表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

Follow me along the road that only love can see.

作者: あげ

 近頃、死んだ妻の夢をよく見る。夢の中で、僕は中年男の姿のままなのに、妻は少女の姿をしている。なんだか歪だね。僕が見た最後の妻は母親になった姿であった。妻は娘を産んだ後、その短い生涯を終えたのだ。まだ二十代だったというのに。娘が無事に産まれただけでも僥倖だ、なんて殊勝な気持ちはない。僕の血が半分も入っている子供だけが助かってしまってもしょうがないじゃないか。僕は娘を愛していない。血が半分しか入っていないとは言え、妻の子供でもあるのだから、愛そうと努力はした。ところが、娘が赤子から幼児に幼児から少女に少女から女になるにつれて、愛情と呼べるものはどんどん薄れていった。娘は僕に似るばかりで妻の面影はどこにもない。子供を作ったのは妻が望んだからだ。そもそも、母親になった妻なんて見たくなかった。それでも、二人で生きていけるなら我慢出来たというだけのことだ。それなのに、こんなことになるなんて。僕のせいで妻は死んだのだ。今でもずっと悔やんでいる。


 夢の中の妻の年齢は恐らく十五歳くらいだと思う。夢というのは奇妙なもので、時空が滅茶苦茶なのが常だ。でも、「いつ」「どこで」「なにを」「なぜ」「どう」とかのシチュエーションはバラバラなのに、出演者は妻と僕の二人だけだと決まっている。しかも、僕は今の僕の姿でしかないのに、妻は初めて出会った日の妻の姿をしているんだ。だから、ああ、これは夢だ、と気付いてしまう。そうすると、どうしようもなく悲しくなってしまうんだよな。やっぱり、心の片隅では死を受け入れられていないのかな。目が覚めたら、ひょっこり帰って来ているんじゃないか? と幾ばくの夢想をしたことだろう。


 今日の夢の中の妻は、麦わら帽子に白いワンピースとサンダルという夏の装いだった。こんな格好で一緒にヒマワリ畑に行ったこともあったね。そのとき撮った写真は本当に綺麗だったから遺影にもしたんだよ。──急に場面が転換する。辺りは一面のヒマワリ畑になっていた。こんな突飛もない展開も夢にはよくあることだ。ふと僕の恰好を見ると、景色は真夏だというのに、暑苦しいスーツ姿だった。服装までちぐはぐじゃないか。こんな奇妙な状況も夢にはよくあることだ。妻は一人でヒマワリ畑を進んで行ってしまう。全盲であったはずの妻が、白杖なしで軽やかに、ヒマワリ畑の小径を歩いて行く。これは夢だからね。追いかけると、やたらと体が鈍重になって、不思議な浮遊感のある抵抗力が邪魔をする。どんどん距離が広がって、後ろ姿が辛うじて見えるくらいになってしまった。

「待ってくれ、置いて行かないでくれよ」

僕がそう叫ぶと、妻は遠くから振り向いて、微笑みながら手を振った。嫌だ。例え、夢だとわかっていても、こんなのは嫌だ。


 そうだ、これは僕の夢の中だ。それなら僕は何でも出来るんだ。故に、ただ、がむしゃらに走った。──場面が転換する。僕の手の中には、一回り小さな妻の手が握られていた。妻はきょとんと訝しそうな顔で、息を切らす僕の様子を伺った。そうだね。現実じゃないのに、こんなに疲れるなんておかしいね。もう決して離れないように、僕よりずっと矮躯の妻を抱きしめる。不思議と人間の体温が感じられた。

 「君はもう、いないんだよね。死んでしまったから」

 「僕も死んだら君の元に行けるのかな」

 「でも君は天国にいるけど、僕は地獄にいるかもね」

 「死んだらどうなるのか、なんて興味はないけど隣に君がいないのは嫌だな」

 「天国でも地獄でも君がいないのは嫌だ」

 夢の中の妻はいつも喋らない。何も喋ってくれない。会話とは呼べない、一方通行の言葉だけが僕の口から溢れ出す。もしかして、もう僕が声をよく覚えていないからなのかなあ。妻の鼻歌が録音されたテープは、擦り切れてもう再生出来なくなってしまったけど、大切にしまってある。何度も何度も繰り返し聴いたのに、人間の記憶とは曖昧なものだよね。凛として落ち着いた、それでいてどこか少女らしいあどけなさもある、声の印象だけが残っている。強いて言えば、娘は声だけなら妻に似ていたように思う。絶縁状態なので、もうその声を聞くことはないだろうが。


 無言のまま、妻は抱きしめ返してくれた。身体同士がより密着して、薄い肉の柔らかさの中に骨格を感じる。華奢な肢体は、力を強めたら砕けてしまいそうな危うさがあるけれど、しっかりと僕を受け止めた。フリージアの匂いがする。香水は付けた人間によって香りが変わるものなんだね。昔は忌々しいとすら思っていた香りが、今は愛おしくて仕方がない。でも、全て僕が作り上げた偽物なんだよな。僕の願望の産物に過ぎないけれど、隣にいてくれるだけで幸せだ。目が覚めたら、消えてしまう幻だとしても。気付けば、僕は泣いていた。夢の中でも涙が出るんだね。妻は僕の涙を指先で拭ってくれた。かつて彼女がそうしてくれたように。


 ──場面が転換する。ヒマワリ畑の中で寝ている僕の上に妻が覆い被さっている。長い髪が顔面をくすぐって、こそばゆい。指を通して撫でると、艶やかな滑らかさが気持ちかよかった。ああ、懐かしい。いつも妻の髪型を三つ編みのハーフアップにするのが僕の役目であった。勢いよく風が吹いて、麦わら帽子を空高く攫っていってしまった。僕が取りに行こうとすると、妻は首を振った。

 「どうして?」

 僕が尋ねても、相変わらず、妻からの返事はない。瞼がゆっくりと開かれ、妻は僕をじっと()()。虚空の瞳には、うんざりするほど見慣れた、陰気臭い男の顔が映っている。この顔は嫌いだ。おかしな話だが、()()()で欲しかった。いや、もしかしたら夢だから()()()()()のかもしれない。思わず目を逸らすと、妻はやおらワンピースを脱ぎ出した。下着はなかったので、すぐに少女の裸体が露わになる。

 「……こんなところで脱いだら駄目だよ」

 僕はジャケットを脱いで、妻の肩に掛けた。しかしながら、口ではそう言いつつも、僕は妻の身体に見とれていた。今まで抱いた、どの女のものよりも美しい。乳白色の肌は一点の曇りもない。胸には青い血管が透けて見える。胸から腹の曲線には少しばかり肋骨が浮いていた。腰は細く、くびれはあまりない。そう言えば、妻の身体を初めて目にしたときも、年端もいかぬ少女のようだったな。僕の行動の意味が理解出来なかったのか、妻は首を傾げた。君は、誰なんだ?これじゃあ、まるで白痴じゃないか。わかっているんだろ。誰でもない、自分の欲望の化身。なんて、醜悪なんだ。もういない人間を慰みものに貶めて。こんな欲望が赦されるはずがない。


 妻はジャケットを愛おしそうに抱き寄せると、そっと僕の唇に口付けた。妻の舌が口内に侵入して、僕の舌を捉えると、絡みついてくる。舌同士が淫らな音を立てた。こんなこと、されたことなかったのにな。心の中で自嘲する。いつだって妻を蹂躙するのは僕であった。彼女を犯して、穢して、殺めて、その結果がこの様だ。口と口が離れて、透明な糸が引かれた。何を、やっているんだろうね。本当に。いつの間にか、妻の秘所から溢れ出た粘液によって僕の太腿はべったりと濡れている。妻は僕のスラックスのチャックをまさぐり、目当ての()()を探り当てると、口に含んだ。妻の口が僕自身の先端を包み込んで、得も言われぬ快感を生じさせた。止めてくれよ。これ以上、彼女を冒涜しないでくれ。そう思っているのに、自然と吐息が漏れてしまう。僕は自分に心底嫌気が差した。やがて、僕自身の全てが妻の口に咥え込まれて固くなった。馬鹿だなあ。こんなの所詮、自慰行為だろうが。引き離そうとしても、力が出ない。夢の中だからなのかは、わからなかったし、わかりたくもなかった。妻の前髪が汗ばんだ額に貼り付いて乱れていたので、僕は手で丁寧に整えた。ほら、これで元通りになった。妻は行為を中断して、無邪気に笑った。


 再び、涙が零れる。君をこんな風にしたくなかった。ずっと、ずっと、無垢でいて欲しかった。本当はさ、君を蹂躙するのだって嫌だったんだよ。なのに、あのとき僕は最上の至福を得てしまった。その代償として、一生罪を背負うことになっても構わないほどの。妻の秘所に僕自身があてがわれる。可憐な花の中心に残忍な鉄杭が無慈悲に打ち込まれていく。生娘みたいに鮮血が流れた。妻は頬を紅潮させながら苦悶の表情で、息遣いも荒くなっている。妻の痛みが、僕の痛みになる。妻の(くう)を掴む指先を、僕は手で絡め取って、握りしめた。妻の胎内は炉のように熱かった。熱くて、溶けそうになる。妻が僕の膝上で徐々に身体を動かすと、どうしても反応してしまう。妻は目を潤ませながら恍惚の表情で、微かな喘ぎ声を上げた。妻の悦びが、僕の嘆きになる。だが、艶めかしい少女の声色は、僕を絶望させると同時に興奮させた。その声は、妻のものなのか別の女のものなのか、もう僕にはわからなかった。ただ、僕自身が疼いてさらに大きくなるのを感じた。すると、妻の胎内の壁が締め付けてくる。おぞましいほど甘美な感覚が湧き上がる。必死に押し殺そうとしても、声が出る。快と不快が入り混じって、訳がわからなくなった。


 ヒマワリ畑に脱ぎ捨てられたワンピースとサンダルが乱雑に落ちている。粘膜が擦れる卑猥な音と、秘めやかな嬌声と、男の嗚咽が辺りに響いた。視界の中で、青い空に浮かぶ太陽が妻を照らしていた。まるで後光みたいだな。少女と中年男の情事は、途轍もなく醜怪で、美しかった。そう、美しかったのだ。その感情を自覚したとき、僕は果てた。──場面が転換する。僕は下に落ちて行く。妻はもう隣にはいなかった。上を見上げても、深淵が広がっているばかりだ。いつまでも、下へ、下へ。底がない空間は妻の子宮のような気もした。──目覚めると、まだ深夜だった。代り映えのない寝室の天井が目に入る。全身がじっとりと汗ばんで、心臓が早鐘のように脈打ち、呼吸も乱れていた。ベッドから起き上がり、端に腰かけながら、深く息を吸って吐く。体を落ち着かせたところで、寝室を出て居間へ向かった。居間には妻の遺影が骨壺とともに置いてある。妻は変わらぬ笑顔で僕を迎えた。遺影の中でだけ妻は永遠に無垢であり続ける。それが嬉しくて、悲しい。

 「さよなら、くらい言わせてくれてもいいじゃないか」

 本当は、罪人には別れの言葉は赦されないことを知っている。僕は寝室に遺影と骨壺(urne funéraire)を持ち帰ると、デスクの引き出しから妻の遺品の香水を取り出した。僕に付けても、妻の香りにはならないけれど、心の慰めくらいにはなるだろう。(終)


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ