第1話:邂逅
昔々……と言っても、千年ほど前の話。
現世と呼ばれる世界と常世と呼ばれるこの世界が繋がって、これまで想像上の生物でしかなかったもの達がやってきた。例を挙げるのならば、それは妖怪と呼ばれるもの達や魔物、もしくは神と呼ばれるもの達だろう。
今の時代からは考えられないが、その当時は文化や常識の違いで大混乱したらしい現世。
何度も大きい戦が起こり、国境が書き換わったりと色々な事が起きて無茶苦茶になったが、時間が経った事で徐々に異なる種族達は受け入れられ――人工異能都市である神去島が作られたのであった。
そして俺は、そんな神去島にある常世学園の机に顔を突っ伏していた。
「……はぁ、ねむ」
授業の最中、欠伸をしながらも俺はそんな言葉を漏らす。
一応先生が言っている事は理解出来るが、完全には頭に入ってこない。
理由としては単純でくだらなく、いかにも男子高校生らしいもの……まあ率直に言えば、昨日徹夜でカグヤに付き合いゲームをしたせいだ。
まじでレアな素材が落ちなかったんだよなぁと。
そんな事を思いながらも再び欠伸をして授業を適当に聞き流す。
「ねぇ玲君、真面目に受けないと怒られるわよ?」
その時、隣から言葉と共に肩を叩かれた。
同時に感じるのは肌を刺すような冷気。あまりの寒さに横を見ればそこには物理的に冷たい空気を纏う雪女がいる。そんな呆れた様子の彼女に対し、俺は弁解することにした。
「大丈夫だって多娥。今日の授業は復習だし、聞かなくっても……ってどうした前なんか見……て」
その視線を追って前を見れば、そこには仁王とすら見間違うようなオーラを纏った和装の我らが担任教師の姿があった。青筋を立てる彼女は見るからに怒っていて、言葉を間違えれば俺は多分終わる。どうしようかと悩みながらも言葉を待っていれば、先生がゆっくりと口を開く。
「のう百鬼、そんなに儂の授業が退屈か?」
「いや……えっと、面白いと思いますよ朧先生」
「そうか……玲坊、放課後説教じゃ。真面目に受けろ」
「すいません、まじで勘弁して下さい」
「駄目じゃ、逃がさぬぞ」
元々逃げるつもりはないけれど、こうやって先に釘を刺されてしまったので余計に逃げ場がなくなった。俺が悪いから文句はないが、こうも公衆の面前で説教を告げられるとつらくなるのは気のせいだろうか?
「ほら、怒られたでしょう?」
「……もうちょっと早く教えてくれよ」
「自業自得、私は悪くないわよ」
「……それはそうだけどさ」
「何かしら? 貴方が悪いのだから仕方ないでしょう?」
自分が悪いのは分かってるが、少しでも早く教えてくれれば怒られずに済んだのにと思いつつ、小声で抗議すれば当たり前だがそんな言葉を返された。
「それ以上喋るのなら多娥も百鬼と説教じゃぞ」
「ふふっすいません先生」
先生に注意された事で多娥との会話はそこで終わり、それ以降は真面目に授業を受けて放課後へ。そして放課後になった事で個室に呼び出され説教を受ける事になってしまった。
二階にあった教室から、三階にある朧先生の部屋に向かう。
存在は知っていたけれど、初めて来る朧先生の個室というか和室。完全に私物化されているだろうその部屋には電気ケトルや炬燵に出来そうな机や座布団が置かれている。
「玲坊、一応主の境遇は源の馬鹿から聞いておるが今は一応学生じゃろ? 出来れば真面目に授業は聞いて欲しいのじゃ」
俺の前に座り説教してくるのは腰まで伸びる白髪をした長身の女性だ。
彼女は朧先生改め、嬉遊朧さん。
ぬらりひょんという常世に一人しかいない妖怪で、長く生きる故に顔の広い昔からの知人だ。そんな彼女は口調を崩し、子供の頃からの呼び方でそう言ってきた。
「ごめんなさい朧さん」
「今は先生じゃ、とりあえず説教はこれで終わりじゃな」
正直な所、普段の授業態度的にもうちょっと何か言われるかと思ったけど、どうやらこれで終わりのようだ。
「あの早くないですか?」
「一度言えば主は聞くじゃろ? そうじゃ、とりあえず茶を入れるから待っておれ」
この部屋に置いてあったケトルを使って、お茶を淹れてくれた先生の言葉を待つ事にした。
「玲坊、主がこの常世学園に来て一ヶ月じゃが、学校には馴染めておるか?」
「……まぁ、それなりには、一応?」
「そこは断言して欲しかったのじゃが……」
昔からの知り合いではあるものの、学校の教師と生徒の間柄だ。一応敬語を使いながら会話をするが、やはり朧さんは俺の友人という事もあってお互いに少し砕けた感じの会話になる。
「すいません」
「ふむ、そうじゃな玲坊。せっかくじゃし、主が転校してきたこの学校についてのおさらいでもどうかのう」
「え、帰りたいんですが……」
「ふむ、断言できるほど馴染めてるわけでもないのじゃろう? 任務の事もあるわけじゃし、損はないと思うぞ?」
思わず零した一言にそう言われてしまったので、俺は説教だけを受けに来たはずなのに授業も受けることになってしまった。
◇ ◇ ◇
始まった授業はもちろんこの学校の事。
この学校……常世学園は、逢魔ノ契の専門学校だ。
逢魔ノ契というのは、今世界で最も流行っている日本発祥のスポーツである。
己の全力を掛けて戦う異種族格闘技戦で、この世界に存在するすべての種族が参加できるのだ。
あくまでスポーツであり、娯楽ではあるが、そのプロともなればかなりの地位や名声が手に入る。
そしてこの学園では、その逢魔ノ契を試験的に体験出来るように、校内ならばどこでも戦う事が出来、それを応用した様々な行事が組み込まれているらしい。
「儂的には主にも参加して欲しいのじゃがな、生徒の刺激にもなるじゃろうしな」
「乗り気じゃないです」
「それは分かっておるが、単純に儂が玲坊の戦いを見たいのじゃ」
「私情じゃないですか……」
「そりゃぁ儂じゃしぃ?」
変わらないなこの人はと思うけど、それを口に出せばまた話が長くなりそうなので俺は少し話題を変える。
「というか刺激なら充分なのがいるでしょう」
それで思い浮かべながら話すのは俺のクラスメイトの少女の事、実際戦っている姿は見たことないが、事前情報だけでもとんでもない彼女以上の刺激など今のこの学校にはいないはず。
「鎮凪嬢か、あの子もいいんじゃがな、儂は純粋に戦う主が見たいのじゃ……というか、そうじゃな。玲坊あの子と戦わぬか? ここぐらいじゃぞ戦える機会など」
「嫌です……それに俺が平穏求めて来たの知ってるでしょ?」
「むぅ……つまらぬのう」
「つまるつまらないじゃないです、普通に駄目ですって」
「そうか……ならば仕方ないのう」
そうやって先生は寂しげな表情でぽつりと呟いた。
「朧さん?」
そんな表情に俺は疑問を覚えるが、俺が言葉を発するよりも先に先生は言葉を続けた。
「さて玲坊、そろそろ終わりじゃな……早く帰るんじゃぞ不真面目」
「そうですね。とりあえず次から授業は真面目に聞きます」
そんな説教兼授業を終えた後で俺は荷物を取りに教室に戻ってから帰路についた。
夕暮れに照らされる廊下を歩きながら、帰るためにも昇降口を目指していく。
もうやることもないし、あとは寮に戻るだけだからだ。
今日も一日の終わりを実感するような夕日を浴び、そのまま階段を下りているとちょうど下から上ってくる女子生徒の姿が目に入り――。
俺の視線に気付いたのかこちらを見上げる通行人は不思議がったような視線を向けてくる。
相手が瞳を大きく見開くと、凛とした琥珀色の綺麗な瞳と目が合った
向かいにいる少女は、学校指定のセーラー服に身を包み片手に同じく真っ黒な学生鞄を持っている。
目を引くのは腰まで伸びる茜の髪と背中から生えた紅い翼。彼女の名前を象徴するようなその羽は夕日に照らされてとても綺麗だった。
鎮凪紅羽、それが目の前の少女の名前だ。
さっき校庭で注目を浴びていた張本人であり、本来なら一生関わることがないだろう雲の上の存在。
「えっと、どうしましたか?」
「いや、なんでもない。それより悪いなじっと見て」
「いえ、私の方こそすいません」
…………彼女に見惚れた事もあってか気まずい、このまま帰っても良いが、それは何故か薄情な気がして俺に出来るような行動ではなかった。
「あの、百鬼玲さんですよね。同じクラスの」
「そうだが、どうしたんだ?」
「……説教、長かったんですか?」
なんでここで説教の話題が?
でもそう思うのも自然か。だって鎮凪は同じクラスだし今日の授業での説教を告げられた姿を見ているから。
「朧先生の説教はずっと前に終わったぞ、さっきまで部活にいた感じだ」
「そうなんですね。部活、楽しいですか?」
「……よく分からない部活だけど楽しいぞ?」
答えないわけにもいかないのでそう答えてみたのだが……どういう訳か疑問形になってしまった。どうしようか、気まずい……それに俺はある理由から彼女とは関わらないようにしていたのだが、なんでこんな事になっているのだ?
「そうですか、それはいいですね」
「そう聞く鎮凪こそなにか部活には入ってないのか?」
「いえ、私は部活には入っていません」
このまま質問されるだけってのもなんか変だし、俺からも聞いてみたが返ってきた答えはそんなものだった。
「驚いたな、鎮凪だったらどこの部活からでも勧誘されるだろ」
噂通りなら何でも出来る彼女だし、勧誘されまくっているだろうなと思ってそう聞いてみたが、それを聞いた時彼女は少しムッとしたような顔をした。
「……いえ、勧誘された事はないですね」
何か地雷を踏んだか? そう思うが、今の何が彼女の気に障ったかわからない。ここでまた余計な事を喋るわけにもいかないし。
「あ、そろそろ私は行きますね」
「……おう、またな鎮凪」
「また明日です」
分からないまま気まずい時間が少し流れ、鎮凪は階段を上って行ってしまった。
「まずったな、あんまりアイツと話したくなかったんだが……」
寮の部屋に帰ったら今日の事を聞いてくるだろうし、アイツに嘘をついたらバレるのは分かっているので誤魔化せないし、はぁまじでカグヤにどう言い訳しようか。
「まあ……ちょっと話したぐらいだし大丈夫か」
自分の中で声に出すことで結論づけて、俺はそのまま昇降口までやってきて帰路に就いた。