第2章:舞踏会の夜、二度目の誓い -3
舞踏会の会場となるのは、王宮の二階。
色とりどりの春の花が飾られた柱廊の先にある大広間だ。
日はすでに山並みの奥に消え、西の空のきわを紫色に染めるばかり。
一つ、また一つと星が輝き始めた空の下、大広間の窓の向こうには華やかなシャンデリアの灯りが見え、風に乗って、王宮に集まった貴族達が笑いさんざめく声が聞こえてくる。
舞踏会が、もうすぐ始まってしまう。
それでもネリネがまっすぐに大広間には向かわず、自室の近くにある庭園へと向かったのにはわけがある。
波打つようなレース飾りが愛らしい、ふんわりとした淡紅色のドレスをまとったネリネは今、庭園を巡る外回廊を進んでいた。
部屋を出た時からずっと、どきどきと心臓の鼓動が止まらない。
いよいよだ。
いよいよ、ネリネはマリーナ達と離れ、ダリルとともに今宵の主役として、大勢の前に姿を現さなければならない。
「ああよかった、いらっしゃったわ! 姫様、あちらに!」
「……っ!」
早咲きの薔薇に囲まれた、東屋のそば。
どうやら彼もまた、ネリネの訪れに気がついたらしい。
彼が顔を上げ、その赤い瞳が一瞬はっと見開かれる。
その視線がネリネの姿を捉えたことに気がついた瞬間、我知らずネリネの頬に朱がのぼった。
大広間より先に庭園へ赴いたのは、今宵、ネリネのパートナーとなるダリルと落ち合うためだった。
行ってらっしゃいませ、とにっこり微笑んで送り出してくれたマリーナの声を胸に、ネリネは庭園の敷石の上へと足を踏み出す。
けれど、
「あ、あのっ……、ごめんなさい! お待たせしてしま――きゃあっ!?」
「……!? 危ない!」
支度にかなり時間がかかってしまったせいで、約束していた時間に少し遅れてしまっていた。その焦りのせいでネリネは足元をよく確認できておらず、敷石の角につまずいてよろめいてしまう。
そのままであれば、ネリネはまともに受け身を取ることもできず、敷石の上に転ぶことになっていただろう。ドレスや髪は汚れ、下手をしたらすり傷を負って、舞踏会の直前にもかかわらず大惨事になっていたはずだ。
ただ、実際にはそうはならずにすんだのは、
「ご無事ですか、姫様」
「あ……」
目が、合う。
磨き抜かれた紅玉を思わせる深い赤の瞳が、ネリネを案じるように見つめている。
つまずいて宙に浮きかけたネリネの身体は、転ぶよりもずっと早く、とっさに動いたダリルの腕によって抱き留められていたのだった。
彼の体温を間近に感じることになり、思考が思わず止まってしまう。
それは、ネリネよりもずっと高く、力強い、男性の体温で――
「…………っ!」
かあっと顔が真っ赤に染まるのを感じる。
恥ずかしさと申し訳なさで頭の中がいっぱいになって、慌ててダリルの腕の中から飛び退いた。
「ご、ごめんなさいっ! 私、何をやって……!」
「いえ、姫様。どうか俺などに謝らないでください。それよりも、お怪我は? 足をひねってはいませんか?」
「…………」
ネリネは呆然と、騎士の姿に目を奪われていた。
(この方が、私の騎士……)
実際に身を守ってもらって、ようやく実感が湧いたような思いがしたのだ。
ネリネの、騎士。
ネリネを主とし、いつ如何なる時もネリネを助け、守る、ネリネだけの騎士――
どうしてなのか、わからない。
なぜだか胸がどきどきして、余計に頬が熱を持つような気がして、戸惑わずにいられない。
いつまでも返事をしないネリネを不思議に思ったのか。
ダリルが怪訝そうに呼びかけてくる。
「姫様?」
「……っ、ごめんなさい、ぼうっとしてしまって。その……怪我はないので、大丈夫です。あの……ありがとうございました。助けていただいて……」
「いえ。怪我がなかったなら、いいんですが」
「はい。あの、ええと……大丈夫です」
「そうでしたか。それなら、よかった。…………」
「…………」
短い会話の後に続いたのは、ぎこちない沈黙だ。
その間に、お互いにお互いを見つめ、時おり気まずくなって視線をそらしては、また重ねる……ということを何度か繰り返したか。
……もしかしたら、という考えが、ネリネの頭をよぎる。
もしかしたら、彼もネリネと同じなのかもしれない、と。
ダリル様も、私と同じで、緊張している?
それとも、私と同じで、他愛のない話をするのはあまり得意ではない……?
(と、とにかく、何か言わなきゃ)
焦るネリネだったが、心配はいらなかった。
どうやらダリルも、二人とも黙り込んだままでいるこの状況を何とかしなければと考えていたらしく、彼の方が先に口火を切って沈黙を終わらせたからだ。
「……そろそろ行きましょう、姫様。一応、俺と姫様は今夜の主役のようですから」
「……っ! は、はい!」
ネリネに背を向け、導くようにして先を歩き出したダリルの後を、急いでついていく。
けれど直後に視界に飛び込んできたものに、ネリネは思わず目を瞠らずにいられない。
(え……?)
気のせい……?
いいえ、違う、とネリネは思い直した。
それは気のせいでも、目の錯覚でも、なんでもない。
(でも、どうして――?)
おそらくはネリネに見られないようにと、頑なに前を向いたダリルの顔は。その頬は。
今のネリネと同じように、見間違えようもなく赤く染まっていたのだった。