番外編 ホットチョコレートと思い出の缶。 悠side
「悠、悪いんだけど……俺の部屋から、任務資料取ってきてくれる?」
ペンを片手に書類を広げ、メモを取りながら電話をしている調に、小さく声を掛けられた。
「わかった、ちょっと待ってて。机の上にある?」
「うん。そんなに急がなくて大丈夫だから、お願い」
「はーい」
そんなやり取りのあと、俺は調の部屋へと向かう。何年かぶりに入る部屋は、記憶にあるものから殆ど変わらず、綺麗に整頓されていた。
「……資料……あった」
頼まれていたものを手にし、部屋を後にしようとしたときにふと棚の方を見ると、お洒落なインテリアの中にある見覚えのある缶に目が留まる。
「これ……」
それは、俺がリヒトへ来て初めてのバレンタインのときに、調にプレゼントしたもの。洋画に出てくるような丸い時計を模した形の缶に、チョコレートが入っていたやつ。
「……懐かし……これ、大切に置いててくれたんだ」
これは俺が七歳の時に和と、桜と一緒におつかいへ行ったときに見つけて、選んだもの。
その缶を手に取ると、当時のことを思い出す。
◆
少し大きめのスーパーで行われていたバレンタインの催事を目にしたときのこと。
「……ばれんたいん?」
小さく呟いた俺の言葉を、隣にいた桜は聞き逃さなかった。
「はるか、ばれんたいんのこと知らないの?」
桜は、首を傾げて不思議そうに聞いてくる。
「しらない……」
「じゃあ、ぼくがおしえてあげる!」
なぜか嬉しそうにする桜は、俺の手を取って走り出す。
俺は言われるがまま、桜の後をついて走った。
「二人とも待って、迷子になっちゃうから……」
かごを持ってくれていた和の声が、後ろから追いかけてくる。
バレンタインコーナーの辺りはピンクや赤のリボンやハートで溢れていて、心なしか甘い匂いもするような気がして。お店の中の一角だけがきらきらとしていて、別世界みたいだった。
「ばれんたいんはね……すきなひとに、ちょこれーとをあげる日なんだよ」
密々とまるでいたずらが成功したみたいに、嬉しそうに桜は笑う。
「……すきな、ひと……?」
「うん」
「……ちょこ……?」
「うん」
「さくらは、つづりにあげるの?」
俺がそう言った瞬間、桜の動きが止まった。数秒の沈黙が流れ、くるりとこちらを見た悠の表情は、ぱあっと明るくなり、瞳を輝かせる。
「はるか、天才じゃん!」
桜は俺の手を取り、引っ張るようにして棚の近くへと二人で駆け寄った。
「もぉ……二人とも、お店の中は走っちゃ駄目だよ」
追いかけてきた和は、少し息が上がっている。
「なごみ! ぼく、つづりにちょこれーと買う!」
「え、チョコ? あぁ、バレンタインね」
和はそう言って、俺たちの前にしゃがんで目線を合わせてくれる。
「悠も、買ってあげたいの?」
「うん……おれも、みんなにちょこ……あげたい」
声は小さくなっちゃったけど、きゅっと自分のお腹の当たりの服を掴んで、ちゃんと言えた。
「いいよ。だけど……二人ともお金はどうするの?」
「……あ」
「……おかね」
そんなこと全然……考えてなかった。それに、お財布……持ってきてない。
「……ぼく……もってきてない」
そんな小さな呟きが聞こえてきて、桜の方を見るとしょんぼりした顔をしていた。
「……まぁ、そうだよね」
和は小さく息を吐いてから、少し困ったように笑う。
「じゃあ、今回は僕が出しておくからみんなの分、仲良く選んでおいで」
そう言って和は、俺と桜の頭を同時に撫でた。
「……ほんと!」
「……いいの?」
弾む桜の声と、俺の声が重なる。
「いいよ」
和は、さらっと言う。
「ありがと、なごみ!」
「ありがと……」
嬉しくて、和の袖をきゅって引っ張ったら、にこりと笑ってくれた。
「なごみもいっしょに選んで……?」
「僕も一緒でいいの?」
「うん、なごみがいいの」
そう言って俺たちは三人で、チョコを選んだ。
綴には、桜が選んだ紫色のリボンで結ばれたホワイトチョコレート。
甘いものが好きな燎には、和と一緒に選んだいっぱい入ってるミルクチョコレート。
葵には、本の形をした箱に入ったビターチョコレート。
調には、俺が選んだ時計の形の缶に入ったルビーチョコレート。
そして和には、俺と桜で一緒に見つけた綺麗な緑色の抹茶のチョコレートを選んだ。
「え……僕のも選んでくれたの?」
なんて驚いていたけれど、和はすぐにふわりと笑ってくれた。
綺麗な袋に入れてもらってから、受け取ると凄く大切なものに思えて、それを大事に抱える。
それから頼まれていたものを買って、和と手を繋いで少しどきどきしながらアジトへと帰った。
◆
「おかえり」
靴をきちんと揃えてから入ったリビングには、葵以外のみんなが集まっていて、とろりと蕩けてしまいそうなあまい匂いが漂ってくる。
「おつかいありがとう。ホットチョコレート作ったから、手を洗っておいで」
「はーい!」
洗面所へ桜は走っていき、その後を和も調に買い物袋を渡してから、ついていく。
初めて聞く名前とあまい香りに心惹かれて、まるで吸い寄せられるようにそばまで行って、調の服の袖をきゅって掴み、混ぜている手元を背伸びして覗き込む。
「……のみもの?」
「そうだよ。チョコレートを溶かして、作ってるんだ」
「ばれんたいん?」
「ふふ、正解。燎のお墨付きだから、美味しいと思うよ」
調は優しく笑って、頭を撫でてくれた。
「……おすみつき、ってなぁに?」
首を傾げて聞くと調は少し考えた後、俺と目線をあわせてくれる。
「うーん……褒めてくれた。みたいな感じかな……」
そう言って、俺にもわかりやすく教えてくれた。
「じゃあ、ぜったいおいしいね」
――かがりがほめたなら、きっとすごくあまいんだろうなぁ……。
「ほら、悠も行ってきな」
俺の肩を優しく叩いて、洗面所の方へと促す。少し急いで洗面所に向かうと、先に手を洗っていた桜が玄関で待っていた。
「はるか、はやく!」
隠すために玄関へとこっそりと置いていたチョコレートの入った袋を、桜は大事そうに抱えている。
「うん」
俺は前に綴から教えてもらった通りに手を洗って、桜と一緒にリビングへと戻った。
「つづり! これ、あげる」
「桜、ちょっと待って……」
桜は一目散に綴の方へと向かい、チョコレートを差し出そうとするが、そばで見守ってくれていた和にとめられる。
「順番でしょ。それに、悠と一緒に渡そうね」
どっちが誰に渡すかで、喧嘩にならないようにと帰り道に三人で決めた約束。
「……あ、そうだった……」
ぽつり。と呟いたあと。
「……ごめんなさい」
しゅん、っと桜の肩が落ちた。
「ほら、一緒に渡してね」
和は小さく笑ってから、俺たちの肩に手を置く。
「……いこ、さくら」
俺が小さく言った言葉に桜は頷いて、二人並んで歩き出す。
心臓がどきどきして、緊張する。
「つづり!」
「……あのね」
綴の前に立って俺たちは、チョコレートを差し出した。
少しだけ手が震えちゃったのは、内緒。
「わぁ……! ありがとう、二人とも」
ふにゃりと優しく笑って、綴は頭を撫でてくれる。
次は燎のところ。
「かがり、これ……」
「ぼくたちが、えらんだんだよ!」
桜が満面の笑みで、言った。
「嬉しい! ありがとう、悠、桜」
その桜の笑みに負けないくらい、燎も嬉しそうにしてくれて。
その次は調のところ。
「「しらべ」」
調の名前を呼ぶ声が、重なる。一瞬、二人で顔を見合わせ、笑う。
それから、一緒にチョコレートが入った缶を差し出した。調はしゃがみ込んで、俺たちの目線に合わせてくれる。
「ふふ。ありがとう」
そう言って、大切そうに受け取ってくれた。
「ねぇ、しらべ……あおいは?」
桜がそう聞くと、調は少し考える素振りをしてから言う。
「葵は部屋にいるから、後で一緒に渡しに行こうね」
「……そうなんだ、ちょこ……よろこんでくれるかな」
俺のそんな言葉に、調は微笑んでくれる。
「きっと、喜んでくれるよ」
調はそっと、髪を梳くように撫でてくれた。
「桜、悠」
「こっちにおいで」
そんな事を考えていたら燎に呼ばれて、ちょいちょいと綴に手招きされる。嬉しそうにしている桜は吸い寄せられるように、綴のもとへと向かう。
俺もそれについて、後を追う。二人の手には、チョコレート。
「これ、二人に」
燎からは、車の形のもの。
「チョコレートのお返しだよ」
綴からは、ねこさんのチョコレート。俺と桜にそれぞれ、一人ひとつずつ。
「僕からは、これね」
和からは、棒にささったカラフルなドーナツみたいな形のチョコレートをもらう。
「え、いいの……」
桜は驚いてたけど、すぐに目を輝かせていた。俺も嬉しくて、貰ったチョコレートを大切に抱える。
「……ありがと……つづり、かがり、なごみ」
初めてもらうバレンタインのチョコレートは、きらきらと輝く宝物みたいで。食べちゃうのが、もったいなくて。
「さぁ、みんなでお茶にしよう」
机の上に貰ったチョコレートを並べて眺めていたら、調がお盆に乗せて人数分のマグカップを運んでくる。
「これは、俺から」
ことん。と音をたてて置かれたコップからは、ほわほわと湯気が上がっていた。
「……あったかい……」
マグカップを両手で包むと、じんわりと伝わってくる熱に、俺は小さく息を吐いた。
ふわりと立ち上る、溶けたチョコレートの甘い香り。
そっと顔を近づけると、鼻先をくすぐる優しい匂いに、思わず口角が上がる。
――さっきみて、たのしみにしてたやつ。
隣では桜が同じようにマグカップを両手で抱えているのだが、その表情は真剣なものでじーっと湯気を見つめていた。
「ふー……ふー」
少しでも冷ましたいのか、一生懸命に息を吹きかけている。
俺はその様子を見て、くすりと笑ってしまう。
「……さくら」
「なぁに?」
「……いっしょだね」
ふー……ふ――。
そう言ってから、俺も小さく息を吹きかけてみせると桜が笑ってくれた。
「……おそろい?」
「だね……」
そんなふうにして、また笑いあう。桜と仲良くなれて、こんな話をできるようになったのが嬉しくて。
向かい側には顔を綻ばせている燎と、その横でマグカップを両手で包んで飲む和。それを見て微笑む、調。マグカップを片手に、にこにこと桜の話を聞いてあげる綴。
――みんなが大好き。
そんな誰にも聞こえない、小さな本音。
俺はマグカップを、そっと持ち上げた。唇にふれる熱と、とろりとした甘さが心をふわりと包み込んでくれる。
「……おいしぃ……」
「喜んでもらえて、よかった」
調がふわりと微笑む。
あのとき飲んだホットチョコレートはあまくて、幸せの味がしたんだ――。
◆
「あの後、調と一緒に葵にも渡しに行ったら、葵もちゃんとお返し用意してくれていて、嬉しかったんだよねぇ……」
宝物みたいな日々を、今までたくさん積み重ねてきたんだなぁ……なんて。少し感慨深くなる。
「そうだ、資料はやく持っていかないと」
俺は手に取った缶をそっと戻して、調の部屋を後にした。
――そうだ。もうすぐバレンタインだし、みんなにあげるチョコレートを買いに行こう。
――あのときのお礼も兼ねて、和の分はちょっとお高いやつにしようかなぁ……。
調に資料を届けた後。そんなサプライズをこっそりと計画するため、スマホで催事を調べるのだった――。




