俺の大切な宝物。 悠side
結果的に、俺たちのサプライズは大成功だったと思う。綴も、調も喜んでくれた。それだけで、心の奥の方がじんわりとあたたかくなって、並んで良かったと思える。
後片付けも終わり、ソファでゆっくりとしていた夕方頃。今日は朝から早起きをしたから、少しうとうととしてしまい、たまらず俺は横になった。
少しずつ意識が薄れていくとき、そっとブランケットを掛けられる感覚がして、その次に優しく頭を撫でられる。
あたたかくて、それだけで不思議と涙が出そうで。
小さい頃に戻ったような懐かしい感覚になって、あの頃の記憶が眠りの縁で微かに揺れた。
◆
調が助けてくれた次の日、俺が必要なものを買いに行く道中――。
左手を綴、右手を燎が繋いでくれている。
燎の手は大きくてすごく安心するし、綴の手はあたたかくて、燎に比べると細いけどとても優しい。
こんなふうに両手を繋がれたことなんて、今まで一度もなくて。守られているみたいにして歩くのは、胸の奥がくすぐったい。
自分の足元を見ていたらふと、今日の朝のことを思い出す。
ずっと気持ち悪いって言われてきたこの髪と目を、燎はかっこいいって言ってくれた。
「あんたの目も、髪も気持ち悪いからこっちをみないで」
だけどおかあさんはいつも俺の髪と目を嫌がっていたから、まだ完全には信じられていなくて。
綴の横顔を見上げ勇気を振り絞って、小さな声で聞いてみた。
「……ねぇ、おれの髪……つづりはどう思う?」
――もし、いやだっていわれたらどうしよう……。
言ってから、怖くなった。
「悠の髪……? そうだねぇ、天の川みたいにきらきらしてて、綺麗だと思う」
綴は少しだけ目を丸くしたけど、すぐにふわりと柔らかい声と笑顔にかわる。
――あまのがわ?
初めて聞いた言葉だったけど綴の表情を見て、きっとそれは綺麗なものなんだろうってすぐに分かった。
「……ありがと」
恥ずかしくて目をそらしちゃったけど、綴は握っている手にぎゅっと力を込めてくれる。
「どういたしまして」
その優しい声につられて、綴の方を見ればにっこりと優しい笑顔を浮かべていた。
「つづり……あまのがわ? ってなぁに?」
「お空にいっぱいのお星さまが広がっていて、それが川みたいにみえるんだよ」
――お空にある、お星さまの川?
「……おれもあまのがわ、みてみたい……いつみられるの?」
「そうだねぇ、夏にみれるらしいから、暑くなったらみんなで見に行こう。俺も実際には見たことないから、楽しみだなぁ」
約束ね、なんて言う綴。はじめて未来の約束ができて、この先も俺と一緒にいてくれるんだって思ったら、嬉しくて。
向かった先の電車の駅には人がいっぱいいて、すごくがやがやしてた。
天井が高くて足音や声も響いて、緊張でおなかがきゅうってする。
「悠の分の切符を買ってくるから、ちょっと待っててね」
綴がそう言って、切符の機械の方に行くのを燎と一緒に少し離れたところで待っていた。
すぐに綴は戻ってきて、小さな紙を渡される。
「……これでのれるの?」
「そうだよ。これが切符」
俺はどきどきして、もらった切符を落とさないようにぎゅっとにぎった。
改札を先に通った綴が待ってくれていて、燎がここにいれるんだよって教えてくれる。
そこへおそるおそる切符をいれると、すぐに勢いよく出てきてびっくりしたけど、俺はそれを取って綴のところへ走る。
「上手にできたね、悠」
ちょっと怖かったけど綴はたくさん褒めてくれて、俺の中での怖さは、すぐに嬉しさへと変わった。
電車がくるところに出ると、飛んでいっちゃいそうなくらいの強い風がふいて、思わず綴の手をぎゅっと握る。
人もいっぱいで、迷子になっちゃったらどうしよう……。
綴と燎から、もし離れちゃったら……?
――ちょっと、こわい……。
足が上手く動かせなくなって、とまってしまったその時。ふわって体が浮き上がって、優しい匂いに包まれる。
「大丈夫だよ、悠」
綴の優しい声が耳元で聞こえて、抱っこされたことに気付く。
腕の中はあったかくて、すごく安心できた。
「燎もいるし、すぐだよ」
そう言って優しく背中をたたいてくれるから、俺はこくんって頷いて、綴の首にぎゅっとしがみつく。
「……でんしゃ、おちない?」
「ふふ、おちないよ。だいじょーぶ」
――綴の声、不思議とすごく落ち着く……。
その声を聞いてると、胸がきゅってなってたのがなくなっていく。
電車が停まってぷしゅーって音をたてたのに、また少しびっくりしちゃったけど、綴が抱っこしてくれてるから平気だった。
「一緒に乗ろうね」
耳のすぐ近くでそう言われて、綴の服をきゅっと掴む。
電車の扉が開いて乗り込んだ先には、たくさんの人がいたけど、抱っこされているからか、そんなにこわくなかった。
「綴、こっち空いてるよ」
燎が空いた席を見つけてくれて、綴はそこに俺をそっとおろしてから二人は俺を挟むようにして、座ってくれた。
電車はゆっくりと動き出して、窓の外には知らない景色が流れていく。
「はじめての電車、ちゃんと乗れたね」
「頑張ったね、悠」
綴も、燎もすごく褒めてくれる。二人の優しい笑顔が嬉しくて、俺は小さくうなずいた。
しばらく電車に揺られ、目的地に着いて降りると、ふわっとやわらかい風に包まれる。
「悠、おいで」
そっと綴は手を差し出してくれて、俺がその手を取ると優しく包みこんでくれた。
歩く道の両側にはお店の看板や飾りがいっぱいあって、はじめて見るものばかり。
わくわくする気持ちと、少しこわい気持ちが入り混じる。
「この道をまっすぐ行ったら着くよ」
「疲れたら、教えてね」
燎は歩きながら俺の方を覗き込んできて、綴もやさしく声をかけてくれた。
信号を渡るとき綴が手を繋いでくれているけど、車や人の流れにまだ慣れなくて、足が上手く動かせない。
「おいで、悠」
綴がそっと抱っこしてくれて、また安心感がふわっと胸に広がった。
「もうすぐだよ、ほら! あそこ!」
少し前を歩く燎が、指差して教えてくれる。
そっと降ろされて見えたその先には、見たことないくらい大きな建物が見えて、人がいっぱい出入りしていた。
「悠、行けそう?」
綴に聞かれて、俺はこくんと小さくうなずいた。でも前に進むのが、少しだけこわい。
「俺も、綴も一緒だから大丈夫だよ、悠」
燎も俺の手をきゅっと握ってくれて、綴も繋いでくれていた手に力を込めてくれた。
高いガラスの壁に、二人に手を繋いでもらっている自分が映っている。
それはすごく不思議な感じがしたけど、とても嬉しくて。手にきゅっと力を入れたら、二人が優しく笑ってくれた。
足を踏み入れた建物の中は天井がすごく高くて、きらきらしてる光もいっぱいで、少し眩しい。
いろんな色の看板や商品がたくさん並んでいて、どこを見ればいいのか分からなくなりそうだった。
「……すごい」
思わず小さく声がもれて、きょろきょろと周りを見回す。
エスカレーターを上がると、売り場にはずらっと背の高い棚が並んでいた。
凄く広くて、もし二人から離れてしまったらまたひとりぼっちになってしまう気がして、はぐれないように俺は綴の手をずっと離さなかった。
「ここで、必要なものをそろえようね」
そう言って買い物かごを手にした綴の手から、燎がそっと受け取る。
「綴、かごは俺が持つよ」
「ありがとぉ、燎」
にこりと笑う二人のそんな何気ないやり取りが、すごくあたたかいものに見えた。
おかあさんも、施設の人もみんな自分のことしか考えていなかったのに、ここにいる人は全然そうじゃない。
「悠、欲しいのがあったら教えてね」
「そうだよ、ここに入れていいからね」
燎も俺の方を見て言ってくれるけど、ほしいものなんてわからない。
今まで自分の物を選ぶことなんてなかった。初めから全部決められていて、触ることすら許してもらえないことが当たり前だったから。
――どうしたらいいのか、わからない。
喉がきゅうっとなって、下を向いてしまう。
「よし! じゃあ、調が作ってくれたリスト通りの順番で行こうね」
そう言っていっぱい字が書いてあるスマホの画面を、綴は見せてくれた。
「最初は、歯ブラシ……」
売り場を探すためにきょろきょろと周りを見渡す、綴の優しい声に少しほっとする。
――よかった。つづり、怒ってない。
「あっちじゃない?」
燎が指差す方向へ綴と手を繋いで一緒に向かうと、そこにはいっぱい歯ブラシが並んでいて、迷ってしまう。
「これはどう?」
燎が緑色の歯ブラシを選んで、渡してくれる。俺はそっと受け取ると、心がきゅうってなる。
――これが、おれの。
「うん、これがいい……かがりが、えらんでくれたの」
そう言うと、燎が少し照れたように笑ってくれた。
「悠は、緑色が好きなの?」
俺の隣にしゃがみこんで優しく笑ってくれる、綴。
「うん、みどり……すき」
「いいね、俺も緑好き」
二人と一緒に少しずつ選んで、自分のものがかごに増えていくのは不思議で。だけど同時に、胸の奥があったかくなる感覚もあって――。
その後も二人は急かしたり、イライラしたりせずにゆっくりと選ばせてくれた。
「これ、……」
小さな声で呟くように言うと、綴はにっこりと笑ってくれる。
「うん、それいいね」
その言葉に、心がぎゅってなった。今まで誰も、そんな風に言ってくれたことなんてなくて。
服のお店でシャツやズボンを選んでいると、どれも素敵に見えて着てみたいなって思う。
――ほんとに……いいのかな。
だげどずっとそう、心の奥で聞こえてくる。
綴が選んでくれた紺色のトレーナーを胸に抱えたまま、思わず立ち止まってしまう。
「悠? どうした?」
燎がそっと俺の顔を、のぞきこんでくる。唇をかんで、小さな声で言った。
「……おれが、こんなの……もらっていいの?」
自分の物なんて、持ったことがない。服を買ってもらった記憶なんてないし、施設では誰のかもわからないおさがりを着てた。
自分で決めちゃいけないって、俺なんかが選んじゃ駄目なんだって、ずっと思ってた。
「もちろん。俺たちが、悠に貰ってほしいんだよ」
燎の表情は、俺が今まで見てきたものとは全然違っていて、優しくて。
「そうだよ。それにこれからはね、悠のものは悠が選んでいいんだよ」
隣で綴も頷いていて、しゃがみこんで目線を合わせてくれた。
その言葉を聞いた瞬間に胸の奥がじんと熱くなって、涙がじわっとあふれそうになる。
だけど今泣いちゃったら、きっと二人を困らせてしまう。だからいっぱい瞬きをして、必死に我慢した。
「……おれ、これが……いい」
少し声が、震えてしまう。
「うん、それにしようね。悠に凄く似合ってるよ」
だけど綴は何でもなかったように、優しく笑って頭を撫でてくれる。
心がふわりとあったかいものに包まれて、悲しくないのにきゅーってなって思わず、俺はトレーナーを抱きしめた。
「それ、悠に似合いそうだね」
「いいね、悠にぴったり!」
綴も、燎も優しく言ってくれる。
自分のものを選ぶということが出来るのは、こんなに嬉しいんだって初めて知った。
ここで揃う必要なものを全て選んでレジへと向かうと、画面に数字がたくさん並んでいく。
それをみていると段々不安になってきて、綴の服の裾を掴む。
――やっぱり、おれ……こんなにいらな、い。
そんな言葉が、喉のところまで上がってきた。
俺のために誰かが、お金を使うことなんて今までなかった。
お金はとても大切なもので、稼ぐのはすごく大変だから何もできない俺に使うのは無駄だ、もったいないと言われてきた。
だから今も本当にいいのかなって、心配になる。
「ねぇ、悠。これはね、俺も、燎も悠に似合うと思ったから一緒に選んだんだよ。だからね、遠慮はいらないよ」
綴が会計の最中に後ろを振り返って、やさしく目を細めてくれた。
「そうだよ、俺たちが欲しくて買ってるんだから。悠が着てくれたら、それだけで嬉しいんだよ」
燎もにこりと、笑ってくれる。
「……うれしいの?」
思わず聞き返すと、燎は頭を撫でてくれた。店員のお姉さんも微笑んでくれて、少しくすぐったくて。
だけどそれが、すごくうれしい。
「ありがとうございます」
商品を受け取った綴がお姉さんに言った後ろで、俺も小さく頭を下げると、手を降ってくれた。
左手は綴の服の裾を掴んで、右手で手を振りかえす。
「ふふ。次行こうか、疲れてない?」
「うん、つかれてないよ」
また綴のあたたかい手が、俺の手を包んでくれる。
その優しいぬくもりにまた泣きそうになったけど、ここで泣いちゃったら、絶対に困らせてしまう。だから、二人にバレないようにぎゅっと唇をかんで耐えた。
けどこれだけは、どうしても言いたくて。
「つづり、かがり……ありがと……」
小さな声になっちゃったけど、そう言えば二人はすごく嬉しそうに笑ってくれた。
その後は布団やタオル、お箸、コップ。学校に通うことになれば必要な、文房具やお弁当箱なんかも選んだ。
燎がたくさんの荷物を持ってくれて、綴はずっと手を繋いでいてくれた。
人がいっぱいいて少し目が回ったが、綴が「大丈夫?」って聞いてくれるたびにぎゅって手を握って、こくんってうなずく。
俺にとって全部が初めての経験で、時間はあっという間に過ぎていった。
「燎、悠、そろそろお昼ごはん食べようか」
「そうだね、悠は何が食べたい?」
燎が聞いてくれたけど、俺は答えられなくて。食べたいものなんて、よく分からない。
今までお腹いっぱいに食べられたことなんて、ほとんどなかったから。
「うーん……あんまり重たいものだと、悠の胃がびっくりしちゃうかもしれないよね……」
唇の下に添えるように人差し指を当てて、綴は考えてくれる。
「綴、ここスープの専門店とかあるよ」
燎が近くのマップを見て、お店を見つけてくれた。
「よさそうだね、悠はどう? ここ、あったかいスープとパンのお店なんだって」
俺が選んでいいんだって思った。今までは、出されたものを黙って食べるしかなかったから。
「あとは……あ、うどんとかもあるね」
二人は俺に、選択肢をくれる。
「おれ、すーぷのおみせがいい……」
「じゃあ、スープのお店にしようか」
「そうだね、そこにしよう」
燎は場所を確認してくれて、先に歩き出した。綴は俺の手をぎゅっとにぎりなおして、一緒に着いていく。
初めて入るごはんのお店に緊張したけど、綴と手をつないでいるから安心できた。
「悠は、どれがいい?」
席に座ると、綴がメニューを開いて見せてくれた。
「カボチャ、とうもろこし、トマト……海老のクリームスープとかもあるよ」
「……おれ……とうもろこしのやつが、いい」
うすい黄色のスープを指差した。
「パンも食べてみる? もし悠がお腹いっぱいで食べれなくても、俺が食べるし」
俺はこくんと頷いた。
「俺はどうしようかな……」
燎は結構迷っていたみたいで、最終的にカレーに決めていた。
しばらくして運ばれてきたスープはやさしい匂いがして、お腹がくうって鳴る。
朝ごはんのときに綴が食べさせてくれたのを思い出したけど、またしてほしいって言うのは俺のわがままかな……。
そんなふうに考えてスープをじーっと見ていたら、綴がそっとスプーンを取った。
「まだちょっと熱いかなぁ、ちょっと待ってね」
綴はスプーンで少しすくって、優しく息を吹きかけてから、俺の方に差し出してくれる。
「はい、悠……あーん」
心がきゅーっとして、俺はためらいながらも口を開けた。
スープは少し甘く優しい味がして、お腹の奥へあったかいのがじんわりと広がる。
「おいしい?」
正面で燎が、にこにこ笑って聞いてきた。
「……おいしい」
「ふふ、よかったぁ」
俺はうなずいてから、小さく言うと綴は笑ってくれる。
パンも小さくちぎって食べてみたら、ほんのり甘くてふわふわしてた。
「悠、俺のも食べてみる? トマトのやつ」
食べてみる? なんて聞かれたことがなくて、どう答えていいのかわからない。
「……いいの?」
「もちろん!」
小さな声でそう聞いたら、綴はふわりと笑ってまたあーんってしてくれた。
トマトはあまり食べたことがなくて、少し酸っぱいけど美味しい。
「俺のも食べてみる? 悠には、ちょっと辛いかもしれないけど」
燎も自分のカレーを少しだけスプーンですくって、口元に持ってきてくれる。
ちょっとだけぴりっとしたけど、思っていたよりも大丈夫だった。
「……おいしい」
二人は「でしょ?」って同時に笑う。その笑顔があったかくて、俺も思わず笑顔がこぼれた。
――分けてもらえるって、こんなに嬉しいんだ。
その気持ちを胸にしまいながら、俺は綴の袖をぎゅっと握った。
「ごちそうさまでした」
食べ終わりお店を出て、フードコートの一角を通っていた時、燎の目が輝いた。
「アイス……!」
「どれがいいの?」
綴が柔らかい声で、燎に聞いていた。
「……え、いいの?」
「いいよ? 燎、荷物いっぱい持ってくれてるし」
「やった!」
ショーケースを見に行く燎と一緒に俺も覗き込めば、白っぽいケースの中は少しだけ眩しい。
だけど綺麗な色のアイスクリームでいっぱいで、すごくわくわくした。
――俺も、食べてみたいな。
そんなわがままは、心の奥にしまう。
「悠は、どれがいい?」
「……え……おれも、えらんでいいの?」
「もちろん、悠は冷たいもの食べるとお腹がびっくりしちゃうかもだから、俺と一緒に食べようね」
――うれしい。どれにしようかな……。
赤や青、ピンクと白に緑。黄色とオレンジ、黒や紫色のもあった。
「……ねぇ、つづり。あのピンク色は何味?」
「あれは……いちごだって。それにする?」
「うん!」
綴がお金を払い終えて、店員さんから二つアイスを受け取って、ひとつは燎へ、もうひとつが俺の方へと差し出される。
「はい、悠、どーぞ」
俺の手には少し大きい三角、ふれた指先は少しひやっとした。
「わぁ……ほんとにたべていいの?」
「もちろん」
思わず聞いちゃったら、綴はふわりと笑ってくれる。
そっとひとくち食べてみたら冷たくて、甘いのがふわって広がって、幸せの味がした。
――こんなにおいしいの、はじめてたべた。
「ねぇねぇ、悠。あー」
口を開けて待つ綴の前にアイスをすくって持って行くと、ぱくりと食べられた。
「わ……!」
「ふふ、美味しいね」
そう言ってにっこりと笑ってくれる綴に、口元がむにゅむにゅしちゃう。
だけど段々と溶けてくるのに、食べるのが追いつかなくなってきて、色んな方向からアイスがたれる。
手にぽたって落ちて、慌てていたら服にもこぼしてしまった。
「あ……」
どうしよう……食べ物をこぼしたら、怒られちゃう。
また、叩かれる……。
あ、謝らなきゃ……。
「ごめんなさい、ごめんなさ……」
こわくて、二人の顔が見られなくて……声が震えてしまう。
また、きらわれちゃう……。
いやだ……こわい……。
俺は現実から逃げるように、ぎゅっと目を瞑った。
「あちゃー、こぼれちゃったねぇ。ちょっと、待ってね」
「コーンは、ちょっと難易度が高かったね」
「……え」
綴も、燎もおこってない……?
「どうしたの? 悠、冷たいもの食べてお腹痛くなっちゃった?」
綴の優しい声が、聞こえた。
――おれの事、怒らないの?
感情がぐちゃぐちゃで、涙が溢れてとまらない。だから、必死に首を横に振るしかできなかった。
「ちょっ、なんで泣いてるのー? どうした、悠」
「え? どうした?」
優しく頭を撫でてくれる綴と、俺のことを覗き込んで心配そうにしてる燎。
「こ、ぼしたのに、おこらな、いの……?」
恐る恐る聞けば、二人は顔を見合わせていた。
「え……なんで、怒るの?」
少し首を傾げ、不思議そうにしている綴。
「俺、これくらいで怒ったりしないよ?」
綴はハンカチでこぼしたアイスを綺麗に拭いてくれて、これで手を拭いてねって、ウェットティッシュも渡される。
「まぁ……こぼしたら、べたべたしちゃうから悠がお家帰るまでは気持ち悪いかもしれないけどねぇ」
お洋服は、洗濯したら問題ないよ。なんて言いながら、優しく目元の涙を親指で拭ってくれる。
「桜の方がもっと、派手にこぼすよ」
へにゃり眦を下げて優しく笑う、燎。
――なんで?
――おかあさんは、おれがものをこぼすと凄く怒ったよ?
叩かれたり、怒鳴られて酷い時には蹴られたりもした。
施設にいた時も、こぼしたりすると悪い子だって言われて、暗い部屋に閉じ込められたりしてた。
だから、それが普通なんじゃないの?
「おれ、わるいこじゃない……?」
「んー? 悠は悪い子じゃないよ。むしろしっかりしていて、良い子すぎるくらい」
――おれ……ほんとにいいこ?
おでかけする前に燎と調もそう言ってくれたけど、まだわからない。
おれの事なんて誰も必要としてないんだと、ずっと思ってきたから。
「いい子の悠くんを、お兄さんが抱っこしてあげよう。ほら、おいで、悠」
――なんで、みんなおれに……やさしくしてくれるの?
「みんな、悠の事が大切だからだよ」
言葉にしたつもりなかったのに、綴がこたえてくれた。
――つづりは、まほうつかい……なのかな。
「つづりは、おれのこころがよめるの?」
「んー? 流石に心は読めないかなぁ」
ふふ。っていたずらっぽく笑う綴。
「でもね、大好きな人の事はいっぱい知りたいから悠の事も、もっと色々教えて欲しいなぁ」
誰かに「大好き」なんて、言われたことがなくて。嬉しくて少し恥ずかしいような体感したことのない感覚を誤魔化すために、俺は綴の胸のところに顔をうずめた。
ふわっと優しいにおいがして、どきどきうるさかった心臓の音が落ち着いていく。
何してる時が好き? とか、悠の好きな食べ物は? とか色々な質問を俺の事を抱っこしたまま、綴は聞いてくれる。
途中までちゃんと答えてたけど規則的に揺れる、温かい腕の中はすごく安心できて、心地よくて。
買い物をして疲れた体は睡魔には抗えなくて、気がついたら俺は夢の中にいた。
ふわりとした世界で規則的な心臓の音と、やさしくてあまい匂い。
こつん――。
そんな音が聞こえて目を開けると、玄関の白い床が見える。
「ただいま」
聞こえた声は、綴の声。
綴は俺を抱っこしたまま、片手で器用に靴をぬいでお家へ上がる。
「……ん? あ、れ……?」
「あ、ごめんね……起こしちゃったかな。おかえり、悠」
綴は少しびっくりしていたけど、すぐにやわらかく微笑んでくれた。
「……た、だいま……おかえりなさい、つづり」
小さな声で言ったら、優しい声がかえってくる。
「ただいま、悠」
何気ないその言葉に、心がぎゅっとした。
「よく寝てたね、悠。そういえば調も、もう少しで帰ってくるらしいよ」
そっと玄関に下ろされて、靴を脱がしてもらう。
さっきまであったぬくもりがなくなってしまったのがさみしくて、まだ少し寝ぼけていた俺は無意識に綴へ腕を伸ばしてしまっていた。
「抱っこ? ふふ、おいで」
綴は俺のことをふわって持ち上げてくれて、また優しく抱きしめてくれる。
そのまま洗面所まで連れて行ってもらって、洗面台の前で降ろしてもらう。
「ちょっと待っててねぇ」
綴はそう言って近くの棚から小さな踏み台を出してきてくれて、俺の足元に置いてくれる。
「ここに乗ってみて、これなら届くよ」
手を引かれて踏み台に上がれば、ほんの少し高くなった景色が見えて、蛇口に手が届いた。
綴が水をだしてくれて、もこもこの泡を手にのせてくれる。
「上手にできたねぇ」
手を洗えただけで、褒めてくれるの? 今まで怒られたことはあっても、褒められることはなかったのに。
「お家に帰ってきたら、これを使って手を洗ってね」
ふわふわのタオルで手を拭けば、綴はまた抱っこしてくれた。
心がぽかぽかして、綴のぬくもりとが重なって、ふわふわする。
「よいしょ……悠のお部屋、行こうね。燎も待ってるよ」
こんなに甘えさせてもらって、抱っこしたまま連れてってもらうのも、俺には初めてのことで。
綴の穏やかな声は、すごく安心させてくれる。
俺の部屋だと言われたところに、連れて行ってもらえば、そこでは燎が先に買ってきたものを開けて、整理してくれていた。
「おつかれさま。こっちおいで、悠」
燎に手招きされて、名前を呼ばれる。綴はそっとおろしてくれて、俺はおそるおそる「自分の部屋」に足を踏み入れた。
昨日の夜、調と一緒にこの部屋で寝たけど、まだ全然実感が湧いていない。
燎と一緒に買ってきたものを袋から出して、それを綴が順番に片付けてくれる。
ベッドの布団に俺の選んだカバーを掛けてくれて、クローゼットには二人と選んだ服が仕舞われていく。
机の上や天井に突っ張られた棚にも、今日買った色々なものが置かれて、部屋が少しずつ完成に近付く。
その光景に俺の心臓は、すごくどきどきしている。ひとつひとつ仕舞った場所を教えてくれる綴に、勇気を出して言ってみた。
「……おれも、手伝う……」
「ありがと! すごい助かるよ、悠」
今までお手伝いしたいって言っても、邪魔しないでって怒られてばかりだったのに、本当に嬉しそうに目を細めて綴はそう、言ってくれた。
「そうだね……じゃあ、この子を好きな場所に飾ってくれるかな?」
にこっと笑いながら、しろくまさんのぬいぐるみを渡される。
その子はふわふわで、胸のところに星のワッペンがついていて、袋から出してぎゅっと抱きしめると、ふわってあたたかい気持ちが広がっていく。
――どうしよう、どこがいいかな。
棚の上? ベッドの横? 俺はすごく迷って、ベッドの枕元にそっと置いてみる。
緑色の星柄のカバーの布団にしろくまさんはぴったりで、胸についてる星のワッペンがすごくかっこよくて。それはすぐに、俺の宝物になった。
「わぁ! いい場所に置いてくれたね、ありがとう」
しろくまさんがそこにいるだけで、うれしくなる。
部屋のお片づけが終わってベッドの上に座り、しろくまさんを抱っこしていたとき。
「悠、こっちおいで」
綴がそう言ってちょいちょいと手招きをされる。呼ばれたから素直に近づくと、横幅の広い小さめの紙袋を渡された。
「……? これ、なに?」
袋の中には縦長の箱のようなものが入っているが、それが何かは分からない。
「開けてみて、悠」
そっと箱を取り出し開けてみれば、そこには眼鏡が入っていた。
「めがね……?」
丸い形の細めのフレームに、うすい青色のレンズのもの。
「これね、眩しさを抑えてくれるらしくてね。悠の目の色は光にあまり強くないらしいから、あると少しは楽になるかなって思ったんだけど……」
ごめんね、今日色々と眩しかったよね……? なんて言うから、俺は驚いた。
なんで、わかったんだろう。確かに俺は明るい所……天気の良い日とか、外に出ると眩しくて目を開けていられないことも多い。
照明の光も苦手だし、真っ白な壁とかも、じっと見ていられない。
だけどそれを、誰にも言ったことはなかった。それを言えば、もっと嫌われてしまう気がしてずっと隠してた。
――なのに、なんで綴は分かったの?
「ありがとう……やっぱりつづりは、まほうつかいみたい」
「魔法使いかぁー、それもいいなぁ。便利な魔法いっぱい使えるし、移動とか楽になりそう」
冗談ぽく言ってから、ふふって優しく笑ってくれた。
「悠、それかけてみてよ」
横で話を聞いていた燎に言われ、眼鏡を両手で持ってそっと耳にかけてみると、俺には明る過ぎる世界が少し暗くなって、光がちくちくしない。
「どう……かな?」
少し不安そうな綴の声。
「……すごい……あんまり、まぶしくない」
「よかったぁ……似合ってるよ」
柔らかい綴の声は、やっぱりとても落ち着く。
俺のことを見て、気にして、考えてくれてた。そしてそれを心配してくれて、こうやって対策のために眼鏡まで用意してくれた。
嬉しい気持ちがあふれて、とまらなくて。
「ありがとう……つづり」
震える声で言うと、綴はぎゅっと俺を抱きしめてくれた。
泣くのを必死に我慢しようとしたけど目の前がぼやけてきちゃって、熱いものが瞳に集まってきてしまう。
眼鏡を通して見る世界はまだ見慣れないけど、不思議とあたたかく感じて、すごく安心できる色だった――。
◆
「悠、起きて」
綴の優しい声が、聞こえる。
「ん……あれ、寝てた……」
「おはよう。悠がみたいって言ってた番組、もう少しで始まるよ」
「え……あぁ、ありがとう……」
「どういたしまして」
そう言ってふわりと笑った綴は、頭を撫でてくれた。
指先が自然とフレームへとのびる。眼鏡を掛けるようになってから、すっかり癖になってしまった動作。
今かけているものも、綴がプレゼントしてくれたもの。本当に何でもない日に突然、差し出された見覚えのある小さな袋の中に、それは入っていた――。
◆
「悠、これ」
「……え」
中を覗くと、縦長の箱。そっと開けると、新しいフレーム。
「最近、背が伸びたでしょ?」
綴はそう、穏やかに言った。
「……ありがと、綴」
嬉しくて、泣いてしまいそうで……声が掠れてしまう。
「似合ってるよ、悠」
あの時と、同じ言葉。小さい頃にプレゼントしてくれた眼鏡はもう、掛けられなくなってしまったけれど、他の宝物と一緒に大切にしまってある。
俺はたまらず、綴に抱きついた。優しく受け止めてくれた腕の中は、あの時と同じ甘い匂いがして。
違うのは、殆ど変わらなくなった目線だけだった。それが嬉しいような、少し寂しいような……。そんな不思議な気持ちになった。
「ふふ。どうしたの?」
小さい頃から変わらない、柔らかな声が落ちてくる。
優しい響き。魔法みたいに落ち着かせてくれる声。
「……なんでもないよ」
俺は胸元に顔をうめたまま答える。
「そっかぁ」
綴はそっと俺の背中へ手を回し、とんとんって優しく叩く。
あまりにも自然で、変わらない仕草。
「……こうやって、ぎゅーってするの久々だねぇ」
どこか嬉しそうなのが、声にも現れている。
「……そう?」
そんな声は少し、わざとらしかったかもしれない。
「うん、そうだよぉ……」
だけど返ってきた綴の声は嬉しそうな、甘やかすとき特有の、いつもよりもあまい響きのもので。
大きくなってから、甘えるのは小さい頃に比べて少し難しくなってしまった。
年齢や立場もそうだし、守られるだけではなく、守れる力を得たから。
理由なんていくらでもある。
でも――。
「したくなかったわけじゃないよ」
小さく呟く。それと同時にに、ぎゅーって俺は少しだけ力を強めた。
「そうなんだぁ、それはうれしいな」
優しく、迷いのない声。背中を撫でる、昔と変わらないあたたかい手。
俺は、僅かに目を伏せた。
小さかった頃、どうしても愛が欲しくて。大切にふれられて、抱きしめられることに憧れて、ずっと夢に描いてきた。
そんな求め続けた温もりが、今はここにある。
「……綴が甘やかしてくれるの、俺は好きだよ」
少しだけ照れた響きになってしまう。
「俺もこうやって、悠が甘えてくれるの好きだよ」
深く優しい声音が聞こえ、そっと抱き寄せられる。壊れ物みたいに優しく、丁寧に。
「だから、いつでも甘えておいで」
その一言で、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「……うん」
少しだけ変わってしまった距離。近くなった高さ。だけどこの腕の中の安心だけは、昔と少しも変わらなかったんだ――。
◆
「ねぇ、綴も一緒に見ようよ」
そう言って俺は、ソファの座面をぽんぽんと叩く。
「いいよぉ、となり失礼しますね」
綴は少しふざけるように言ってから、隣に座ってくれる。
俺はそんな綴の肩に、そっと頭を乗せた――。




