第2章:舞踏会の夜、二度目の誓い -4
舞踏会。
大勢の人々が集まり、会話やダンスを思い思いに楽しむ場。
今までずっと、ネリネは舞踏会がどうしても苦手だった。必ず参加しなければならない時などは、その何週間も前から不安に苛まれ、気が塞いでしまうほどだったけれど。
……でも、今日は。
「それでは準備はよろしいですかな、ネリネ王女殿下、ダリル様」
大広間へと通じる、金細工に縁取られた純白の扉の前。
扉の開け閉めと招待客の紹介を担当しているらしい白髪壮年の使用人が、ネリネとダリルに交互に目を向けて尋ねてくる。
ネリネは一つ小さく息をついてから、心を決めてうなずいた。
「……ええ」
いよいよ、大広間に姿を現す時が来た。
緊張は最高まで達していて、心臓はこれ以上ないくらいに激しく鼓動を繰り返していた。
気を抜けば、今にも卒倒してしまいそうだ。
……けれど。
「……姫様」
すぐ隣に立つダリルから手を差し出される。
この手を取って大広間に入り、ネリネとダリルがダンスを一曲踊ることで、今宵の舞踏会が始まるのだ。
頼りなく震えるネリネの手を、ダリルの手がそっと、包み込むように握ってくれる。
固く引き締まった、ネリネよりも大きな手。
……まただ、と思った。
ここに来る前、転びかけたネリネをダリルが助けてくれた時と、同じ。
とくん、と心臓が音を立てる。
甘くて、痺れるような、きゅうっとした痛みが胸いっぱいに広がっていく――
(どうして私、こんな……)
狼狽えていると、手を握る力が少しだけ強くなった。
はっとして顔を上げれば、「大丈夫です」と声をかけられる。
「大丈夫です、姫様。あなたは一人ではありません。俺がついていますから」
「…………!」
息を呑んで、向けられる赤い瞳を見つめ返す。
どうして、と、再び問いが心の中を満たしていく。
(どうして、そんなに……)
ネリネのことを、優しく見つめてくるのだろう――?
……ここに来るまで、あれだけ不安で仕方なかったのに。
どういうわけか、もう恐怖も緊張も、それほど感じなくなっていた。
大丈夫。
この人となら……きっと。
ダリルが手を握ってくれている。
ただそれだけで、驚くほどに勇気づけられる。
何が起きたとしても、大丈夫。
そんな気持ちになっていくのを、ネリネははっきりと感じていた。
――だから、しゃんとして、胸を張って。
目の前で、ついに大扉が開いていく。
シャンデリアの煌々とした灯りの下。
大広間にひしめくきらびやかな装いの人々が、いっせいにネリネとダリルに視線を注いだ。
音楽がやみ、しんと静まり返った大広間に、今宵の主役の訪いを告げる使用人の声が朗々と響き渡る。
「ネリネ・リーリア・ラウステラ王女殿下。その騎士、ダリル・オルブライト様のご到着です」
……大丈夫。恐くない。
ネリネはふわりと微笑んで、淡紅色のドレスの裾を持ち上げた。
それから、ゆっくりとお辞儀をする。
その姿に、いつもの弱虫姫の面影はすでになく。
皆が言葉をなくして見守る中を、ネリネはダリルとともに歩いていく。
華やかな貴婦人達が脇に避けてできた道を進んでいくと、やがてたどり着いたのは、一番大きく壮麗なシャンデリアの真下。大広間の中心だ。
「姫様」
「……はい」
手を取り合って、見つめ合う。
楽団が奏で始める、優美で繊細な円舞曲に合わせて、ステップを踏んでいく。
(あ……)
こんな気持ちは、初めてだった。
初めての気持ちに、どうしたらいいのかわからなくなって。
そのうちに、だんだんこそばゆくなってきて。
胸が弾んで、自然と微笑まずにはいられなくなる。
それは、まぎれもなく「楽しい」という気持ち。
誰かと踊って、こんなにも楽しく、いつまでもこの時間が続けばいいのにとさえ思えたのは、ネリネにとっては初めてのことだった。
シャンデリアの光が瞬いて、あたりがきらきらとして見える。
ネリネがステップを踏むたびに、花開くようにふわりとドレスの裾が広がって。
くるりと回って、向かい合うたび、ともに踊るダリルと視線を重ねて。
やがて、ネリネは気づく。
(ダリル様も……笑っている?)
緊張のためか、それとも性格によるものなのか。
ダリルは最初に言葉を交わした時からずっと、ほとんど表情の変化を見せなかった。
けれど、今。
ダリルは確かに、微笑んでいた。
親愛のこもったその瞳には、ネリネの姿だけが映っていて――