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10. ここにいよう。


「野々原先輩。なんか、ここ、私たちが作ったのと違ってるんですけど……」

 1年後輩の坂下あいりが、首をひねりながら、私に差し出した書類を見て、私は、え? と目を見開いた。今回、私たちが、メインで準備を進めるようにと言われたプロジェクトの段取りが、知らない間に変更されている。できるだけ、スムーズに進行できるように、あらゆる事態について想定し、もし何かあったとしても、この場合はこうしよう、という対処法もきちんと考えた上で、組み上げた段取りだった。


 四日前に、課長に渡して、「見ておくから」と言われ、その後なんのリアクションもなかったので、特に問題ないということかな? と思って、並行して進めていた、他の仕事にとりかかっていたのだけど。

 今日、関係スタッフ全員に配付された書類を見て、あいりが言ったのだ。私は、他の部署からの電話を受けていたので、配付されているのはわかっていたけど、まだ見ていなかった。自分たちが作って内容はわかっているし、見るのが少しあとになっても、まあ大丈夫かな、と思っていたのだ。本当は、書類の印刷も配付も自分たちでやるつもりだったけど、それはこちらで内容を確認した上でやるから大丈夫と、課長が言ったのだ。

 

 急いで目を通すと、何カ所か手直しされている。それも、妥当な修正であれば、なるほど、と納得もできるのだが、え? どうして? そんなことしたら、あとでかえってややこしいことになる、と思われるようなことや、なんでわざわざ、こんなおかしな手順を踏むのか? とつっこみたくなるような、修正ばかりだ。

「これ、どういうことでしょう?」

 あいりが、眉間に縦皺を寄せている。

「誰かが手を入れたね。……それも変な方に」

 私は、頭を抱えた。いやな予感はしていたのだ。なんとなく。

「これ、なぜこんな修正が入っているんですか?」

 当然、私は、課長のところへ行き、書類を手に、納得のいかない修正について、質問した。

「必要やからそうしただけのことや。君らの段取りでは、あれこれ細かすぎるし、過剰に多方面に配慮しすぎてるところがあったから、そういうところは、サクッと削らせてもらったから。あまり、きちきちとした計画を作り込みすぎると、何かあったときに、融通が利かなくて困るで。ゆとりも必要やぞ」

 何度も納得のいかないところや、このままでは不備が起きる可能性が出てくることも主張したけれど、課長は、

「これは、菊田くんが、練りに練って修正してくれたんやから、ガタガタ言わんと、それでやったらよろし。君らが作った下案を最終的に、きちんとした形に整えてくれたのは、菊田くんやからな。文句言うどころか、礼を言うてもええくらいや」

 そう言って、話を締めくくってしまった。菊田くん、というのは、私の同期で、今回のプロジェクトでは、私の補佐をするはずだった。それなのに、何やら、課長に頼まれている仕事が忙しいからと、あまり手を貸してくれず、結局、私と、後輩のあいりが中心になって、あちこちと連絡を取ったり、調整をしたりして動いたのだった。それを、その調整をことごとくぶち壊すようなことをしてくれたヤツに、礼を言え、とは?

 怒りで、頭に血が上る。心臓がドクドク、ものすごいスピードで打っているのが分かる。

 課長と、目の前で得意げな顔でデスクの前にいる、菊田をぶん殴ってやろうか、と怒りが全身を駆け巡る。

 でも、結局、私は、そのどちらをぶん殴ることもなく、部屋を出た。思いっきり音を立ててドアを勢いよく閉めたのが、せめてもの意思表示だった。


 これまでに一生懸命取り組んできたことはなんだったのか。結局プロジェクトは、なんとか無事に終わったものの、私たちの計画通りに進めていれば起きなかったであろうこと、あるいは、起きてもうまく対処できたであろうこともいろいろあった。あのひどい修正さえなければ、と私とあいりはすごく悔しい思いをした。それでも、そういう不備については、不慣れな者が段取りを組んだからだと言われ、私たちのせいになった。そして、全体に無事に終わったのは、力の足りない若手(私のことだ)にも経験を積ませつつ、課長が指揮を執って部下の指導に力を入れたおかげ、となったのだ。

 

 ばかばかしかった。本当ならもっとスムーズに進められたはずのものを台無しにされたのも、悲しかったけど、結局、あんなやり方でもなんとかなってしまうのだと、わかってしまったことも。

 一生懸命やってきた自分の仕事って、結局、その程度のものだったのか。どんなに心砕いて、細やかにあれこれ考えて取り組んでも、大きな流れの中では、そんなもの、要らないのだ。

 そう。要らない。

(私は、要らんねんな。私なんかおらんでも、仕事は回る。)

 そう思うと、がっくり力が抜けてしまった。そして、毎日、淡々と仕事に行きはしたけれど、それまでの疲れが一気に押し寄せて、どうしても、気合いが入らなかった。

 毎日疲れが取れず、休みの日は、ただひたすら、ぐったりと家で寝転がって過ごした。

 そんなときだった。母の急病の知らせを受けたのは。

 急病で受診した病院で、そのまま即入院となり、そして、3日後に亡くなった。

 全部が急すぎた。

 お互い、なんとか元気でやってると、勝手に思い込んでいた。『便りのないのは良い便り』なんて言葉にすがって、気の向いたときしか、連絡していなかった。バチが当たった。そう思った。

 母のイトコと母の友人たち数人だけのささやかな葬儀を終えると、私には、もう、職場に戻る気力もなくなっていた。

(もういいや。ここにいよう。私がいてもいなくても、どうでもいい職場なんて、戻っても仕方ないし)

 そう思った。

 世の中では、女性の進出、活躍、なんて言葉が飛び交っているけれど、依然として、女性に進出も活躍もされたくない人たちがいる。そして、足を引っ張るためには、共有すべき情報さえ隠して渡さない、ということだって平気でやる。それで仕事に不備が生じようとも、だ。失敗したら、その人のせいにすればいいだけ。上手くいけば、自分のおかげ。

 もういいや。



 そして、私は、今、ここにいる。

 今日は、3人分のシーツや枕カバーを洗濯したので、物干し場はいっぱいにうまっている。

 よく晴れた青空の下で、気持ちよく洗濯物がはためく。

 洗濯を干しながら、前の職場のことを思い出したのは、さっき、スマホに届いた、あいりからのメッセージのせいだ。

 私が辞めたあと、あいりは部署は移動したけれど、そのまま職場にとどまっている。そして、その職場で聞いた話を伝えてくれたのだ。

 彼が帰国するらしいと。


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