田代さーん!!!
悲しい場面です。
ぐっと心に染みるようにかけていたらいいなぁ。田代ファンがいたら(いるならですが)泣いてしまうかも知れませんね。
翌日、僕らは次の日に控えた広島公演の為に、東京駅のホームにいました。
新幹線での長旅を九条君が望んだので、時間の掛からない飛行機では無かったのですが、まあ、電車での旅をメンバーは楽しんでいました。朝早い時間だったのですが、ホームにはスーツ姿の中年や、旅行鞄を持った若者の姿が見えて、こだますアナウンスの中、それぞれに電車が来るのを待っていました。
そんなホームで一際僕の目を引いた、三人づれの若い女の子達がいました。何が僕の興味を引き付けたかと言うと、それは、彼女達は三人とも腰肉を強調した服を身に着けているのはもちろん、それがあまりに自然、当たり前だとでも言うような感じで佇んでいる、そのさまにでした。
思わず、僕は掛けていたサングラスを少しずらして見入ってしまいました。
二十歳前後の彼女達は、キャミソールにジーンズ姿だったのですが、少しきつめに締めたベルトの上には透き通るよな白いお肉がはみ出していて、そのお肉の上にきらきらする星のシールを張っていました。張りが合ってプックリと、今にも弾けそうな彼女達の「ラブ・ハンド」は、その真価を存分に発揮していて、僕のは光って見えます。
そんな、お腹の肉を楽しんで、お洒落を施している彼女達の様子を見ていて、僕の中に嬉しさとともに、自然と男の感情も起きてきました。
正直、僕はバンドを始めてから一回も女性と夜を共にすることがありませんでした。
坂を転がる石のように、余計なものに目もくれず走り続けていたので無理もなかったのですが、夢を実現できた達成感と、女性を求める自然な感情が今ちょうど僕の中で融合してきたのでしょう。男だから無理はありません。
これが上村さんや池内さん、最近では九条君だったら、すぐにでも彼女達に声をかけて、後で連絡を取り合ったのでしょう。実際彼らはファンの女の子達と飲みに行ったり、ライブが終わった後はよく夜の街に繰り出したりしていました。前からそっちの事は疎遠であった僕は、堅物と思われたか、興味がない人間だと思われたのか、自然に誘われなくなっていたので、僕が女の子と遊ぶ機会なんて作られない状態でした。。それに加えて、田代さんが同行してない今度のツアーは、運営するスタッフとのやり取りにも僕も加わっていたので、時間も無い、機会も無いのでは、遊ぶ間も無いのは当然でした。
ただ、男の欲望が無くなるわけではないので、徐々に高ぶる感情はこのツアーが終わってから存分に発揮しようと、悶々とした日々を過ごしながら、欲望を抑えていたのです。
まあ、「ラブ・ハンド」がここまで浸透し、腰を強調する女の子が増えた今となっては、僕がその気になればいつでもそんな女の子は手に入れる事が出来る訳ですし、焦る事はありません。
何しろ、僕は人気者なのですから。
僕は三人の女の子達を横目で見ながら、新幹線がホームに滑り込んでくると、すぐに気持ちを切り替えました。とにかく今はツアーのことを考えよう、やらなきゃいけない事は腐るほどあるのだから。そう思いながら、僕は新幹線に乗り込んで行きました。意気揚々と乗り込むメンバーと一緒にグリーン車の席に座りながら、広島ではどんな「ラブ・ハンド」達が待っているかと思い浮かべて、僕は窓の外を見ながら悦に入っていました。
しかし、そんな僕の高揚感を、一つの電話が吹き飛しました。
新大阪に差し掛かったあたりで、僕の携帯電話が音を立てました。
携帯電話の画面には、斉藤と出ていて、僕は彼がコンサート前に激でも飛ばしてくるのかと思いながら、にやけ顔で通話ボタンを押しました。
「あっ、斉藤さん?どうしたの?」
僕は向かいの席でふざけている池内さんを見ながら、そう言いました。池内さんはさっきからいろいろな人の物まねをして、僕らを笑わせていて、今はスタッフチーフの怒り顔を真似ていました。的を捉えている彼の表情に、周りのメンバーやスタッフはは声を上げて笑っていました。
「武士」
斉藤さんの押し殺した声が聞こえます。
「どうしたんですか?」
「田代さんが・・・・・」
僕が話している横で、上村さんが何やら大きな声を上げました。
「え?何?田代さんがどうかしたの?」
最後の言葉が聞き取れません。
すると、斉藤さんのくぐもった声が再び僕の耳に、今度はしっかりと聞こえてきました。
「田代さんが倒れた。今病院にいるんだが、危険な状態みたいで、今集中治療室に入ってる」
「え?」
一瞬、斉藤さんが何を言ってるか理解できませんでした。
「今日の朝、クリスタルの光一君が田代さんの家に行ったみたいなんだけど、救急車がマンションの前に止まっていて。もしやと思って駆けつけたら田代さんだったらしい。病院から俺に連絡があってな。すぐ病院に駆けつけたんだが、すぐ手術になったらしくて本人には会え無かったよ。だけど、まあ、何とか一命は取り留めたようだ」
斉藤さんはその経過を淡々としゃべってきました。
僕はそれを聞きながら、僕の表情の深刻な様子を察した北村と目を合わせていました。北村は心配そうに僕を見ています。
僕はすかさず、隣にいた上村さんの袖を軽く引っ張りました。
自然、僕は大きな声を上げました。
「命は大丈夫なんですよね!」
斉藤さんの落ち着いた声が聞こえます。
「まだ、予断はできないようなんだ。でも、今は大丈夫だ。お前達には早く知らせたかったんだが、何しろ急だったもんだから、すまん」
僕は自分の肩の力が抜けていくのが分かりました。
「いえ・・・。ありがとうございます」
僕は力なく答えました。
「明日は広島のコンサートがあるんだ。お前はそのことをまず考えるんだ。いいな。田代さんの事は俺に任せろ」
「でも・・・」
「わかったな。じゃあ、きるぞ」
斉藤さんがそう言うと、電話は切れてしまいました。僕は無言で携帯の画面を見つめました。
「どうしたんだ!?何があった?」
上村さんが僕の顔を覗いてきました。僕が顔を上げると、皆が僕の様子を伺っていて、一様に何が起こったのかと疑問の顔を貼り付けていました。
「田代さんが倒れたみたいなんだ」
僕の声に、北村がはっと声を上げ、メンバーの表情が曇りました。
「どんな状態なんだ?」
池内さんがさっきとは打って変わった顔で僕に聞いてきました。
「命は取り留めたみたいなんだけど・・・」
全員の表情がふと緩みます。
「まだ予断を許さないみたいなんだ。斉藤さんが病院にいるらしいんだけど、詳しいことは言ってなかったけど、集中治療室にいるって」
北村の表情が、すぐに驚きと不安に包まれるのが分かりました。
「俺、今から戻るよ。田代さんのとこに行ってくる!」
僕は北村の肩に手を置くと、皆の顔を見ながらそう言いました。
驚いたマネジャーが口を開きます。
「でも、明日は・・・」
「明日の昼前には戻ってくるから。ライブまでには戻ってくる。新大阪から戻れば、うまく行けば夕方前には向こうに着けるし。斉藤さんは任せろって言ってたけど・・・。俺、行くよ」
僕はいても立ってもいられなくなり、自分の荷物をまとめました。
皆はその様子を何も言わずに見ていましたが、九条君が口を開きました。
「武さんが行くなら、俺も行くよ」
その言葉に上村さんも立ち上がりました。僕は二人を見て、そして僕は九条君の前に立ち、肩に手を置きました。
「勇ちゃんの気持ちも分かるけど、俺に行かしてくれ。メンバーがみんなライブ前にいなくなるのはよくないし、それに、勇ちゃんは今日会場セッティングの打ち合わせがあるだろ。それに、一人なら動くときも何とでもなるから。皆も心配だろうけど」
僕の言葉に、上村さんが九条君の腕を優しく引き寄せて、座らせました。
池内さんは俯いていましたし、スタッフの顔にも不安の色が浮かんできていました。
北村を見ると、もう泣きそうになっています。
ずっと田代さんの事を心配してきた北村ですから、駆けつけたいのは山々なのでしょうが、今はこらえているようで、それが僕にはよく分かりました。
僕は北村のそばに近寄り、声をかけました。
「大丈夫さ。強い人だから」
北村は黙って頷き、自分の席に座ると、僕の左手を弱く握ってきました。
電車のスピードが徐々に落ちてゆきます。
同時に社内に車掌のアナウンスが流れ、もうすぐ新大阪につく事が分かりました。
「東京行きは反対のホームですぐに乗れるようだから。会社の人間に車用意させといたから使ってくれ。これ、携帯番号」
マネージャーが僕に小さな紙切れを渡してきました。北村はすっと手を離し、窓の外を見ました。
「ありがとう」
僕はそれを受け取ると、左のポケットにねじ込みました。
電車がホームに滑り込んでゆき、ホームで立っている人の顔がわかるようになると、僕は皆の肩に触れながら、通路を歩いてゆきました。
九条君はブすっとした顔をしていましたが、よろしく頼むというように僕を叩き、メンバーや他のスタッフ達は心配そうに僕を見送りました。
ドアが開くと、人々の声やら電車の線路をきしませる音、ホームのアナウンスが僕の耳に飛び込み、感覚を揺さぶらせてきます。そして、人の波が押し寄せてきましたが、僕は書き分けるようにその波の中を走ってゆき、東京行きのホームを目指しました。
☆☆☆☆☆☆
「来ちまったか・・・」
僕が病院に着くと、田代さんは一言、そう言いました。
僕が東京に着く前に意識を取り戻した彼は、そこの病院の特別病室のベットに横たわっていて、顔に覆われた酸素マスク越しに隣に腰掛けている僕を見ていました。何とか一命は取り留めたものの、白いシーツに横になっている彼の姿は生気を失っていました。夕方の強い日差しでさえも、彼の体を溶かしてしまいそうです。
「当たり前です」
僕は田代さんの手を握りました。
その手は黒くよどんでいて、とても生きている人の手とは思えないほど力なく、前に僕を叱咤激励した手とは思えないほどでした。
「ばか、だなぁ。来な、くても、よかった、のに」
田代さんは弱弱しい声を、やっと出しました。生命をつなぐ機械の音が常に聞こえているので、耳を地被けなければ聞き取れないほどでしたが、この音が聞えなくなる時は彼の命が無くなる時、僕はしっかりと耳を立てて声を拾いました。
しかし、聞こうとするだけで、これがあの田代さんなのかという思いが胸にこみ上げてきて、自然に目元が熱くなってきます。
「ばか、だ、なぁ。泣く、なよ」
田代さんの指が、弱弱しく僕の指を握ってきます。そして、驚くほどしっかりとした声を出してきました。
「お前らは、俺の最後の、作品だ。俺の、な。俺には、家族はいない。でも・・」
田代さんは一つ息を呑みました。
「お前達がいる。お前、達は、これからだ」
そう言うと、田代さんは息を荒げて、力無く頭を枕に沈ませると、遠くを見るように天井を見上げました。
「もっと、見て、いた、かった。くそ。こん、なんじゃ」
そう言うと、田代さんの頬に一筋の涙がこぼれました。
「まだ、見ていてください。大丈夫。きっとまた見れますよ」
「馬鹿、だなぁ。自分の、事は自分がよく、わかってる。俺は、・・・だめだ」
「何弱気になってるんですか!田代さんがそんな事言うなんて」
「こんな、になれば、・・・」
田代さんは力なく口をゆがませて笑いました。
「一人・・・きりで・・、死ぬのは・・・一人・・」
「何言ってるんですか!そんな・・」
田代さんは僕の言葉を、やや大きな声で遮りました。
「武士。一人で、生きちゃ、だめ、っだ。いいか、大切な人・・・・大切、にする・・・んだ・・・」
一瞬目を見開いた田代さんはすっと力なく目を閉じ、それに伴って、ベットのそばの機械が音を立てました。僕は部屋の隅にいる若い看護士の方を振り向くと、彼女はすでに医者に連絡を取っていて、それがすむと僕を弾き飛ばして、田代さんの意識を取り戻しにかかりました。すぐに医師もやってきて、田代さんを蘇生させようと、両手に黒板けしみたいな装置で電気ショックを与えて、脈を取り戻しにかかりました。
田代さんの脈拍が、僕の目と耳に入ってきます。医師がもう一度電気ショックを与えると、僅かながら脈が戻りました。
「よし!」
医師がそう声を上げると、何人かの看護士が田代さんをベットに寝かしたまま病室から運び出して、そのまま連れて行ってしまいました。
僕はそれをなすすべもなく見ているしかなかったのですが、田代さんが病室から運ばれていくと、それについて行こうとしました。しかし、すぐに若い看護師が僕の前に立ち、それを遮りました。
「集中治療室で様子を見ますから」
その言葉に、僕はただ田代さんが運ばれていくのを見ているしかなく、これから何をしていいかも分からなくて、頭が真っ白になりながら、その場に立っているしかできませんでした。
その看護師は僕が落ち着いたのを確認すると、その場から離れてゆきましたが、入れ違いに、斉藤さんが僕の傍に駆けてきました。
「武士!どうしたんだ!」
彼は缶ジュースを持っている手を強く握り締めて、僕にそう問いかけてきましたが、僕は答える代わりに、彼にしがみついて声を上げて泣きました。
泣くまい、泣くまいと心の中で何度も叫んだのですが、どうしようもない事に対する悔しさと、田代さんが死んでいくことの実感が抑えられなかったのです。
僕には何もする事が出来なくて、田代さんを救う事が出来ない。
今まで自分で手には入れてきた事も、何一つとして役には立たないし、一人の人間を救う力なんてない。
何かを変えようとしてきたのに、人の運命は変えることができなくて、むしろ、自分が変えようと思ったばっかりに、人の運命を変えてしまった。
彼がここまで、死ぬまで体を酷使したのは、僕が彼と関わったからだ!
そんな事が浮かんできます。
泣きながら、僕の頭の中に色々な感情が噴出してきて、それが僕に、自分が無力であると言う事を、感じさせたのです。
そして、その晩、田代さんは息を引き取りました。
僕と斉藤さんと何人かの音楽関係者が、夜遅くまで病院の待合室にいたのですが、十二時も過ぎたあたりに担当の医師から田代さんの病状が急変した事を告げられてから、あっという間に亡くなってしまいました。