足の甲の皮と骨の隙間にある己れの肉の薄さをしみじみ感じるから、一秒でも早く此処から帰りたい
「一秒でも早く、此処から帰ろう」
すぐにでもこの足元を離れて立ち去りたい気持ちでいっぱいだった。板の間の正座のままの固まったかたちに何度も念を送り、履き物を引き寄せ、その場を立ち去る。
靴でなく履き物を念じていたからか、朴歯のついた下駄のようなケタケ、タカタカタが繰り返し付いてくる。気づかれないよう、そぉーと出てきたのに、これでは台無しだとべそをかきたくなった。すると、すぐに、私も含め辺り一帯の世間すべてが音に慣れたのか、ケタカタの音をやめてしまった。
しかし、「慣れてやめた」というのも妙なものだ。「舗装のない小道でも曲がったのか」或いはもともと朴歯のついた「時代がかったものなんて履いてこなかったんだろう」と思い直そうとするが、視線を下に足元を見ることだけは出来ない。
板の間の正座のときから、それが出来ない。
板の間で正座させられていたときの、足の甲の皮と骨の隙間にある己れの肉の薄さをしみじみ感じる感覚はあるのに、どこか足元の存在の危うさが顔を出し、それが先回りして、どうしてか足元を覗くのが怖くて出来ない。
「出来ない」と決め込むと、足元ばかりか急に辺りの様子が怪しくなり、さめざめが顔を突き破って面に出てしまう。
影のような暗雲が立ち込め、冷たさを帯びた湿り気が満ちて、土砂降りのドブネズミ色に変わる様子がちらつく。
だから、
駆け足で、はしった。
もう朴歯のついた履き物のカランコランなんて悠長を、辺りに侍らせてる場合ではなかった。先を急がなければ。はやく帰らなければの一心が身体に張り付く。
なかにあるはずの一心が、こうして外に抜け出し、腰から上の身体にまで、顔の表皮まで昇ってくる。
わかってる。しんぱいなのだ。
足元ばかりかこうも辺りの様子まで怪しくなってく雲行きに、腰から上の様子まで不安になったら、まえみたように息をするのを無意識なんかに任せていると、急にそれも取られ、すべてが無くなってしまう恐怖が張り付く。
はやく帰らなければ
はやく戻らなければ
そう言って、見えない足元が先へと進める。
しかし、わたしは、どこへ帰るのだろう。わたしを待っている確かなものなど此処にはひとつとして無いのに。そう思ったら、それに気づいてしまったら、「一秒でも早く帰らなければ」を念じていた。ほどなく、先ほどの正座している板の間が帰ってくる。足の甲の皮と骨の隙間にある己れの肉の薄さをしみじみ感じる感覚が帰ってくる。
此処にある確かなものは、くるぶしを痛めつける板の間とそれに苦しむ痛さよりほか無いのだ。
それを分かっていながら気づかないふりをしてるわたしの哀しい存在しかないのだ。
それが分かっていながらいまだにそこで正座して念じているのは、「一秒でも早く帰ること」、その道すがらのことばかりである。