高校生になりました
考えても見てください。あなたの近くにこんな奴いました?
え?いた?
シィー!!!黙っていてください!
映画を見終わったあと、僕らは近くの公園に行きました。
二人の映画館でも余韻を引きずりながら、気分よく歩いていました。決して花が咲き乱れる時期ではないのですが、僕らには花畑が見えていたと思います。まあ、少なくとも僕には。
そんな僕の頭の中で、兄貴の言葉がフラッシュバックします。
「公園のベンチ、間が出来たらキス!」
僕は鼻を膨らましながら、はやる気持ちを押さえつつ、公園内の販売所で売っていたソフトクリームを優子ちゃんに買ってあげました。
彼女はとても嬉しそうに、ソフトクリームを受け取りました。
二人で公園のベンチに座って食べていると、無性に胸がざわつきます。よからぬ衝動が、また僕を貫きます。むくむくとした黒いものが、僕の心の中で首を擡げてきたのです。
何でも食べるのが早い僕は、彼女が食べ終わらないうちにソフトクリームを食べ終わり、彼女がそれを食べるのを見ていました。
僕のすぐ横で、彼女は夢中でクリームを舐めています。
ほんとに至近距離なのです。
僕の胸は早鐘のように、ビートを刻みます。
彼女を上から下まで見て、やはり、一点で目が止まりました。
もちろん、お腹です。そう、腰のお肉です。
優子ちゃんは僕の彼女。見ず知らずの人でもないし、手も握っている仲です。それに僕の事好きなんだし、これは僕が触ってもいい状況じゃないんだろうか?むしろ、それで僕の事が分かってもらえて、仲が深まっていくんじゃないだろうか?
僕の頭の中のコンピューターが、かなりの確立で来るべき薔薇色の未来を予想しました。
そう言えば、ポッチャリした子のお腹は触った事あるけど、こんなに細い女の子のお腹の肉は触った事が無いじゃないか。
そんな事考えた事も無かったし、ましてや、中学に入ってから女性のお腹に触れた事なんて一回も無いのです。ああぁ、トランペットで鍛えられたお腹なんか、触れる機会なんてあるだろうか、いやない!
彼女の余分なものが付いていなそうで、健康的で、すらりとしたお腹や腰の辺りを見つめながら、僕はそんな事を思っていたのです。
そう思った瞬間、僕の中で欲望が洪水となって流れ出しました。
そして、僕は迷わず彼女の腰肉をつかみました。
それも縦に。
親指と人差し指と中指で。
あの時の彼女の顔は、今でも忘れる事が出来ません。
ソフトクリームを食べる彼女の口は止まり、すばやくこちらを見ました。
その時僕は、彼女のとても柔らかい肉を指の先で堪能して、満遍な笑みを浮かべていたと思います。
優子ちゃんの腰肉は、思っていたよりもお肉があり、僕の頭の中の物差しはぶっ飛びました。
「何・・・、してるんですか?」
優子ちゃんの震えた声が、僕の耳に入りました。
「なっちゃんって、いいお肉してるね」
僕はそう言って、やさしく微笑みました。
僕にとっては、これ以上無い最高の褒め言葉です。
しかし、彼女の反応は、僕にとって思いもよらないものでした。
彼女はいきなり、持っていたソフトクリームを僕の鼻にねじ込み、懇親の力を込めてビンタしてきたのです。
僕の鼻に、これでもかとクリームが詰め込まれたかとと思われると、それが一気に排出されました。僕は、心底びっくりして、何も言えずに彼女を見ました。
すると、彼女は、今まで僕が聞いた事の無いオクターブの声で叫んできました。
「先輩の馬鹿!死んじゃえ!」
そして、彼女は大泣きしながら、僕をそこのベンチに残して走り去って行きました。
それから僕が覚えていたのは、彼女の後姿だけでした。
僕は唖然として、しばらくそのベンチの背凭れにも垂れていました。
当然、その後に彼女の家に電話しても取り付いてもらえず、それどころか、彼女のお父さんからは女の子の接し方について一時間くらい説教をされました。
その時は、こちらから電話を切る分けにも行かず、僕はただ謝るばかりでした。
電話口で泣きながら謝っている弟に、何事かと思った兄貴達がやってきて話を聞いてきたので、僕が馬鹿正直に事の顛末を話したら、慰められるどころか馬鹿にされ、挙句にそれをお母さんに言いつけられてしまいました。
当然、僕はお母さんからも怒られる羽目になりました。
「今度そんな変な事したら、叔父さんの病院連れてって、金玉とってもらうよ!!」
僕はお母さんのこの言葉に、縮み上がる他はありませんでした。お母さんのお兄さん、僕のとっての叔父さんは外科医だったので、母親のその言葉にかなりの信憑性が当時僕にはあったので、それは相当堪える事になりました。
それに加えて、今まで何の悪評も立つ事は無かった中学生活の最後に、やっぱり小田切はお腹の肉が好きな奴なんだと言うレッテルを貼られ、それだけでなぜか変態と言う事になり、僕は女の子から嫌われる事になりました。
最後の最後に、中学校の女子全員に嫌われる様になるとは思いもよりませんでした。
本当に、女の子には一人でも変な事をするものではありません。僕と彼女だけの問題が、全女子と僕の問題までになってしまうのですから恐ろしいものです。
ただ、まあ、男子からは変に面白がられて、特にサッカー部の後輩はなんか慕ってくれました。
「武先輩なら、いつかこんな事してくれると思ってました」
とか、
「伝説ですね、伝説的変態ですね」
とか言ってきて、今まで見せてきてない僕の一面を見せれたようです。
当然、僕と優子ちゃんの仲は修復する事なんて無くて、それ以来卒業まで顔を合わせる事もありませんでした。
どうやら、(いや、かなり故意に)避けられていたみたいです。
しかも、あろうことか優子ちゃんは北村愛子に僕の相談をしていたらしく、皆の噂になった後に北村から、
「女心が分かってないね」
と、ぽつりと言われてしまいました。
何か妙に腹立たしかったのですが、全て自分のせいなので仕方ありません。
卒業する時も、後輩の彼女達と別れを惜しむ友達や、女の子達に囲まれる同級生を尻目に、僕は不貞腐れるしかありませんでした。誰か一人くらい、僕の制服のボタンを貰いに来るかと期待していましたが、案の定、誰も貰いに来てくれなかったので、悲しくなった事を思い出します。
あぁ、僕が安易に彼女のお腹を触らなければ、こんな事にはならなかったろうに。
そんな卒業式の帰り道、僕は結構早く咲いていた桜に呟きました。
僕、もう、お腹を触っちゃだめですか?と・・・。
そんな心の傷を追いながら、僕も高校生になっていくのでした。
僕が受験した高校は、家が近いという理由で、公立の東高でした。
まあ、あんな事もあったので、僕がやる事といえば勉強くらいしかありませんでしたので、高校には難なく受かりました。だから、受験は問題なかったのですが、別の問題と言うか、ビックリした事に、北村愛子も同じ高校を受験していました。
彼女が言うには、東高には全国クラスの吹奏学部があるらしくて、そこでトランペットを吹きたいと、推薦枠で僕より先に合格してしまっていたのです。
まあ、何もその事で僕が受験先を変える必要はないので、僕は最初の志望校を選んだ訳ですが。
同級生や、他の友達達も、それぞれの高校に散ってしまいました。
まあ、何人かは北村みたいに、同じ高校に進みましたが。
それでも確かに言える事は、とにかく、また、僕の事を知る人がいない環境が訪れたと言う事でした。
期待に胸を膨らませ、希望に満ちた新入生達の笑顔の中、人が賑わう高校の正門をくぐった僕は、硬く心に誓ったのです。
女の子の腰肉とは、関わらないようにしよう、と。僕の高校生活は、こうして幕を開けました。
今度こそ、まともで、真面目で、変に思われない人間になるんだ!
僕は、春休み中、その事ばっかり考えていたおかげで、いい作戦を思いついていました。
その作戦とは、「人と仲良くならない、喋らない!」と言うものでした。人と喋るからぼろが出てしまうのです。特に女の子とは絶対喋らないようにしよう。極力、男とも喋らないようにして、深くまで仲良くはならないようすれば、僕は中学の様にはならないと思ったのです。本来人見知りでもないし、どっちかって言うとお調子者な僕ですが、ここはあえて、皆を避けて、いつも一人でいるような感じにすれば、女の子も別に僕のことを気にする様な事はないだろうし、男友達すら近寄る事も無ければ、僕が腰肉を好機だって事がばれる事も無い訳です。
優子ちゃんとの事が、僕を必要以上に臆病にしていたと言う他ありません。
何もそこまで皆から離れる事は無いだろうに、とはその時は考えませんでした。確かに、男友達と話す時だって、そんな事を自分から言わなきゃ言い訳ですから、そこまでしなくてもと思うのですが、その時のぼくは若いと言うか、極端というか、そうする事が問題解決になると思ったのでしょう。
まあ、作戦通りと言うか、そっけない態度を取る僕は、教室では独りでいる事が出来ました。要するに、僕が腰肉好きだと言う事はクラスの誰も知らない状況になったのです。
ただ、部活には入りました。
体を動かす事は好きですし、馬鹿な事を考えないでボールだけを追っかけていたかったし、そっちの方が精神都合上良かったのです。そうでなくては、とても高校生活をまともに過せないと思ったのでしょう。実際、教室でまともに口を聞かないなんて、結構なストレスではありましたから。
ただ、その反動か知りませんが、部活には精力的に打ち込みました。まさに、ボールとお喋り状態です。周りの人にはよほどのサッカー好きだと思っていたらしく、担任の先生なんかは、よくそれを話題に声をかけてきました。
「おう、今日も部活か小田切!お前、よく頑張ってるな」
「はい」
「まだ、半年しかたってないから、大変だろ?」
「まあ、はい」
「一年の時は皆そうだよ。今年はいいとこまでいきそうか?サッカー部は?」
「はい」
「そ、そうか・・・。まあ、頑張れよ」
「はい」
「先生、応援してるからな!」
「どうもです」
とにかく担任の先生は、よく僕に話しかけてきました。
僕も先生には腰肉の話なんかする事は無いので、変な事を言う気使いは無かったのですが、何と無くいつもどおりの感じで接していました。
そんな態度がそうさせたのかは知らないのですが、先生は僕がふさぎこんでるから誰とも打ち解けられないのだと思ったらしく、中学校に先生に相談の電話を入れていた事を、かなり経ってから後で知りました。
そんなように、先生やクラスの人達ともあまり馴染んでいかない日々が続くのですが、物事は自分の思うように行かないものです。どう言う訳か、僕に興味を持つ人が現れてくるのです。人は、誰かが一人でいることを許さないのかもしれません。もしかしたら、先生に何か言われたのかも入れませんが、クラスの人気者や、クラスの人ではなくても授業が一緒になると、違うクラスの人が話しかけて来たのです。不思議な事が起こるものです。
そして、その中の一人に、渡辺由香という女性がいたのでした。
彼女と初めて会ったのは、僕が休み時間に、人目を避けるように非常階段で本を読んでいた時でした。
突然、日の日差しが遮られたかと思って顔を上げると、ペットショップのゲージの中を見るみたいな目をした彼女が、僕のすぐ目の前に現れてペルシャ猫みたいな声で話しかけてきたのです。
「こんにちわ」
僕はドキリッとして、彼女の顔を見ました。
彼女は僕の目を見ながら、笑みを浮かべながら僕の横に座って、短めのスカートを払いのけました。もちろん、その時の僕は彼女の事を知りませんでしたが、名札の色から彼女が二年生である事はすぐに分かりました。彼女が、大きなピンク色の口を一杯に広げて笑い、くりくりした目で僕を眺めるので、何故か僕は彼女に警戒感を感じませんでした。
僕がごくりと飲み込むと、彼女は鼻歌を歌うみたいに声を出しました。
「君、いつもここにいるよね?」
確かに、僕は休み時間になると、いつもこの非常階段で本を読んでいました。誰も来ないし、喋りかけてくれる人がいるクラスにいると、調子に乗ってよからぬ事を口走りそうでしたし、いつまでも意固地に無反応を貫き通すのも、さすがに気まずかったからです。ただ、僕の頭はその時理論的思考なんかとても出来なくて、彼女のいきなりの登場と、それに続く質問に自分がどうしていいか分からないでいました。
「どうしたの?お口、きけない?」
諭しかけてくるようなその言葉に、僕は顔を赤くして目を逸らしました。なんか、彼女があまりにも僕とかけ離れているような存在に見えたのです。とは言え、元来負けず嫌いで天邪鬼な僕は、落ち着いたふうを装って、真面目ぶった声で答えました。
「ここ、静かで、本を読むのに最適だから」
僕がそう言って彼女の目を見つめると、彼女は驚いたように目を見開きながら、今度は僕の読んでいる本に視線を向けてきました。
「何の本読んでるの?なんか難しそうだね?」
そう言って首を傾げる彼女の、シャンプーだかコロンの香りが、僕の鼻腔を擽りました。「は、帆船の歴史ってやつ。船の本なんだ」
「ふ―ん。船が好きなんだ」
彼女は、僕の持っていた文庫本に、血管が透き通って見えそうなくらい白い手を伸ばして、二隻の帆船が描かれているその表紙を覗きました。
「好きって言うか、なんか面白そうだったから。多分、親父が買ってきたんだと思うけど」
「ふ―ん。本、よく読むの?」
「まあ、時間があるんで」
「そっか。でも、触れてるって事は、きっと好きだからだよ。そうだよ。私、本あんまり読まないんだよね。漫画はよく読むけどさ」
自分の言った事に頷きながら白い歯を覗かせる彼女の横顔に、僕はすぐ好感を持ってしまいました。
「僕も漫画、すごく読みますよ。家に満喫みたいになった地下倉庫があるし」
漫画の趣味のかぶらない三兄弟のコレクションは、家のガレージ兼倉庫の半地下で山のように詰まれていて、いつも母親と喧騒の種になっていました。
「うそだぁ?作り話でしょ?」
彼女は大口を開け、目を細めて笑いました。
「本当ですって。そりゃまあ、大型店舗並みとは言わないけど」
棒がそう言っても、彼女は疑いの笑みを向けてくるので、何と無く腹立たしくなりました。
「まあ、どうでもいいですけど。てっ言うか、僕になんか用ですか?」
僕がそう言い捨てると、彼女は笑うのを止めて、急に真顔になりました。そして、ゆっくりと、その可愛らしい口を開きました。
「君、いつも一人でいるよね?」
そう言うと、彼女は悪戯っぽく笑いながら、僕の目の奥を見てきました。
僕は心の奥が覗かれたみたいでなんか恥ずかしくなりながらも、それがなんか嫌で少し強がりました。
「一人が好きなんですよ」
「でも、部活は行ってるじゃん。、放課後、校庭で走ってるの、私見かけるよ」
「え?」
僕の事見てる?僕はさらに強がりました。
「か、体を動かすのが、好きなんですよ。中学でもサッカー部だったし」
「ふーん。でも、ここに一人でいる事無いじゃん。もしかして、友達いないの?」
彼女はそう言って、また悪戯そうな笑みを向けてきます。
「い、いない事無いですけど。何だかいきなりだなぁ、何でそんな事聞くんですか、初対面なのに」
「だって、気になるんだもん、君の事」
「え?」
僕は、彼女の顔をまじまじと見ました。
この人は、何を言い出したのだろうか?
初めて会って、初めて話したと言うのに、いきなりすぎじゃありませんか?
僕は動揺を隠しきれませんでした。
「私、渡辺由香。宜しくね」