穏やかな昼下がり、愛情いっぱいの宝石タルトと珈琲。
悠が用意してくれた朝食を食べた後。
「……俺も……」
片付けのために立ち上がった調に続いて立ち上がろうとした瞬間。
「綴は、駄目」
即答だった。調は振り返り躊躇いなく俺の腕を掴んで、そのまま朝起きてきた時と同じようにソファへと連行される。
「ちょ、しらべ……」
「病み上がりなんだから、座ってろ」
そう言ってから調は、収納棚からブランケットを引っ張り出してきて、俺の膝の上にふわりとかけた。
「……最近、俺に対して過保護すぎない?」
「……まぁ、自覚はある」
特に悪びれもせず言い切られて、反論の余地は消える。
調はブランケットの端をきちんと整えると、俺の膝を一度だけ軽く押した。
「片付けくらい、ひとりで出来る」
それだけ言って、調は背を向けてしまう。俺はソファに背を預け、ブランケット越しに自分の膝を見る。
――ほんとにもう、大丈夫なのに。
だけど、そんな不器用な優しさが嬉しい。キッチンからは水と食器同士のふれあう軽い音が聞こえ始め、俺はその背中を見ながら、ブランケットの温もりに身を預けた。
――こんなふうに、朝がゆっくりと過ぎるのは久しぶりだなぁ。
「今日は、無理するなよ」
キッチンから、調の声が飛んでくる。念を押すみたいな、少しだけ低い声だった。
「はーい、わかってるよぉ」
そう言ってから横になり、ブランケットの中で体を猫のように丸める。手触りの良いブランケットも相まって、ソファがやけに心地いい。
「ふはっ。その様子なら安心だな」
調がこちらを見て、微笑む。納得したのか、それ以上は何も言わなかった。
――少しだけ……目を閉じるだけ。
そう思ったはずなのに、だんだんと瞼が重くなって、意識がゆっくり溶けていく。
柔らかい空気が流れる中、ソファの上で俺は浅い眠りの縁へと静かに沈んでいった。
◆
ブ――ッ。ブ――ッ。
控えめなバイブの音で、微睡んでいた意識が浮上する。
――スマホ……どこだ。
手探りで探し当てた俺のスマホは、静かなままだった。
――おれ……のじゃない。
そっと体を起こして、辺りを見回す。音の発生源は、カウンターの端に置かれていた調のスマホ。
俺が見つけたのと同時に、すっと手が伸びてきて、調はそのまま電話に出た。
「燎? どうした」
――燎……? 何かあったのかな……。
キッチンで電話を取った調の声を俺はソファに座ったまま、何気なく聞いていた。
「……そうか」
用件を聞いた瞬間。調の声が一段、低くなる。
通話は思ったよりも短くて、調の様子であまりよくない連絡だったことは、すぐに分かった。
「……わかった、気を付けて帰ってこいよ」
そう言って電話を切った調は、難しそうな表情を浮かべる。
「調?」
俺が名前を呼んだ時。考え込むようにしていた調は、弾かれたようにこちらを見た。
「……綴。起きたのか」
スマホをポケットへと仕舞いながら、こちらに歩いてくる。ソファの前で立ち止まり、俺の顔色を確かめるように視線を落とす。
「……うん。電話、聞こえた」
「体調はどうだ?」
「ん……だいじょうぶだよ」
そう言うと、調は「そうか」と安心したように微笑んだ。
だけど俺たちの間にそれ以上、言葉は続かなくて。部屋の中が少しの間、静寂に包まれる。
「……さっきの電話、内容まで聞こえてたか?」
「……いや、内容までは聞こえなかったけど……燎からだったんでしょ?」
「……あぁ」
言いづらそうに調は少し、視線を彷徨わせる。
「……燎が……人が溶けたような現場に遭遇したらしい」
その言葉に心臓が、どくり――。と大きな音を立てた。
「……燎は、大丈夫なんだよね?」
「あぁ、問題ないそうだ」
「……よかったぁ」
燎には問題ないと聞いた時、胸の奥で張り詰めたものが一気に緩んだ。
「とにかく、詳しいことは燎が帰ってきてからだな」
ブランケットを直されて、また深くソファに沈められる。
「ほら、これも」
言われるまま背を預けるとクッションを一つ渡されて、調はそのまま俺の視界に入る位置に腰を下ろした。
「……ありがとう」
クッションを抱えたままそう言うと、調はほんの少しだけ目を細めた。
「どういたしまして」
それだけ。だけどその一言で、大丈夫だと思えてしまうのが、少しだけ悔しい。
「コーヒー淹れるけど、綴もいるか?」
「うん、お願い」
昼下がりの光が、カーテン越しに柔らかく差し込んできている。
ソファに腰を沈めたまま、俺は調が淹れてくれたコーヒーを片手に、お昼の情報番組を見ていた。
調は近くで書類を整理していて時折、なんてことない会話を交わす。
穏やかで、優しい時間――。
そんな頃、玄関の方で鍵の回る音がした。足音が聞こえてきて、湊が先に顔を出す。そしてその後ろから、悠がひょこっと顔を出した。
「ただいまー!」
「ただいまです」
悠の明るく楽しそうな声と、湊の低いけれど穏やかな声が聞こえ、一気に賑やかになる。
「おかえり」
「おかえり、二人とも」
そんな二人の姿に俺も、調もつい笑みが溢れた。
「あの調さん、これ……おみやげ」
湊の手には、見覚えのある店名が入った紙箱が抱えられている。
「……それ!」
俺が言いかけると、悠がにこっと笑う。
「そう! 前、テレビでやってたやつだよ」
「買えたの?!」
「俺と湊で、頑張ってきました!」
ふふん。と誇らしげに言う悠。
二人が買ってきてくれたのは、少し前。調と一緒に見ていた番組で紹介されていた季節のフルーツをふんだんに使ったタルト。宝石みたいな美しさが人気のひとつで、開店前から並ばないと買えないとテレビで言っていたもの。
「わぁ、綺麗……だけど並ぶのかぁ……」
「なかなか、難易度が高いな」
食べてみたいけれど、あまり並ぶのは得意でないからなぁ……と、諦めていたもの。
「……思ったより並びましたけど……二人に喜んでほしくて……」
湊は少し照れたように視線を逸らしながら、静かに言った。
「そうか……ありがとう、湊、悠。コーヒー淹れるから二人とも手を洗って、着替えておいで」
そう言いながら調は立ち上がり、キッチンの方へと向かっていった。
「俺も手伝うよ」
ゆっくりと立ち上がり俺も食器を出すため、棚に近付いて手をかける。
「ありがとう、綴」
今度は調の過保護は発動せず、俺の好きにさせてくれるみたい。
二人が戻ってくるとリビングが明るい空気に包まれ、調がタルトを箱から出すと、フルーツの瑞々しい香りがふわりと広がり、全員から感嘆の声が上がる。
調がタルトに包丁をいれ、きっちり九等分に切り分けられ、一切れずつお皿に乗せられていく。
「燎も今日、帰ってくるらしいから食べられるな」
俺は燎が帰ってくることは聞いていたから、調のその言葉に驚くことはなかったが、悠は違った。
「……え!」
一瞬きょとんとした顔をして、それから理解が追いついたように、ぱぁっと表情が明るくなる。
「燎、今日帰ってくるの?!」
調が言ったひとりごとのような言葉を拾った悠が、嬉しそうにはしゃぐ。
確認するよりも早く、嬉しさが抑えきれない様子だった。
悠は小さい頃、燎に随分と世話を焼かれていた。そして悠も、そんな燎にべったりで。
生まれつきの銀髪を気にしていた悠が、少しでも自分の髪を好きになれるようにと、燎は色々なヘアアレンジを勉強したり、髪のケアをしたりと試行錯誤していた。
その甲斐あって、悠は自分の髪を何よりも大切にするようになり、今では自ら色々なヘアアレンジを楽しむようにまでなっている。
悠は誰よりも愛を大切にしている子だから、そんな愛情深い燎に懐かないわけがない。
「うん。帰ってくるよ」
調はそう短く答えるだけだったけれど、それで十分だったらしい。
「やったぁ!」
弾んだ声と共に悠は一歩踏み出して、そのまま足取り軽くリビングを回りかけた。
「こら、走らない」
だけどすぐに、調の低い声が飛ぶ。
「ばたばたしない、危ないよ」
ぴたりと足を止めた悠が、少しだけ気まずそうに肩をすくめる。
「……はーい」
口では素直に返事をしながらも、嬉しさがまだ体の端々に残っているのが分かる。
そんな悠の様子を俺は、そっと見守っていた。向かいでは湊も、何も言わずに小さく笑っている。
湊も何だかんだ悠には甘いところがあるから、そんな姿も微笑ましいのだろう。
――燎や他の子たちが帰ってきたら、きっともっと騒がしくなる。
そう思うと、不思議と心が温かいもので包まれていく。ここがみんなにとって、ちゃんと「帰ってくる場所」になっているんだと、俺は改めて思えた――。




