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未完成なイデア  作者: 綴 朔哉


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22/33

大きくて、遠い二人の背中。湊side



 夕方、悠はどうやらソファに横になってすぐ、眠ってしまったらしい。朝早くから起きていたみたいだし、昨日も任務で帰ってきたのは夜だったというから当然だと思う。

 そんな目まぐるしい日々の中で、思いついたサプライズ。俺とオフが重なるのが当面の間では、今日しかなかったから、悠は少し強引に予定を組んだのだろう。

 

 ここの所ずっと、任務に稽古と忙しそうにしていた悠。俺もよく燎くんに手合わせしてもらっているのだが、最近はそこによく悠も顔を出すようになっていた。

 燎くんの稽古は、結構厳しい。今でこそなくなったが、初めの方はお互い熱くなりすぎて燎くんを気絶させてしまい、調さんや和くんに怒られることも多かった。 

 悠はリヒトの中では小柄だし、俺と同じく能力は非戦闘向きだ。だけどその分、俊敏で反応速度が俺とは比べものにならないくらい速い。

 俺の場合は、純粋な体の耐性や力といったフィジカルで何とか補えているようなものだから、そこには尊敬しかない。

 努力の甲斐あって、飛躍的にフィジカル面が向上した悠の戦闘スタイルは綴さんが創り出す武器と相性が良く、受ける任務の幅が大きく広がった。


 少し前に綴さんが掛けてあげたブランケットに包まり、安心したような表情で猫のように丸くなって眠るその姿は、小さい頃の面影がまだ残っている。


 ――まだ俺がリヒトへ来たばかりの頃、どうしても悠と仲良くなりたくて、色々頑張ってたな……。


 あの雨の中、助けてもらったこと。目覚めた時に見た青い花へのお礼もそう。


「あの、これ……おれがかいたの」

 そう言って緊張した面持ちで、そっとお皿に乗った猫のドーナツを差し出してくれたこと。


「ありがとう、かわいいね」

 そう言った俺へ少し恥ずかしそうに、だけどふわりと嬉しそうに笑ったその顔がずっと、頭から離れなくて。

 仲良くなりたくて声をかけようと近づくと、悠はいつも小さく肩を跳ねさせて、子猫みたいな速さで俺の前から逃げてしまう。


 当時は改めて色々なことへの「ありがとう」を伝えたいのに、なかなかうまくいかなくて。

 たぶん、俺のことが怖いのだろう……いつしかそんな考えに行きついた。

 そしてそれは無理もないことだとも思っていたし、背も高く、声の低い俺にそんな気はなくても、小さい子から見れば威圧感を感じてしまうかもしれない。


 ――どうしたら、怖がられないんだろうか……。


 悠がリビングにいるそのたびに、話しかけるタイミングを見計らってはやめてを繰り返し、俺は何度もチャンスを逃していた。

 当時の俺は、かなり弱気になっていたと思う。




 そんなことが続いていたある日――。天気の良い昼下がり、窓の外には柔らかな日差しが降り注ぎ、心地の良い風がカーテンを揺らしている。


 俺は調さんからもらったお菓子を手に、中庭へと出ようとしていた。

 そんな時、リビングに敷かれたふわふわのラグの上に悠の姿を見つける。


「あ、悠……」

 振り返った悠は、少し困ったような表情を浮かべたように見えた。


「あ……えっと、こんにちは」

 悠は小さく呟いて視線を彷徨わせた後、自分の足元を見つめてしまう。


 流れる沈黙――。


「こんにちは……その、今日良い天気だね……」

「……うん……そうだね」

 出来るだけ怖くないように優しく声をかけてみたつもりだが……やはり今日も、あまり良い返事は貰えなくて。


 ――うーん。今日も駄目か……。


 そんなどこか諦めにも似た感情を抱いた時。ふと綴さんからも、調さんからも言われていたことを思い出す。

 

「悠は凄く繊細な子でね、慣れるまで時間が掛かるかもしれないけど、ゆっくり待ってあげてね」


「悠は湊の事が嫌いなわけじゃないから、それだけは分かってあげてほしい」


 だけど俺はやっぱり、仲良くなることを諦めたくなくて、少し聞き方を変えてみた。


「悠……もしよかったら、一緒にお菓子食べない?」

 少し緊張気味に差し出した紙の袋の中には、調さんの手作りメロンパン。

 ほんのりと温かくて、甘い香りがしている。


「あ……えっと、おれさっきたべちゃって……」

 悠は目を伏せて、微かに唇を動かした。

 

「あ、そうなんだ……」

 手元のメロンパンを見つめて、俺は少し考える。


「じゃあ、俺の半分食べる?」

 

「……え? いいの?」

 目線を合わせるためにしゃがみこんで聞いてみると、悠は驚いたように顔を上げて、俺の方を見てくれた。

 青いレンズ越しの美しい瞳が嬉しそうにきらきらと、煌めく。

 

「うん、いいよ……天気が良いから中庭のハンモックのところ、行かない?」

 悠は少し迷ったように足元を見たが、小さく頷いてくれた。

 

 中庭へ出て、そこに二人並んで座る。調さんから貰ったメロンパンを袋から取り出して半分に割り、片方を悠へ渡す。


「はい、どーぞ」

「……ありがと……みなと」

 悠は両手で大事そうに受け取る。その時、初めて俺の名前を呼んでくれた。

 それが嬉しくて、つい口角が緩んでしまう。


「メロンパン、美味しいね」

「うん、おいしいね」

 にこりと笑ってくれたその顔に俺は、心臓を撃ち抜かれたような感覚がした。


 ――可愛い、凄く癒される……。


「……悠。ここ砂糖、ついてる」

 もぐもぐと食べてる口の端には、砂糖がついてしまっていて、俺は自分の口元を指差して教えてあげる。


「む……ん? どこ?」

 悠は砂糖がついている反対側にふれてみたけれど、そこには付いていなくて、頭の上に疑問符を浮かべているように俺には見えた。


 そんな様子も、すごく可愛らしい。


 怖がらないように俺はそっと手を伸ばし、唇の端についた白い粉を優しくぬぐってあげる。


「……ありがと」

 悠は一瞬、目をぱちぱちさせて固まったが、すぐに頬をほんのり赤く染めて、小さく呟いた。


「どういたしまして……」


 悠は俺をじっと見つめて、ぽつり――。


「みなと、やさしいし……かっこいいね」

 その言葉に俺の脳は一瞬、フリーズした。


「……そうかな」

「うん。なんか、おうじさまみたいだから……おれいつも、ちょっときんちょうする……」


「え、王子様……?」

 悠はこくんと頷いた。


「しらべがね、読んでくれた本にでてきたおうじさまみたいなの。みなとの顔も、声も……ぜんぶ、かっこいい」

「……そんなこと、言われたの初めてだ……」

「だってほんとだもん……」

 悠の言葉は素直で、まっすぐで。心の奥が熱くなった。


「……ありがと。嬉しい」

 それから少し間があって、悠がにこっと笑う。


「みなとは、すきなたべものある?」

「え? ……好きな食べ物か……なんだろう」


 ――自分の好きな食べ物が、わからない……。だけど、ここにきて食べたものは全部おいしかった。


「調さんの作るもの……かな」

「おれも、しらべのごはんすき!」

 にこにこと嬉しそうに笑ってくれる、悠。

 

「じゃあ、他に好きなものはある?」

「おれのすきなもの……? えっと……しらべが作ってくれるおかしと、ブランコもすき」

 小さな手で指折り数えるようにして、にこにこと楽しそうに話してくれる。

 

「でも一番はリヒトのみんな。しらべはおれのことたすけてくれたし、つづりはすごくやさしいんだ」

 

「それにかがりは、おれの髪がきれいっていつも言ってくれるし、なごみも眠れないとき一緒に寝てくれるの」

 なんて、嬉しそうに教えてくれた。


 優しい風がふわふわと草花を揺らし、温かな日差しが体を包みこんでくれる。

 俺たちは色々な話をしながら、お日様の匂いのするハンモックへと寝転がった。

 柔らかな日差しの中、のんびりと時間は過ぎていく。


 ――こんな時間が、ずっと続けばいいな。


 そんなことを考えていた矢先。さっきまで聞こえていた楽しそうな声が、急に聞こえなくなった。


 俺は不思議に思いそっと隣を覗き込むと、すやすやと音が聞こえそうなくらい気持ちよさそうに眠っている悠の姿。

 さっきまでの緊張の面影なんてどこもなくて、穏やかで無防備な寝顔。


 ――ふふ、眠くなっちゃったんだな。


 風がそっと髪を揺らすたびに、綺麗な銀色がきらきらと光を反射している。


 その輝きは雪の結晶のように、美しい。


 ――気持ちよさそうに寝てる……。


 このまま寝かせておいてあげたいけど、風邪引いちゃうと大変だからな……。

 

「ごめんね、悠、抱っこするよ……」

 起こさないように細心の注意を払って、抱き上げて部屋へと連れて入る。


 その体は思っていたよりずっと、軽くて。俺はこの子を何としても守ってあげたい。と、そう強く思ってしまうほどに。


「あら……悠、寝ちゃったの?」

「綴さん、お疲れ様です」


「おつかれさま、湊。その様子だと、悠と仲良くなれたのかな?」

「そうですね、多分……仲良くなれたと思います」

「そっかぁ、よかったね。俺も、一安心」

 綴さんは、ふにゃりと音が聞こえそうな笑みを浮かべた。


「ふふ、気持ちよさそうに寝てるね」

 愛おしそうに俺の腕の中にいる悠を見た綴さんの声は、すごく優しい色をしていて。

 

「そこのソファに寝かせてあげて。あの角の棚に、ブランケットも入ってるから」

 そう言って、テレビの近くの棚を指差される。

 

「はい、わかりました」

「じゃあ、お願いね」

 悠の頭をひと撫でした後、ひらひらと手を降って綴さんは自分の部屋へと戻っていった。


 言われた通りにソファへとそっと寝かし、持ってきたブランケットを掛けてあげてから、悠が掛けている眼鏡をそっと外して、そばの机へと置く。


 部屋の中には壁掛け時計の秒針の音と、悠の寝息しか聞こえない。

 ブランケットの上から規則正しく胸が上下しているのが見えて、安心する。

  

 こんな優しくて穏やかな時間があるなんて、俺は知らなかった。そしてそれを自分が過ごせるとは、思いもしていなくて。 

 悠の寝顔を見ていると、なぜだか俺も眠くなってきてしまう。


 ――俺も、少しだけ……。

 

 その眠気に抗わず机に突っ伏して目を閉じれば、俺もすぐに眠りの世界へと誘われてしまった。






 とんとんとん――。 


 まな板が包丁に当たる小気味いい音が聞こえて、少しずつ意識が浮上し、目を開ける。


「あ、れ……俺、……」


 ぱさり――。

 

 体を起こしたことで、何かが背中から落ちた。それを手繰り寄せてみると、ふわふわと手触りの良いブランケット。


 ――誰かが掛けてくれたのか……。


 それはきっと何気ないことだったのかもしれないけど、俺には凄く嬉しくて。

 

「……あ、湊。起きたんだね、体は痛くない?」

 声の主は、調さん。

 

「本当はちゃんと寝かせてあげたかったんだけど、そうすると起きちゃうかなって……」

 少し困ったような表情を浮かべ、ごめんね。って謝られる。


「あ、いえ……体はその、大丈夫です。あの……これ、ありがとうございます」

 ブランケットを手に言うと、調さんはふわりと笑う。

 

「ご飯、もうすぐ出来るけど……食べられそう?」


 ぐーっ――。

 

 返事をしようとするより先に、俺のお腹が返事をした。

 

「……はい、お腹空きました」

「ふふ……。よかった、そっち座って待ってて」

「あ、俺も手伝います」

 机に手をついて、ゆっくりと立ち上がる。

 

「ほんと? ありがとう、湊」

 キッチンの方へ行くと、悠が台に乗って鍋の中をかき混ぜていた。

 おたまを握る小さな手がぐっと伸ばされて、味噌を一生懸命に溶かしている。


「おはよう、みなと」

 俺に気付いた悠は、にこりと笑ってくれた。


「おはよう、悠」

 それが俺にとっては、すごく嬉しくて――。

 

 その横で調さんが炊飯器を開けると、湯気と一緒にふわりと甘い香りがして、さらに空腹を刺激される。

  

 カウンターには魚の煮付け、肉じゃがにポテトサラダが人数分の器に盛られていた。


「湊、この辺りのおかずをテーブルに持っていてくれる?」

 俺はお盆を使って大きめに設計されているであろうダイニングテーブルへとおかずを運び、並べていく。

 そこへ悠が味噌を溶かしていた人参と大根の入った味噌汁と、炊きたてのご飯も加わる。


 準備が大方、終わった頃――。綴さんや桜、葵。和くんや燎くんも外から帰ってきて、あっという間に賑やかになるリビング。


「……いただきます」

 温かいご飯を目の前にそう口にすると、自然と背筋が伸びるような気がした。

 

 この言葉が、こんなに重くてあたたかいものだったなんて、俺はずっと……知らなくて。


 ここへ来てから俺を取り巻く世界は、とても優しくなった。

 はっきりと記憶を思い出せたわけではないけど、不思議と日に日にその思いは強くなっていく。

 

 そっと箸を取ると、隣に座ってくれた悠がちらりとこちらを見上げてきた。

 今日少し仲良くなれたからか、昨日よりも俺に向けてくれる表情が柔らかいような気がする。

 

「……これも、たべてみて」

 美味しいよ。と、差し出してくれたのは、とうもろこしの入った調さん特製のふりかけ。

 

「ありがとう」

 やっぱりそれが嬉しくて受け取る手が、ほんの少し震えてしまいそうになる。

 

 誰かが作ってくれた温かいごはんを、こうして誰かと同じテーブルで食べられることの幸せ。


「おかわりもあるから、たくさん食べてね」

 悠を挟んで隣りにいる調さんは優しい笑顔を浮かべ、綺麗な所作で食べ進めながらも、周りのことをすごく気遣ってくれているのがわかる。

 その隣で葵も静かに箸を進めているし、綴さんは向かい側で桜の世話を焼きながら、慣れた手つきで自分の分を食べ進めていく。

 

「うまぁー!」

 正面には幸せそうに食べる和くんと、その横の燎くんも眦は下がっている。


 みんなの声が交じり合って、部屋の空気がほんのりと温かくなる。

 今まで知らなかったはずなのに、どうしようもなく心が落ち着いていく。


 ――生きてていい場所って、こういう所のことを言うのかもしれない。

 

「そういえば、湊は苦手なものとかないの?」

 綴さんの優しい声に、ふと我に返る。


「特、には……」

 言葉が喉の奥で詰まってしまって、上手く答えられなかった。


「おぉ、湊は何でも食べられるんだねぇ……えらい!」

「もぉ……綴。えらいって……湊は小さい子じゃないんだから……」

 和くんは少し呆れた様子だったけど、すごく優しく笑っていて。

 

「つづり! ぼくは? ぼくも、にんじんたべられたよ!」

「桜もがんばったねぇ、えらいぞー!」

 うりうりと桜の頬にふれる、綴さん。そんな笑顔の絶えない、穏やかで優しい光景。


「……あの、俺……こうやって、みんな一緒にご飯を食べられて……すごく嬉しいです」

 そんな光景に俺は……ひとつだけ、どうしても伝えたいことがあって。

 

「それは、俺たちもだよ」

 俺の言葉にふわりと笑ってくれた綴さんと、優しく返してくれた調さん。


「僕もだよ」

「おれも」

「ぼくも!」

 和くんに悠、桜もそう言ってくれて、燎くんも頷いてくれたんだった。

  

 そんな懐かしい記憶が、心の奥で静かに花を咲かせる。

 



 ――悠が小さい頃はあまりにかわいくて、アジト内で合うたびに抱っこさせてもらっていたくらい。


「……んぅ……へへ、みなと……よろこんでもらえて、よかったねぇ……」

 むにゃむにゃと幸せそうに寝言を呟く悠に、俺もつい口角が上がってしまう。


 そんなとき、頭上から穏やかな声が降ってくる。

 

「ふふ、ほんとよく眠ってるね」

「そうだな」

 にこやかな綴さんと、優しい笑顔を浮かべる調さん。


「成長しても、寝顔は小さい頃と変わらないね」

 悠の様子を覗き込む綴さんの周りには、優しい世界が広がっている。


「……湊、少しいいか?」

 それを見守っていたとき、調さんにそう声をかけられた。

 

「はい……」

 俺は二人について廊下へと出ると、先程まで和やかだった空気は一変して、空間に僅かな緊張感が走る。 

 何となく、ここ最近の調さんや綴さんの纏う空気が時々、変化することには気付いていた。


 そしてそこで明かされたのが、人を溶かしてしまう能力者(ギフト)の存在。

 

 聞いたとき、あまりの異様さに息を呑んだ。


 そして今日、燎くんがおそらくそれだと断定される事件の現場に遭遇したらしい。


「……燎くんは、大丈夫なんですよね?」

「あぁ、直接危険な状況に遭遇したわけではないから、問題はないそうだ」

「……そう、ですか……よかった」

 調さんの冷静な声に、思わず入ってしまっていた肩の力を抜いた。


「詳しいことは燎が戻ってきてからになるから、情報共有のために、湊にもその場に同席してほしい」

「わかりました」


「弥には……俺から伝えるつもりだから、黙っておいてくれると助かる」

 調さんの隣りにいた綴さんは少し困ったようにそう、言った。

 

 ――今回の件は、弥にはあまり聞かれたくない話なのか。


「桜や悠、葵はこの事を?」

 念のため、声を潜めて聞く。

 

「桜と葵は、知ってるよ。悠には……まだ」

「……そう、ですか」


「悠にもタイミングを見て伝えるから……」

 綴さんは、言葉を探すように視線彷徨わせた。そんな綴さんの肩に調さんがふれ、俺の方を見る。

 

「今回の事件は、オメガの被験体が関わっている可能性があるんだ」

 その言葉を聞いたとき一瞬、時が止まったような感覚がした。


 ――だから、弥には言えないのか。そう、納得できた。


「……弥は、わかります。でもどうして、悠まで」

 悠の普段の努力を見ているから、少し複雑な気持ちが過ぎり、自然と握った拳に力が入ってしまう。悠を守ってきたのは、この二人だ。

 誰よりも長くそばで見守ってきた存在で、その二人が同じ結論に至っている。

 その事実を前にしてしまえば、浮かんだ言葉は喉で潰れてしまって、悔しさとも違う説明のつかない感情が滲む。


「湊の気持ちは理解できる。確かにあの子は強くなったよ、だけどね……」

 静かな声の後、言葉を選ぶ間。


「悠の能力である幻覚の力では、想像を簡単に現実にできてしまう」

 調さんは、淡々と続ける。


「ただの情報だけじゃ、済まなくなるかもしれない」 

 胸がざわついて、その言葉が心臓に突き刺さった。


 確かに悠の能力は五感に干渉し、認識操作を施して、現実との境界を曖昧にさせるもの。


 ――俺は……そこまで、考えられていなかった。

 

「悠は確かに明るくなったし、よく笑うようにもなった。けどね、全く怖がらなくなったわけじゃない」

 しばしの沈黙を破ったのは、綴さんだった。

 

「……それにね、秘密にし続けるつもりはないんだよ」

 その言葉に思わず顔を上げると、綴さんの視線はリビングの方へ向けられていた。

 

「隠したい訳じゃなくてね、ただ……」

 ほんの僅かな間、言葉を選ぶ時間があって……綴さんの瞳が俺を射抜く。

 

「悠に対しても、弥に対しても……タイミングを大切にしたいだけなんだよ」

 空気が静まる。強い言葉ではないけれど、不思議な重みがあった。


 俺が悠のことを思う気持ちだって、二人と同じだったはず。だけど綴さんや調さんは、もっと先の深い部分まで見ていた。

 無意識に奥歯を噛みしめる。自分はまだ未熟でこの人たちに追いつけていないことを、突きつけられたような気がした。

 同じ場所に立っているつもりだった。だけど経験の差も、覚悟の差も、見えている視界の広さも全然違っていて。

  

 ――俺は、まだまだだ。


 小さく息を吐き、視線を落とす。


「お二人の背中に手が届くまでは、まだまだ遠いですね」

 声に出した音は、自分で思っていたよりも弱々しいものだった。


 一瞬の沈黙、そして――。

 

「……はは」

 最初に笑ったのは調さんだった。堪えきれなかったように、柔らかな笑みを零す。

 

「湊、急に可愛いこと言うじゃん」 

「……可愛いですか」

 珍しく砕けた様子の調さんに少し驚きつつも、俺がそう返すと、綴さんが小さく吹き出す。

 

「いやでも本当に珍しいよ、こんな可愛い湊は」

「ねぇー。いつもは何しても様になっちゃうからね……」

 こういうとき、二人の息はぴったりになる。さっきまでの重い空気は鳴りを潜め、俺のことを少し誂うような楽しげな雰囲気に変わった。

  

「様になんてなってないし、可愛くもないです」

「そぉなのー?」

 どこかふわふわとした声で聞いてくる綴さんは、いつもの朗らかな様子に戻っていて。

  

「まぁでも……そう思ってくれてるなら光栄だな」

 調さんはくすりと笑ったまま、少しだけ視線を細めた。

 

「そうだねぇ……」

 綴さんがぽそりと呟くと、小さな笑いが重なる。

 

 いつもこの二人はただ守るだけじゃなくて、理解をしようとしてくれるんだ。

 今回だって悠の心のこと、能力の性質や性格、考え方。その全てを考慮した上で、二人は答えを出した。

 そしてそれは、誰の時でも変わらない。


 俺の時も、そうだったから――。




 

 あの日のことを今でもはっきりと、覚えている。リヒトへ来て、しばらくして――。


 和くんや調さんの勧めで、俺は「ギフト適応反応測定検査」を受けることになった。


 検査内容は、採血と能力値のスキャン……らしい。


 和くんが注射器や機械を持って、俺の部屋に来てくれた。綴さんも一緒で、二人の醸し出す柔らかい雰囲気も相まって、検査の緊張感は少し和らいだ。


「湊、心配しなくていいよ。少しチクッとすると思うけどすぐ終わるからねぇ、だいじょーぶ」

 綴さんがそばにきてくれて、俺を安心させるようにふわりと笑ってくれる。


「はい……」


「湊、利き手どっち?」

「……右手です」

 じゃあ、左手だしてね。そう言われて、素直に腕を差し出すと和くんは手際よく俺の腕に針を刺した。

 

 痛みは殆どなくて透明な管の中を血が静かに流れていく、採られる量は少しだけ。

 その様子を俺は、ぼぉーっと見ていた。


 注射針が抜けたところに、優しくそっと絆創膏を貼られる。


「これで血液中の神経伝達因子の値を調べるからね」

 和くんの声は落ち着いていて、言葉は難しくて俺には理解できなかったけど信用はできた。

 

「後はこのスキャン装置を使って、適応指数を測定したら終わりだよ」

 そう言って和くんが取り出したのは、小さな機械。薄い金属の輪を手首にはめられて、その少し上に電極パッドのようなものを貼られる。


「じゃあ、測っていくからね」

 和くんが手元のタブレットを操作すると、静かに脈を取るような感覚が伝わってきた。


「痛みはないから、ゆっくり深呼吸しててね」

 和くんに言われた通り、息を吸って……吐いてを繰り返す。 

 手首の奥に微かな熱を感じて、ほんの一瞬……身体の中に光が流れ込むような錯覚。

 

「……適応指数は八十三……平均値より少し高いね」


「八十三……」

 自分のことなのに、実感は全く湧かない。


「この数値の平均は八十二なんだけど、何か能力の片鱗があったりとか、思い当たることはあったりする?」

「……いや、特には……」

 

 ――そもそも……今まで自分が能力者かもなんて、考えたことすらなかった。

 

「そっか、数値的には覚醒してるはずなんだけど、まだ出てきてないのかな……」

 綴さんはお疲れ様と言って、ペットボトルのお茶を渡してくれる。


「波形反応的に、植物系統の能力である可能性が高いかな……あとおそらく覚醒したのは、ここ数ヶ月の間だと思う」

 和くんが、言葉を選ぶように告げる。


 ――ここ、数ヶ月。と言っても、俺はその間に自分に何があったのかを、全く思い出せない。


「だいじょーぶだよ、湊」

 そう言って背中にふれてくれた綴さんの手の温かさに、不安がふっと溶けていく気がした。


「そうそう、それに植物系統の能力は暴走することは殆どないから、ゆっくりと発現を待てばいいよ」

 和くんが装置を外しながら、穏やかに言う。

 

「……あの、数値っていうのは……」

 

「あ、そうだ、そのことを説明してなかったね……」

 適応指数というのは、零から百までの数値で表され、覚醒の可能性が僅かにでもあれば適応反応として必ず一以上の数値が出るが、素質が全くなければ生涯を通して零と決まっているらしい。


 少しでも可能性がある程度であれば、一から二十ほど。

 五十までは可能性があるだけで絶対に覚醒をするわけではなく、五十一から六十九の数値で覚醒待ちの「未覚醒者認定」を受けることになり、七十以降の数値で「特定ギフト能力保持者」として、認定をされるという。

 そして先程言っていた覚醒者の平均数値が、八十二。

 そしてこのアジト内で現在一番高いのが、調さんの九十六。適応値だけでみればリヒトの組織内でも一、二を争う高ランクのギフトなのだという。


 ただそれは調さんには、絶対に禁句だと教えられた。


「適応値はあくまでも、覚醒しているかどうかを調べるためのものだから、そこまで気にしなくていいよ」


 数値が高ければ高いほど能力は強いものになるそうだが、必ずしも能力の強さだけが数値に表れるわけではなく、サクリファイスといわれる代償の大きさも数値に反映される場合があるらしい。

 

「それに、数値が高いほど良いっていうわけではないんだよ……能力が高ければその分、体や精神への負担も大きくなるからね」

 和くんが見せてくれたタブレットには、全員の数値が記載されている。


 調――九十六。綴――九十三。燎――八十九。

 和――九十二。葵――九十五。桜――八十八。

 悠――八十一。


 和くんはそっと、俺の手から端末を回収した。 


 俺が不安を感じないように、だけど嘘はつかないようにと配慮してくれているのがわかる。


「……わかった……ありがとう」


「じゃあ僕は結果をまとめたいから、またあとでね」

 そう言って、ひらりと手を降って和くんは部屋から出ていった。

 

「湊、晩ごはんまで少しお昼寝する?」

 綴さんのふわりとした声が落ちてきて、肩にそっと手を置かれる。

 その体温は、どこか眠気を誘うような優しさがあって安心できた。


「あの……少し風にあたってきてもいいですか?」

 俺がそう言うと、少し驚いたように綴さんは目を瞬かせたあと、すぐにふわふわと微笑んでくれる。


「うん、いいよ。でも体に障るといけないから、あまり長くはならないようにね」

 そう言って俺の頭を軽く撫でてから、綴さんは部屋を出ていった。


 それからしばらくして、薄手のカーディガンを羽織り、俺はリビングへとおりて中庭へと出る。


 風が心地よくて、静かで――。


 ベンチへと座りそっと目を閉じて深呼吸をすれば、体の中の空気が入れ替わるような感覚がした。


 ふと見た目線の先には、花の蕾。


 ――植物系統の能力……ということは、花を咲かせたりできるのかな。


 少し興味が湧いてその小さな蕾にふれてみた、その瞬間――。

 指先に熱が広がり、花びらが震えるようにして開いた。


 ――え、花……俺が……? 


 美しく咲いた白い花びらが陽の光を浴びて、風にふわふわと揺れる。


 あの瞬間、自分の中で何かが反応したのはわかった。だけど不思議と、怖さはなくて。

 でもそれは、嬉しさや悲しさみたいな名前の付けられる感情ではなくて、うまく形容できない感情がふわりと心の奥を通り過ぎていく。

 俺が指先を離しても、花はそのまま咲き続けている。


「……ごめんね、びっくりしたよね」

 誰にともなく呟いた言葉は、柔らかい風にすっと溶けていった――。




  

「湊、ご飯の後に少し時間をもらえるかな?」

 そしてそれから二日後の夜、俺は調さんに声を掛けられた。

 約束通り、ご飯の後に待っていると綴さんが現れる。

 

「湊、時間とってもらってごめんね。調もう少しで来ると思うから、ちょっとだけ待っててね」

「はい……」

 

 ――何を……言われるのだろうか。


 ――元気になったのなら出て行けと、そう言われてしまうのだろうか。

 聞くのが少し怖くなって、逃げ出したくなる。


 ガチャ――。


 廊下へ繋がる扉が開き、コンビニの袋を抱えた調さんが入ってきた。


「ごめん、遅くなった……湊、ほうじ茶は飲める?」

「えっと……その、飲んだことがなくて……」

「そうか。じゃあちょっと甘めにしてみようか」

 そう言って調さんは、キッチンの方へと入っていく。


「ふふ。ごめんね。調は湊に、ほうじ茶ラテを作ってあげたかったらしいんだけど……牛乳切らしてたのにさっき気付いて、慌てて買いに行ってたの」

 まるで内緒話でもするかのような綴さんは、俺が咲かせたあの花のように朗らかに笑って、調さんのいるキッチンの方へと顔を向ける。

 その視線は、すごく優しいもので。そんな綴さんの様子に、少し緊張がほぐれていくのを感じた。


「……ねぇ、湊。君は、ここに残りたいと思う?」

 甘く柔らかな綴さんの声で、静かにそう聞かれた。さっきまで調さんの方を見ていた特徴的な非対称の瞳は、真剣な色を浮かべてこちらを射抜いてくる。


 どう答えていいのか、答えるべきなのか。それがわからなくて。


「……綴、聞くのが早い」

 調さんが俺の目の前に、ことん。とマグカップを置いた。

 

「あは、ごめんねぇ……」

 

「まぁ、湊。これでも飲んで」

「……ありがとうございます」

 マグカップを持ち上げると湯気と共に、香ばしい匂いがふわっと漂う。

 どこか懐かしいような、包み込んでくれるような、ほっとする優しい香り。


 一口飲むとお腹の中に温かいのが広がっていって、強張っていた体の力が僅かに抜けた。


「……湊」

 俺を呼んだ調さんの瞳は痛いほどに真剣で、思わず息をのんでしまう。


「俺たちはね、湊にここへ残ってほしいと思っているんだ……だけど、どうするかは誰でもない湊自身に決めてほしい」


 ――俺が……決めていい。


「リヒトでは、基本的に任務の参加は本人の意志で決めてもらっているんだ。戦うことは義務ではないから、本人が望まない限りは誰も戦わせたりはしない」

 その言葉は、凄くまっすぐなものだった。


「……俺、戦わなくてもいいんですか?」

 調さんは、迷いなく頷いた。

 

「ここでは、湊自身の選択が一番に優先される」


 ――俺自身の選択とは……。何を選べば正解なのか。それが、俺にはわからない。

 今までの俺は、こういう時どうしていたのだろう。


 俺は過去を思い出せないから、本当は選んだことがないだけなのかもしれない。

 頭の中でぐるぐると考えていた俺と、この場の空気を和らげるように、綴さんが小さく笑った。

 

「つまり調が言いたいのはね、自由でいいっていうことなんだよ、湊。ここでは誰かのために動くことも、自分のために休むことも、どっちも間違いじゃないの」

 その声はあたたかくて、心にすーっと沁みていくようで。


 命令ではない言葉――。


「……俺、わからなくて……お二人のように強くもないし……人に優しくできるかも……」


 綴さんは、ゆっくりと首を横に振った。

 

「湊。強さってね、人によって違うんだよ。みんなそれぞれ得意不得意があって、怖くても前に立てる子もいるし、前には出れなくてもそばにいることで誰かを救える子もいる。だから、その答えを焦る必要はないんだよ」


「それに湊は、十分過ぎるほどに優しい子だよ」

 綴さんの言葉に調さんも、ほんの少しだけ表情を緩めた。

 

「綴の言う通りだ。ここではできないことより、どう在りたいかの方が重要なんだよ」

 俺はそっと、自分の手のひらを見つめた。


 もし、俺が持つ力をこの人たちのような優しい人たちの為に使えるのなら……。


 誰かを助けることができるのなら……。

 

 記憶の取り戻せない俺でも、ここにいていいのだろうか。

 

「……俺は……ここにいて、いいんでしょうか」

 思わずこぼれた声は、微かに震えてしまった。


「「もちろん」」


 二人の瞳はとても優しくて、まるで俺が感じている不安をまるごと包み込むようで。


「いいに決まってるでしょ。ここは、誰かのためじゃなくて、自分のために生きていい場所なんだよ、湊」

 

 だからどうしたいかは、湊が決めていい――。


 綴さんのそんな優しくあたたかい言葉は、泣きたくなるような響きをしていた。


「湊の力はきっと、誰かを守れるものだ。だけど今は何よりまず、自分を守るために使ってほしい」 

 そこに調さんの声が、静かに重なる。

 

 調さんの誠実な言葉と、綴さんの優しい言葉。その選び方はどちらも違うのに、それはどちらもあたたかくて。冷たくなった心へ安心感を与えてくれた。


「無理して強くなんて、ならなくていいよ。お花が開くみたいに、ゆっくり進めばいいんだよ」

 その優しさが、言葉が、無意識に鍵をかけた心の奥にじんわりと広がる。

 

 俺はあの日、正式にリヒトへの加入が決まったんだ――。





「湊?」

 はっと顔を上げると、不思議そうに覗き込んでくる和くん。

 

「どうしたの? 何かあった?」

「……いや、何もない」

 小さく首を振る。


「そうなの?」

 まぁ、いいけど……。なんて言いながら、和くんは冷蔵庫へと向かう。


「僕も、タルト頂くね」

 そんな嬉しそうに弾む声。

 

「あ……はい、どうぞ」

 和くんのご機嫌な鼻歌が聞こえてきて、そんな空間は心地よい。


 ――俺も、守られていた。

 

「やっぱりまだまだ遠いな……」

 そんな呟きは穏やかで優しい空気の中に、綿飴が溶けるように消えていった――。

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