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僕が考える、なぜ人を殺してはいけないかということ。

作者: アロン


 何でこれを書こうと思ったかというと、僕は世界で2%しかいない人格だから。人との協調性が乏しく、一人で生きることに安心を感じるタイプの人間。そして、自分と同じ特性の人間を探している。友達と呼べる人間はたった一人しかいないが、生きている。もし、もし、同じ人がいたら連絡を。


 さて、僕が考える殺人をしてはいけない理由とは、命や心とかいう存在しないものが、一つしかないと多くの人間が盲目的に信じられているからだと考える。それを大多数の協調性が高い人々が信じて法律を作ったためにこのような疑問が生まれたのだ。


 彼らの言う、命や心は人が想像し、感じただけで、実際には存在しないのである。


 僕は、ロボット設計者をやっていますが、できた製品を見てお客は『このロボットにはAIが乗っているのか?』と聞いてきた。乗っていないと伝えると、彼は、『なぜ、こんなにも愛くるしいのか』と続けた。


 彼には、重さ2トンの鉄とプラスチックの塊が魂が乗っていると考えたのだ。動作が人に似ているからと言う理由で。


 その時に気がついた。


 心とか命っていうのは、要するに電源なのだ。


 人間は不完全で一度電源が切れると替えの聞かない欠陥品なのである。


 だから破壊するのは憚られるのだ。


 逆に言えば、その命さえ替えがきけば、殺人は許されるということになる。


 その証拠に医学では、手術中に患者を殺さないために意図的に心臓を止め、人工の心肺維持装置に繋げる。医学では心臓の停止を死と定義しているのにである!


 なぜ、それをした医者は殺人罪にとわれないのか。それは手術後に心臓を再起動し生き返らせるからである。

 彼らは意図的に人殺しをしている。その事に何故気がとがめないのか。人の内臓をこねくりまわし、引き裂き、繋げ合わせ、手を血で汚す事に、なぜ気が触れないのか。


 それは、彼らの多くが、僕と同じ人種だからだ。人との協調性が非常に低く、痛みを共有できない性格にあるためなのだ。


 大丈夫。君は一人ではない。


 君にとって命は、テレビのリモコンの乾電池みたいな物ではないか。あるいは、決まったプログラムに沿って動くだけのロボットだと思ってはいないか。君は一人ではないのだ。


 僕達は、人を率いる力がある。人に夢を見させる力がある。

 君はまだそれに気がついていないかもしれない。扉を開けたくないか。


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