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未完成なイデア  作者: 綴 朔哉


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大切な人の大切な子を守る方法 調side




 昔、綴が弥の任務の打診を受けた時――。

 

 俺は内心、不安でたまらなかった。それは当初、俺のもとへときていた任務だったから。

 

 それ故に、内容はある程度把握していた。

 

 本来は俺が行くはずの案件だったが、別任務が重なりに重なってしまい、時間や体力面を考えると……どうしても受けることが出来なくて。


 分類上は、翠等級の任務。だが被験体の救出が必要であるために、緊急性が高い。

 

 翠等級は唯でさえ在籍数が少なく、俺以外も今は別件の任務についてしまっていると聞いていて、今回の任務はその緊急性の高さから、例外的に紅階級に降りてしまったのだった。

 

 その話は耳にしていたけど、それがまさか綴に来るとは考えもしていなくて。

 やはりあのとき無理にでも俺が受けていればと、後悔の念が渦巻く。

 

 綴にとって階級以上の任務に加えて、人体実験が行われている場所への潜入に、被験体の子の救出。


 俺は決して、綴の力を甘く見ているわけではない。あいつの実力は本物だし、本人の努力もたくさん見てきた。


 だけど綴は、優しすぎる。自分の辛さを周りに見せないように、我慢してしまう。

 そしてそれらを誰にも言わず隠し、無理をする。

  

 そして今回の任務では、過去の綴を苦しめた数々の記憶を呼び起こし、またその記憶に悩まされることになるかもしれない。

 綴が辛い思いをすることは明らかで、俺はそうなってしまうのが怖かった。


 そしてやはり任務資料を確認していた綴の手は震えていて、ただでさえ色白な肌は、すっかり血の気が引いてしまっている。

 

 そんなふうに無理をしているとわかっていても、綴が頑張ろうとしているのを、俺が止める資格はない。


 ――だけど、本当はとめてしまいたい。


 そして綴は決して、今回の任務を断ることはしないだろう。

 そうすれば、本来は翠階級が受けるはずの危険な任務が他の人に回ってしまうからと、殆ど無意識に自分のことを犠牲にしようとする。


 そしてその二日後……やはり綴は、正式に任務を受けた。


 綴は任務を受ける時はいつも、何度も資料を読みこみ準備を怠らない。

 俺たちの前では普段通りに振る舞っていたものの、今回は決まってからずっと……どこか心ここにあらずな様子だった。

 そんな顔を見てしまったら、声をかけられずにはいられなくて。

 

「綴……大丈夫か?」

「……うん、平気だよ」

 なのに俺が声をかけると、綴はいつも通りへらりと笑う。その姿は一見変わりないように見えるが、綴の瞳には不安と、迷いが混じっていて……纏っている雰囲気までは誤魔化せない。


 ――それをわかっているのに……俺には、お前なら大丈夫だと、伝えることしかできない……。


 それが、歯痒くてたまらなくて。


 そして、任務資料が届いてから三日後。俺が受けていた任務と殆ど入れ替わるようにして、綴は現場へと向かったのだった。



 ◆


 深夜――。


 外の世界は静寂に包まれ、時計の針はとうに日付を越えてから随分と経過しているであろう時間。


 流すように見ていたテレビの内容は全く入ってこず、少し前に消してしまった。


 俺は全く落ち着かなくて。居ても立っても居られず、綴が向かった任務の追加の補足資料に目を通していた。

 そこに先立って潜入した紅階級のギフト二人が、消息を絶ったとの文字を見つけてしまう。


 最悪な想像が、一瞬……頭の中を過った。


 ――湊も一緒だから、心配はないはず。


 深く息を吸い、そう自分に言い聞かせる。


 そわそわとしてしまって、無駄に片付けた所をまた整理したりと、部屋の中を目的もなくうろうろとする。


 何度、時計に目をやっても、全くその針は進んでいなかった。


 俺の体は横になれば、すぐに眠れるくらい疲れているはず。

 なのに不安からか、妙に目が冴えて眠ることもできない。

 

 ブブッ――。

 

 机の上に置いていたスマホが振動し、通知を知らせた。

 すぐに手に取り、ディスプレイを確認する。

 

 綴からの無事成功したという報告と共に、ひとり男の子を連れて帰るというメッセージ。


 俺はその通知に、すぐ既読をつける。


「電話かけてもいい?」

 それに気付いたであろう、綴からの新たなメッセージ。

 俺は確認してすぐにスマホの発信履歴から綴の名前を探し、電話をかけた。


「……しらべ」

 発信音はすぐに途絶え、繋がった先から消え入りそうな声が聞こえる。

 弱々しく呼ばれた自分の名前に、思わず眉を顰めてしまう。


 ――想像以上に、無理をしていたんじゃないか。


「お疲れ様、綴」

「……うん」

 僅かな沈黙が流れる。何かを話そうとしている不安そうな声を、聞き漏らしてしまわないよう静かに待っていれば、綴はゆっくりと言葉を紡ぎ始める。


「連れて帰る子ね、(あまね)っていうんだ。酷く衰弱していて……それで……ごめん、調。やっぱり戻ってから、ゆっくり話すよ」

「……わかった。気をつけて帰ってこいよ」

「うん……遅い時間にごめんね……救護は和にお願いしてるから、調には桜のこと……頼んでもいいかな?」

 桜には、しばらく寂しい思いをさせることになっちゃうかも……なんて言う綴。


「あぁ、わかった」

「ありがとう……じゃあ、またあとで」


 そんな短い電話のあと――。


 俺は綴たちの帰りを待つために、リビングのソファへと移動した。

 少し冷えるので、誰かが仕舞い忘れたであろうブランケットを手繰り寄せて、膝へと掛ける。

 まだ日付の余裕はあったが、次の任務の内容を確認するため文字の羅列を目で追い、頭の中で段取りをざっと組み立てていたのだが、不意に文字が霞んで見えた。

 視界が少しずつぼやけ始め、集中力を取り戻そうと瞼を一度固く閉じる。


 ――まだ、もう少し……起きていないと。


 深く呼吸をして、そう言い聞かせていたはずだった……。


 


 ◆ 


 次に目を開けたとき、窓の外からは青白い光が差し込み始めていて、夜の闇は少しずつ薄まっていた。


「……しまった」

 体が軋むような痛みを訴えていて、首の筋肉が固まってしまっている。

 

 時刻を見れば、午前五時二十分――。


 俺は、三時間以上眠っていたことになる。

 

 任務の疲れも確かにあった。だけど……電話越しの綴の声には微かな不安が混じっていて、それを必死に隠そうとしているのが、わかってしまったのに。


 ――だから綴が帰ってきたらすぐに、その不安を拭ってやりたかった……。

 

 ――なのに。


 今ここで考えていても、仕方がない。俺は凝り固まった体を軽くほぐしながら、立ち上がり玄関へ向かう。


 綴と湊の靴が玄関土間の所へと並べられてあったのが見えて、とりあえず無事に帰ってこれたのだと安心する。

 その足で二階へと繋がる階段を、上がっていく。

 

 ――和に救護を頼むと言っていたから、おそらくその弥という子は空いていた部屋へと運ばれているはず……。


 そう考え、二階フロアまであと数段となったとき、小さな影が前を横切った。


 ――今のは……桜か?


 小さく扉の閉まる音がして、その音と反対方向。空き部屋となっていたはずの廊下の一番奥の部屋の扉は、少しだけ開いていた。


 ――あの部屋に、綴たちがいるのか?

 

 ――でもそれならなぜ、桜は逃げるように部屋に戻ったんだ?


 様子を窺うために開いた扉へと近付き、そっと覗き込む。

 そこには何かを話す、綴と和の後ろ姿。綴の腕の中には、桜と同じくらいであろう男の子。


 ――桜はこれを、みたのか。


 綴のことが大好きな桜は、悠や和、燎にすら綴を取られることを嫌がる。

 成長し、十二歳になった今でも、綴にだけは小さい頃のように甘えていた。


 抱っこは当たり前、家にいる時は殆ど綴のそばにいて、外出する時は手を繋いで歩く。


 精神的な成長という面でどうなのか心配になり、思春期真っ只中の年齢に差し掛かり、何か問題があるのなら原因を解決する必要がある。

 

 だが俺も、綴も両親に甘えた経験がなく、感覚としては正直あまりわからないから、初めはどうするべきか分からずに色々調べたりもした。


 そしてその中で出てきたのが、強い不安やストレスによるSOSの可能性。 

 

 だけど桜本人に大きなストレスや不安を抱えている様子はなかったから、これも桜が持っている元々の気質によるものなのだと考え、本人が嫌がるまでは甘えさせてあげようと綴と一緒に決めたのだった。


 そんな桜が見れば、確かにあの光景はショックなのかもしれない。

 

 一先ず俺は桜の部屋の前まで向かい、扉越しに様子を確認する。

 小さく泣き声が聞こえてどうすべきなのかと考えあぐねているうちに、静かになった。


 そっと扉を開くと、ベットの上には布団の山。その下にブランケットへと包まったまま座って、そちらの様子を窺う湊の姿。


 湊は俺に気付き、人差し指を自分の口の前に持っていって、静かにというジェスチャーをした。


 それからそっと立ち上がり、こちらへと足音をたてないように、慎重に歩いてくる。


「……桜、泣きつかれて寝ちゃったみたいです」

 静かに扉を閉めてから、湊は言った。


「そうか……任務お疲れさま、湊……何か温かいものでも、一緒に飲まないか?」

「はい、いただきます」

 俺がそう言うと、湊は綺麗に微笑む。二人で階段を降りて、その足で俺はキッチンへと向かった。

 そして牛乳を少し多めにして作ったココアを手に、ダイニングテーブルへと向かう。


 片方を湊に差し出せば、両手で受け取ってくれた。ほぅーっと息を吐いて、少し冷ましてから一口飲むと優しい甘さが広がっていく。


「美味しいです」

「そうか、よかった」

「……桜が起きたとき、俺も目が覚めちゃったんです。そのときに俺が起き上がればよかったんですけど、小さい声で綴いない。って言ったのを聞いちゃって……」

 手元のココアを見ながら、湊は静かに言葉をこぼす。

 

「俺じゃ駄目だなって思ったら、何もしてあげられませんでした……」

 湊のことを、咎める気にはなれなかった。

 

 少し苦しそうに言う言葉の中には、僅かな悲しみの色も含まれているような気がしてしまって。


「それからすぐ戻ってきて、布団にこもったと思ったら泣いてて……だけど俺、どう声かけていいかわからなくて……」

 湊の動揺が、静かな部屋の少し冷たい空気を通して伝わってくる。

 

 深く息を吸って、俺は静かに呼吸を整えた。桜の涙も、綴の疲労も、湊の苦しさも全部が頭に浮かんできてしまう。

 そのどれもが胸の奥を締め付け、言葉を探すたびに痛みが増した。


 行動のひとつひとつは、どれも間違っていない。だけどそれが故に、そのすれ違いがどうしようもなくやるせない。


「……綴さんも疲れているはずなのに、弥のことが気掛かりで、殆ど休んでない……でも桜にとってはそんなこと関係なくて……。ただ綴さんがいなくて寂しいだけだと思うんです……」

 湊はそう言って、うつむいた。


 この子は落ち着いた性格なのもあって、大人びて見えるがまだ十八歳。

 ここにくるまでの記憶を失った状態でも、努力を惜しまず頑張れる、強くて優しい子。


 そして湊もその優しさが故に、自分を責めてしまうことが多い。

 

「……湊。見てることしかできない時間は、誰にでもあるし、俺もさっきは何もできなかった。それに……取るべき正解なんてわからないけど、自分がそうだと思ったのが答えだと思う」

 口にしながら、同時に自分へも言い聞かせるように。

 昔の俺も綴が泣いている時、ただ隣りにいることしかできなかった。

 あの時の無力さを、今でも忘れることはない。


「……ありがとうございます。俺、次は頑張ります」

 湊は顔を上げ、少しだけ笑った。彼の素直さと、その笑顔が重くなってしまった空気を和らげる。

 

 俺は小さく頷くだけにとどめた。

 

 そしてこの後に湊から聞いた任務の話では、施設にはもうひとり、ふれるもの全てを砂へと変えてしまう男の子がいたという。


 その子のことは湊が能力を使用し、眠らせて保護したそうだ。


「……名前は聞けなくて。発見時、能力の暴走、自我の破壊により彼自身も制御がきかない状態でした」

 だけどその子は保護時の状況からしても、すぐには自分自身を制御できない可能性が高く、リヒト直轄の医療機関である白夜棟(はくやとう)へと搬送されることになったらしい。

 

 砂化の能力がもたらす影響は計り知れず、一般保護はもう少し先になりそうとのこと。

 

 一方で弥は、衰弱は激しいものの、今の所は能力を暴走させる可能性も低く、和による治療が可能なこと。

 そしてより一般的な環境での保護の方が、弥のためになるのではないかというもの。

 だが一番の理由は、綴にしがみついて離れなくなってしまったことが大きいという。


 そして湊いわく、研究所内にはその二人の他にもう一人いたらしい。

 頭部のない状態だったので、真偽は今となっては不明だが、綴の見解によると二人が到達する前に、被験体であるギフト同士を争わせていたのではないかと。

 

 そしてその結果……もうひとりの子は亡くなってしまったのではないかと。


 弥は選ばれずに、箱の中に閉じ込められていたことで、事なきを得た可能性が高いと。


 そう言った湊の瞳の奥には、痛みが見えた。


「……わかった。報告ありがとう」

 湊は小さく首を横に振った。

 

「いえ。綴さんは……あの子を殺す選択を取らなかった……」

 少しの沈黙の後。湊はそう、小さく言った。

 

「……俺はあの時……正直、少し迷ってしまったんです」

 湊は息を整えるように一度、目を伏せた。


「……あの子は必死に助けを求めていたんだと思います……」

 その声は、僅かに震えていて。

 

「……だけどここで選択を間違えば、取り返しのつかないことになるかもしれないって」

 任務中は冷徹に判断を下せる湊が、それを言葉にする事をどれほど迷ったのか。

 

「どうすれば……楽にしてあげられるのかと考えて、俺の選択肢にはあの子を殺すことが浮かびました……」

 少し俯いていた顔を上げた、湊。


「だけど……綴さんは違った。あの子に対して、君を絶対に殺さない。って迷わず言ったんです」


 ――綴らしい、言葉だな。


 俺は綴に出会って優しさは時に、痛みになることを知った。

 だけどその痛みがあるからこそ、人は誰かを守ることができるのだと……今は思える。


「……綴さんはあの子を生かしたかったんじゃなくて、生きたいって言える未来を信じてたんだと思うんです」

 湊は少し苦しそうに笑っていて、その表情にはどこか切なさを含んでいた。

 

「……だから俺は、あの人の優しさを無駄にしたくなかった……」

 俺はその言葉を受け止めて、静かに頷く。

 

「……湊、お前は間違ってないよ。綴の選択も、その子の苦しみも、どちらもなかったことにしなかったんだから」

 

「……俺、あの子が殺してほしいと頼み込んできたときの声が、忘れられないんです……」

 湊は静かに息を吐き、震える声で続けた。拳は僅かに震えていて、湊の心はそれをうまく飲み込めないようで。


「……湊、忘れなくていい」


「その声を覚えてるなら、それだけで十分だ。人の願いは、正しいかどうかだけじゃない。聞いたほうが、どうするかだよ」

 湊はゆっくりと、顔を上げる。

 

「調さん……俺、いつか……あの子が生きていてよかったって思える日が来るように、頑張ります」


「うん、それでいい」

 だけど湊はまだ、何かを言いたげで……。口を開きかけては声にするのを迷うかのように、言葉を飲み込む。

 

「……調さん……まだ、もうひとつ……言ってなかったことがあるんです」

 湊の視線は、握りしめた拳に落ちた。


「助けた子たちを……弥たちを苦しめてた研究者を、俺は残酷な方法で殺しました」

 短く息を吐くように告げるその声は、震えていて。


「……どうしても、許せなくて……」

 湊は爪が食い込むほどに拳を握りしめ、続けた。

 

「それに今回の任務が決まった時から、綴さんはどこかずっと苦しそうでした。俺、あまり賢くないから理由はわからないし、聞けなかったけど……優しい綴さんにあんな汚い奴の血を背負わせたくなかった」

 言葉を紡いだ後。湊は、唇を噛んだまま俯いた。


「……その選択に後悔はないんです。だけど俺、自分が怖くなって……あいつを許せないって思った瞬間、何の迷いもなく殺せた。あんなに残酷なことをしたのに、あの時の俺は楽しさすら感じてしまった」

 その言葉には怒りでも、悲しみでもなく……自分への恐れが滲んでいた。


「……湊。こういう仕事をしていると自分の中の何かを、嫌でも知ることになる。憎しみや怒りそして時に、残酷さもね。だけどそれを怖いと思えるのなら、お前は大丈夫だよ」

 湊はゆっくりと、顔を上げる。


「でも……俺は……あんな自分を、綴さんに知られたくなかった。背負わせてごめん、なんて言わせたいわけじゃなかった……なのに……」


 ――湊の感情には、俺も覚えがある。


 誰よりも純粋で綺麗なあいつに、自分の醜いところを見せたくないと考えたことが、俺も幾度とある。


 だけどそれで綴を守ってやれるのならと、俺は自らの選択を信じ、自分の中で肯定し続けた。


 それでも綴は優しすぎるから、背負った側の感情を誰よりも機敏に感じ取ってしまう。

 

 俺は今でも時々、その優しさがいつかあいつを壊してしまうのではないかと不安に駆られ、心臓に氷をあてられるような感覚にさせられる。

 

「綴は知ったとしても、それで何かを変えるやつじゃないよ」

 そう告げた時、湊の目がわずかに揺れた。その揺らぎの奥には、迷いと痛みが入り混じっている。


「……俺、綴さんには笑っていてほしいんです。だけど俺は……あんな顔をさせてしまった」

 俯いてしまった湊の声は小さく震えていて、自らの罪を打ち明けるような声音だった。


 俺はそれを責める気にはなれない。


「湊の中にある優しさも、残酷さも全部あいつを守る力になる。それがきっと、綴が笑える居場所に繋がる……俺はずっとそう信じて行動してきた」

 自らを酷い目に合わせていた相手にすら、優しさを向けてしまう綴。

 

 決して人を切り捨てられないあいつは、すぐに自分を犠牲にしようとしてしまう。

 自分が我慢すればなんて考えが、綴の中では当たり前なのだ。


 今の湊は、あの頃の俺と同じ道を歩いている。


「……俺も……調さんみたいに、強くなれるのかな」

 その言葉に、胸が締め付けられてしまう。強くなりたいと思うその気持ちこそが、何よりの強さなのに、それを本人だけが気付いていない。


「強くなれなんて言わないよ、湊。強くなるっていうのは、優しさを失わないでいられるかどうかだと、俺は思う」

 湊の瞳に、真剣な色が浮かぶ。


「それに、強さなんてものは後からついてくるものだよ。湊が、誰かを守りたいっていう気持ちを捨てないこと。それができるなら、お前は大丈夫だ」

 湊は言葉を噛み締めるようにして、頷いた。その目にはまだ迷いが見えたけど、湊なりの答えが見つかりつつあるのだろう。


「……調さんに話を聞いてもらって、少し頭を整理できました。ありがとうございます。それとココア、ごちそうさまでした」

 湊は律儀にお礼を言ってから、部屋へと戻っていった。


 ――二人の選択は、きっと間違いじゃない。綴も、湊も命を繋ぐ選択をしたんだから。


 その姿を見送り、暫くしてから俺も弥の部屋へと向かう。


 扉を音を立てないよう静かに開ければ、見えたのは弥のベットのそばで眠っている綴の姿。


 ――綴はやはり、放ってはおけないのだろう……らしいな。なんて少し思ってしまった。

 

 ――おそらく殆ど眠ってすらいなかったから、限界がきてしまったんだろうな。


 一旦、声をかけるのは諦めて、持ってきていたブランケットを綴の肩にそっと掛けてから桜のもとへ向かう。

 

 扉を開けた先、布団の山が動いて桜が顔を覗かせた。

 

 そして俺を認識した瞬間――。


 大きな瞳は悲しみに染まり、声も出さずに涙を流し始める。

 その姿に、心臓をきゅっと掴まれたような痛みを感じ、見ているこちらも苦しくて。


「……桜」

 声も出さずに泣く桜を見ていられなくて、俺はそっと近寄り、同年代の子の平均よりも小さな体を抱き上げた。


「……やだ、つづりが……いいの」

 きっと桜は腕の中で暴れているつもりなのだろうが、その動きは弱々しい。

 

「……つづり……」

 苦しそうで……辛くてたまらないと泣く桜を、俺はそっと抱きしめる。

 抱き寄せた肩の辺りが、じわりと徐々に涙で濡れていく。


 たくさん涙を流して、なかなか上手に泣き止むことのできない桜は少し落ち着いてきた頃、か細い声で頭痛を訴えてきた。


 ――薬……って言っても、今は子供用の頭痛薬が家にない。


 偏頭痛持ちである燎が薬の効きがあまり良くない時に、少しは楽になるからと言って、冷えピタを使用していたことを思い出す。

 

 少しでも楽になればと、光を遮るように目元を手で覆う。


 ――氷を作るほどではなく、手のひらの温度だけを落とすイメージ。

 

 ――冷気をじわりと滲ませて、熱を吸い取っていくように……。


「……冷たいの、嫌じゃない?」

「……うん……きもち、いい」

 そう聞くと、力が抜けたように小さく呟く桜。


 だけど涙はうまく止められないようで、落ち着かせるために、お腹の辺りを優しく叩く。


「……つ、づりは……ぼくのこと、もう……いらない……?」

 そんなことを言いながら、縋るように俺の袖を掴んでくる桜。その必死な様子に、やはり胸が痛む。


 ――そう思ってしまうほどに、この子は思い詰めてしまっているのか。


 そっと手を離し、目元の涙を優しく拭う。


 大人にとっては特に何ともない出来事のうちのひとつでも、不安に襲われて目の前が真っ暗になった状態を初めて経験する桜にとっては、右も、左もわからず苦しいのだろう。


「桜。綴はね、桜のこといらないなんて絶対に思ってないよ」

 あいつは……綴は、そんなことを思うような人間じゃない。

 それに俺は綴がどれだけ、桜のことを大事にしているのかを知っている。


 だから今は不安でいっぱいかもしれないけど、綴の事を信じてあげてほしい。


 きっと今、綴は弥のために頑張っているから。


 泣きながらでも、真剣に俺の話すことを聞く桜。だけど綴にお疲れさまを言ってあげる約束には、できる自信がないようだった。


 ぎゅっと抱き寄せて、安心させるように包み込む。


 ――大丈夫。綴のこと俺と一緒に、少しだけ待ってような。


 そんな気持ちを込める。少し落ちついた桜にお昼ごはんのリクエストを聞いてみると、オムライスが食べたいと言った。

 いつもは栄養を考えて入れる野菜を、たまにはなしで作ってみてもいいかなんて、俺は綴のようなことを思いつく。


 今日だけは特別、なんて言いながら冷蔵庫の材料を頭の中で思い描いていると、小さな声が聞こえる。


「……しらべ、野菜たべないと、つづり……ほめてくれない?」

 そんな可愛らしくて少しいじらしい質問が、微笑ましくて。

 普段はわがままばかりの桜だけど、どこまでも素直なのは、綴の姿を見て育ってきたからなのだろうか。


 じゃあ俺と桜の秘密だ、なんて言って小指を差し出すと、そっと繋いで嬉しそうに笑ってくれた。それに俺は安心し、立ち上がる。


「……ねぇ、しらべ」

 小さく呼び止められて振り返ると、抱っこを強請られた。


 ――そういえば桜がもっと小さかった頃にも、こういうことがあったな……。

 

 少しだけ昔の記憶が、呼び起こされる。



 ◆


 あの時――。綴は別の支部に欠員が出てしまい、その応援へと駆り出されることになった。

 だがイレギュラーが重なりに重なって、元々一泊を予定していた任務が、日に日に延びてしまったのだ。


 その結果。遠方での任務というのもあり合計で四日間、綴は家を開けることになってしまった。


 当時七歳の桜は自分で出来ることが増えてきた頃で、少しずつ自立心が芽生えてきていたようだったが、丁度その時期に俺が悠を連れて帰ってきたことが重なり、少し不安定になっていたことは比較的記憶に新しい。

 

 実際、悠の件がどれほど関係しているのかわからないが、桜は悠に綴を取られまいとより頻繁に抱っこをせがみ、露骨に甘えるようになっていた。


 そんな中での長期にわたる、綴の不在。その間、桜は綴のいない不安によるストレスからか、原因不明の体調不良が続いていた。


 朝、学校に行く前は腹痛を訴えたり、食欲不振に微熱。夜は上手く眠れず、静かに泣いて朝を迎える。


 当時の俺は、来たばかりで不安を感じている悠に付きっきりな事も多く、そこへ自らの任務も加わり今よりもさらに目まぐるしい日々だった。


 桜どころか悠とも過ごす時間が取れないほどで、その穴埋めを主に燎と和がしてくれていた。


 悠には、燎。桜には、和。それでも、二人にも学校があり、都合もある。

 ずっと桜と悠に、構いきりなわけにはいかない。


 葵もできる限り協力をしてくれていたが、やはり綴のいない穴は大きく、完璧に塞ぐことはできなかった。


 気に入らないことがあればすぐ大泣きする普段とは違い、声も出さず静かに泣く桜の姿に心が痛かったのを、今でもはっきりと覚えている。


 結局、綴が帰ってくる日まで桜の体調が回復することはなく、帰ってきたその姿を見てようやく大きな声を上げて泣いた桜に慌てる綴をよそに、俺や和はどこか安心してしまったのだった。



 ◆


 そして今、目の前にいる桜もいつものわがままで自由気ままな様子とは違い、俺の存在を確かめるみたいに、控えめに首元へと抱きついてくる。


 そのまま大切に抱きかかえてリビングまで連れて行き、そっとソファに桜を下ろしてからキッチンへと向かう。

 コンロに火を付けて、フライパンの中でじわりと溶けるバターの音を聞きながら、桜の様子を横目で見守る。

 ちょこんと膝を抱えて座って小さくなり、静かにテレビの方を見ていた。


 ――野菜をいれないとは言ったものの、それだと少し味気ないし……栄養面も気になる。


 普段使う玉ねぎやピーマン、人参などの代わりに、舞茸やエリンギなどのキノコ類を小さくみじん切りにしてご飯と炒め、それを卵で包みお皿に乗せた。


「桜、ケチャップ取ってくれる?」

 そう声をかけると、桜は小さく頷いてから冷蔵庫の方へ行って、ケチャップを抱えて持ってきてくれる。


「ありがとう」

 桜からケチャップを受け取り、それを使ってオムライスに猫のイラストを描いてみる。


「……にゃんこ?」

「そう。ちゃんと猫に見えたのなら、よかった」

 俺が描いた猫の絵を見て、ふにゃりと笑う桜。

 

 ――よかった、笑ってくれた。


 綴ならもっと……上手くできるのだろうが、俺にはこれが限界だ。


「桜、温かいうちに食べようか」

 ダイニングテーブルにオムライスを運び、桜の座った隣に俺も腰を下ろす。


「……いただきます」

 桜は小さな手でスプーンを握り、オムライスをそっとすくう。

 一口食べて……ぱちぱちと音がしそうなほど、桜は目を瞬かせた。


「……おいしい」

 そして次の瞬間には、ふわりと頬が緩む。


 ――とりあえず、ごはんを食べられるなら大丈夫そうかな……。


 そんなことを考えていたすぐ直後――。お皿の上に、ぽたりと一粒の水滴がこぼれ落ちた。


 ――まぁ……そう、簡単には……いかないか。


 はらはらと落ちる涙をそっと拭い、涙に濡れた桜の瞳を覗き込む。

 

「大丈夫だよ、桜」

「……でも、いないの……」

「今だけだよ。綴は、ちゃんと戻ってくるから」


 ――綴がいないのは、ずっと永遠に続くわけじゃない。

 だけどそれを今の桜に俺が伝えるのは、少し難しい。


 桜のその不安を完璧に拭い去れるのは、綴しかいないから。


「……うん」

 少し小さめに作ったオムライスを、泣きながらでも桜はしっかりと食べてくれた。

 そのことに俺は内心、ほっとする。

 

 だがお皿を片付けようとしたとき、テーブルの下に置かれた桜の指先が、微かに震えていることに気づく。

 

 ――ごはんは、食べられたのに……どうして。


「桜、ちょっと手を見せて」

 そっと手にふれると、ひどく冷たかった。

 

 綴のいない不安が、ストレスになって自律神経に影響が出ているのだろうか……。

 末端から、熱が奪われている。


 俺はそのままキッチンへと戻り、棚からココアの袋を取り出す。


 泣いた後は、自律神経が乱れやすい。

 

 甘いココアはリラックスさせてくれるし、カカオには血管を広げて体温を戻す作用がある。

 

 ――物理的に温めることができれば、少しは不安も減らしてあげられるかもしれない。


 ココアパウダーと砂糖を加え、軽く混ぜる。少量の牛乳を加えてスプーンの背でペースト状になるまで、練っていく。

 

 そこへ温めた牛乳を注ぎながら、混ぜれば湯気と共に甘い香りがふわりと広がる。

 マグカップは両手で包めるようにと、いつもよりも少し大きめのものを選ぶ。


「桜」

 名前を呼ぶと、桜はゆっくりと顔を上げた。


「ココア、いれたよ」

 そっとマグを桜の前に置き、両手を添えて持たせる。

 小さな手は、まだ冷たい。けれどカップの熱に触れた瞬間、指先がほっと緩んだ。


「……あったかい……」

「無理して飲まなくてもいいけど、温まるからね」

 桜は小さく頷き、ゆっくりと口をつけた。


「……あまくて、おいしい」

 そう小さく呟いてから、ぼーっとマグカップから上がる湯気を見つめる桜に、俺は声をかける。


「桜、綴のところ行く?」

 いつもなら目を輝かせて、行く! と即答するはずなのに、今日の桜は違った。


 俺の言葉に少しだけ顔を上げ何かを言おうとしているが、言葉にするのを迷っているみたいに小さな唇を震わせている。

 

「……ぼく、いってもいいの?」

 ココアの表面をぼんやりと見つめたまま、桜は小さく口を開く。

 その言葉に、胸の奥が僅かに痛む。きっと不安と綴への気持ちが、桜の中で絡まりあっているのだろう。


「ちょっとくらいなら、大丈夫なんじゃない?」

 そう言うと桜は顔を上げて、こちらを見る。その瞳には安心したような、まだ迷っているような……そんな光が同時に宿っているように見えた。

 桜はきゅっとカップを握り、ほんの少しだけ嬉しそうに小さく頷く。

 そんな桜の小さな手を引いて、弥の部屋へと向かう。


 廊下を歩く間、桜の指は何度もきゅっと握りしめられたり、離れかけたりを繰り返す。

 桜の緊張が手のひら越しに伝わってきて、俺は言葉を選べず、何も言えなかった。


 部屋の前へと着いて、ドアノブに手をかけてゆっくりと扉を開けると、桜は俺の後ろへと隠れてしまう。

 開けた扉の先には静かな空間が広がっていて、真っ先に視界へと入ってきたのは、ベットへ突っ伏して眠る綴の背中。


 その手は、弥の小さい手を優しく包み込むように握っている。

 綴の寝息は浅く、疲れ切った表情のまま眠っていた。

 弥の表情はここからでは確認できないが、穏やかな寝息が聞こえているので、よく眠れているのだろう。


 ――本当は寝かせておいてやりたいのだが、今の桜の事を考えると今は綴を起こさざるを得ない。

 

 俺は綴に声をかけようと、一歩踏み出す。その前に桜がぽつりと小さな声で言った。

 

「……しらべ、ぼく……おへや、もどる……」

 その声は掠れていて、泣く力さえ残っていないように聞こえて。

 桜はふらりと背を向け、今にも倒れそうな足取りで歩き出す。


 そんな状態で、放っておけるはずがなかった。俺はすぐにその小さな身体を抱き上げる。

 

「……桜」

 名前を呼んでも返事はなく、ただ小さく息を詰まらせる音だけが聞こえた。


 子供の感情は真っすぐすぎて、時に残酷なほど正直だ。


 ――たった一目でこんなにも心が揺れてしまうほどに、桜にとっては綴が大事なんだ。

 

 腕の中の桜は、声を出さずに泣いていた。必死に我慢しようとしているのか、大きく震える肩に俺も心が締め付けられる。


 ――桜の辛さを俺が変わってやることが出来たら……なんて。


 昔の俺ならそんなこと、考えることすらなかったと思う。

 綴と出会ってから、俺も随分と甘い考えになってしまったのかもしれない。

 だけど俺は、そんな自分を嫌だと思ったことは一度もない。


 桜の部屋へと戻ってきて、小さな体を抱えたままベットへと腰を下ろし、安心させるように優しく背中を叩く。


「つ、づり……いないのや、だ……っ、なんで……つづり……」

 喉の奥から絞り出すような悲痛な声に、胸が痛む。


 綴に会えない寂しさや不安、心細さ、弥への対応を見たショック。

 それらすべてが重なり、一気に押し寄せてきてしまったのだろう。


 俺はその不安ごと、小さな体を包み込むように抱きしめた――。

 

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