1.13
夏季休暇の一ヶ月間、フィラリアはローゼンと一緒に五回依頼を受けて無事完了させた。
あれ以来泊まりがけの依頼を受けていないのは、フィラリアの両親からの圧にローゼンが耐えられないと言ったからだ。
どうもローゼン曰く、アンドリューから受ける圧とミモレから受ける圧では種類が違うそうだが、フィラリアにはその違いがよくわからない。そもそもあのおっとりとした母が発する圧とは一体どんなものだろう。
アンソニーに聞いてみたら、ははは……という生ぬるい半笑いが返ってきたから、少なくともアンソニーには理解出来たらしい。
気になりはするが、気にしても仕方ないので、とりあえずしばらくは日帰り可能な依頼のみ受ける予定だ。
「まぁもう今日から新学期だしね。どちらにしろハンター活動は週末のみになるでしょ」
「うん、かだいだってあるし、がくぎょうゆうせんかな」
フィラリア達が通う学校は、ここスーリヤの街の中心にある中央公園のすぐそばに建てられている。ハーモニー家からは徒歩で約二十分程。
因みにこの国の教育制度は割と日本のそれに近く、フィラリアにとっては馴染みやすいものだった。
まず七歳から十二歳までの子供は、それぞれの住む町にある学園――孤児院も兼ねた教会――で義務教育を受けることとなる。これは無料で、学ぶのは主に一般教養だ。多くの平民はこの学園を卒業した後すぐに働き始める。
貴族や商家の子息子女など割と裕福な家庭の子供は、学園の次に六年制の学校に進学することが多い。
学校は各領地に一ヶ所――スーリヤのように領主が住む街に建てられ、学生達は主に転移陣を使いそれぞれの住む街から毎日通学する。
この学校では多様な分野の基礎知識を学び、卒業後は商会の運営に携わる者、文官として公共の機関で働く者など様々だ。
そして一部の者だけが王都にある学院へと進み、魔法士や騎士、高官や医師など専門知識や技術を必要とする職へ就くため、それぞれの学部に分かれて学ぶこととなる。
こちらには専用の寮があるらしいので、フィラリア達も学院へ進学出来れば王都にあるその寮に入る予定だ。
ところで今日は夏季休暇明け初日。
夏季休暇が終わっても、まだ暑い日はしばらく続く。
学校までの道程、日差し避けに帽子を被っているフィラリアだが、先程からその鍔を両手でぎゅっと押さえて、明らかに落ち着きのない様子でアンソニーの隣を歩いていた。
「……フィル。いくら帽子で顔を隠したところで無理だと思うよ?」
そう。
いくら帽子で隠したからといって、幼児であることは隠しようもない。誰がどう見ても、幼児だ。
お陰で校門に立つ守衛からは案の定「ここは部外者禁止だ」といって立ち入りを拒否されそうになった。
予めアンドリューが署名入りの書簡をアンソニーへ持たせていたため無事校内へ入ることは出来たが、今も教室へ向かう生徒らからの物珍しそうな視線がチクチクと突き刺さっている。
「――アンソニー・ハーモニー。お前は我が儘を言う妹を宥めることも出来ないのか」
「……キャメロット、おはよう」
アンソニーは内心げんなりしながら声の方を振り返った。
見事な赤髪は領民誰もが知るリユース三爵家の特徴だ。中でもこの次男の持つ赤は、まるで獅子の鬣のような髪型も相まって、ひどく目を引く。
「キャメロット、僕には我が儘を言うような妹は居ないんだけど」
「では今連れているそれはなんだ。おおかた私もお兄ちゃんと一緒に行く、と駄々をこねて付いてきたんだろう。ここは学園ではなく、学校だ。すぐに家の者を迎えに来させたまえ」
言っていることに、理不尽な部分はない。
キャメロットは高圧的な物言いはするが公明正大な人物として定評がある。だから今の言葉もある意味なんらおかしな部分はない。大小の違いはあれど二人がよく似ていたため、兄妹だと判断したのだろう。
「キャメロットおはよう」
そんな彼にフィラリアが朝の挨拶をすると。
「……おはようございます、だろう。目上の者に対する挨拶をまだ教わっていないのか」
ジロリ、と見下ろすキャメロットを見上げ、フィラリアはにっこりと微笑んだ。
「リユースさんしゃくけキャメロットさまにおかれましてはごきげんうるわしゅう。おめもじつかまつりきょうえつしごくにぞんじます」
ドレス代わりにワンピースの裾を持ち上げて、美しいカテーシーを披露する。
「……」
「キャメロット、ここは学校だよ。君は同級生らに毎日ここまで畏まった挨拶を強要しているの」
あまりに完璧な礼をとってみせた六歳児を見つめたまま絶句している友人へ、アンソニーが『なんてことだ……』と言わんばかりに態とらしく眉尻を下げて見せた。
「それとも僕もキャメロット様って呼んだ方がいい?」
「……いや、私が悪かった。今まで通りで頼む」
アンソニーは完全に揶揄いの心境だったのだが、キャメロットは真面目に受け止めたらしい。
「……ちょっとアンソニー。キャメロットがかわいそうだわ」
「うん、今僕も少し申し訳ない気持ちになってたところだよ」
「……? どういうことだ」
二人の遣り取りに疑問を覚えたキャメロットが眉根を寄せると。
「あっ、キャメロットごめん。授業が始まる前に僕ら職員室に寄らないといけないから、また後でちゃんと話すよ」
アンソニーはそう言って、幼女を連れたまま急いだ様子で校舎へと向かっていった。