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未完成なイデア  作者: 綴 朔哉


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25/33

満天の星空を、初めて一緒に見たあの日の夜。


 燎から遭遇した現場のことを聞いていて、話も大方、一段落したと思われたタイミングで聞こえた物音。


 視線を向けた先には、今にも泣き出してしまいそうな表情の弥。

 一瞬にして、世界が遠くなったような気すらした。俺が何とか絞り出した声は、とても情けないもので。ゆっくりと話してくれた弥の様子は刻一刻と変わり、違和感を伝えてくる。

 それが異変だということに気付いたときにはもう手遅れで、弥の呼吸は乱れていた。


「あまね、だいじょうぶだよ……」

 俺はそばにより、華奢な体を引き寄せる。弥がリヒトへ来てから「過呼吸の発作」というものを日常的に目にする機会が圧倒的に増えたと思う。

 今までも軽度なものであれば、調や桜、葵を除く殆どの子が起こしたことがある……といっても過言ではないと思う。その中には勿論、俺も含まれているし、辛さを理解できるからこそ、見ているのが辛いというのは大いにあると思う。


 しばらくして、弥の呼吸が落ち着いてきた頃。ぼろぼろとこぼれ落ちる涙をそっと拭うと、安心したように俺の服を掴み、体重を預けてくれる。


「……眠れそうなら、そのまま眠りな」

 

 ――そういえば……弥と初めて会った時も、似たようなことを言ったな。


 背中を優しく叩いているときに、ふと少し奥に仕舞われた記憶の扉が開く。



 

 俺が二十三歳の時。ある任務が、割り当てられた――。

 

 渡された任務書の資料には、とある民間薬品企業の名前が記されていた。その表向きは医療用の新薬開発を掲げているが、裏では能力強化を目的としたエニスキシ実験を郊外に建てられた工場内で、秘密裏に行っているかもしれない……という疑惑のあるもの。

 今回の案件は本来であれば紅の俺や湊ではなく、翠である纏さんや調といった人に割り振られる任務のはずなのだが、タイミングが悪く翠階級は別の任務のため不在。

 緊急性の高さから、やむを得ず俺たちへと回ってきたらしい。

  

 被験体として扱われているのは、身寄りのない少年少女――。

 

 その報告文を読んだ瞬間、手が止まった。紙の端がわずかに震えてしまうのを、隠すように握りしめる。


 ――また……こういう任務なのか。


 目を閉じると、鮮明に思い出してしまう過去の記憶。

 冷たい水の檻の中では「助けて」というその一言すら、音にはならない。


 被験体としてしか価値のない俺の自我など誰にも認めてもらえず、助けを求める声は誰にも届くことはなかった。

 息ができないほどの苦しみと、誰にも理解してもらえない孤独。


 どくん。どくん。どくん――。


 水中では、自分の心臓の音だけがやけにうるさくて。ただ漂う水の中で、いっそこの音が止まってしまえばと、何度も考えた。


 今もなお、目を開けると広がる温かい場所に俺はいつも……安堵する。


 ――調が俺にくれた、大切な場所。


 だから俺は自分がそうしてもらえたように、名前も知らない誰かの助けになりたいと思うようになった。

 リヒトへ来て下の子が増えるほどに、その思いは強くなる。

 だけど全く怖くないと言えば、それは嘘になってしまう。


 任務中に何かあって、もう二度と調たちに会えなくなったら?

 

 そんなことを考えてしまうと、眠れなくなってしまうほどには怖くて。 

 叶うことならみんなとずっと一緒にいたいし、それ以上に俺が望むことなんてこの世にはない。




 

 そして任務書を受け取った、数日後――。


 正式な通達が届き、任務へは俺と湊の二人が配属されることに決まった。 

 リヒトという組織は任務へ無理に行かせることを、絶対にしない。

 本人の意志が、一番に優先される――。


 だから……任務を受けない、という選択肢もあった。だけど俺は、それをしたくなくて。

 俺が断れば危険度の高い任務が他の人に回ってしまうことになる……。

 どうしても生死が関わってくる仕事だから、欠員は後を絶たないし、日々発生する任務の穴をどうにかして埋めなければならない。

 現実的に難しいことも多くあるが、これからリヒトに入ってくる子たちが、安心して自分の道を選べるように俺は頑張らないといけない。

 

「綴……大丈夫か?」  

 振り返ると、調が立っていた。その瞳は僅かに揺れていて、感情を抑えていることがわかる。


「……うん、平気だよ」

 いつも通りへらっとしてみせるが、たぶん……調にはお見通しなのだろう。

 

 ――俺の力で、任務を遂行することができるか。


 ――このアジトに、俺は帰ってくることができるのか。


 言葉にしたことのない、弱音。

 

 今までも、大変な任務はたくさん受けてきた。だけど毎回そんな不安に、襲われる。

  

「綴なら大丈夫だよ。お前の判断力を少なくとも、俺は信用している」 

 調はきっと俺のその弱音に気付いていて、任務の前にはいつも「綴なら大丈夫」と言ってくれる。


 その言葉がいつも俺の励みになって、調が言うなら大丈夫なのだろうと、無駄な力を抜くことができるのだ。  

 調は任務の危険性を理解していてなお、俺を信じてくれる。だからこそ俺も、その信頼に応えたかった。

 過去の自分のように苦しむ子供たちをひとりでも減らせるのなら、俺は何度でもこの道を選ぶと思う。

  

「……綴。絶対に、無理だけはするな」

 沈黙が流れて、調がぽつりと言ったその声にほんの僅かだが、揺らぐものを感じた。


「……わかってるよ……みんなに心配かけたくないし、俺が怪我したりすると、桜が泣いちゃうからね」

 冗談めかして笑ってみせると、調はふっと静かに目を細めた。 

 そして今回の任務には俺と湊の他にあと二人、同階級から召集が掛かっている。

 

 任務書によって情報はすべて共有されたが、追加の資料には先んじてこの任務を受けた数人が、消息を絶っているという報告も含まれていた。


 そして初めに潜入調査をしていたギフトではないリヒト所属の諜報員から、調査により判明していた工場内の詳細な階層図が、事前に開示される。


 その情報には出入口が東棟と西棟に一か所ずつあるとの記載があり、恐らく実験が行われているのは西棟の地下である可能性が高いという。


 地上三階建ての建物。東側が正面玄関にあたり、日中の警備は言わずもがな厳重で、そこからの侵入は不可能。

 そしてもうひとつの西棟出入口は所謂、裏口にあたる。どうやら実験関係者は、後者を利用しているらしかった。

 殆どが倉庫として使われているような西棟には、一般従業員が近寄る機会は少ない。


 恐らく工場内で働いている多くの従業員は、地下で悍ましい実験が行われているとは露とも知らないはず。

 リヒトの任務は公にはならず、報道規制が行われるためニュースなどで詳細に報道されることはない。それが正義による行動だとしても、真相は闇に葬られてしまう。


 だがそれでも実験の被害を受けている子がいるのであれば、俺はその子たちを助け出してあげたい。

 俺のように暗い水槽の中に閉じ込められて冷たく、苦しい思いをする子をひとりでも減らしたい。


 そして作戦決行は、警備が手薄になる深夜。町が眠りについた頃――。

 

 目的地に着いて車から降りると風が強く、空気はひどく乾いていた。

 少し離れたところに見える灰色の建物。そこが、これから踏み込む先――。


 西棟二階部分の狭い配管経路から、侵入を試みる。侵入するにあたり、避けて通れないのが監視カメラの存在と巡回の警備員。


 カメラの設置されている位置を全て把握し、死角となるルートは頭に叩き込んである。

 西棟の巡回の警備員は二人、その人たちは湊の力を使用し眠らせる手筈。


 施設内へと潜入後は二手に分かれて行動することに決まり、能力の分布の結果。俺は湊と組むことに決まった。

 

 A班である俺たちは、研究区画へ向かい被験体にされている子たちの救出及びすべての研究資料の焼却。


 B班は警備システムをダウンさせた後、研究区画外に研究員がいた場合の制圧及び拘束した関係者の連行。リヒト上層部へと引き渡す。

 

 俺たちA班は、地下へ向かうことを優先。研究員がいた場合、B班へ相手の位置を伝達。


 俺たちは速やかに地下階の研究区画まで移動をし、研究員がいれば拘束。

 その後、実験の被害を受けた子たちの救出を行い、実験装置の破壊及び焼却をするために火を放ち、その場から撤退。

 

 俺は何度もそう頭の中で繰り返し、脳に叩き込むようにして自分に言い聞かす。


 侵入地点に辿り着き、見上げた工場の外壁に張り付くように設置されている配管網に、緊張感は最大に達する。

 一度入ってしまえば、戻ることすら叶わないかもしれない。


 ――落ち着け……大丈夫、俺ならできる。


 俺が不安を顔に出せば、それが湊にも伝わってしまう。 

 必死にそう言い聞かせ、狭い配管の入り口に半身を折り畳むようにして、身体を滑り込ませると鉄と油の匂いが一気に鼻を刺してきて思わず顔を顰める。

 

 頭上には配管が何本も並んでいて、時折流れる蒸気が暗闇に白い筋を描く。


 狭い管の内側で感じる引き返せず、逃げられない恐怖に指先が冷たくなるのを感じた。

 

 大きくなる心臓の音を落ち着けるため、静かに深呼吸を繰り返し、頭の中では監視カメラの位地を反復する。

 

 入口から十メートルで左折、二つ目の支管でもう一度左折。その先が監視カメラの死角になり、そこから出れば監視の目を避けられる。


 外部の巡回は二人体制。ルートは確かめてある。

 

 目標地点へと辿り着き、俺たちは息を殺し警備員の巡回を待つ。 

 時間にして約二分。徐々に二人分の足音が、近付いてくる。

 

「夜勤は何も起こらないから、楽だな」

「ああ、夜の方が給料もいいしな」

 そんなが彼らの会話の断片が、硬質な床と靴がふれるコツコツという音と共に薄く聞こえてきた。

 

 雑談をしながら歩いている警備員の様子からしても、こちらの侵入には気付かれていないようだった。


 湊が使う安眠蔓(あんみんかずら)は、張り巡らせた蔓から微かに甘い香りを放ち、それを嗅いだ相手を眠らせる。


 そして今、湊の手には種子がふたつ。掌の上で発芽させた緑の蔓が通気口の網目をくぐり抜け、素早く慎重にカメラの死角となる天井を這っていく。

 

 想定の長さまで伸ばした蔓は、小さな葉っぱを開かせそれと同時に優しく甘い匂いを香らせる。

 決して強い香りではなく、あくまでも安眠を誘うため、湊によって慎重に調整された香りだ。


 作戦決行にあたり、俺も試しに術を掛けてもらったのだが、本当に一瞬で眠りに落ちてしまう。次に気が付いた時には、リビングのソファへと寝かされていたので効き目に関しては、絶対の信用があった。

 

 湊は蔓の働きを細かく操っていく。少しでも放出する加減を間違えてしまえば、相手の神経を痛めかねない。

 だからといって弱すぎても眠らせることはできないので、繊細な制御が必要になる。

 

 そして湊の指先が小さく動くたびに、香りの濃度は少しずつ変わり、外の足音がちょうど真下を通過する。

 今、この瞬間を……逃すわけにはいかない。

 

「なんだ、この匂い……」

「あまくて……いい匂いだ……」

 そんな声が聞こえてきて、通路の向こうで二人の足が止まった。ひとりは目元の辺りを押さえ、ふらふらと階段の脇へと蹲る。

 

 もう一人も同じような反応を示し、歩調は乱れていく。やがて二人とも、半ば倒れるようにしてそのまま静かに眠り込んだ。


 ――よかった……どうやら、うまく効いたみたい。


 眠らせるだけとはいえ、彼らを傷つける意図はない。湊もそれを分かっているからこそ、最小限の量で確実に効かせたのだ。

 

 俺は湊の方を向いてそっと手を挙げると、湊は音を立てないように静かに掌を合わせてくれる。

 

 蔓にある葉っぱが、また静かに閉じていく。空気中にはまだ微かに甘い匂いが残っていたが、次第に薄れていった。


 辺りに人の気配がないことを確認し、通気口から体を滑らせて出れば、先程眠らせた二人の影。

 静かに歩み寄り、申し訳ないが拘束をさせてもらう。

 

「とりあえず……第一関門クリアですね」 

 湊は蔓を自分の掌に巻き取ると、大きく息を吐いた。

 

「……そうだね」

 ここからは二手に分かれて、俺と湊は下層階を目指す。

 

「俺たちも先へ急ごう」

「はい」

 施設内の廊下には、痛いほどの静寂が辺りを包んでいて、人気のない薄暗い通路はとても気味が悪く異様で、首筋に嫌な汗が伝っていくのが分かった。


 緊張感をぐっと飲み込み、足音を消して倉庫区画の廊下を抜ける。


「こちらB班、システム管理室に到達しました」

 装着したイヤホンから、音声が届く。

 

「了解」

 あちらの班には、今から五分後に警備システムをダウンさせてもらう手筈になっている。


 監視の盲点を突きながら、慎重に進んでいた時――。

 前方から複数の人の声が聞こえ、咄嗟に物陰へと俺たちは身を隠す。息を殺し、手のひらに浮かぶ汗を握りしめる。

 

 足音が通り過ぎた後。監視の目を掻い潜りながら、何とか無事に地下へと繋がる階段まで辿り着くことができた。

 俺たちの到着とほぼ同時にブレーカーが落ち、周囲は闇に包まれ、一瞬の静寂を挟んだ次の瞬間には、けたたましいほどの警報音が鳴り始める。


「警備システムがダウンした今のうちに行こう、湊」

 ゆっくりと湊は、首を縦に振り頷いた。 

  

 ここからが本番だ――。


 階段を駆け下りていけば、段々と血の鉄臭い匂いが強くなってくる。


 実験室の扉まで辿り着き、湊と視線を交わしてから、電気が通っていなくて重い扉をゆっくりと開けた――。


 薄闇の中、視界に映ったものは床一面に広がる赤黒い液体。そのそばには……頭部のない死体。

 

 俺は咄嗟に、口元を手で覆った。何度遭遇してもこういった光景に慣れることはない。


「大丈夫ですか、綴さん」

「……うん……なんとか」

 ゆっくりと呼吸を整える。


 ――俺なら、できる……大丈夫……。


「綴なら大丈夫だよ」そう言ってくれた、調の言葉を思い出す。


 ――もう、後には戻れない。


「……行こう、湊」

 そう言って足を踏み入れると、靴の裏にはざらりとした感覚。


 暗さに目が慣れてきて、その感覚の正体が砂だということに気付く。

 

 ――なぜこんなところに、砂が……?


「……何なんだ、これは」

「酷い、ですね……」

 異様な状況に俺たちは、言葉を失う。先ほどよりさらに濃くなった血の匂いに、湊も顔を顰めていた。

 

 背筋を、冷たいものが伝っていく――。

 

 その時突然、乾いた破裂音が空を裂いた。


 空気そのものを分断するような鋭い音が連続して響き渡り、耳の奥を刺すような振動。

 

「綴さん!」 

 その僅か後に、幹が軋むような音。

 

 咄嗟に湊が木の盾を出して守ってくれたおかげで、銃弾が当たることはなかった。


「お前たち、そこで何をしている?」

 暗闇から現れた男に、戦慄した――。


 一面が血濡れた白衣の男。その姿は、体の芯が震えてしまいそうになるほどに異様だった。

 男は軽快な靴音を鳴らしながら一歩、また一歩と近付いてくるのに比例して、俺たちはゆっくりと後ずさる。


「あぁ、そうか……君たちも完璧な私の作品を見たいのかい?」

 気味の悪い笑顔を貼り付けたまま、男は声高に話し始めた。


「丁度、いい作品が出来たばかりなんだよぉぉ」

 

 男の耳障りな声が響き渡った後――。


 背後に、ざらりと乾いた気配を感じた。


「――っ!」

 反射的に振り返った時。


 一人の男の子が、闇の中へと溶けこむようにして立っていた。


 その手が、湊に迫る――。


「湊っ!」

 俺は咄嗟に出したチタンパイプを振りかざした。だがそのパイプは軽々と受け止められてしまっただけでなく、その僅か一瞬の間に俺の目の前で砂と化した。


「は……?」

 

 ――何が、起こった……?


 そのまま目の前の子は、右手を振りかざしてくる。


 ――まずい、当たれば……死ぬ……。


 俺は体を捻り飛び退いて、距離を置く。


 ――この子は一体、どこから現れた……?


 背後には、人の気配は感じられなかったはずだ……。


「……壊さないと……」

 その声は間違いなく目の前の彼自身から発せられたはずなのに、まるで誰かから教えられたものを反芻するように響く、意味のない言葉に聞こえた。


 乾いた唇から絞り出すようにして、同じ言葉を壊れた機械のように繰り返す。

 その声音には抑揚もなく、感情の欠片も感じることは出来ない。

 

「湊! 相手から距離を取れ! ふれられたら砂にされる」

 恐らく触れられれば、即死だ。


「あはははははっ、いいだろう! 美しいだろう! そいつは現段階において、私の一番の最高傑作だ。自我を崩壊させることに成功したから、全て思い通りに動く操り人形さ!」


「このおっさん趣味悪すぎるだろ……」

 湊が、そう呟いた。


 物質を砂化できるギフト。エニスキシ実験による、能力強化の成功被験体――。


 俺は腹の底から、怒りの感情が湧きあがる。


 目の前の子は、桜や悠と年の変わらない子供だ。なのにその瞳に生気はなく、虚ろで。


「……壊す……崩す……」

 途切れ、途切れに聞こえる言葉。


 武器を創り出し応戦するが、俺の能力では砂化の能力とは相性が最悪で剣も、拳銃の弾もすべてが砂へと変えられてしまう。

 湊の安眠蔓(あんみんかずら)も繊細な制御が必要になるから、簡単には使えない。

 蔦で動きを封じるために捕縛しようとすることすらままならず、安易に近付くことも出来ないので湊のフィジカルを生かした格闘攻撃も使えない。


 白衣の男は高みの見物でもしているかのように、ニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべながらこちらを見ている。


 その時、鼻から液体が伝う感覚。拭えば、目に痛いほどの鮮血。


 ――まずい、このまま消耗戦になればこちらは圧倒的に不利だ。


 だが、次の瞬間。

 

「……あ」

 男の子の瞳がほんの僅かではあったが、揺らいだように見えた。


 少しずつ虚ろだった硝子玉の奥に、微かな苦悶の色が浮かぶ。


 彼は突然……頭を押さえ、呻く。

 

「いたい……いやだ、たすけて……やめろ」

 頭の中の命令に抗うような、苦痛の滲む声。


 ――自我が、戻ろうとしているのか……?


 必死な声で男の子は呟き、目からは赤い涙。


「お願い……俺を……殺して、たすけて」

 その姿が初めて出会ったときの葵と、どこか重なって見えてしまった。


「俺は、君を絶対に殺さない……」

 

 ――だけど、どうすれば……。


 捕縛も出来ない。だからと言って、近づくことも出来ない。


 ――考えろ、何か他に方法はあるはずだ……。


「殺、して……おねがい……」 

 その間にも、男の子は呻き声をあげて苦しんでいる。 

 手が……震えてしまう。湊がそばに来て、静かに言った。


「……綴さん、俺に考えがあります。任せてもらってもいいですか?」

 

「……湊……わかった。だけど……絶対に無理はしないことだけ、約束して」

「ふはっ、本当に綴さんは過保護ですね」

「過保護でも、なんでもいいの。俺は湊のことが大切なだけ」


「……わかりました、約束です」

 そう言って、湊は小指を差し出してくる。

 

「うん、約束」

 湊は綺麗な顔でにこりと笑ってから、男の子へと視線を戻すと向ける視線が真剣なものへと変わる。

 

「……緑牢(りょくろう)(ばく)っ!」

 低く落とした声が聞こえた、その瞬間――。


 男の子の周囲から瞬時に無数の蔓が伸びて、格子状に絡み合う。その蔓は、宛ら牢獄の様で抜け道などない。

 中で男の子は藻掻くが、抵抗するほどに蔓は絡まる。一部は砂化させられてしまったが、蔓の葉から漂う甘い香気に次第に瞼を重くさせていく。


 拘束と同時に操り糸が切れたように、地面へと男の子は崩れ落ち、閉じた目からは一筋の涙が静かにこぼれおちていった。


「なぜだ、そいつは私の完璧な作品だったはずなのに……まぁ、どうでもいいか。変わりは、他にいくらでもいるし……」

 ひとりでぶつぶつと呟く、白衣の男。


 あろうことかこちらのことなど気にせず、興味を失ったのかそいつはそのまま立ち去ろうとする。


「……おい、待て!」

 俺が持っていた銃を向けた刹那……湊の口角が、弧を描いたのが横目に見えた。


 美しく不敵な笑み――。

  

「……お前は……死を持って償え」

 

 ぱちんっ――。

 

 指を鳴らした、その瞬間。男の皮膚の下を這って大量の草花が、吹き出すように芽を出した。


 僅か……数秒のこと。一瞬すぎて、悲鳴すら聞こえることなく男は人としての形を失った。

 少し遅れて血飛沫が噴水のように、植物の上に降り注ぐ。そんな様子に俺は呼吸すら……忘れていて、初めて見る残酷な技に恐怖を感じた。

 見えた横顔は、俺の知る湊のものではなくて……。冷酷さを隠しもせず、情の一片も感じさせない声。


 だが同時に、これでよかったと思ってしまう自分もいて……。人を人とも思っていないあの男には、ぴったりの最期。

 だけど俺はあんな奴でも一瞬、僅かに殺すことを躊躇ってしまった。


 ここでこいつを殺さなければ、今以上の被害者が出てしまう可能性が高いことを頭ではわかっていたのに、俺はすぐに引き金を引くことを躊躇い、行動に移すことができなかった。


 そんな俺とは違い、湊は両者を天秤にかけ迷わず行動をした。


「ごめん……俺……全部、湊に背負わせて本当にごめん……」

「綴さんが謝る事じゃないです。俺が俺の意志で、あいつを許すことが出来なかっただけです」 

 湊のその言葉に、俺は守られるだけで昔から何も変わっていないのだと思い知らされる。


 調が俺に手を差し伸べてくれた時から、何ひとつとして――。


「綴さん、さっさと終わらせてアジトに帰りましょう、きっとみんな待ってますよ」

「……そうだね」

 再度警戒しながら、奥の部屋へと進む。低く唸る機械音と、薬品特有のツンとした匂いが鼻を刺す。


 進んだ先には、さらに惨い光景が広がっていた。


 透明なガラスのケースが3つ並んでいて、そのうちの2つは空の状態。

 そして一番奥のケースの中に少年がぐったりと横たわっていて、小さな体は大量の管へと繋がれていた。


 助けるため、慌てて近づき声をかける。管以外にも手足を拘束され、肌には夥しいほどの実験の痕だと思われる傷。


「だ、れ……?」

 乾いた唇が言葉を紡ごうとしたが、上手く音にはならなかったようで、殆ど吐息のような声だった。静かに開いた瞼の下から現れたその瞳には恐怖からか、怯えの色が滲んでいる。


「今、出してあげるからね」

 外から簡易的に閉じられているだけの箱の鍵を開け、蓋の部分を持ち上げる。

 その瞬間――。男の子は目を見開き、かばりと起き上がって後ずさりし、自分を守るように小さくなり震えている。


 悠や桜よりも小さい体――。大きな目には溢れてしまいそうなほどいっぱいに涙をためて、必死に抵抗を示す。

 

「ちかづかないで……ぼく、いたいのはもういやだ……」


「急に開けたらびっくりしちゃうよね……ごめんね。痛いことは絶対にしないよ」

 俺の言葉を信じていいのか迷うように、涙の膜を張った瞳は揺れていて。


「俺たちはね、君の事をここから助けるために来たんだ」

「……ほんと? ほんとに、ぼくをたすけてくれるの?」


「本当だよ、俺の名前は綴。君の名前を教えてくれる?」

「……(あまね)


「弥だね……約束する。俺は絶対に、君の事を傷付けない」

「うん……」

 弥は涙を流しながら、小さく俺の袖を掴んだ。


「弥、立てる?」

 小さく首を横に振る、弥。

 

「よし、じゃあ俺が抱っこするね、おいで」

 そのまま抱きかかえると、小さい手が恐る恐る俺の胸元の服を握る。


「もう、大丈夫だからね」

 そのあまりに軽すぎる体に胸は痛み、少しでも安心させてあげたくて背中を優しく撫でる。


「綴さん、他に人の気配はありません」

 他の部屋を見に行っていた湊が、戻ってきた。


 ――箱の数からして……頭部のない死体は、残りの箱に入れられていた子……?

 

 ――ここで能力者同士を戦わせていた……?


 だとすれば本当に趣味が悪すぎて、吐き気を感じる。

 

「……わかった。砂の能力の子、湊に任せても大丈夫かな?」

「はい。恐らく数時間は目覚めないと思うので、能力暴走の心配もないと思います」

「ありがとう……速やかにあちらの班と合流しようか」

「わかりました」

「湊は、先にその子を連れて退避。俺は証拠隠滅をしてから、弥を連れて外に出る」

「はい、じゃあまた上で」

 湊は眠っている男の子を抱き抱えてから、俺へと背中を向け、すぐにその背中は見えなくなった。

 

「よし……じゃあ俺たちも外に出ようか。火を付けるから煙を吸わないように、口を押さえてて。あと少しだけ、頑張ろうね」

 その背中を見送った後。そう言えば、弥は素直に俺の胸の辺りへと、顔を埋めた。

 

「弥は良い子だね……しっかり、掴まっててね」

「……うん」

 小さく頷く弥の頭を優しく撫でてから、研究室の一番奥へと火を放てば、あっという間に大きくなる炎。


 研究資料が焼き焦げる匂いが鼻腔を突いてきて、目の前でこの子たちを苦しめていたすべてが、火に包まれていく。

 俺の想像があっているのだとすれば、ひとりは助けることが出来なかった。

 あともう少し、来るのが早ければ……もしかしたら……。


 ――助けられなくて、ごめんね。


 倒れた遺体の横を通るとき、心の中で呟く。


 炎がある程度広がるところを見届けてから、俺は弥を抱きかかえたまま、地上へと繋がる階段を駆け上がる。

 戦闘による肉体的疲労と、能力使用によるサクリファイスの影響により僅かに目の前が霞む。


 だが腕の中には、小さな体――。


 俺がここで立ち止まることなど、絶対に許されない。


 一段、また一段と階段を踏みしめていく。


 火災を検知したことにより、地下と地上を隔てる鋼鉄の防火扉がゆっくりと下りていくのを視界に捉える。


 ――まずい、このままだと間に合わないっ……!!


 あと数メートル。


 視界は煙に包まれていき、足は縺れる。弥の頭を守るように抱え、最後の力で締まりゆく扉へと滑り込むようにして飛び込んだ。


「……っは……」

 勢いのあまり、背中を壁へと強打する。背後で轟音が響いて、閉まった扉が完全に炎と煙を飲み込み塞ぐ。


 がんがんと鳴り響く心臓の音と、耳障りなほどに荒い呼吸の音。


 ――なんとか……間に合った……。


 そのとき……腕の中で弥が身じろいだ。俺は、はっとして慌てて声をかける。


「弥! 大丈夫?!」

「だいじょうぶ……ありがとう、つづりさん」

 俺はその温もりを確かめるようにして抱きしめ、ふらつく視界に耐えてゆっくりと立ち上がる。


 この扉の向こうで、この子を苦しめたものは全て灰へと変わる。


 ――あんなものは、焼き尽くされてしまえばいい。

 

 恐らくこの中では自動消火システムが作動しているはず、そうなれば直に消防隊が来る。


 その前に、早くここから立ち去らねば。酸素の足りない頭で必死に考え、湊と合流するための最適解を探す。

 俺は疲労から震えてしまいそうになる足を懸命に動かして弥を抱えたまま、ただ出口だけを目指して歩く。

 最後の扉を蹴破った瞬間。視界には、満天の星空が広がった。

 

 整わない息の中で見た、弥の大きな瞳の中には輝く星の光が映りこんでいる。


「きらきらしてる……はじめてみた」

 そんな小さな呟きに、胸は締め付けられるように苦しくなった。


「……これからは、いっぱいみられるよ」

 弥の瞳に溜まっていた星のように綺麗な涙が一筋、頬を伝い落ちる。

 何かを噛みしめるように小さく頷いた後、俺の服をぎゅうっと掴み再び俺の胸の辺りへと顔を埋めた。

 小さな肩の震えを感じながら、俺はそっと抱きしめる。


「頑張ったね、もう大丈夫だよ」

 そんな姿に、俺は決意をさらに固める。


 ――弥のように憂き目に遭う子を二度と出さないように、オメガは壊滅させないといけない。


「ぼくのこと……たすけてくれて、ありがと……」

 涙に濡れた瞳がこちらを向いて、小さく言葉を紡ぐ。 

 優しく微笑めば、弥は儚げに笑顔を返してくれた。


 そして少しの間――。二人で星を追いかけるようにして夜空を見上げていたけれど、すぐに弥の瞼が重そうに揺れ始める。


「眠っていていいよ、弥。目が覚めたら、また一緒に空を見よう」

 弥は小さく頷いた後。少し身じろいだと思えば、そのまま穏やかな寝息が聞こえた。


 夜空の下で俺はその温もりを抱きしめ、起こしてしまわないよう静かに湊とのもとへと歩き出した――。





 今、目の前で眠っている弥はこんなにも大きくなったけれど、寝顔はあの時の面影を残している。

 

 この子が泣くのを見ているのは、辛い。たくさん泣いてきたこの子には、それ以上に笑っていてほしいのに、十年以上の月日を重ねても過去は弥の事を縛り続けている。


「おやすみ、弥……いい夢を見てね」

 俺はそんな願いを込めて、弥の涙の跡をそっと撫でた。

 

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