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13. 聞いてくれる?


「教えて。なんでなの?」

 駐車場を出て少し行ったところで、信号が赤になった。先輩が私の方を真っ直ぐに見て、言った。

「俺を避けてるの、なんで?」

「さ、避けて」

 なんかない、と言おうとして言葉に詰まる。

「れ、練習してたんです。しゅ、修行してたんです」

 思わず出た言葉がそれだった。

 先輩は、え? という顔をして、一瞬私の方を見た。でも、信号が青になったので、すぐに前方に目をやって、

「……なんの練習?」

「へ、平気でいられるように」

「何を?」

「だ、大丈夫なように」

「何が?」

 先輩が、道の幅が広くなったところに、車を寄せて止めた。そして、私の目をのぞきこむ。


 薄茶色のきれいな瞳。長い睫毛。ハンドルにかけられた手がきれいで、一瞬ぼうっとしてしまう。

「なんの練習をしてるの? なんの修行なの?」

 私の瞳を真っ直ぐに見つめている先輩の瞳は、なんだか少し、潤んで見えた。

「ちゃんと話してよ」

 先輩の声が、あまりに優しくて、あまりに静かに心に入ってきて、私は、涙が溢れてきた。

(もう、こんな優しい声も聞けなくなるんだ。もう、これが最後かもしれない。2人でいられるのも、もう最後かもしれない)

 そんな想いがごっちゃになって、胸の中で渦を巻くようで、私は、言うまいと思っていた言葉を、口にしていた。


「……先輩がいなくなっても、大丈夫なように……会えなくても、声が聞けなくても、その笑顔が見られなくても、平気になっておかないと……って思って」

 そう言い終わるか終わらないかのうちに、先輩が、自分のシートベルトを外して、助手席ごと私を抱え込むように包んだ。

「なんで、そんな練習するの。なんで平気にならなくちゃいけないの」

「だって、会えなくなるし、遠くに行っちゃうし」

「ばか。確かに、遠くへは行くけど、会えなくなるって決めつけるなよ。会えなくても平気になんかならないでよ」

 先輩が、そっと体を起こして、私の目を見つめた。

「好きだよ。今の部署に異動してきてから、いつのまにか、好きになってた」


 心臓が破れそうなくらい早く打っていて、声も出せないくらい驚いている私に、先輩の顔がそっと近づいてくる。一瞬目が合って、彼は照れくさそうに笑うと、静かに、そっと、私のシートベルトを外した。

「好きやで」

 今度は関西弁で、言った。

 彼の腕が私を包み込んで、静かにそのくちびるが私のくちびるに触れた。



 しばらくして、目を見合わせて照れくさそうに笑った彼は、そっと私のシートベルトをかちりとはめ直して、自分も運転席に戻って、シートベルトを締めた。

「これ以上は、ストップきかなくなりそうだから。家まで、送るよ」

 そう言って、彼は静かに車をスタートさせた。


 私の家へ向かう道の途中、私は、照れくさいような嬉しいような、落ち着かないごちゃ混ぜな気持ちでいた。それは、どうやら彼も同じようで、お互い目が合うたびに、笑ってしまうのだった。

「なんか。顔がにやけてしまう。俺、カッコ悪いよね」

 彼が困ったように瞬きしながら言った。

「カッコ悪いついでに、いろいろ白状するから聞いてくれる?」

「?」

「俺ね、東京支社から、大阪本社に異動になって、今の部署に配属されて、実は、けっこう、心細かったんだ」

「え? 先輩が?」

 いつもゆったりと余裕の笑みで、仕事も周りの人とも上手くやっている人だから、そんな気持ちだったなんて思わなかった。

「そうだよ。関西は初めてだし、自分が受け入れてもらえるのかな、って不安だった。俺が初めて、出社した日のこと、覚えてる?」

「はい。荷物いっぱい抱えてはって。ちょうど、通りかかったから、私、声かけましたよね」

「うん。『どちらまで行かはりますか? 荷物1コ持ちますよ』そう言って、さっと、俺の荷物を手に持って一緒に運んでくれた。部署が一緒だってわかったとき、……すごく嬉しかった」

 横顔の口元が、笑っている。

「それから、ずっといろんな場面で、いいなあって思ってた。俺の代わりに受けた電話のメモが、とてもわかりやすくてきれいに書かれていたときも、いいなあって。さりげなく、資料コーナーの棚を整理してたり、みんなが仕事しやすいような気遣いや段取りができる人だなあと思ってた。誰かと話すときの声も、明るくて柔らかで、心地よくて、」

「……ちょ、ちょっと待って下さい。なんかどんな顔して聞いたらいいのか、こ、困りますよ~」

「照れる?」

 彼が、お茶目な声で笑う。

「でも、もう一つ、告白聞いて」

「……どうぞ」

「あの、おにぎり、いっぱい買っていった日、あったでしょ」

「はい」

「あの日、俺も出張先から帰る途中、飲み会参加しないか、って誘われたんだ。出先から帰り際にメッセージもらってね。残業してる人や保育園のお迎えで帰る人がいるから、男ばっかりで飲んでます~って。それでね。俺、まだ時間かかりそうだから、って参加を断ったんだ」

「そうだったんですか」

「でね、そのあと、大急ぎで、目の前のおにぎり屋さんで、おにぎり買ったんだ。どんな味が好きか分からなかったから、片っ端から。2コずつ。それで、必死で、大急ぎで帰ってきた」

「え? まさか……」

「そうだよ。あのときのおにぎりは、君のために買ったんだ。帰ってきて、君が仕事してる姿見て、めちゃくちゃ嬉しかったよ。俺が帰り着くまでに、君が帰ってたらどうしよう、って思って気が気じゃなかったから。いてくれてよかったって思った」

 私のアパートの前の通りが見えてきた。彼がゆっくりとハンドルを切る。

「いてくれてよかったって、そういう……」

「おにぎりが無駄にならなくてよかった、なんて単純なこと思ってたんじゃないからね」

「……そう思ってました。というか、そう思わなくちゃ、って」

「君は、もっと自信を持っていいと思うよ。……君は、」

 言いかけたとき、車はアパートの前に着いた。

「今日は、ありがとう」

「いえ! こちらこそ、ありがとうございました」

「いっぱい、告白、聞いてくれてありがとうね。君は、自分で思っているよりずっと、周りの人にとって大きな存在になれる人だよ」

 彼のほほ笑みが、胸にしみる。

「じゃあ。また、明日ね」


 彼の車が、ゆっくり走り出すのを見送る。

 一瞬、頭の中に、ドリカムの『未来予想図Ⅱ』の歌詞が浮かんだ。けれど、ブレーキランプは点滅することなく、静かに、角を曲がって見えなくなった。



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