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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

企画参加作品、ヒューマンドラマ、ホラーなど

紫の卵

作者: 久藤ナツメ

ややホラー気味です。

 僕は小さなショッピングモールの隅っこで、クレープ屋をやっている。


 特別やりたい仕事じゃなかったけど、会社勤めが合わずに退職し、その後たまたま起業支援のセミナーで出会ったやけに威勢のいい男に促されるまま開店した。


「美味しいもので、人を笑顔にする仕事です!」


 僕自身も食べることが好きだったし、そんな甘言に弱った心を動かされてしまったんだ。

 



 正直、あまりうまくいっていない。

 毎月少しずつ、赤字が積み重なった。


 大きな赤字なら、ちゃんと辞められていたかもしれない。だけど、あと少しでなんとかなりそうな状況は、僕を決断から遠ざけた。







 今年は卵の値段が高く、仕入れるのに随分苦労をしていたら、いつもと違う業者がやってきた。


 紫色のスーツを着て、卵のように丸々太った奇妙な男だった。

 食品卸の営業にしては、随分おかしな風貌だ。

 だけど、格安の卵を大量に用意できるという。


 持ち込まれたた卵は、随分と奇妙だった。

 なにしろ紫色をしている。

 殻も紫だし、中の黄身も紫だ。



 ――アウトだろ。



 と思ったが、営業の卵男に促されるまま恐る恐る口にすると、紫の卵は信じられないほどに美味かった。

 

 少し(いぶ)したような柔らかで香ばしい匂い、新鮮な風味、優しい甘さと口の中に広がる深いコク。


 こんなに美味いものは、初めて食べた。



 僕は興奮した。

 どこかで眠っていた熱が、焚きつけられたみたいだった。

 だけど、あえてそれは隠して卵男と交渉する。



「この卵さぁ、色がどうにもマズいよね」

「ええ、ええ、おっしゃる通り。ですが、召し上がればお分かりいただけるかと?」

「見た目で食いついてもらえないと、お客さん来ないんだよなあ」

「ははあ、これは手厳しい。では、珍しい商品にしてはいかがです? 例えば、そう、紫色のクレープとか」



 ――いいアイデアだ。



 だけど、僕はわざと渋い顔をして見せた。

 そして、さらに安い金額で卵を仕入れることに成功する。

 

 卵男のアイデアはそのまま使うことにした。

 アイデアは所詮アイデアで、卵が売れればそれでいいと、卵男は満足そうに帰っていった。







『パープルクレープ』とバカみたいに簡単な名前を付けたクレープは、瞬く間に人気になった。


 僕は商売の大波を予感して、店の名前自体も『パープルクレープ』に改名した。

 簡単でわかりやすいものは正義だ。

 最初に僕が一生懸命考えて名付けた店の名前なんて、誰一人覚えていないだろう。僕ももう覚えていない。


 淡い紫になるように調合したクレープ生地で、見た目の毒々しさを薄れさせた。

 女の子ってのは、ピンクよりも紫を好む子も多いらしい。と、どこで調べたか知らないが、卵男もそう言った。


 色味がかわいいと、女子高生から評判が広がった。

 なぜだか分からないが一緒に写真を撮れば、自分も可愛く写ると評判だった。

 僕には違いがわからないが、そういうものかと受け入れるくらいの頭はある。


 行列に並ぶのもイベントになる。

 専用の写真フィルターも作られた。

 SNSにあげれば、あっという間にいいねがつく。

 食べ物をアクセサリーみたいに消費されていくが、構わない。

 どうせ僕だって商売だ。


 クレープ屋は、店を出すのも簡単だ。

 立地の良い場所を選び、屋台みたいな小さな店をたくさん出した。

 流行りの時は、波を逃さないようちゃんと乗らなきゃ面白くない。


 最初は見た目で来店する客ばかりだったが、そのうちリピーターが中心になってきた。

 奇妙な卵だが、そもそも味がすごくいい。

 若い女性だけじゃなく、老若男女、広い世代が訪れるようになった。







 今更ながら、僕はそのことが嬉しかった。


 ――美味しいものを人に食べさせたい。


 クレープ屋を始めた頃の、バカみたいに青くて純粋な気持ちが蘇った。

 そうだ、なんでもいいと思っていたが、僕はクレープ屋を選んだんだ。


 クレープ屋は、誰の悩みもどんな問題も解決しない。

 なんなら太らせたりして、あとで悩みを増やすこともあるだろう。

 でも、食べたその瞬間、辛いことや悲しいことを一秒でも忘れてくれるなら。

 

 そうだ、僕はそういうことをしたかった。

 どうして忘れていたんだろう。


 アクセサリーで構わない?

 儲かればいい?

 そんなの嘘だ。


 僕は、美味しいものを人に食べさせたい。

 僕の仕事の、一番強い、一番最初の衝動だ。



「美味しいもので、人を笑顔にする仕事です!」



 そう、甘言なんかじゃない。

 あれは、本当に、僕が願っていたことだ。





 *





 一年程過ぎた頃、来店頻度の高い客たちが、死に始めた。


 警察から何度も話を聞かれたが、何も証拠はないし、因果関係も立証されない。

 紫の卵も含め、材料を全て調べられたが、どれからも毒性のあるものは検出されなかった。


 けれど、全く無関係というには無理があるほどに、パープルクレープの客たちは死んでいった。


 で、店が潰れたかといえば、そうでもない。

 一度来店した客たちは、何かに取り憑かれたように繰り返し来店する。

 それを見て、好奇心の湧いた新規客も途切れることはない。


 店をたたむことも、全く考えていない。


 僕はこうなることが、多分はじめから、心のどこかでわかっていた。

 初めて紫の卵を食べた、あの最初の瞬間から。



 紫の卵には、中毒性がある。

 化学的なものではないだろう。

 もしもそうなら、僕はとっくに捕まっている。



 なにしろ紫の卵だ。

 普通というには、おかしいだろう。



 やばいと気付いた時にはもう遅い。

 どれほど健康に悪いとわかっていようとも、あの美味しさに抗う術などありはしない。



 

 



 僕の最初の衝動は、






 美味しいものを人に食べさせたい。






 それだけだ。

 とても純粋で、とてもシンプルな願い。



 どうせいつか死ぬ人生だ。

 食べ物で死ぬのは、生き物として何もおかしくないだろう。



 美味いものをたくさん食べて、そうしてみんな死ねばいい。

 良い記憶を抱いて死ぬことに、なんの罪があるだろう。






 SNSでは、今もキラキラとパープルクレープの写真が大量に溢れている。

 危険性を指摘する声は、このSNS(世界)には届かない。

 ここは、かわいくて楽しい今を大事にする、閉じた世界。



 そう、今を大事にすればいい。

 先のことなど、あとでいい。

 僕の店では、それを叶えられる。





 僕が熱っぽくそう語ってみせると、紫の卵を納入しにきた卵男は静かに微笑んだ。



「今日も大盛況ですねえ」



 開店前の店から外を見ると、すでに二十人以上は並んでいる。



「天気がいいから、今日も忙しくなるよ」

「追加の卵が必要でしたら、いつでもお電話ください」

「君もよかったら、ひとつ食べていってよ。もちろん代金はいらないよ。スタッフ用に作ることもあるからさ」

「いや、これはどうもどうも」



 僕がそういうと卵男はいつも慇懃に礼を言う。

 だけど、彼は一度もパープルクレープを食べたことはない。

 いや、その前の、普通のクレープだって食べなかった。

 そういうものだ。

 彼は彼で、商売をしているだけだ。





 そうして卵男はもう一度言う。




「追加の卵が必要でしたら、いつでもお電話ください」




 僕は頷く。





 開店時間だ。



 今日も、美味しいものでたくさんの人を笑顔にする、素晴らしい仕事が始まった。


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