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未完成なイデア  作者: 綴 朔哉


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3/33

幼い頃に愛をなくした僕の大切な人。桜side



 綴は、とにかく優しい人。僕は、二十三年の人生を今まで生きてきたけど、綴以上に優しい人を見たことがないと言い切れる。


 僕には、両親に関する記憶がない――。


 物心ついた時にはすでに綴がそばにいてくれたし、リヒトのみんなが一緒だったから、あまり寂しさを感じたことはない。

 

 小さい頃の僕は、綴に抱っこしてもらうのが何よりも好きだった。

 僕の記憶の殆どは、綴と一緒のものばかりだ。

 

 甘えたい時は優しく抱きしめてくれて、眠れない時は僕が眠るまで背中を撫でてくれる。


 自分の感情をうまく処理できなくて、涙が止まらない時も、綴は嫌な顔なんてひとつせずに受け止めてくれて、離れずそばにいてくれた。

 

「おいで、桜」

 そう言って手を広げた綴の胸に飛び込めば、ぎゅうっと抱きしめてくれる。

 

 僕にとって、世界で一番大好きな場所――。

 

 温かい腕の中で甘く優しい声が聞こえると、どれだけ怖くても、不安を感じていても、不思議と凄く安心できた。


 綴が座っている時に、膝の上によじ登れば笑って頭を撫でてくれて、好きにさせてくれる。


 僕には綴がいたから、学生時代に友達の話を聞いたりしていても、自分に親がいないことを特に気にしたりすることもなかった。

  

 僕が母さんの事を思い出したのは、高校を卒業してすぐの頃――。





 初めての僕一人での、単独任務。


 今は使われていないはずの倉庫で、人身売買取り引きが行われている可能性があると情報が入り、僕はその調査へと向かった。


 目的の倉庫へ辿り着き、気配を消して外壁へと身を寄せ、息を潜める。


 そっと覗き込んだ窓の先には思っていたよりも数がいて、両手を後ろに拘束された小さな子の姿を確認できた。

 戦闘には持ち込まず、あくまでも偵察のみの予定。だけど今、僕がここから離れれば、あの子たちはきっと助からない。


 接触は禁止、異常を感じたら即座に引き返すこと。今朝、アジトを出る時に綴とした約束。


「桜、絶対に危ないことはしちゃだめだよ」

 綴の言葉が頭の中で、再生される――。


 だけど、綴は僕のことを助けてくれた。僕は眠っていたらしいから、はっきりとは覚えていないけど、それでもずっと大切に守ってきてくれたことを知ってる。


 ――応援を呼ぶ? だけど、それだと敵が移動してしまうかもしれないし……そうなれば、確実に救助は間に合わない。


 時間が……ない、単独の戦闘は危険が伴う。そう、教え込まれてきた。

 わかってる。だけど……綴が助けて、守ってくれたみたいに僕も……。


 ――約束破っちゃうの、はじめてかもしれない。


 それでも、目の前の命を見捨てることができなかった。

 僕は一度、深く息を吸ってから、倉庫の扉へと手をのばす。


 扉は完全には閉まっていなくて、息を殺して体を滑り込ませる。

 中に入った瞬間、空気が変わった。埃っぽい匂いに、微かに血の匂いが混ざっている。

 僕は足音を立てないよう、慎重に壁沿いを進む。地面へと落ちている木屑が、やけに大きく見えた。


 人の気配がするところまで近付き、耳を澄ます。


 大人の男の声――。向こうはまだ、僕の侵入には気付いていないようだった。


 先ほど確認した位置からすると、おそらくこの角を曲がった先に、子どもたちがいるはず。

 徐々に大きくなっていく心臓の音に気づかないふりをして、僕はさらに先へと進む。


 ――いた。


 子どもの数は、四人。目は虚ろで、腕を縛られて、ガムテープで口を塞がれている。

 近くにいる大人は、三人。まずはあの子たちの安全確保を、最優先させなければならない。


 圧倒的に、数では不利な状態。だけど僕が、ここで逃げ出すわけにはいかない。


 ――大丈夫。僕ならできる。


 そう、自分へ言い聞かせて、指の先に血を滲ませた。

 それを地面の影へと二滴、垂らす。


 僕の血は静かに広がり、子どもたちのもとへと薄くのびていく。


 その時――。一人がこちらを振り向いた。


「誰だ!」


 視線が合ってしまう。もう後には引けない。僕は物陰から飛び出した。


「動かないで!」

 僕の声と同時に、子どもたちを守れるだけの大きさの血花(けっか)の盾。

 

「何――っ!」


血花螺旋(けっからせん)――」

 僕の周囲に、指先からこぼれ落ちた血液の花が螺旋を描き舞う。

 花弁は鋭い刃となり、その矛先は相手へと向かう。


 ひとつひとつは小さい花びらも、複数集まれば大きな力になる。

 敵の動きを静止させるため、確実に動きを止めることのできる場所へと細かく撃ち込むイメージ。


 血花操術はその名の通り、血を媒介にして花びらを創り出す。


「ぐあっ――」

「……っ」

「……くっ――」


 一瞬、辺りが静寂に包まれる。


 近くにいた三人は行動不能にできたが、少し離れた所から足音が聞こえてくる。


 まだ複数いる……多分……四、五人……。


「ごめんね、僕が絶対に守るから……もう少しだけ頑張ってね」

 拘束を解きながらそう伝えると、六歳くらいの女の子は僕の目を見てゆっくりと頷いてくれた。

 

 その時、奥の通路の方から怒声が飛んできた。大きな声に、子どもたちが身をすくめる。


「侵入者だ! 捕獲しろ」

「そっちだ! 逃がすな!」

 ゆっくりと息を整えながら、頭の中で必死に状況を整理する。

 

 距離――。

 人数――。

 逃げ場――。


 これまで試してきたのは、局所的な攻撃技ばかりだった。

 だけどそれだけじゃ、この子たちを守りきれない。さっきみたいな、一点攻撃じゃだめだ。


 今、この瞬間が試行錯誤をしていたものを試す絶好の機会なのかもしれない。

 今の集中力なら、僕が思い描く通りの形に出来るような気がした。

 

 手を強く握り上空へと血をばら撒けば、赤い滴はきらりと光を孕み、空高い位置で形を変えた。

 鋭利な真紅の花びらは、一斉に敵の方へと矛先を向ける。

 

 少し前から、戦術を広げるために(なごみ)(みなと)に協力してもらって広範囲技のアイデアを形にしようとしていたもの。


 妖しく鈍く輝く血の花が、空中に咲き乱れる。


血雨降花(けつうこうか)――」

 名前の通り僕が生み出した血の花がぱらぱらと音を立てて、雨のように倉庫内へと降り注ぐ。

 触れた瞬間、硬度と重量の変わる血の雨に敵の動きが止まる。

 

「何だ……これっ……」 

 僕と子どもたちを避けて降る赤い結晶。それ以外の人間はすべて、視界を奪われ、足を取られ、逃げ場を失う。

 

 今まで、何度挑戦しても出来なかった技。それをようやく完成させられた。


 ――楽しい。


 自らの血が花へと姿を変える瞬間に、快感となって僕の体を満たしていく。


 体温が上がり、胸の奥が甘く痺れ、血が沸き立つような感覚。


 今いる戦場がまるで舞台のように見えて、僕はその中心で踊っているみたい――。


 僕以外のすべての大人が、地面へと倒れ伏した時。


 ふと、足元が揺らいだ。喉の奥が乾ききったようにうまく息が続かなくなり、視界がじわじわと白に包まれていく。


 キーン――。


 甲高い耳鳴りの音が、頭の中に響き渡る。それを認識した時にはすでに膝が崩れていて、見えている世界が数段低くなった。


 ぐらぐらと揺れる視界を抑えるために、片手をついて支えようとしたはずなのに、一度の瞬きの間に僕の体はあいつらと同じように砂っぽい地面へと吸い込まれるように倒れていた。


 ――まずい、能力を使いすぎた……。


 徐々に見えている視界が、狭まっていく。自分が描いたイメージの通りに出来るのが気持ちよくて、つい調子に乗ってしまった自覚はある。


「……桜!」

 聞き覚えのある声が聞こえて気の抜けてしまった、僕の意識はそこで途切れた――。






「……っう」 

 次に目覚めた時、視界に映るのは見慣れた天井――。


 僕は自分の部屋のベットに寝かされていて、そばの椅子には和が座っていた。


「あ、よかった。目が覚めたんだね、桜」

 いつもとは違う、少し低い声――。

 

「あれ……任務は……?」

「敵は制圧できてたらしいよ」

「そっか……子どもたちは?」

「全員、無事に保護されたよ」

「よかった……」


「……よくない。技の使いすぎでぶっ倒れた桜を、偶々近くで任務だった調が見つけて連れて帰ってきてくれたから、桜は軽い貧血程度で済んでるんだよ?」

 普段、温厚で怒った所なんて殆どみたことない和の強い口調で紡がれる言葉に、事の重大さを突き付けられる。


「……ごめんなさい」

 ふんっ! なんて音が聞こえてきそうな和の様子に、どうしていいかわからなくなる。


 その時、扉が開いて綴が入ってきた。

 

「まぁまぁ和、気持ちは分かるけど、桜もちゃんと反省してるみたいだからそれくらいにしてあげて?」

 綴が珍しく感情を高ぶらせている和を、優しく宥める。


「でもね……桜。今日の任務は本当に危なかったから、もう絶対に無理しないって俺と約束できる?」

「……うん、もう絶対にしない。ちゃんと約束する」

「うん。約束ね、桜」

 優しく微笑んだ綴は、僕に小指を差し出してくる。その小指に自分の小指を絡めて、指切りをした。

  

「もぉー! 綴は、桜に甘すぎるよ! 綴にそう言われたら僕、これ以上怒れない!」

 

「ははは……まぁ、そうだねぇ。和は、桜が心配だったんだよね。桜のために怒ってくれてありがとうね」

 少し困ったように笑いながら、和の頭を撫でる綴。


「……なごみ、心配かけてごめんなさい……あと、ありがとう……」

「……うん……僕、凄く心配したんだからね……」

 和はふいっと横を向いたままだったが、どうやら許してくれるみたいだ。


 タイミングを見計らうようにしてまた扉が開き、今度はお盆を持った調が入ってきた。

 

「桜、雑炊作ったけど食べられそう?」

  

「……調……うん……ありがと。あの……調……は、僕のこと、怒らないの?」

「怒ってほしいのならそうするけど……桜はもう、きちんと反省したんでしょ?」

「……うん」


「なら、俺は怒らないよ。でも無理はしちゃだめ」

「……はい……ごめんなさい、調。助けてくれてありがとう」

「どういたしまして」

 綴とは違う大きな手に、頭を撫でられる。僕はそれが少し気恥ずかしいけど、それ以上に嬉しくて。


「これ食べたら、もう少し眠りな。まだ本調子じゃないだろ」

「そうだよ、桜。しっかりごはんを食べて、いっぱい眠って血を増やさないと」 

 調と綴は順番に僕の頭を撫でてから、部屋を出ていった。


 ほかほかと湯気を立てている雑炊からは、お出汁のいい香りがする。

 添えられた木のスプーンを手にとり、淡い黄色の卵と鮮やかな緑のネギを一緒に掬って口へ運ぶ。

 小さい頃から変わらない優しい味は、お腹の奥をじんわりと温めてくれる。


 ――美味しい。

 

 調いわく今回の任務は、敵がオメガの下位組織に雇われた非能力者だったらしい。


 僕がスプーンを置いた時、一人部屋へと残っていた和に、そう言われた。


「……なんで応援を要請しなかったの? 桜の実力は本物だよ。それは僕以外もきっと思ってる。だけど、あれだけの人数を一人で相手にするのはリスクを伴う。もし相手がギフトだったら、命はなかったかもしれない」


「調が顔面蒼白な桜を担いで帰って来た時、僕は凄く怖かった」

 和は震える声で、そう言った。


「僕は、桜やみんなみたいに前線で戦うことは出来ないし、体もそこまで丈夫にはできていないから……場合によっては、助けられないかもしれない。それが僕は怖いんだよ……」

 苦しそうに、ぽつりと言葉を紡ぐ和。

 

 いくら治癒という強力な能力を持ってたとしても、簡単に血液を増やしたり、失った部分を復元できるわけではない。

 

 そんなことになれば血液中の糖を大量に消費し、和の体には非常に大きな負担が掛かることになる。

 

 必要とあらば和本人はそんな事を躊躇わずに使うというが、周りはそれを良しとはしない。

 

 だからリヒトのメンバーは和がいるとはいえ、極力怪我をしないように、殆どが無意識のうちに気を付けているし、多少の怪我なら自然治癒で治すことのほうが圧倒的に多い。


「……本当に心配かけてごめん、和」

 

「……うん……僕の方こそ、しつこく言ってごめんね」

「いや、和が謝らないといけないことなんてないよ。僕の自覚が足りなかっただけだ」


「……とりあえず寝な、桜。僕がそれ、片しとくから」

「うん……ありがとう、和」

 雑炊が入っていた小さな土鍋の乗ったお盆を、和が回収してくれる。


「おやすみ、桜」

「おやすみ」

 そう言ってくれた時には、いつも通り柔らかい雰囲気の和に戻っていた。


 一人になって静寂に包まれた部屋で目を閉じれば、とろりと意識は溶けていく。


 そしてその夜、見た夢が母さんとの記憶。といっても、物心つく前の記憶なんてものは朧気な物の方が多く、断片的だった。

 

 僕は母さんのことを、殆ど知らない。


「桜――」

 

 夢の中では名前を呼ばれて、抱きしめられたような気がする。

 

 翌日の朝、目覚めた時――。


 心の中が少しだけざわついていたが、胸を締め付けるような痛みも、泣きたいほどの強い恋しさも不思議となくて。

 あるのは、少しの懐かしさだけ。

  

 こんな事を言えば、薄情だと言われてしまうかもしれないけれど、あまり実感も湧かなかった。

 

 普通ならもっと母を求めたり、愛したりするものなんだろうけど、僕にその時間はなかった。

 よく覚えていないから、強い思い出もないというのが正直なところ。


 それでも、ひとつだけ思うことはある。


 産んでくれてありがとう。

 

 そうじゃなきゃ、僕はここにいられなかった。

 

 その感謝の気持ちは、本物。大切に愛してくれていたのも、嬉しい。

 だけどそれ以上は、何も思わない。

 

 ――母さんは僕を生んでくれたけど、僕を遺していなくなった人。


 僕を育て、支えてくれたのはずっと、綴だ。

 

 夢の中で感じた温かさは確かだったけど、目を覚ました時、名前を呼びたくなったのは、紛れもなく綴だった。


 僕は布団を抜け出し、音を立てないように部屋を出る。

 静かな廊下は少し冷たくて、寂しい。気付けば自然と足が綴の部屋に向いていた。


 扉を少しだけ開けると、優しい朝の光が綴のことを照らしているのが見えて、穏やかな寝息も聞こえる。


 僕に躊躇なんてものはなくて、ふわふわの布団の端を少しだけ持ち上げて、迷わずそっと潜り込む。


 小さい頃に、何度もしたみたいに。


「……んぅ」

 寝ぼけ声と一緒に、ふにゃりとした笑み。半分夢の中にいるのに、それが当たり前なのだとでも言うように、自然な動作で抱き寄せられる。


 そんな綴に、僕の中の何かが解けていく。


 変わらない体温と匂いに、ざわざわと音を立てていた心が、嘘みたいに静まる。


「……さくら? どうしたの?」

 しばらく綴の腕の中にいたら、寝起きの少し滑舌が甘めで舌足らずな声。


 ――綴のこの声、凄く久々に聞いたな。


 安心できる、静かで優しい問いかけ。僕は少しだけ身じろぎをしてから、首を振った。


「……なんでもないよ」

 それだけ答えると、もう一度、綴の胸元におでこを押しつける。綴もそれ以上は何も聞かず、僕の背中にゆっくりと手を添えてくれた。


「そっか」

 そんな短いひと言のなかにも、綴の愛がたくさん詰まっていることを僕は知ってる。

 ふと綴の腕の中で、今も大切に保管されている母子手帳のことを思い出した。

 ページをめくると、身長や体重、健診の日付といった僕のことがたくさん書かれているけれど、全然自分のことに思えない。

 

 母さんの声も匂いもはっきりとは、思い出せない。だけど、こうして綴のものは覚えてる。

 幼い頃の僕にとって母親を失った事実よりも、綴の存在のほうがずっと大きかった。


 じんわりと手のひらから伝わってくる体温だけで、僕は凄く安心できたんだ――。

   

 だから必要以上に心配はかけたくないと、綴にも夢の事はずっと言わずにいたのに、僕と(はるか)が二十歳になって初めてお酒を飲んだあの日――。





 僕たちが成人を迎えたことをみんなが、たくさんお祝いしてくれた。こんな嬉しいことはないからと、年上のお兄ちゃんたちが僕と悠には内緒で計画していてくれたらしい。

 僕の誕生日当日にもケーキとプレゼントで一足先にお祝いはしてもらっていたけど、僕と悠は誕生日が十日しか変わらないので、僕より後の悠の誕生日にお酒は解禁しようと二人で話していた。

 

 空が橙色に染まり始めた頃――。


 僕は悠と一緒に行った任務からアジトへ戻ってきてリビングの扉を開けると、部屋は一面お誕生日仕様に飾り付けられていて、調お手製のごちそうがテーブルの上にたくさん並んでいた。


「おかえり、いいタイミングで帰ってきてくれたね」

 オーブンミトンを着けて、鍋を運ぶ調が出迎えてくれた。


「誕生日……!」

 目を輝かせて、嬉しそうな悠は僕の腕を掴む。今はこうして仲良くなったけど、小さい時の僕は悠のことがあまり好きじゃなかった。


 悠は六歳の時、調が任務先から突然、連れて帰ってきた子。


 ここへ来た当初は何かにずっと怯えていて、声も小さく、常に周囲の顔色を窺っているようだった。

 それまで僕だけに向いていた綴の視線が、悠にも向けられるのが幼い僕は嫌でたまらなくて。


 今思えば、子供だったなと思うけど当時の僕にとっては凄く大事なことだった。

 七歳の時、十日しかかわらない誕生日を一緒に祝われるのが嫌なのだと、大泣きしたこともよく覚えている。


 ――僕だけをみていてほしい。


 ――僕だけを特別にしてほしい。


 あの時は、そんな子供じみた感情でいっぱいで。だけどそれを、伝えられるだけの語彙を幼い僕は、まだ持ち合わせていなくて。


「……桜? 座らないの?」

 ふっと聞こえた綴の声で、彼方へと飛行していた思考が現実へと戻ってくる。


「……あ、うん、座る」

「ふふ、こっちにおいで」

 ふわりと僕の大好きな顔で笑った綴。


「任務頑張ったから、お腹すいたでしょ?」

 その右隣に座ると、さりげなく料理を盛り付けてくれる。お皿の上には、僕が好きなものばかり。


 綴にとっては何気ないことなのかもしれないけど、僕はそれが嬉しい。

 小さい頃に僕が拗ねて泣いたことも、必死に綴をひとり占めしたいのだと伝えた気持ちも、きっと綴は全部覚えているんだと思う。

 

「はい、これ桜の分ね」

 綴からお皿を受け取ったその横で、調がテーブルの上に一本のボトルを置いた。

 深い緑色の瓶の中で、液体が微かに揺れているのがわかる。

 調が何も言わずにコルクへと手を掛けると、ぽんっ。と軽い音を立てて栓が抜け、細かな泡がしゅわしゅわと上がるのが見えた。


 静かに注がれたワインは、グラスの中で宝石みたいに輝く。


「このワイン、ちょっと珍しいものなんだって」

 僕から見て右隣りにいた、和がそっと耳打ちして教えてくれた。

 

「そうなの?」

「うん。調が今日のために、何か月も前から取り寄せてたんだって」

 目の前にきたグラスを傾けてみると、鮮やかな赤色が照明の光を受けて、ゆっくりと揺れる。


「……綺麗」

 グラスが全員に行き届いて、調べの声掛けをきっかけに、ガラス同士がふれあう澄んだ音が聞こえた。


 赤い泡が弾ける、その一瞬。どこか、感慨深いものに包まれる。


 そっとひと口。舌に触れた瞬間に、優しい甘さとほんの僅かな苦味が広がった。

 しゅわしゅわとする感覚と共に、苺やクランベリーみたいな果実の香りがふわりと鼻の奥に抜けていく。


「……おいしい」

 思わず、声が漏れる。


「……なにこれ、飲みやす……」

 正面にいる、悠も同じように目を丸くしていた。


「ふふ、よかった」

 調はそう言って少し口元を緩めてから、自分のグラスへと口を付けた。


「二人とも、ゆっくり飲んでね」

 綴の穏やかな声が聞こえて、舌に残るじんわりと温かい余韻が大人になった証しのようで。

 優しい兄たちに見守られる中、僕たちは少しだけ大人の仲間入りをした。

  

 そして今、僕の手の中にあるグラスには、綺麗な深い赤。そこには果物がたくさん浮かんでいて、綴がすすめてくれたこれも、甘くてとても飲みやすい。


「甘くても、それなりに度数はあるから、一気に飲んじゃだめだよ」

 ふと綴の手元にある、小さな瓶が気になった。ラベルもお洒落で、凄く興味を惹かれてしまう。 


「綴が飲んでるそれは、なに?」

「ん? これはね、梨のクラフトビールだよ」

「僕もそれ、飲んでみたい」

「いいよ。けど桜が飲んでるのより苦いかも」


 差し出されたそれを、受け取って少しだけ口をつける。


「うぇーにがい……」 

 ラベルの印象とは違って、アルコール特有の苦味と、何とも形容出来ないぐわっとくる感覚に襲われ思わず顔を顰めてしまう。


「あらら、まぁそのうちに、美味しさがわかるようになるよ」

 そんな僕の様子に、綴はすごく愛おしそうに微笑んでくれた。


 みんなでお酒を呑むのは、楽しくて。

  

 綴に言われたことをちゃんと守って飲んでいたはずなのに、初めてのお酒は思っていたよりも随分早く、回ってしまっていたのだろう。

 頬が熱を持っているのが自分でもわかり、体がふわふわと浮いているような感覚がして、頭の奥は少しぼんやりとしている。

 

 雲の上を揺蕩うみたいなほろ酔い状態は、気持ちが良くて。

 小さい頃みたいに綴と一緒にゆっくり過ごせる時間が楽しくて、嬉しくて。

 そんな少しだけ呑みすぎてしまった僕の口から、ぽろっと零れ落ちてしまったのだった。


「僕ね、一度だけ……母さんの夢をみたことがあるんだ」

 一瞬、自分の中で過った言葉。頭の中で考えただけのはずだったのに、目の前の綴が驚いた表情をしたことによって、口を滑らせたことを理解する。

 

 明確に、しまった。と僕は思った。


 ――言うつもりなんて、なかったのに。


 なのにまるで何かに操られているみたいに、言葉は止まってはくれなくて。


 本当はどこかでずっと伝えるかどうか、迷っていたのかもしれない。


「なんか、あまり実感もなくて……そんなこともあったな……ってくらいの感じだった」

「……そう、なんだ」

 綴の少し苦しそうな、困ったような表情を目の当たりにして、頭の奥にかかっていた熱がすっと引いた。

 ふわりとした酔いが覚めた頭は、必死に次の言葉を考えはじめる。

 

「……ごめん、変な話した」

 だけど、僕の頭は何も思いついてはくれなくて、苦し紛れの情けない言葉しか出てこなかった。

 

「そんなことないよ。教えてくれてありがと、桜」

 そう言った時には、さっき見せた表情なんて嘘だったみたいにいつも通りに戻っていて、僕が言ったことを責めたりすることもなく、ふわりと優しく笑った。


 そこに困ったような様子が、見えることはなくて。


 多分、本人は隠せたつもりなのだと思う。

 

 だけど僕は気づいてしまった。綴がきっと、こぼれそうになってしまった自分の感情を、心の奥へと隠そうとしたであろうことも。

 

 もしかしたら今までずっと、綴は母さんを死なせてしまったことに、責任を感じていたのかもしれない。

 

 だけど悪いのは綴じゃないし、母親を奪われたわけでも、置き換わったわけでもない。

 僕が望んで、綴のそばでずっと生きてきた。この人の隣がよかったから、ここにいた。


 どれだけ泣いても、わがままを言っても綴はそばにいてくれて、僕にこれでもかというほどの愛情を注ぎ、教えてくれた。

 

 だから夢の中で母さんに会って、胸を引き裂かれるような感情が湧かなかったのも、きっと自然なことなんじゃないかと思ってる。


 でも綴は、それを自分のせいなのだと思ってしまう。

 本当に目の前のこの人は優しすぎるから、余計な痛みまで抱え込んでしまう。 

 僕はこの年まで立派……かどうかは分からないけれど、育ててもらったのに。

 

「……綴、僕をここまで育ててくれてありがとう。大好きだよ」

 成長して、少しだけ伝えるのが恥ずかしくなってしまった言葉。 

 ちょっとだけお酒の力を借りちゃったけど、ちゃんと伝えられた。

 綴が選んでくれた赤が、背中を押してくれた。


 そんな僕の感謝はしっかりと届いたようで、綴は僅かに目を見開く。 

 

「ずっと綴が僕のそばにいてくれたから、全然っ! 寂しくなかったんだ」

 だけどやっぱり少し照れくさくて、顔を見られなくて。その恥ずかしさを誤魔化すようにして、僕はさらに言葉を紡ぐ。

 自分でもわかるくらい伏せた顔と、耳までもが熱い。

  

 親という言葉を僕が使うなら母さんではなく、綴なんだと思う。

「父」でも「母」でもないけど、僕にとって唯一無二の存在。


 そう言って顔を上げた先に見えた綴の顔が、泣きそうに歪められる。

 その瞬間、息が止まった。


 その顔はいつもみたいに笑おうとしているのに、表情は強張っていて、今にも溢れてしまいそうな感情を必死に堪えているみたいで。

 

「もぉー急にどうしたの、そんなこと言われたら俺、泣いちゃうじゃん」

 冗談ぽく言うような口調とは裏腹らに、声は少し震えていて、綴は涙を隠すみたいに僕の頭を優しく撫でた。


 ぽたって落ちた水の粒には、気付いてないふりをしてあげる。

 

「でも……ありがとね、桜」

 小さい頃に聞いていたものよりも、少しだけ低くなった大好きな綴の声。

 

 悲しい顔なんてせず、綴には笑っていてほしい。


 まだまだ頼りないかもしれないけれど、僕はこの優しい人を支えられるくらい強くなりたい。


 早く大人になりたい。なんて言えば「ゆっくりでいいのよ」なんて言われてしまいそう。

 

 だけどその両手いっぱいにたくさん抱えているであろう重たい物を、ひとつでも僕が受け取ることが出来れば……。


 僕はそのために、毎日少しでも早く綴の背中に追いつけるようにと、必死で訓練を積んでいる。

 息が切れて、足が震えても、血の気が引いても、足を止める理由にはならない。


 何よりも、僕は綴の笑顔が大好きだから。

 




 だから偶然見つけた「人が溶ける動画」に嫌な予感がして、胸の奥が冷たくなる。

 

 ――こんなものを、いくらAIが発達した現代とはいえ、個人の単位で作るのは難しいはず。

 

 これがもし、フェイクでもなく本物だったら。そんな可能性が頭を過ったとき――。

 真っ先に浮かんだのは、リヒトのみんなの顔だった。

 きっとこれがギフトによるものなら、僕の大切な誰かが、動くことになる。

 もし、それで仲間を失うことになったら、綴が僕の前からいなくなってしまったら。

 そんなことを考えると、夜も眠れなくなるくらい怖くてたまらなかった。


 偽物ならそれでいい。だけど本物ならこれ以上、被害が広まらない内になんとかしなければならない。

 

 その思いで僕は動画のことをすぐに綴へと報告した。だけどそのときに難しい表情を浮かべた綴に対して、不安が募った僕は真っ先に伝える。


「……綴、この動画が本当にギフトに関係してるとしても、無理はしちゃだめだからね」

「わかってるよ、桜。だいじょーぶ、お兄さんが桜に嘘ついたことなんてないでしょ?」


「え? どうだろう……」

「ちょ、そこはすぐに、そうだなって言ってよぉ」

 もぉー桜。なんて少し頬を膨らませて軽くふざけながら言っている綴の様子は、いつも通りで少しだけ安心した。


「……ほんとに、無理はだめだからね」

 そう伝えると、綴は一瞬だけ困ったような表情を浮かべる。


 最近、顔色が良くない日が増えたこと。息が上がっていることが、多くなったこと。


 次から次に舞い込んでくる任務によって、疲労が蓄積しているだけなのか。

 それとも、何かを隠しているのか。


 理由はわからないし、それを調が知っているのかどうかも僕にはわからない。


 綴が無理をしている姿を見たくないと、本当は伝えたい。

 でもそれは僕がまだ、綴の背中を追いかけている途中だから、言えなくて。


 だから今日も理由を知らないままに、心配だけが積み重なっていくんだ――。

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