友人の話でしか知らない乙女ゲーの悪役令嬢に転生しました。
この世に生を受けたとき、キャロラインはこの世界が【友人がやっていた乙女ゲーム】の世界であることに気づいた。
(困ったことに、聞いた話だけで登場人物たちの実際の姿を見たことがない。ひとつわかることは)
キャロラインが、所謂悪役令嬢の名前であること。
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「キャロライン、あなたは偉大な方の加護を得ているようですね」
この世界には魔法がある。魔法といっても精霊に力を借りてするもので、魔力さえあれば誰にでもできるわけではない。精霊にも力の強さがあり、もっとも強い力を持っているのが精霊王である。
キャロラインが七歳の時、両親に連れられて教会を訪れていた。見よう見まねで祈りを捧げていると、ふわりと暖かな風が吹く。つられて顔を上げると、美しい精霊がこちらに微笑んでいた。その姿に見とれていると、精霊が口を開く。
「やっっっとわれのことを見てくれた!!!」
嗚呼、この人は残念な美人だ、と思った。よく話を聞けば、キャロラインがこの世界に生まれ落ちたその日から加護を与えてくれていたらしい。それからはいつも近くにいて見守ってくれている。
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公爵家に生まれ、両親に甘やかされながら育ったキャロラインだったが、前世の記憶がある以上、ただそれに甘んじているわけにはいかなかった。なぜなら、
(あの子から聞いていた話だと、私はワガママ放題の結果婚約破棄され処刑されるんだっけ…いくらなんでも処刑は酷すぎると思うけど)
王家には二人王子がおり、キャロラインの婚約者になるのは王太子である第一王子のアーネスト。これはキャロラインが生まれる前から決まっていた。ので、そもそも婚約しないというのは無理だった。アーネストが物語の強制力というものでヒロインと結ばれる運命なのだとしたら、いくらキャロラインが良好な関係を築いていても婚約は破棄されてしまう。ならば、いかに穏便に婚約を解消するかが重要になってくる。今のキャロラインとアーネストの接点は文通のみである。
(…と言っても私はまだ社交界デビュー前。アーネスト様のお顔も知らないし、仲良くなると言っても手紙だけでは…)
キャロラインは思わずため息をついた。すると、目の前にいる人物が顔色を窺ってくる。
「大丈夫?キャロル」
「あら、ごめんなさい、あなたといるのにため息だなんて」
「いいんだよ。疲れてるの?何かあったのなら相談にのるよ」
「ふふ、アーニーは優しいのね」
彼はアーニー。キャロラインの公爵家に時々遊びに来る。ふわりと笑う顔は幼いながら整っており、思わずドキリとしてしまう。
「あなたの婚約者になる人は幸せね」
「え?キャロルが幸せってこと?」
「え?なんの話?」
「…まさかとは思ってたけど、キャロル、僕が誰かわかってなかった?」
「アーニーが誰か…?」
(そう言えば、愛称しか知らないなぁ)
首をかしげていると、ソファから立ち上がりキャロラインの目の前まで来たアーニーが、キャロラインの白い手のひらを掬い上げ、片ひざをつき口付けする。
「貴女の愛しい婚約者、アーネストだよ。幸せな婚約者どの」
キャロラインは目を見開いて固まった。
「えっ、アーニーがアーネスト様?お手紙の?でも一度もうちに来たことなんて書いてなかったじゃない!」
「キャロルが話題に出さないからあえて書く必要もないかと思って。確かに先入観を持ってほしくなくて愛称しか名乗らなかったのは悪かったよ」
にこにこと微笑みながらそう言うアーネストに、キャロラインは先程の自分の発言を思い出して恥ずかしくなった。
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王立学園に入学したその日、加護を与えてくれる精霊と契約する儀式が行われる。ここで初めて、精霊の姿を見ることができる、のだが。
「別に儀式なんて要らないでしょお。キャロルには我がもういるんだもの!」
「…ラズリ、抱きつくのはさすがにやめてもらえると…」
真新しい制服に身を包んだキャロラインに纏わりつくように浮いているのはラピスラズリの名を持つ精霊。現精霊王の娘、つまり精霊の姫である。ラズリがキャロラインの周りにいる生徒の精霊たちからかしずかれていると、こちらに近寄ってくる足音がした。
「キャロル、入学おめでとう」
「アーネスト様、ありがとうございます」
「…違うでしょ?」
「…アーニー様。人前ですので敬称はお許しいただけますか?」
「仕方ないなぁ。こんな状況でもキャロルに抱きついていられるラピスラズリ様が羨ましいよ」
「ふふ、これは我の特権だもの。まだ王家の坊やには譲れないわよ」
「譲り受ける日も近いですよ」
「あら生意気」
そんな会話をしていると、人混みの中に揺れるピンクの髪が目に入った。チープなデザインの花の髪飾り。前の世界で友人が言っていたヒロインの特徴そのものだった。思わず息を飲む。アーネストとの関係は悪くない。ワガママも言わずに堅実に勉学に励んできた。マナーもしっかり身に付けた。最悪の結末…処刑される未来は免れられるだろう。
そう思案していると、そのピンク髪がこちらに近づいてきていることに気づく。キャロラインとアーネストの目の前でピタリと歩みを止めた。しかしアーネストはラズリと言い合いをしている。
「あ、あの、アーニー様、」
「あなたが王子様ですか?私、今日からこの学園に通うメアリーと言います!ぜひ仲良くしてほしいです!」
「さてキャロル、君の学園内の案内は僕が仰せつかっているからね。行こうか」
「え、っと、この方は…」
「どこから案内しようかな。最後には僕の部屋を案内するね」
「あらやだ、王家の坊やは意外とむっつりなのかしら?」
「あの!アーニー様!」
途端、アーネストの纏う空気が冷える。思わずキャロラインはびくりと体を揺らした。それに気づかずにメアリーと名乗った女は言葉を続けようとする。ラズリも鬱陶しそうに視線をやる。
「私、アーニー様に会うためにこの学園に、」
「やめてくれないか」
「え?」
「その呼び方、僕は家族とキャロルにしか許していない。不愉快だ」
「で、でもゲームでは、」
「訳のわからないことを言わないでくれるか?それに君、コーエン男爵家の人間だろう?男爵はまともな教育も行っていないのか?貴族社会で生きていくなら、せめて身分差を学びたまえ」
「でも!そこの女だってさっき、」
「…そこの女……?」
「ひっ、」
周囲の空気がズンと重くなる。ヒソヒソと様子を窺っていた野次馬たちも、黙り込む。機嫌悪そうに、キャロラインを守るように抱きつくラズリと、侮蔑の視線を送るアーネスト。
「コーエン男爵家には追って処罰を言い渡す。王家の名でね。王族の婚約者を、よりによってキャロルを侮辱した罪、身を以て償えばいい。自宅で処分を待つことだ」
くるりとキャロラインの方へ振り返ったアーネストは、先程までの雰囲気とはガラリと変わって、柔らかい笑みを向けてくる。
「…アーニー様?」
「さぁ、行こうか。僕がよく行く温室も教えてあげる」
キャロラインの手をするりと取り、見せつけるように指を絡める。
「アーニー様!」
「いいだろう?これからは毎日一緒にいられるんだから」
そう嬉しそうに笑うアーネストを見ていると、なんだかむず痒くて、でもその手を振りほどく気にはなれなくて、遠慮がちに握り返した。
(でも、ゲームのアーネストって私のこと嫌いじゃなかったっけ。それに、さっきのメアリー。出会いのシーンって絶対あんなじゃなかったはずだけど…)
それからと言うもの、王太子が婚約者の守護精霊と婚約者を取り合う様子が学園の名物になった。