都合の良い病
続きます。
───人生は上手く行くことよりも上手くいかないことの方が多い。
それでも人は予測通り、想定通りを求めて努力し、行動する。
例えば、天気予報で雨と書いてあればたとえ雲一つない晴れの朝であろうと折り畳み傘を持参し、ここ一年で地震が起きるとニュースがあれば、何故か防災グッズを買ってしまう。
これは人間の過去の失敗の経験を良い方向に活かそうとする習性で、人間が賢い動物たる由縁だ。
ならば、どうして上手くいかない方が多いのか。
実は、それは人間の錯覚なのだ。
人間は上手くいった事よりも多く、上手くいかなかった事の方が記憶に残る。前述した人間の性質の応用だ。人間は失敗の歴史を脳に刻み込もうとする。
そして、人間は傲慢だ。誰かと己を比べたがる。そして人間は自分に持っていなく、相手にだけ持っている美しいものに酷く共感を得る。
隣の芝は青い。つまり無いものねだりだ。
要するに、我々は『自分の上手くいった』ものを忘れがちなのだ。このことを踏まえた上で、しっかり見つめ直して欲しい。
本当に、自分自身はうまくいかなかったことだらけかどうか。
「いやいや、うまくいかないことだらけだわ!」
「あぁ〜ぢぐじょぅ、痛えぇ〜!」
俺はテレビの放送をぶった斬って叫び散らした。
もし人間が失敗を経験として活かすのならばどうしてこんなにも同じタンスの同じ場所に右小指だけを幾度となくぶつけるのか。
マジで人生終わるくらいの衝撃走るんだわ。爪割れてないよね? 血出てない? 恐る恐るくつ下を下ろしては確認する。
そして目を細めて見るに、小指は少し赤くなったくらいでかなりイラつく。
あんな痛かったのになんもなってねぇのかよ、いや別になんもなってなくていいけどさぁ!?
朝から不幸だ。なんて小言を胸に仕舞い込んで急いでおかずを妹と自分の分の弁当に涙目で敷き詰めて蓋を閉める。
テレビの時計を確認して目を見開いた。うっわもう七時かよ、と呟いてハッと思い出したように二階の妹の部屋をノックした。返事などある訳もないので聞かずにノータイムで開く。
「ほら弁当出来たぞ綾香! そろそろ起きろ、学校遅れるぞ?」
ゆっさゆっさと身体を揺らす。彼女はのっそりと身体を起こして、気怠そうに目を揺すった。
「んぇ……? あさ……? って怖! ヤクザが目の前にいるんだけどー!?」
「この野郎……明日の弁当はゴーヤチャンプルーにしてやる。お肌も腸内も綺麗になってさぞ嬉しいだろうなぁ?」
「あははー、ごめんごめんお兄。おはよー」
「おはよ、はよ顔洗ってこいよ」
目を細めて脅すとカラカラと笑って、彼女はベッドから立ち上がった。なんとか母に似て遺伝子の勝利を遂げた彼女は俺とは違って強面のヤクザ面ではない。
親父は泊まり込みで工事現場で勤務しており、母は夜勤の仕事があるので朝はゆっくり寝ている。妹の世話や料理はほとんど俺の仕事だった。幸い、帰宅部でかつ特に趣味もない俺は時間だけは有り余っていたのだ。
「おはよぉ、学校だよねぇ、行ってらっしゃい〜頑張れ〜」
液体状のようにぐでーと寝転ぶ母は開いてない眼でだらーっと手を振った。
「母さん、ごめん起こしたよな? 仕事お疲れ様、ゆっくり寝ててくれ」
「おかーさんおはよー。おやすみー」
「いやどっちだよ」
「どっちもでしょ」
「まぁそうか。そうだわ」
「いえーい、あやの勝ち〜」
何に負けたのか。わからないがとにかく腹立つ。やたらと語尾を伸ばす癖も恐らく母に似たのだろう。寝癖が酷い。寝ぼけまなこでピースを突き出す。
うっざい。うぇーいじゃねぇよ。
どこでそんな陽キャチックな煽り方学んじまったんだ。お兄ちゃんは悲しいぞ。よよよ……は? 鬼の目にも涙?
誰が鬼ぃちゃんだ。ぶっとばすぞ(鬼)
顔を洗って髪の毛を直してきたのか、先程とは見違えた彼女が味噌汁を啜りながら尋ねる。いや、ぶっこむ。
「そういやぁユキちゃんとは最近どうなのー?」
「あ、朝からそんな不潔なこと言いませんっ!」
「あれ? ユキちゃんと今そんなことなってんの。妹の綾ちゃんは兄の成長に嬉しい限りですねー、にやにや。あ、おにぃ今日もしかしてお赤飯?」
「なってねえわ。頼むからツッコんでくれよ」
「えー、わたしお赤飯そんな好きじゃないんだよねー。そうだ。ここは一つ、赤繋がりで天ぷらとかどうかなー?」
「聞けや!?」
強引に誤魔化した末に帰ってきた返答に味噌汁吹き出しそうになったわ。あと朝からそんな話題振るのやめてもらっていいですか精神的ダメージエグいんすわ。
あと赤繋がってないっすわ。アンタが天ぷら食いたいだけでしょうに。
許婚なんていつ解消したよって話をそんな今更持って来られても。と、苦笑いで困惑するだけだ。実際、あの話はあそこで終わったはずだ。
俺としてはきちんと心の整理も付けたし、それからユキが転入するまで、そんな話もあったかな、とまるで忘れていたような話である。
ただ、あの雪のような髪色と吸い込まれるような瞳を見たら一目で思い出したが。
『がんばるから。この手術が成功したら、わたしと結婚して!』
『わかった。結婚する! だから、がんばれ!ぜったい、だいじょうぶだから!』
『……っ!! うん、ぜったい、ぜったいね!』
『アルビノ』
症状で言うならば、『先天性白皮症』と言うらしい。彼女を象徴する白い肌、雪のような髪は、それは彼女をこの世界から遠ざけた。
日光を浴びれないのだ。浴びれて、一日に10分までだった。メラニンの欠乏により紫外線に対する防御が殆ど無く、たったそれだけでも日に焼けて皮膚は真っ赤に腫れた。
そして何より、メラニンの欠乏というのは、別の影響を及ぼした。
彼女は目が見えなかったのだ。
彼女と出会うきっかけになったその病気は、皮肉なことに俺にとっては、見るも恐ろしい獣の俺にとっては。
────有難いものだったのだ。
今作に登場する『アルビノ』は現実世界にもある病気です。しかし、今作では誇張した表現で表しておりますので悪しからず。アルビノエキス使ったんですよ。多分