小さなこいのメロディ
読む人が読めばきっとわかるんだろうなぁ。
いえ、こっちの話です。
何しろ彼女から積極的に話しかけてくるので、いつの間にか、変に女の子に苦手意識があった僕も彼女に馴染んでいて、普通に会話するように間柄になっていました。
そんな彼女が、廊下の向こうから僕らの所まで走ってやって来たのです。
「あっ、北村先輩。お疲れ様です」
優子ちゃんは、脚立に乗っている北村に挨拶しました。北村も同じ吹奏楽部で、優子ちゃんと同じトランペットを担当しているので、優子ちゃんとは仲良しでした。
「なっちゃん、もうすぐ終わるよ。あと半面だけだから」
僕は笑顔になってそう言うと、せっせとペンキを塗りました。
「もう、遅いから、武士先輩、先に帰ったかと思いましたよ。よかった、帰ってなくて。さあ、早く帰りましょう。何なら、私も手伝いましょうか?」
「いいよ、いいよ。すぐ終わるから。あまり近寄ると制服汚れちゃうから。ペンキ付いちゃうよ。なぁ?」
僕は北村に話を振りました。
「うん」
北村はそう言って、ペンキを塗っています。
「だから、もう少し待ってて」
「じゃあ、向こうで待ってますね。友達と話してますから。あっ、武士先輩、帰る時、声かけて下さいね!」
そう言うと、優子ちゃんは僕にニコッとして、向うの方に行ってしまいました。
多分僕はその時に、かなりにやけていたと思います。
彼女と話していると、和んだんですよ。
「可愛いよね、優子ちゃんって」
「え?」
「何でもない」
北村は、脚立から降りてすぐそんな事を言ってきました。そして、そう言うなり急に、周りのペンキなどを片付け始めました。
僕は、そんな事気にしないで、残りの反面を塗りたくりました。
もう、あと少し塗れば、この柱は完成なのですから。
「後少しだから。お前、先着替えてとけよ。あっ、新聞紙捨てといてね」
僕がそう言い終わらないうちに、北村は黙って床の新聞紙を拾い始めました。
「私先に帰るから。あんたも遅くならないうちに帰るのよ」
「待てよ。皆で一緒に帰ろうよ。帰り道同じなんだからさ。なっちゃんも待ってるし」
「うーん。やっぱ先に帰るよ。ちょっと用事があるんだ」
「そう。それじゃあ、仕方ないなぁ。気をつけてな。明日また早く来るだろう?」
「うん。あんたも来るんでしょ?」
僕はペンキを塗りたくりながら答えました。
「当たり前だよ。じゃあな、お疲れさん!」
北村は何故か僕の頭を叩くと、「お疲れ」と言いながら荷物を持って、帰っていきました。何だか、その時こいつとは友達に慣れそうな気がして、そして、もっと早く彼女と打ち解けられたら、この中学生活も楽しくなってたんじゃないか、と思ったのを思い出します。
やはり僕も、皆との別れを感じていたのかもしれません。
そんな事を思いながら、その日、僕は優子ちゃんと帰りました。
この優子ちゃん・・・・。
実はこの子が、僕の初めての彼女でした。
待ちに待った学園祭はすぐにやってきて、皆それぞれに楽しく、一生懸命過ごしていました。生徒達の熱気が校舎を赤く染めるほど、その期間だけ中学校が活気に包めれている様で、当然実行委員の僕も大忙しでした。あっという間に開催期間の二日が過ぎていき、お祭りもあれよあれよと言う間にクライマックスに差し掛かっていきました。
学園祭の閉幕式が終わる頃になると、辺りはすっかり暗くなっていて、グラウンドの照明の明かりが校舎に引き上げていく皆を照らします。
体操着姿の生徒達は学園祭の余韻に浸っていて、校庭にはキャンプファイヤーの残り火があり、何人かが片付けをしているのが見えました。中には泣き出している女の子もいたりして、そんな光景を見ながら僕もなにやら考え深げになっていました。
中学での学園祭も、これで最後なのです。
そんな事を思いながら、友達と玄関に差し掛かった所でした。
突然、僕らの目の前に、女の子達が現れました。
僕らは歩みを止め、その子達を見ました。僕らの前に現れた女の子は三人組で、その真ん中にはあの優子ちゃんがいました。両端にいる子達は、いつも優子ちゃんと一緒にいる吹奏楽部の後輩でした。優子ちゃんは僕の目の前に来て、何やらもじもじしています。すると、横の二人が優子ちゃんの腕を押して、僕の方に押してきました。
僕の友達二人は、お互いに目を合わせると、「後でな」と言って、僕の肩を叩いて、玄関の中に行ってしまいました。
僕は一人そこに取り残されて、目の前にいる優子ちゃんと向き合いました。勿論、優子ちゃんのすぐ後ろには、お友達が控えています。
体操着姿が可愛らしい優子ちゃんは、もじもじしているのを止め、ちゃんと僕の方に向いてきました。両手を胸の前に重ねて指を動かしながら、少しうつむいた感じで僕を見てきます。
僕も何やら緊張してきて、何を言って言いか分からず、黙って彼女を見ていました。
すると、優子ちゃんはもう一歩僕に近づいてきて、口を開きました。
「先輩!」
「ひゃい?何?」
僕の声も上ずります。
「私、ずぅっうと前から、先輩の事気になっていました。実行委員の時、初めて話せて嬉しかったです。だから、だから、だから、私と付き合ってください」
優子ちゃんのほっぺが、ほんのり赤みさしていて、その震えそうな声に、僕の心は共振していました。何やら、理解できない感情がこみ上げてきて、恥ずかしいような、嬉しいような、とにかく僕は言葉にしようと思いました。
「僕も、君の事、好きだ!」
自分の気持ちも確かめぬままに、言葉が先に飛び出していきました。しかし、どうやらその言葉は優子ちゃんの心を捉えたようです。優子ちゃんは涙を流して、僕の胸に飛び込んできました。
「先輩!私、嬉しいです。先輩も好きだなんて言ってくれるなんて。これ、交換してください」
そう言うと、優子ちゃんは自分のしていた、青色の鉢巻を僕にくれました。彼女は僕の胸の近くで、目をきらきらさせながら、僕の方を見ています。
僕は興奮で何も考える事が出来ずに、自分の持っていた赤い鉢巻を、彼女の頭に巻いて上げました。今だったら、お前は何をしてるの?と言いたくなりますが、手が勝手に動いてしまったのだから仕方ありません。キャッキャッ、とはしゃぐ彼女を尻目に、彼女の友達二人は唖然として僕らを見ていました。
しかし、恋する乙女とお馬鹿さんの目には二人以外映りません。
まあ、お馬鹿さんはお馬鹿さんなので、しばらくして、やっぱりお馬鹿なことをしでかしてしまうのですが・・・。
その次の日は優子ちゃんと一緒に帰る事になっていたので、彼女は校門の前で僕を待っていました。僕は友達に冷やかされながらも彼女の方に行き、横に並ぶと友達達に手を振りながら、僕らは笑顔で学校から離れていきました。僕はその場で隣にいる彼女の手を握りたかったのですが、友達が見てると思うと恥ずかしくて握れませんでした。
彼女の方をちらちら見ると、彼女も恥ずかしそうにしていました。なので、裏道に入ったらすかさず手を握りました。
正直、それまで一言も喋ってはいなかったので、彼女も驚いたと思います。でも、彼女は何も言いませんでした。そして、そのまま何も喋らず彼女を家の近くまで送りました。
彼女の姿が、玄関のドアの中になくなるまで手を振りながら見送って、僕は自分の家に向かいました。
僕は歩きながら、自分に彼女がいる実感を味わっていました。
これが彼女なのか!
話には聞いていたけど、これが彼女と言うものなのか!
僕の頭の中で、優子ちゃんの顔が飛び回ります。
「生きてて良かった。母さん生んでくれてありがとう」
心の中で僕は叫びました。今思い出しても、痒くなる位、恥ずかしくなります。
まあ、それから何日か、僕らは手をつなぎながら帰る様な事を続けていました。まあ、学校があるからそんな事しか出来ません。
中学生ですし。
しかし、日曜日はすぐにやってくるものです。日曜日といえば二人とも休み。と言う事で、僕も彼女をデートなんかに誘って見ようと思い立ちました。
ドキドキしながらも、さっそく電話で誘ってみたら、彼女もノリノリな感じでしたので、僕のテンションは土曜の夜から上がりっぱなしでした。三歳上の真ん中の兄貴に色々聞きながら、お古のシャツなんかを借りたりして、生まれて初めてのデートの準備をしました。
彼女がどんな服着てくるだろうか?とか、
どこにご飯食べに行こう!とか
お酒はここで飲んで後は・・・とか
中学生の僕には、そんな事もちろん考える願望も余裕もありませんでした。
何しろ、彼女の事を考える事よりも、とにかく自分の事で精一杯だったのです。
次の日の朝、うきうき気分の僕に、今からデートに行く事を知っている真ん中の兄貴が色々吹き込んできました。やはり、年長者は経験豊富といいますか、僕の知らない女性の知識を色々知っていたので、兄貴は楽しそうに色々それを吹き込んできました。
しかし、僕の頭に残っていたのは、
「公園のベンチで、間が出来たらすかさずキスだ!」
と言う言葉のみでした。
僕の髪の毛をセットしながら、兄貴は他にも色々アドバイスをくれた様なのですが、僕の頭に入っていた言葉はそれくらいしかありませんでした。そんなに急にはスキルは身に付かないものなのです。
とにかく、僕は待ち合わせのバス停まで走っていきました。
バス停には腰の曲がったおばあちゃんが先にいて、ペンキの禿げかけた同じ様にくたびれたベンチに杖を突いて座っていました。田舎のバス停ですのでたいした設備はありませんので、僕は吹きさらしのそのベンチに座りながら、おばあちゃんの横に挨拶しました。そして、その後に僕がした事は、兄貴からもらった五百円玉を財布に入れる事でした。
あまり手持ちのない僕に、兄貴の心意気がしみてきます。
それからしばらく、隣にいたおばあちゃんに飴玉とかをもらいながら、僕が落ち着き無く待っていると、遠くから彼女らしき人影が現れました。
彼女が、遠くから手を振っています。
僕も手を振りましたが、少しして目を見開きました。
手を振っていたのは、確かに彼女でした。そう、お供を連れて・・・。
ビックリした事に何と彼女は、お母さんを連れてきていました。目を点にさせながら、それでも元気よく手を振りましたが、内心へんな緊張がしてくるのは隠せませんでした。
彼女も緊張していたのか、僕の近くに来るとお母さんの顔を見ながらはにかんでいます。
初めて会う彼女のお母さんは、若くて綺麗な人でした。
「娘を宜しくね。気をつけて行ってらっしゃい」
彼女のお母さんにそう言われて、緊張した僕は、頷く事しか出来ませんでした。きっと彼女のお母さんも緊張していたと思います。
それでも、彼女から手を繋がれ、ガチッと結ばれながらバスに乗る二人を、彼女のお母さんは微笑ましいものでも見るみたいに優しい眼差しでと見送ってくれました。遠ざかるお母さんを見ながら、彼女は手を振り、僕は隣で不謹慎にもワクワクして来ました。
隣町の映画館に行くだけだから、そんなに遠い旅ではないのですが、自分の中ではアフリカの未開の地に行くみたいな、それくらいの緊張感がありました。
何しろ、初めての事だったから仕方ありません。
ただ、その時これから彼女に失礼をする自分を知っていれば、彼女のお母さんに泣いて引き止めるように言ったのですが・・・。
一つ言えることは、娘を心配する親を尻目に、僕はかなりはしゃいでいた、という事です。
ただ、それは僕だけではなく、彼女も一緒の様でした。僕のワクワクする気持ちは、彼女にも伝わっていったのか、彼女もいつになくはしゃいでいました。
そう言えば、彼女が綺麗なエナメルの靴を履いていて、口紅にはピンクのリップクリームが塗ってあったり、髪の毛を少し巻いていたりしていた事を、今になって思い出します。
彼女もやはり気合を入れていたのでしょう。
お馬鹿な僕はそれを別に取り上げるでもなく、今から見る恋愛映画の事ばかり話していた気がします。
そして、僕らは二人してルンルン気分で映画館に入りました。
その時見た映画は、まったくよく出来た映画で、主人公がヒロインと一緒に海に呑まれて行く時には、彼女も僕も涙が止まりませんでした。
その瞬間彼女がしっかりと僕の手を握り締めた事が、その時も今も一番印象に残っていて、まるで、自分達も物語の中にいるかの様な、映画のワンシーンを撮られているような感じになったのを覚えています。
まあ、そんな自分達に酔っていたのかもしれません。調子に乗っていたと言って良いでしょう。