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15. 変化

15. 変化

 彼の出発が来週に迫った金曜日。帰り道、駅の改札のところで、

「明日、空いてる?」

 彼が言った。

「空いてます!」

「じゃあさ、ハイキング行こう。サイクリングでもいい。飛鳥を自転車で走り回るのってどう?」

「いいですね。行きましょう」

「じゃあ、明日、近鉄阿部野橋駅で、待ち合わせよう」

「……あの、私、お弁当つくります!」

「え? いいの?」

「前の、おにぎりのお礼です」

「ふふ。ありがとう。じゃあ、俺、飲み物とデザート用意するよ。でも、お弁当、あんまり無理しないでね。」

「大丈夫です。といっても、おにぎりと、卵焼きとウィンナー焼くくらいしかできませんけど」

「最高! どっちも大好き。 それに、俺、何でも食べるよ」

 彼が、嬉しそうに笑った。薄茶の瞳が、きらきらしている。

 この笑顔と、明日も一緒にいられる。夢みたいだ。


 次の日、私は、自分のレパートリーの中から、冷めても美味しく食べられそうなおかずと、いろんな具の詰まった、小さなおにぎりをいっぱい作って、カバンに入れた。


 楽しくて、あっという間に時間が過ぎた一日。


 あの日の彼の笑顔が、何度振り払おうとしても、すぐに心に浮かび上がってくる。

 ポケットから、スマホを取り出して、あいりのメッセージを見直してしまう。

『尾野さんが、帰国するらしいです。本社に復帰して、私たちのいてた課の新しい課長になるとのこと。先輩や私に散々苦しい思いをさせた難儀な課長は、よその部署に異動。何で今なん? もっと早くにかわってくれてたら、先輩、辞めずにすんだのに』


 尾野先輩が、アメリカに行った後、それまでの課長は部長に、私は主任に、他の課から来た新しい課長が私たちの課を、取り仕切ることになった。


 前の課長は、私たち、スタッフのひとりひとりにちゃんと目を配りながら、みんなが少しずつ成長できるように、仕事を教えて育ててくれる人だった。

「人材は、育てないと育ちませんよ。即戦力なんて言葉に、惑わされちゃダメです。あわてなくていい。丁寧に取り組んで、少しずつ力つけていきましょう。経験を重ねたからこそ、見えてくるものもありますからね」

 失敗しても、ちゃんとフォローしてくれて、その上で、どうすれば問題を解決できて、挽回できるかを、一緒に考えてくれて、励ましてくれる人だった。

 だから、みんなのびのびと仕事をすることができた。お互いの持っている情報を共有し合って、もし、誰かが急に具合が悪くなって休みを取ることになっても、誰かがフォローにつけるような、そんな体制が自然にできていた。

「私たちは、チームですからね。みんなで、協力しあって、いい仕事ができる方が、会社にとっても利益は大きいですしね。気がついたことやいいアイデアは、どんどん出し合っていきましょう」

 そう言って笑ってくれる課長を中心に、私たちは、まとまっていた。


 けれど、新課長の下では、その空気は一変してしまった。スタッフの入れ替えもあったけれど、何より、課長の姿勢が、全然違っていたのだ。

 部下は“育てるもの”ではなく、“使うもの”だ。そう思っている人だった。もちろん、チーム、という考えなんかない。情報は、自分の都合のいいように抱え込んで、人には教えない。そうすることで、気に入らない誰かの足を引っ張ることもできるから。


 新課長にとって、何より気に入らないのは、女がいろいろ意見を言ったり、中心になって仕事を仕切ることだった。もちろん、露骨に、そう口にするわけではない。

 ただ、ひとの足を引っ張るだけ引っ張っておいて、『あいつは、まだまだダメだ。力不足だ。困ったもんだ』と、いろんな場所で、グチのように噂を立てて回る。

 それを聞いた人がそれを鵜吞みにすると、噂された方は、さらに仕事がしにくくなる……


 そんな中で、前より責任のある仕事を任されることも増えた私は、段々気持ちが追い込まれていったのだ。教えてもらえなかった情報のせいで無駄足を踏んだり、しくじることも増えていった。


 尾野先輩とのやりとりも、お互いが忙しいと、どうしても、タイミングがずれてしまう。

 今、この瞬間、声が聞きたい。そう思っても、できないことの方が多くなって。

 向こうで慣れない環境で、必死にがんばっている彼の気持ちを思うと、自分のつらさや、グチなんかは、絶対に聞かせたくない、と思ってしまった。

 

 でも、ほんとは、声を聞きたくて。会いたくて。話を聞いてほしくて。それなのに、それを正直に伝えることはできなかった。


 そんな日々が続いて。

 私は、次第に疲れ果てて、そのうち、連絡を取ることすら、あきらめてしまった。

 メールのやりとりは、徐々に間遠になって、いつしか自然になくなってしまった。


 そして、私は、仕事を辞めて実家に戻り、今に至るというわけで。

 辞めた直後、誰かから私が辞めたことを聞いたのか、彼からメールが来ていたけれど、私は、

『ごめんなさい。お世話になりました。ありがとうございました』としか、返せなかった。

 せっかく、いっぱい仕事も教えてもらったのに、ちゃんと続けられなくて、彼が戻ってくるまで待てなくて、逃げ出してしまった自分が情けなくて。


 私たちは、十分にお互いの気持ちを出し合えるほどの関係になる前に、離れてしまったから、こうなってもしかたない。そう自分に言い聞かせながら……。

(でも、たぶん、一番ダメなのは、本音を話せないで、つい逃げてしまう自分なのかもしれない)

 そう思って、私はため息をついた。


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