密室はなにかある
ドキドキしちゃうよね。未だにドキドキしちゃうよ!
いや、今はドキドキしたらいけない気がする。怒られる気がする。
でも、ドキドキしちゃいたいよね。
そうでしょう?
まあ、真ちゃんも諦めたようにビールを飲み始めたからですが。
僕は笑って、真ちゃんの肩を叩きました。すると、真ちゃんは肩をすくめました。
陽ちゃんや女の子達はもうかなり顔が赤くなっていて、北村も珍しく、少し酔っているようです。禄ちゃんは暖めていた赤ワインを取り出して、真ちゃんが持ってきていたワインオープナーと悪戦苦闘しています。真ちゃんが力を貸そうとして、ワインをあけようとしたら、コルクが折れてしまいました。みんなそれを見て大笑いです。コルクは瓶の口の奥にあるらしく、禄ちゃんがあわてて取り出そうとしますが、結局取ることが出来ず、諦めた禄ちゃんはコルクをそのまま押し込んでしまいました。
「そうやって押し込むものなの?」
少し回らない口調で、北島が聞いていると、禄ちゃんは少し怒ったような口調で答えてきました。
「まあ、ちょっと違うけどさぁ、飲んじゃえば一緒だよ。たいした違いなんてないさ。どうせ安酒だろ?」
真ちゃんがその言葉に食いつきます。
「何?親父の酒を馬鹿にするなら、飲まなくていいぞ!」
「いやいや言葉のあやだよ。おっ、なんかいい香りがする。真ちゃんもどうぞ」
禄ちゃんは紙コップにワインを注いで、真ちゃんに渡します。そして自分のコップにも注ぐと、二人でいっせいに飲みました。
「渋い!?何だこれは、なんか想像してたのと違うよ。親父、こんなの飲んで楽しいのかなぁ?なんかいっぱい集めてるみたいだけど」
そう言うと、真ちゃんはまたビールの官に手を伸ばしました。同じワインを飲んだ禄ちゃんはと言うと、首をかしげながら、またワインを自分の紙コップに注ぎました。
そうこうして、みんな何事もなく、楽しく飲んでいると、廊下の方からなにやら足音がしてきました。
それに気がついた真ちゃんがあわててリモコンに手を伸ばし電気を消しすと、皆もそれに合わせてその場に伏せました。
一瞬の沈黙が流れます。
すると、ドアが少し開き、部屋の外の光が差し込んできました。
僕は息を潜めて、顔を炬燵の布団に押し当てました。
何時真ちゃんの親父さんの声が響くかとびくびくしていましたが、何の音もしないでドアは閉められました。そして、階段を下りる足音が聞こえてきたので、真ちゃんは部屋の電気をまた点けました。
「びっくりしたね」
女の子三人が、顔を見合わせます。僕は体を起こして、飲みかけのビールに手を伸ばし、口に含みました。いきなり来た緊張に、なんか喉が渇いたのです。周りを見ると、陽ちゃんが床の伏せたときにこぼしたポテトチップスを片す傍らで、米山がそれを手伝っています。僕の隣にいた北村は何やら雑誌を見ているし、紙コップを持った禄ちゃんは、酔っ払いと化した北島の話を頷きながら聞いています。真ちゃんも、僕の後ろでなにやら探し物をしているようです。
時計を見ると、もう二時半を回っていました。
しかし、眠る気配なんてこの部屋には流れてなくて、今日はこのまま朝を迎えるのかなぁ、なんて思っていると、また誰かが階段を上ってくる音が聞こえました。
「皆、寝たふり!」
真ちゃんが小さくそう言って、電気のスイッチが押され暗くなると共に、皆その場に伏せました。
僕も、また炬燵の布団に顔を埋めます。
また部屋の中が静かになると、やけに外の音が聞こえるもので、外にいる人がドアの前まで来ているのがはっきりわかりました。それに加えて、自分の心臓の音も聞こえてきて、暗闇の中でゆっくりと時が流れます。僕は息を呑みました。すると、思いもよらないことが、そこで起きました。
僕の左手の平に、誰かが手を重ねてきたのです。
僕は、どきりとして一瞬体をかすかに震わせましたが、その手は僕の手の平の上で、握るでもなく、動くでもなく、ただ重ねたまま、動かないでいました。次第に、その手の温もりが、僕にも伝わってきます。余りの事に、僕は手を握り返すことも、振り向いて誰か確かめることも出来ず、ただ布団に顔を埋めていました。
部屋の外の人は、ドアを開けるでもなく、そこにたたずんでいるようで、誰も動き出そうとはせず、部屋は暗いままです。僕は自分の手の上に、誰かの手を重ねたまま、このとても長く感じる一瞬を過ごしました。
とっ、外の人が歩いて去っていく音がすると、同時にその手もさっと引かれ、僕の手からその重みが除かれました。
そして、再び電気が点きました。
しかし、僕はそのまま伏せていることにしました。
そのまま、頭の中を整理しようと思ったのです。頭の上を、真ちゃんがまたいで行きます。みんなはそれぞれに何かをしているようで、後ろから色々な音が聞こえてきます。「武、寝ちゃったみたい」
北村の声が聞こえます。
「寝かしときな。それよりこれ見てよ」
陽ちゃんの声が聞こえます。
「何々?あっ、中学のアルバムじゃん」
僕の頭の中で、この部屋の鳥瞰図が浮かび、僕の手に手を重ねてきた人物の割り出しが始まりました。僕の正面にいる陽ちゃんと北島、一番遠くにいる米山と禄ちゃんはまずあの時動いたとは考えられません。考えられるのは、僕の隣にいた北村か、後ろにいた真ちゃんだけです。
その二人しか考えられません。
僕の頭は、クエスチョンマークで一杯になりました。
なぜ故、その二人が僕の手に手を重ねてくるのだろうか?真ちゃんが僕の手を?何を考えているんだ、あの男は。明らかにおかしいだろう。じゃあいったい・・・。
もしかすると、北村が・・・。
もしかしたらあいつが僕の手を。でも、まさかあいつに限ってそんな事するはずが無い。あいつはそんな事をしてくるような奴じゃあない。
そんな事をするって事は、いったいどうしようとしたのだろうか?
毒でも盛ろうとしたのか?まあ、それはいくらなんでもないだろう。
では、何であんな感触が、僕の手にしたのだろうか?
確かに、誰かが僕の手の上に、手をおいてきたのです。僕は確かに酔っ払ってはいました。それは間違いありません。
でも、幻なんかじゃないです。
ただ、いくら考えてもその時は、明確な答えがいまいち浮かんできませんでした。
真ちゃんにしろ、北村にしろ、いったいどんな理由で手を乗せて来るのかが分からなかったので、僕は寝た振りをしながら、頭をめぐらせて答えを求めました。
でも、お酒のせいでしょうか、僕は不覚にも、答えの見つからないまま眠りに落ちてしまいました。
お酒のせいか、とてつもなく深い眠りが起こってしまい、僕が起きたころには昼過ぎになっていて、女の子は勿論、禄チャンも陽ちゃんもいませんでした。僕が起きると、真ちゃんが、部屋の後片付けをしています。
「おはよう。みんな帰ったの?」
よく真ちゃんの顔を見てみると、左の頬が異様に赤くなっています。真ちゃんは無言で頷きました。
「どうしたの、その顔?」
「親父に殴られた。」
「どうして?」
真ちゃんはゴミ箱にゴミをねじ込んで、机の上の空き瓶を指差しました。
「親父の酒、なんか大切なヤツだったみたいで、朝起きたらいきなり殴られたんだよ。信じられないよな、たかが酒でよ。たった三本飲んだくらいで殴らなくてもいいのにな。」
真ちゃんは顔をさすります。僕は、痛そうなその顔を見てかをゆがめました。
「皆、朝方までいたんだけど、親父に怒られる俺を見たら、早々に引き上げてったよ。」
「そんな事があったの?ぜんぜん気が付かなかったなぁ。そうかぁ、悪い事しちゃったね。皆で、また買い直した方がいいかな?」
真ちゃんは首を振ります。
「いや、そんな事しなくていいよ。なんか、親父、もう手に入らないとか何とか言ってたし。まあ、怒ったらそれ以上は言わない人だから、親父は。気にしなくていいよ」
「そうは言ってもなぁ。じゃあ、今度真ちゃんになんかプレゼントするから。本当にごめんな」
真ちゃんはにやりとして、空き瓶を持ち上げました。
「まあ、期待しないで待ってるわ。皆にも謝られたけど、俺は気にしてないから。それより、また飲もうぜ。うちでも、どこでも」
「おぉ、そうしよう。今度は俺が、酒用意するよ」
真ちゃんは笑いながら、階段を降りて行こうと、ドアの方に向かいました。その時、僕は昨日の疑問が浮かんできて、真ちゃんに謎を解いてもらおうと声をかけました。
「真ちゃん、昨日、二回目に電気消したときさぁ、俺になんかした?」
真ちゃんは、変な顔してこたえます。
「はぁ?何言ってんの。何かする訳ないだろが。電気消して、伏せてたよ」
「そうだよね。いや、何でもないんだ。気にしないで」
「変なの」
そう言うと、真ちゃんは階段を降りていきました。僕は頭を掻きながらねっころがって、天井を見ました。
世の中、よく分からない事が起こるものです。
真ちゃんの家での一件以来、学校で北村を見かけたら声をかけるようにしました。
それまでは、クラスも違ったので顔を合わす機会もあまりなかったのですが、冬休みが終わり、学校が始まりだすと、挨拶くらいは交わすようにしました。
ただ、彼女は吹奏楽部が急がしそうで、僕に構ってる暇なんかないらしく、外で遊んだり、特別に会ったりは無論しなかったのですが。
僕はと言うと、部活も行かないし、彼女もいないので時間がたっぷりあるくせに、勉強なんかやる気にならず、将来の事も何にも考えていなかったので、学校が終わると本屋に行くか、兄貴のギターでコードの練習をするとかしていました。
まったく貴重な青春時代を、ほぼ一人で悶々と過ごしていたといっていいでしょう。
まあ、おかげで楽器が弾ける男の一員になり、どうしようもない知識を得る事は出来ましたが、まあ、それがその時目立って役に立つことはありませんでした。文化祭に何かでも、生徒のバンドが出たりして皆の注目を集めていましたが、その時の僕にはまったく興味がありませんでした。まあ、バンドを組む人がいなかったのと、単に恥ずかしかったためなのですが。その時の僕の考えでは、音楽は自分で楽しめればよかったのです。
そう、そんな時でも、僕は「ラブ・ハンド」の事は忘れてはいませんでした。
むしろ、由香先輩の一軒が会ってから、それにのめりこんでいったと言えるかもしれません。それも、論理的にと言うか、もっと、学術的にそれに向き合っていたと思います。色々な本の知識を集めて、自分の中の「ラブ・ハンド」と言うもののあり方を構築していったと思います。印象に残っているのは、二年生の時にした美術でした。
二年生になり、勉強のレベルが高くなって主要科目の成績が落ちる一方になっても、美術の成績は落ちませんでした。僕が粘土で造った「女性の腰の像」はコンクールの特別審査員賞を取り、成績は一番良かったと思います。まあ、実技だけなのですが。
その時のやる気のない僕の成績は、学年でも最下層に位置していて、三年になる頃には、先生達にも見放されたような状態になってしまいました。
なので、まあ、僕がする事といったら、本を読むか、ギターをかき鳴らすか、寝るか、「ラブ・ハンド」の事を考えているかしかないのですから、どうしようもありません。
ただ、その時には進路指導教官になっていた、一年の時の担任の先生だけは、僕の事を可愛がってくれました。先生は政治、経済が専門の社会科の先生でしたが、三年生の時の僕の受け持ちでは、論文の授業をしていました。テーマに沿って自分達が思っている事を文章にして、それを先生が採点してくれるのですが、なぜか先生は僕の思ってる事を気に入ってくれて、僕の書く事を良く褒めてくれました。
馬があったとしか言いようがありませんが、僕もその先生の事を信頼するようになりました。
そして三年の夏休み前、先生が出したテーマは「異性の特徴とその相違」と言うもので、これを見た瞬間、頭のスイッチが入ってすらすらとかけている自分がいました。
今まであった「環境問題と自分の未来」とか、「少子化と年金問題」なんかよりずっと魅力的なテーマですし、何より僕の人生のテーマでもありました。言う前もなく、僕は「女性の腰の肉」について熱く書きました。まだ、「ラブ・ハンド」と言う名称は自分の中で無かったので、女性の腰肉について論文にしたのですが、こんなに考えが自分の中で纏まっていることがらもなく、期日より実に三日も早く先生に提出しました。ただ、その間他の事はしていませんから早いはずなのですが、まあ、僕の「ラブ・ハンド」に対する思いはすべて書き現したつもりでした。僕は先生を信頼していましたし、何より書いているうち止まらなくなってくるのですから仕方ありません。