自殺とは弱さなのか
日本は世界でも「自殺大国」と言えるほどの国です。
先進国の中でもトップである。
注※以下個人の意見となる
ニュースを探せば毎日出てくるぐらい自殺が頻繁な国、それが私たちが住む日本である。
しかし、自殺をする人を「弱い」と評価していいのだろうか?
私はそうは思わない、これは決して自殺がいいものとは言ってません。
日々我々は選択を繰り返し、生活をしている。時には命に関わりのある選択をもする。
だが、ただ一つの選択にしがみ付く者もいる。
それは、「現状維持」である。
何もしないのではなく、いつも通り生きる。
これは、社会を成り立たせるために必要である。
もし、急に国のルール、憲法、法律を変えたとしよう。
国は成り立たなくなる。
かと言って、駄目だとわかっていて何もしないのであれば、
それでも、国は腐りきってしまう。
そして、それは個人にも当てはまるものである。
周りの環境に合わせて、生きる。
それをしなければ、社会にはいられない。
しかし、劣悪な環境でひたすら我慢を続けていればいいという訳では無い。
何もぜず、周囲に合わせていては精神が死んでしまう。
そして、その劣悪な環境は至るところにある。
学生で言えば「いじめ」社会人として言えば「パワハラ」また男性女性で言えば「セクハラ」
など例を挙げればキリがない。
我々がそういった環境に落ちた時、大きく分けて二つの行動をする。
「何もしないで耐える」、「環境を変えようとする」
私は後者の最終手段に「自殺」があると思う。
何もしないより、行動しようとする方が勇敢と思うのは私だけでしょうか。
いいえ、断じてそうではないはずだ。
様々な手を尽くした後、耐えれずに自ら命を断つ。
命を断つこと自体は嘆かわしいです。
しかし、そこには抵抗した証があると思います。
そして、私たちが本当にすべきことは、「自殺」についで罵るのではなく
そうなる前に手を差し伸べる。言葉をかける。そうすべきではないでしょうか。
もちろん、個人ではなかなか出来ることではない。
しかし、我々はそうすることができる社会を作ることが出来る筈だ。
そのための選挙権、被選挙権、その他諸々を含む民主主義を抱えているのではないでしょうか。
現代の日本では多くの社会問題を抱えている。
でも、それを解決へと導くものは最終的には私たちの意見である。