目の焦点も合っていない。


「……名前は?」

 そう聞いてみたが、首を傾げるだけで返事はなかった。


 ――自分の名前が、わからないのか……?

   

「いつからここにいるの?」

「……わかんない」

 声は小さくて、小さな子がひらがなだけを使って話しているみたいな、不思議な口調。

 

「なまえ……は、えっとつづり……」

 少し遅れて、思い出したかのように名前を教えてくれた。

 

「綴は、ここに連れてこられたわけじゃないのか?」

「わかんない……おれ、そとのせかい……しらない」

 

「え……」

 外の世界を見たことがない。そう言った綴の表情は、感情が抜け落ちたように見えて。

 

「じゃあ……ここで、何をしてるの?」

「……つくるだけ……ここからでたらだめだって、おとながいってた」

 綴の言動には、違和感があった。


 嘘をついているようには見えないが、完全に壊れているわけでもなさそうな不完全な感じ。

 俺にはまるで、感情の一部が切り取られているみたいに見えた。

 

 その時、ふと思い出す。少し前に偶然、研究員の男が話していたのを聞いてしまったことを。

 

「ようやく、完成したらしいぞ。もう自分では何も考えられないし、疑問も持てない。感情すらもわからないらしい、ただ能力を使い続けるだけなんだと」

「そこまでいくと、もう洗脳だな。人間兵器様ってか……」 

 あの時は何のことを言ってるかの意味までは、分からなかったが、嘲笑しながら去っていく様子に胸糞悪いことを言っていることだけは、理解することが出来た。

 この施設では特に珍しいことでもないが、胸の奥に嫌なものが沈むような感覚がする。

 頭の中であの時の研究員たちの会話と、目の前の綴のことが重なった。


 この子がその「兵器」なんだと。


 理屈はわからない。洗脳なんてものの、専門的な知識もない。 

 だが、言っていた通りの状態に仕向けたのであれば原理的には、その逆の事をすれば解けるのではないかと考えた。

 上書きされたその下にあるものを、引っ張り出せばいい。 


「綴、どうしてお前は此処にいるのか、少し考えてみろよ」

「なんで、ここにいるのか……?」

 綴の瞳が初めて揺れ、明確な迷いの色を孕んでいる。

 俺の言葉を素直に聞いて、考えようとする様子を見せる綴を見て、本当は純粋で優しいやつなのかもしれないと思った。

 

「そう、何で此処にいないといけないんだと思う?」

 それをさらに後押しするように、問いかけてみる。


「なんで、だろう? おれは、なんで……ここにいるの?」


 その時――。


「何をしている」

 低く、冷たい声。俺が振り返るより早く、白衣を着た大人が二人、大股でこちらへと踏み込んでくる。

 

「おい! 二十四番、時間だ! 早くこっちへ来い!」

 そのうちの一人が声を荒げながら、綴の腕へと手をのばす。

 俺は考えるより先に、綴のことを守るように手をのばしたが、突き飛ばされてしまった。


「どけっ! 邪魔だ!」

 床に叩きつけられ、咄嗟に地面へとついた右肘が痛む。衝撃で視界が少し揺れていだが、今はそんな場合ではない。

 

「あっ……ゃだ、たすけて」

 小さく聞こえた、拒絶と助けを乞う言葉。怯えたようなその様子は、人としての感情が戻っているように見えた。


 そしてあの出来事から、数カ月が経った頃――。俺が施設に連れてこられてからは、約二年の歳月が経とうとしていた。


 引き摺られるようにして連れて行かれる時の綴の声が、今も耳から離れない。

 あれから一度も、共同スペースで綴の姿を見ることはなかった。

 無事なのかどうかも、わからない――。


 もっと話してみたかった。外の世界を見たことがないと言うあいつに、それをみせてやりたい。


 そんなのがただの自己満足なのも理解しているし、正義感なんて立派なものじゃない。ただ純粋に綴のことが気になってしまって、放っておけなくて。

 自分が何ができるかもしれないというのは、幻想なのだろうかもしれないと何度も思ったし、今の俺には状況をひっくり返せるだけの策も、力もない。


 それに喉元には、いつも冷たい感触がある。この施設に来てから、一度も外されたことのない首輪。


 これには能力発現を抑制する電気信号が流れていて、その所為で力を自由には使えない。


 実験室に入れられた時だけ無効化されるが、その中ではいくら抵抗したとして逃げ場はないし、そんな事をすれば、監視がさらに厳しくなるだけ。

 だから、従う以外の選択肢はない。

 

 ――せめて、このチョーカーを無効化することができれば。

 

 ――そういえばあの時、綴の首には何も着いていなかった。


 ――なぜだ……?

 

 ――なぜ、綴の首には着けられていなかった?

 

 ――もしかして……着ける必要がないのか?


 洗脳――。

 

「もう自分では何も考えられない」

「人間兵器」

 そんな研究員たちの言葉が、頭を過ぎる。精神的に支配を行っているから、抵抗しないという前提なのか。


 明らかに綴だけ、俺たちとは扱われ方が違う。

 

 もしそうなのだとすれば、少しだけ希望はあるのかもしれない……。

 そこまで考えて、俺は考えることをやめた。


 ――他人に自分のことを委ねて、期待をしたっていいことなんて、ひとつもなかったじゃないか。

 

 所詮、人は自分が一番大事で……この世界には、そのためなら周りを傷付けることを厭わないやつがあふれているから。 

 俺は誰にも頼らず自らの力だけで、ここから出る方法を静かに模索しながら、実験に耐え続けた。

 

 心の奥ではもう一度、綴に会えることを信じて――。

  

 そんな日々を繰り返していたある時。突然、施設内にけたたましいサイレンの音が鳴り響く。


 耳を劈くようなその音に、何かが変わる予感がした――。

 

 赤いランプが辺り一帯を染め、研究員たちの怒号が飛び交う。

 

「被験体が逃げた!」

 断片的に聞こえてくる言葉。動くなら、混乱に乗じた今、この瞬間――。

 

 俺はその場から、駆け出した。見つかりそうになるたびに身を隠し、進む。

 こんな状況でも殆ど無意識に、俺は小さく華奢な人影を探していた。

 頭の中に浮かんでいるのは、ただひとりだけ。

  

「被験体番号二十四番が、逃げたぞ!」

「あっちだ! 追え!」


 二十四番――。確か綴は、あの時そう呼ばれていた。

 

 この騒ぎを綴が起こしたのだとすれば、近くにいるはず……。

 綴を探すために身を隠しながら細い廊下を慎重に進んでいた時、ふと体に違和感を感じる。


 力が漲るような感覚……。抑制装置が、作動していない――。


 理由はわからない。確証なんてものもない。だけど、俺は思ってしまった。

 これはきっと、あいつが壊してくれたのだと。


 その時、少し先で乾いた破裂音が聞こえ、反射的に俺はそちらへと意識を向ける。


 銃声――。


 発砲音が聞こえるということは、この方向に綴がいるはず。

 

 できるだけ足音を殺し、静かに長い廊下を駆ける。角を曲がった先に見えたのは、身を潜める綴の姿。


「綴……!」

 俺は、小さくその名前を呼んだ。

 

「あっ……」

 そんな小さな声が聞こえて、こちらを見た綴の表情には怯えの色が滲んでいる。

 

「無事でよかった」

 

 また、会えた――。

 

「大丈夫だから、大きい声は出すな」

 少し戸惑いながらも、綴は俺の言葉に小さく頷いた。


「君は……」

 綴は何かを言いかけて、口を閉ざしてしまう。そういえば、俺はまだ自分のことを話していなかった。

 

「……調だ」

 俺がそう言った時、綴は少し驚いたように、目を見開く。

 

「俺の名前」

 綴は少し切なそうな表情を浮かべたが、その中には僅かに嬉しそうな色も見えた。


「……どうして……どうして調は、俺を助けてくれるの……?」

「さぁな、俺にも分からない。だけど、ひとつ言えるのはお前だから……かな」

「……っ!」

 綴は一瞬、僅かに苦しそうな表情を浮かべたように見えたが、すぐに下を向いてしまったのでそれ以上は分からない。

 

「とにかく今は逃げよう、綴」

「そうだね……行こう、調」

 その声は少し震えていたような気がしたが、顔を上げた綴の表情は以前会ったときとは全く違っていて、瞳には強い意志の光が宿っている。


 そんな時、ふと綴の手に握られている拳銃に気付く。

 

「それ、奪ったのか?」

 一瞬、そちらに視線を向けてから聞けば、綴は首を横に振る。


「違うよ。俺がさっき作った」

「作った……?」

 その答えに、俺は息を呑む。拳銃のような精密で複雑な物を逃走中のそれも、猶予のないこの状況で創り上げた……?

 

 ――こいつの体には、何の負担もないのか?


「でも、まだ一発も打っていないから……ちゃんと出来てるかは分からない」

 綴は、あっけらかんと言ってのけた。

 

「なんだ……それ」

「だって、凄く危ないものだよ?! 人に当たっちゃったら……」

 

 ――こいつは、お人好しなのか?


 聞いた時はそう思った。だけどそれは裏を返せば、こいつは人として完全に壊れていないということ。

 誰かを傷付けたくないという当たり前の感情を、綴はしっかりと持っている。

 

「……そんな甘い事言ってると、自分が殺されるぞ」

「そう……だよね……ごめん、調」

 綴の銃を持つ手が力なく震えている事に、気付いてしまった。


 多分こいつは相手が誰であろうと傷付けるくらいなら、迷わず自分が傷つく方を選ぶのだろう。


 俺には、あまりわからない感覚――。


 だけど、それがどうしても綴の譲れないものなら。


「……お前は無理に、撃たなくていい。それは、自分を守る為だけに使え。とにかくここから逃げるぞ……」

「……うん」

 僅かな戸惑いの色を滲ませながらも、綴は頷く。

 

 綴が辛いと感じる役割は、出来るだけ俺が引き受けることを決めた。

 

「行くぞ、俺がやつらを引き付ける。綴は、扉のセキュリティを銃で破壊してくれ」

「でも……それじゃあ、調が……」

「大丈夫。それに、綴がこれ壊してくれたんだろ?」

 俺は首元に指をやり、軽く叩いた。その時――。


 乾いた音が廊下へと響き渡り、足元の床が弾けた――。


 今は、迷っている暇などない。俺たちは、その場から駆け出した。

 

 十分な距離を取ったところで振り返った俺は、自分の右足へと意識を集中させたその瞬間――。

 

一角氷禍(いっかくひょうか)――」

 床が軋み、ぱきぱきと音を立てながら、勢いよく大きな氷柱が空間を隔てる。


 白い結晶が頬を覆い、睫毛の先まで凍てつく。吐き出した息は白く、冷たい。

 

 氷結の能力は、氷を出力させるために体温を一定まで下げる必要があり、その為に俺の体は常人よりも低い温度に耐えられるような構造になっている。

 

 だがそれも使い過ぎれば体温は下がり続け、冷気が体を覆いつくす。

 凍り付いた部分が壊死する可能性も考えられるから、カイロなどの熱を発するものがあれば、少し戦闘はしやすくなるのではないかと思う。

 極限まで試したことはないから、あくまでも可能性の域を出ないが、体温をどれだけ維持できるかというのは俺にとってかなり重要なこと。

 

 氷を出現させるには、体のどこかを接させて置く必要があり、俺の足元から突きあがるように出現した人の身長より少し高いそれは、敵を分断することに成功した。

 だがそれでも、数人は潜り抜けてくる。


  

「走れ、綴! もう少しだ!」

 銃声が、続々と響く――。走りながら氷の壁を作り、銃弾を弾く。


 警報音と混乱で騒然とした廊下を抜けると、外へと繋がる扉が見えた。

 だが、そこには鉄でできた分厚い脱走者を許すことのない、絶対的な壁――。


「そんな……」

 綴は、その場に立ち尽くす。背後からは、怒号が迫っている。

 

「くそっ、ここまで来て……」

 ここまで来て、諦めるつもりなんて俺にはない。何か策を考えろ……何でもいい、この扉を開ける方法はないか。


 ――扉そのものを破壊することは、不可能だ。


 その時、ふと思い至る。

 

「綴! どこかにセキュリティシステムのロック盤があるはず……それをぶっ壊せば、扉を開けられるかもしれない」

「……! わかった!」

 綴が辺りの壁を叩き始め、無機質な金属音が焦りと混じって反響していた。


 ――早く。


「あった!」

 刹那、聞こえた綴の言葉――。俺は僅かに気を緩めてしまった。


「調っ! 後ろっ!」

 反射的に振り返ると、銃弾が飛んでくるのが妙にゆっくりと見えて。


 引き金を引く音。銃声が、空を切る――。


 ――まずい、このままだと防御が間に合わない……当た、る……。


 思考だけが、異様な速度で巡っていく。


 その時――。乾いた火花が散り、辺りは闇に包まれた。

 

「うっ……」

 想像していた痛みが襲ってくることはなく、そのかわりに暗闇で聞こえる、押し殺したような小さな呻き声。


 ぱっと、明かりが戻る。俺の目の前へと立つ綴の腕を伝う、鮮やかな赤。

 

「お前……なんで……」 

 綴は痛みに顔を歪め、よろめきながらも懸命に笑顔を繕おうとする。

 

「良かっ、た。調には……当たらなかった」


 ――撃たれて、声が震えてしまうほどなのに。なんで、そんな時に俺の心配なんか……。

 

 その姿に、頭の奥がじりじりと焼けるように熱を帯びる。

 綴をこんな目に合わせたやつを許せなくて、込み上げてくる怒りの感情と少しの恐怖。

 それらすべてが氷となって、冷気と共に一気に噴き出す。

 

 足元が凍りつきはじめ、床を這う冷気が空気の裂けるような轟音と共に先ほどのものよりも三倍ほどの大きさの氷の刃が、空間を貫いた。


 研究員たちの動きが止まり、恐怖に目を見開くのがはっきりと分かる。


 空気が白く、凍てつく――。


 俺は何重にも空間を隔てるため、氷の壁を作り出す。

 

 その間に綴がロック盤を解除するために何発か撃ち込むが、腕を負傷していることで照準を上手く定めにくいのか、何度も引き金を引く音が聞こえる。

 

 かちっ――。


 そんなあまりにも軽い音が、背後から響いた。

 

「弾が……」

 その時、突き出した氷柱によって歪んだ建物が悲鳴を上げ、壁へと亀裂が走る。

 刹那――。天上が、崩れ落ちてきた。


「綴!」

 俺は咄嗟に手をのばし、綴を抱きかかえて転がり込んだ。気付けば体が動いていて、氷で必死に防御壁を張り、抱え込んだ綴のことを必死に覆い隠す。

 

 氷が砕けるたびに何度も、何度も――。


 頭上から降り注ぐ、鉄骨と瓦礫の雨。砕け散る石片が肩を叩き、砂ぼこりが舞う。


 最後の瓦礫が大きな音を立てて、崩落は止まった。


 キーン――。


 高い耳鳴りの音だけが、響く。


 粉塵が立ち込める中で顔を上げればそこには、一筋の光――。


 鉄骨が衝撃で歪み、厚い扉のところに隙間が僅かに開いていた。

 

 瓦礫の向こう側からは追手の声と足音が迫ってきているのに、外から風が吹き込む扉を通ることはできない。

 

 今のこの空間では俺の氷は、また崩落を招いてしまう可能性が高い。せめて人一人ほどが、通れる隙間を作る事ができれば……。

 

「綴、丈夫だったら何でも良い。棒みたいなものだせるか?」

「棒……? わかった! ちょっと待って」

 そう言って綴は、目の前で鉄の棒を創り出す。瞬きひとつの間に現れたそれは、まるで魔法のようだった。

 

 顕現させたそれを受け取った俺は、僅かな隙間に差し込み全体重をかける。


「くっ……!」


 金属が軋み僅かにだが、開いた隙間。これなら、通れる……!


「綴っ! こっちだ、行くぞ!」

「っ……うん!」

 俺は迷わず手を伸ばし、叫んだ――。綴はすぐに俺の手を掴んでくれた。


 ――俺より少し小さいその手は、とても温かくて。

 

 そのまま何とか隙間に体を滑り込ませ、二人で外の世界へと踏み出す。


 ひやりとした空気に、体が包まれる。

 

 冷たい風が頬を撫でてくるそこは、確かに自由の匂いがして、俺たちはただひたすらに走った。振り返る余裕なんて、全くなくて。


 できるだけ遠くへ――。


 そうして、どれくらいだろうか。


「もう、むりぃ……走れない」

 そんな掠れた声が聞こえ、反射的に足を止めると、息が切れてその場へしゃがみ込む綴。肩を大きく上下させて、荒い息を吐くその腕にはまだ赤が滲んでいた。

 

「流石にここまでくれば、大丈夫か……」

 辺りを見渡しても、人の気配は感じられない。

 

「綴、腕出せ」

 短く言って、俺は綴をその場へと座らせた。着ていた服の袖を破り、大人しく差し出された腕の傷口を確認する。

 幸いにも弾は掠っただけのようで、傷は浅かった。そこへ布を折りたたんで止血するために、強く押し付ける。

  

「っいったぁ……」

 辛そうな声に心が少し締め付けられる思いがしたが、出血を止めるにはこうするしかない。


「……綴、俺のことを見ろ」

 そう言うと、綴はゆっくりと視線を上げた。うすく涙の膜が張っている瞳と、視線が合う。


「今は俺がいる。大丈夫だ」

 言い聞かせるように。押さえる手が震えてしまわないように、きつく。血が止まるまで。


 やがて、布に滲む赤が増えなくなった。

  

「……ありがとう、綴」

 これだけでは少し心許ないが、傷口を守るように別の血のついていない布をそっと巻き付けながら伝えた、感謝の言葉。

 

「……! どういたしまして……俺の方こそ助けてくれてありがとう、調」

 ぱあっと花が咲くような、明るい表情を浮かべた綴。

 その笑顔は俺がこの世で初めて見た、綺麗で美しいものだった。

  

「これから、どうするかだな……」

「そうだね……でも、調と一緒なら怖くないかなぁ」

 綴は夜空を見上げたまま、言う。

 

「お前なぁ……」

 月明かりの下で、綴が笑う。本当に不思議なやつだ。

 その笑顔を見ていると、俺がずっと嫌いだったこの力を使う理由を、やっと見つけられたような気がした。


「綴は、何かやってみたい事とかないのか?」 

「やってみたいこと……? うーん……あっ! 甘いもの! 俺、お菓子食べてみたいなぁ」

 少し考えてから、綴はそう言った。

 

「ふはっ、甘いものね。俺も好きだ。これからはたくさん食べられるな」


「……うん、そうだね……俺を助けてくれて……本当にありがとう、調」

 綴は一瞬だけ泣きそうな表情を浮かべたが、すぐ嬉しそうに顔を綻ばせた。

 初めて見たときとは違う、しっかりと感情の乗った心からの笑顔――。


「礼を言うのは、俺の方だ。お前が制御装置を壊してくれたから、俺は動くことが出来たんだ。ありがとうな」

 綴の勇気ある行動のおかげで、いま俺はここにいる。感謝しても、しきれないほどの恩だ――。


「随分派手にやったね」

 

 その時――。


 夜の闇の向こうからぱきっ、と枝を踏んだような音。

 それと同時に、拍子抜けするほど軽い声が落ちてくる。咄嗟に振り返ったそこには、三十代くらいの男が一人。


「誰だ!」

 綴を背中に隠し、警戒心を顕にすれば男は両手を挙げ降参のポーズを取った。

  

「心配しなくても、危害を加えるつもりはないよ」

 男は緊張感の欠片もない調子で、こちらを見ている。

 

「お前ら、施設にいた子供か?」

「……だったら、なんだ?」

 背後にいる綴の手が、俺の服を掴む。


「俺は、(えにし)。リヒトという所に所属していて、そこでは能力者を保護している。二人とも、俺についてこないか?」

 リヒト……再び、誰かに利用されてしまうのではないか、そんな不安が過ってしまう。

 

「勿論、安全は約束する」

 俺は警戒を解かずに、睨みつける。この男をどこまで信用していいのか、計りかねてしまう。

 保護なんてものは建前で、約束なんて言葉に信用性がないことを、俺は知っている。


「……分かりました」

 背後から、あっけらかんとした声がした。

 

「綴!?」

 思わず振り返ると、綴は真っ直ぐに男のことを見ている。

 

「調、多分この人は大丈夫だよ」

 綴がなぜそう思うのか、俺にはわからない。


「お前は、どうする?」

 俺の方へと視線をよこす、縁。


「綴が行くなら、俺も着いていく」

 きっと綴はこの男の中に、信じられる何かを見たのだろう。

 綴がそう言うのなら……そちらを選ぶのなら、俺も――。


「決まりだな!」

 男は片目を細め、口角を上げて笑った。その笑みは挑発的でありながらも、どこか頼もしさを孕んでいて。


「そうと決まれば、アジトまで早く戻ろうか」

 自信に満ちたその言葉に、胸の奥で小さな安堵が灯る。けれど同時に、警戒心も消えなかった。

 果たして底の見えないこの男は、本当に信用してもいい相手なのか――。

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