番外編 冬の暖かい日、団欒の話。
弥がアジトへ来てから、数ヶ月ほどが経とうとしていた頃――。
窓を冷たい風が叩き始め、本格的に冬の到来を知らせていたある日。
俺はリビングに綴いわく、魔法だという道具……「こたつ」を出そうとしていた。
ここ数日で一気に気温は下がり、寒いのが苦手な燎や桜が暖房を入れた部屋でもブランケットに包まっていることが増えていたし、時期的にもそろそろかなとは考えていたのだが……任務が重なってしまい、中々行動に移せなくて。
一日オフだった俺は、学校組の見送りをした後。しっかりとこたつ布団をお日様に当てるため、午前中から外に干して、部屋の掃除や洗濯などを済ませ、久々のゆっくりとした休日を過ごしていた。
あとは布団の乾燥を待って、取り込むだけ。
――昨日、縁が任務先で買ってお土産にと持ってきてくれた牡蠣がたくさんあるんだよな……。
珈琲を片手に、今日の夕飯の献立を考えていた時。
「……しらべ……あの……」
小さな声が、リビングに響く。声のした方へ振り向くと、申し訳なさそうな表情を浮かべた悠の姿。
「ん、どうしたの?」
悠は今日、学校を休んでいた。元々、あまり対人関係や人前が得意ではない子で、今日みたいにどうしても学校に行けない日もある。
最初のうちは本人も俺たちに迷惑をかけたくないと、無理をしてでも行こうとしていた。
だけどそんな状態で無理をして登校した時に一度倒れてしまってから、その体験がトラウマ化してしまったのか、よりいっそう体調の波が大きくなってしまい、それからは無理をさせずに休ませるようにしている。
もちろん毎日元気に楽しく通えるのが、本来は一番いいとは思う。
それに他所の親からみれば甘やかしていると言われてしまうかもしれないが、少なくとも俺は学校だけが全てではないと思っている。
綴が休ませることを少し気にしていた時もあったようだが……悠には悠のペースがあって、出来ることを少しずつでも頑張ればそれでいいのではないかという話に落ち着いた。
それに俺も、学校が好きではなかった……中学も、高校も綴が行きたいと言って、放っておけなかったからついて行っていたようなもの。
だから俺自身、そんなに勉強をしてきたわけでもない。
必要最低限の学力と一般常識があれば、生きていくうえで特に問題はないと思っているし、今の所は実際何とかなっている。
「えっと……おれにできること……ある?」
気にしなくていとは言っているのだが、悠は学校を休むということにやはり負い目のようなものを感じてしまうらしく、休んだ日はこうして声をかけてくれていた。
悠は普段からよくお手伝いをしてくれているのだから、俺としてはこういう時くらいゆっくりお昼寝をして、好きなことをしてほしいと思っているのだが、少しでも気分転換になるのならば……と様子を見ながらお願いしている。
「そうだね……じゃあもう少ししたら、こたつを出そうと思ってるから、それを手伝ってくれるかな?」
「……こたつ」
言葉だけでは思い浮かばないのか、悠は考え込むような仕草を見せた。
「ふふ。昨年の冬にリビングにあった、温かいやつだよ」
「……! おふとん掛かってるやつ!」
ぱあっと音が聞こえそうなくらい、表情があかるくなっていく。
「そうそう。悠も好きでしょ?」
「うん!」
「今日はそのお手伝いをお願いできますか?」
「はい!」
「じゃあ……飲み物いれるから、座って待ってて」
嬉しそうに返事をしてくれた悠の頭を撫でて、キッチンの方へと向かい、冷蔵庫を開ける。
某乳酸菌飲料の希釈タイプの原液を取り出して、五倍くらいを目安にして水で割り、それを持って悠のところまで戻る。
「ちょっと冷たいから、ゆっくり飲んでね」
「ありがと、しらべ」
コップを両手で受け取った悠は、冷たさを確かめるように、少しずつ飲む。
「悠。布団の準備ができるまで、一緒に晩ごはんの献立考えてくれる?」
こくりと頷いた悠に、何が食べたい? と聞くと、少し考え込む。
「……お鍋は? とまとのやつ」
「トマト……あぁ、最後にマカロニ入れたやつ?」
「うん。あれ、おいしかった……」
「いいね、バゲットも用意して……」
前回作ったときはポトフっぽく作ったけど、今回は牡蠣もあるし海鮮を多めにしてみようかな……。
――それに偶には、こたつで鍋を囲ってみんなで食べるのもいいかもしれない。
――今日は確か……和も大学の授業が夕方には終わると言っていたし、弥の体調も少しずつ回復してきていて、通常食でも問題ないほどに、体は順調に戻ってきている。
――葵も今日は、私用で出かけるらしいから晩ごはんまでには帰ってくるはず。
――湊には私用のあと、習い事のある桜の送り迎えをお願いしているし……任務に出ている燎も、夜までには帰ってくるはずだから……今日は鍋に決定だな。
「よし、晩ごはんは鍋にするとして……まずはこたつを設置しようか」
そうして悠と一緒に干してあった布団を取り込み、ソファ近くのテーブルの天板を外す。
そこへ中掛け毛布、こたつ布団、上掛け毛布の順番で重ねていく。
十分もしないうちに完成したこたつの電源を入れると、じわりと温もりが広がり始める。
五年前――。
悠が来た次の冬に七人になったからと、それまで使っていたものから、今の大きなこたつに買い換えた。
当時、大きな買い物ではあったが、弥を迎えて九人の大所帯になった今、あの時の選択は的確だったな……なんて思う。
「こっちおいで、悠」
少し遠慮がちにそばで見ている悠に、俺は布団をそっと持ち上げて、隣へと呼ぶ。
「どう? あったかいでしょ?」
「うん!」
◆
悠が家にきた当初――。
あの年は寒がりの燎が、買い換えたばかりの大きなこたつの設置を手伝ってくれた。
「悠もおいで」
完成したそばから電源を入れて足を入れた燎は、温もりながら呼ぶ。
初めてこたつというものを見たらしい悠は、恐る恐る猫のように近寄って、端の方にそっと足を入れたのだった。
「……あったかい」
「でしょ?」
にこにこと嬉しそうに話す二人の姿は、記憶に新しい。
そしてその後、帰ってきた綴や桜。和に連れてこられた葵も一緒にこたつを囲んだのは、いい思い出だ。
あれからさらに増えて、今年は湊と弥も一緒なのが柄にもなく嬉しいと感じている俺を、昔の俺が見たらさぞかし驚くだろうな……なんて思う。
今……俺の隣で安心したように、座る悠と一緒にふわふわと心地よい肌触りの柔らかいラグへと横になる。
悠のお腹の辺りをリズムよく優しく叩いてあげると、気を張っていたものが少し緩んできたようで、眠気からまばたきがゆっくりとしたものに変わる。
「……少しお昼寝しようね」
「……ぅん」
うとうとしている悠は俺の存在を確かめるようにして、胸元の服を小さく握ってくる。
そんな健気な姿は、可愛くて。
穏やかな寝息が聞こえ始めた頃、俺も静かに目を閉じた――。
◆
一時間ほどお昼寝をして起きた時には、少しすっきりした表情をしていた悠に、俺は内心で安堵する。
「ねぇ、悠。一緒に買い物ついてきてくれる?」
「いきたい……! ……だけど、もし知ってる人に会っちゃったら……ずる休みっていわれない……?」
「会っちゃった時は仕方ないとしても、悠はサボりたくて俺に嘘ついて学校休んだわけじゃないでしょ?」
「……うん」
「なら、ずる休みじゃないよ。体の具合が悪いだけが、学校を休んでもいい理由じゃないんだから大丈夫」
「……ありがと……しらべ」
安心したように微笑み、小さな声で伝えられたその言葉があまりにも愛おしくて、思わず俺は平均よりも軽い体を抱き上げた。
「……わっ、しらべ? どうしたの?」
悠は少し慌てているが、抱っこしやすいようにとそっと首に手を回してくれて、小さな体を俺も落とさないよう大切に抱える。
そんな些細な仕草すら、俺たちの愛をちゃんと受け取ってくれている証拠のように思えて。
「悠は、本当に良い子だね」
初めは、守るものを増やすことが怖かった。それはきっと、俺の弱さになってしまうから。
だけど今は、切実に思う。あの日この子を助けることができて、本当に良かったと。
「……おれ、いいこ?」
「良い子だよ。だけどね、俺は良い子じゃなくても悠のことが大好きだからね」
少しでも、悠の中にある辛い記憶を幸せで塗り替えてあげたい。
この子だけに限ったことではないが、出来るだけ言葉で伝えることを、桜を託された時に綴と二人で決めた。
「よし、じゃあ準備して出ようか。ちょっと遅くなっちゃったけどせっかくだし、外でお昼食べよう」
「……いいの?」
「もちろん。悠は何が食べたい?」
「……あのね、おれ……その……はちみつのパンケーキたべてみたい……」
「パンケーキか、いいね。お店、どこがいいかな……」
俺はソファへと腰を下ろし、悠を膝の上に乗せる。ポケットからスマホを取り出し、周辺のお店を調べる。
一件、雰囲気も良さそうなお店を見つけ、掲載されている写真を見せた。
「ここなんかどうかな? ちょっと奥まったところにあるから、落ち着いて食べられそうだよ」
「……しらべは、ほんとにおれのたべたいものでいいの?」
自分の胸元をきゅっと握り、不安そうな表情を浮かべる悠。
「俺も興味あるからね。それに悠が食べたいもの教えてくれたおかげで、すぐ決められたんだよ。ありがとう」
そう言いながら俺はまた悠を抱き上げ、部屋へと連れて行く。
上着と手袋、マフラーを順番にひとつずつ着用させて、外へと出る。
冷たい風が吹き付けてきて、寒さに震える悠を守るようにそばへ立って、手を繋ぐ。
「よし、行こうね」
小さな手がきゅっと握られたのを確認してから、俺たちは歩き出す。
通りを歩いている間、悠はずっと周囲を気にしている様子だった。
人の視線が気になってしまうのか、誰かとすれ違う度に、俺の体にぴたりと身を寄せてくる。
「悠は、甘いもの好き?」
俺は歩調を緩めつつ、少しでも気が紛れるようにと声を掛けた。
「しらべがつくってくれるから、すき」
「そうか。今日行くところのパンケーキ、美味しかったら参考にしないとだな」
――燎なんかは、喜んでくれそうだしな。
「……その、おれがね……たべたいっておもったのは、まえしらべとテレビみてたときに、おいしそうっていってたからなの……」
確かに数日前、グルメ番組を綴や和も一緒に見ていた。
――その時に何気なく言った言葉を悠は聞いていて、それを覚えていたのか。
悠には、人の顔色を窺う癖がある。それはきっと、今まで過ごしてきた環境によるものが大きいのだろう。
自分の食べたいものを聞かれても、この子は俺が喜ぶことを優先して考えていて。
だけどそれはきっと、悠が持つ本来の優しい部分によってのものなのだろうと思えた。
「……あの時、悠も聞いてたんだな。ありがとう」
俺がそっと顔を覗き込んでから伝えると、悠は少し照れたようにマフラーへと顔を埋めたのだった――。
◆
目的の店は、商店街の路地裏にひっそりと佇む静かな店で、一番奥にある仕切りで目隠しをされた周りからは見えにくい席を選ぶ。
対面に座り、メニューを開いて悠の前へと広げる。
「……蜂蜜のパンケーキはこれだけど、他にも色々あるよ」
「うーん……ちょっとまよっちゃうけど、やっぱりはちみつのがいい」
「そうか、あと……飲み物はどうする? ミックスジュースとかもあるよ」
「おれ、それがいい……」
「わかった。俺はどうしようかな……」
少し迷った結果、俺はエッグベネディクトと珈琲を注文し、料理が来るのを待つ。
悠はその間、店内の内装やテーブルの上を好奇心と僅かな緊張を含んだ目で見ていた。
先に持ってきてもらっていたミックスジュースは、ドリンクジャーに入ったお洒落なもので、悠は先ほどから興味津々な様子で見ている。
「それはドリンクジャーって言うんだよ」
そう教えて上げると「どりんくじゃー……」と小さく反芻しながら、ジャーを両手でぎゅっと持つ姿が可愛らしくて。
――今まで食器にこだわったことはあまりなかったけど、こういうのひとつで食事は楽しくなるかもしれないな……。
――悠の様子次第だけど、帰りに少し食器見て帰ろうかな……でも重たくなるしな……。
そんな事を考えているうちに、アンテーク調の白いお皿に乗せられ、綺麗に盛り付けられたパンケーキが運ばれてくる。
少し厚みのあるふわふわの生地には、すでに格子状に蜂蜜がかけられてあり、その上に生クリームとバニラアイス。
そして彩りを添える役割であるミントも、乗せられていた。
「わぁ……」
感嘆の声を思わず上げた悠は目を輝かせ、先ほどまでの不安な表情はどこかに行ってしまったみたいで、俺もつい笑みがこぼれてしまう。
悠は添えられた追加の蜂蜜をたっぷりとかけてから、ひと口分に切り分けてそっと口に運んだ。
「……おいしい!」
「よかった、ゆっくり食べてね」
にこにこと嬉しそうに笑う悠の姿を見ながら、俺も静かに珈琲へと口をつける。
少し間をおいてから、俺の前にもエッグベネディクトが運ばれてきた。
こんがりと焼かれたイングリッシュマフィンの上に、厚切りのベーコン。そしてさらにその上には、ポーチドエッグが乗っかっていて、それを濃厚そうなオランデーズソースが彩っている。
ナイフを手に取り卵へと刃を入れると、一瞬の抵抗の後。ぷつりと膜が弾けて、中から熱々の黄身がとろりと溢れ出す。黄金色がソースと混ざり合い、厚切りのベーコンをじわじわと浸していく。
「おいしそう……すごいね、しらべのやつ」
俺の手元を悠は、じっとみている。
「悠も食べてみる?」
「え……いいの?」
「もちろん」
そう言って、俺は切り分けた一切れをフォークに乗せて差し出すと、ぱくりと小さな口に含まれる。
「……おいしいね」
その瞬間、悠の顔が綻び幸せそうに笑う。
――綴が見たら、周りにお花が飛んでるように見えるとかって言うんだろうな。
「そうだな」
優しく頭を撫でると、悠は少しくすぐったそうに微笑む。
昼下がり、穏やかな時間が流れていった。
◆
ご飯を食べて、少しゆっくりとした後。晩ごはんに必要なものをスーパーで調達してから、来た道を歩く。
家を出た時よりも気温は下がり冷え込んでいて、街灯の下を通るたびに俺たちの影が長く伸びては消えていく。
左手には、食材の入った買い物袋。右手は、悠の小さな手と繋がっている。
もう少しでアジトへと着く頃――。悠の右手が、俺のコートの袖口を遠慮がちに掴んだ。
俺の腕に縋るようなその体勢に、何かあったのかと足を止めて悠の顔を覗き込む。
「……どうしたの?」
マフラーに顔をうめたまま、小さく首を横に振る悠。
「……ううん……こうしてると、おちつくの」
その呟きは、冬の夜風にかき消されてしまいそうなほど微かなものだった。
何か不安を耐えるようなその仕草に、胸の奥からどうしようもない感情が込み上げてきて、俺は左腕に袋を引っ掛けて、悠の体をふわりと抱き上げる。
「わっ……」
悠を保護したあの日から約六年の月日が経ち、背は少しずつ伸びているのだが、少食な体質もあり体重の方は中々思うようには増えてくれない。
悠だけでなく、桜も華奢であるから栄養が足りていないのかと心配になり、かかりつけ医に相談したこともあるが成長期になれば自然と、増えるから大丈夫だと言われた。
「しらべ……おれ、おもいから……あるくよ」
細い腕を俺の首に回して困ったように、だけど少し嬉しそうな色も混じった声音が耳元で聞こえる。
「大丈夫。悠は重くないよ」
俺がこうして抱き上げてやれる間は、出来るだけこの子を甘やかして守ってあげたい。
そうしてたくさんの愛情を伝えて、悠の中にある不安や孤独感のようなものを、溶かしてしまいたい。
「……あったかい」
「あぁ。悠のおかげで俺も寒くないよ」
そうしてすぐそこに見え始めたアジトに向かって、一歩一歩、確かな足取りで進んでいく。
左腕にくい込むエコバックの持ち手が少し痛かったけど、腕の中の温もりがあればそんなこと全然気にならなかった。
「……しらべ、みて。おほしさまが、きれいだね」
小さな手が指差した先の夜空を俺も倣って見上げると、冬特有の澄んだ空には、悠の瞳のように美しい星が瞬いている。
「ほんとだ。綺麗だね」
「……うん。おれ……おほしさま、すき」
「そうか……じゃあ今度はプラネタリウムを一緒に見にいこう。きっと気にいるよ」
「……おへやのなかで、おほしさまがみられるところ?」
「そうだよ。もっとたくさんの星が見られて、名前も教えてくれるんだよ」
「……おれ、いってみたい。しらべといっしょに……」
悠の瞳が夜空に浮かぶ星を取り込んだように、きらきらと輝いている。
「ふふ。次のお休みの約束だね」
そんな話をしていると、玄関までの道のりはあっという間だった。
「ごめんね、悠。鍵を開けたいから、下ろすね」
悠を地面にそっとおろしてから、鍵を開ける。その間、悠は俺のコートの裾を掴み離れようとしなかった。
そんな風に甘えてくれるのが可愛くて、こうして少しずつ心を許してくれているのが嬉しくて。
玄関の扉を開け、照明のスイッチを押す。リビングに繋がる扉の向こうには灯りが灯っていて、ぱたぱたと足音が向かってくる。
「おかえり、調、悠!」
穏やかに笑う綴が、出迎えてくれた。
「つづり! ただいま」
「ただいま」
「俺が荷物もらうから、手を洗っておいで」
そう言って綴が、買い物袋を受け取ってくれる。
「……ありがとう、助かる」
「どういたしまして」
ふわふわとした返事を聞いて、俺も悠の後を追う。手を洗ってから、キッチンへと向かうと綴は買ってきたものを整理してくれていた。
「悠は体冷えちゃってるから、こたつ入って温まっててね。またお手伝いをお願いしたい時に、声掛けてもいいかな?」
「うん、いいよ。おれ、まってるね」
「ありがとう、悠」
そう伝えてから、俺は食材を所定の位置に片付けるために、綴のそばへと近付く。
「……弥は、どうだったんだ?」
俺はそう、静かに聞いた。
「……今のところは、問題なく回復していってるって」
綴は今日、弥の定期検診に付き添っていた。簡単な処置や検診は和でも出来るのだが、精密検査となると、アジトでは難しい。
病院での検診は慣れない環境が著しく苦手な弥にとって、負担も大きくなるからいつも心配で。
――今回もどうやら問題はなかったようだな。
俺は綴から話を聞く際、毎回密かに緊張し……問題なかったとわかった瞬間、ほっとしている。
「順調に体重も増えてるから、引き続き食事による栄養管理をお願いしますって言われたよ」
「そうか、わかった」
精密検査を受けてもらった大きなきっかけは、弥の実年齢が後の調査によって、十四才であることが判明したから。
弥は本来であれば中学校に通っているはずの年齢であるにも関わらず、能力強化目的であるエニスキシ実験の影響なのか、和による簡易検診によって、心身ともに平均よりも大幅な成長の遅れが散見された。
ただそれが本人の元々持っている身体的特徴としてゆっくりなだけなのか、それとも他に何らかの原因があるのか。
だから他の子が本来受ける臓器や身体機能の検診と並行して、さらに詳しくわかる検査を弥には受けてもらった。
そして通常検査の結果が内臓の軽度損傷、精神的成長の停止。
追加の検査によって、長期間の薬物投与とホルモン制御の影響で、成長ホルモンと甲状腺機能に抑制がかかっていたのがわかったという。
加えて副腎ホルモンも慢性的に高い状態が続いていたため、身体の成長が大きく遅れている可能性があるとの結果だった。
そのために成長ホルモンの点滴や、心理カウンセリングなどを月に一回程度、定期的に行ってもらっている。
保護から数ヶ月経ち、過呼吸やパニックを起こすことも決して少なくはないが、綴の頑張りもあってその頻度は僅かな変化ではありつつも、減ってきていた。
「弥は、部屋にいるのか?」
「うん、帰ってきてからすぐお昼寝してくれたよ」
弥が学校に通えるのはまだまだ先になりそうだが、体調の良いときなんかは、和が色々なことを教えてくれていた。
その時間は楽しいようで、無理のない範囲で少しずつ頑張っている。
和は悠の勉強も見てくれているから、本当に頭が上がらない。それに葵も偶に本の読み聞かせをしてくれたりと、すごく助かっている。
「もう少ししたら、連れてきてあげて。今日はこたつでお鍋するから」
「いいね、何鍋?」
「トマト。悠のリクエストなんだ、それに縁が持ってきてくれた牡蠣もあるしな」
「ほんとー?! 楽しみ!」
穏やかに笑う綴と話しながら、冷蔵庫をあけた。食器棚から出したコップに、オレンジジュースを注ぐ。
「綴、これ悠に持っていってあげて」
そう言って俺は綴に、コップをふたつ渡す。
「なんでふたつ?」
綴は、不思議そうに首を傾げた。
「悠と綴の分。鍋の準備しちゃうから、これ飲みながら悠の話聞いてあげて」
百パーセントのオレンジジュースには、ビタミンCや葉酸が多く含まれているらしく、それが鉄分の吸収を助けてくれる効果があると聞いてから、タイミングが合えばこうして飲んでもらうようにしている。
悠だって大好きな綴がそばにいてくれたら、安心できるに違いないと思うから。
それにきっともうすぐ、やんちゃな子が帰ってくる。だからそれまでに、悠が綴に甘える環境が必要だ。
あと二十分もすれば、リビングは賑やかになるだろうから。そんな様子を思い浮かべれば、つい笑みがこぼれる。
「ありがと、調。お言葉に甘えるね」
どうやら俺の意図は上手く伝わったようで、綴は悠がいるこたつの方へと向かっていった。
「つづり!」
そんな嬉しそうな悠の声が、聞こえる。
――さぁ、はやく用意を終わらせてしまわないとな。
◆
鍋の湯気が、ゆっくりと天井に上っていく。卓上コンロの上で、鮮やかな赤色の鍋がぐつぐつと音を立てていた。
大所帯なので、鍋はふたつ。
「おいしそー!」
桜の賑やかな声が、聞こえる。
「熱いから、ゆっくり食べてね」
具材を取り分け、悠と桜の分は火傷したりすると危ないから俺が取り分けた。
「調、ありがとー!」
「……ありがとう」
快活な返事の桜と、大人しいけど嬉しそうな悠。こんなところにも二人の個性が出て、愛おしい。
弥の分は出来るだけ、柔らかく食べやすそうな具材を中心に取り分けてみた。
「これ、弥の分ね」
そう言って渡すと、両手で受け取ってくれる。
「……ありがと……調さん」
「どういたしまして、熱いから気を付けて食べてね」
「……うん」
綴は少し心配そうに、両隣りへ座っている桜と弥を交互に見ていた。
もう一つの鍋の方はこちらとは違い、ちょっとした争奪戦みたいになっている。
「あ……湊、牡蠣いっぱい取りすぎ!」
少し不満げな表情をしつつも、楽しそうにしている燎。
「え、すみません……つい」
本当に悪気なく好きなものを取っていたら、緩く怒られ大型犬がしゅん……となったみたいな状態の湊。
「もぉ……燎、細かいよぉ……」
こちらも自由にしたいのか、笑いながらも面倒くさそうにしている和。
そんな三人には目もくれず、黙々と食べている葵。
やいやい言いながらちょっとした小競り合いをしつつも、仲良くやっているようだった。
――あっちは殆ど具材がなくなってるから、追加しないとな。
「これ、綴の分な」
「え、ふふ。ありがと、調」
両サイドの二人のお世話に夢中だった綴は、一瞬驚いたようだが、ふわりと笑って自分の分を受け取った。
「……ねぇ、しらべ……これは、なぁに?」
隣りに座った悠が、聞いてくる。
「それは牡蠣って言って、貝だね」
「……おいしい?」
「ふふ。一回、食べてごらん」
悠は恐る恐ると言った感じで牡蠣を箸で掴み、口に入れた。
「どう?」
「おいしい!」
ぱあっと表情が明るくなり、子供らしい笑顔で笑う。
――口にあったようで、よかった。
目の前の弥も、殆ど俺がよそった分は食べてくれていて、安心する。
「弥、苦手なものとかはない?」
綴がそっと、弥に聞いた。
「大丈夫、ぜんぶ美味しい」
そんな弥の言葉に、俺はつい口元が緩む。
――よかった。
綴も弥の様子をみて俺と同じように、微笑んだ。
――向こうの鍋は具材を追加するとして、こっちの鍋は五人とはいえ、俺以外は少食が集まってるからな……。
「弥、お腹はどれくらい?」
「まだもう少し食べられるよ」
「そうか……じゃあ、こっちはもうマカロニ入れようか」
そう思って、立ち上がろうとした時――。
「調、俺がやるから座ってて」
燎にそう言われ、肩を軽く押される。
「俺も手伝います」
湊も手を上げて、燎の後についていった。
「おれも、おてつだいする」
悠も燎たちを追うように、キッチンの方へ走っていく。
「ふふ。みんないい子だね」
綴がふわりと愛おしそうに笑ったのを見て、少しだけ感極まる。
この場所はとてもあたたかくて、幼い頃の俺が手に入らないと……心の何処かで無意識のうちに諦めてしまっていたもの。
始まりはみんな……ただ愛されたくて、誰かに自分のことを必要とされたかっただけなのかもしれない。
だけどここはちゃんと、この子たちの安心できる場所になっているのだと、実感できた一日になった――。




