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萬憑き物祓い屋奇譚  作者: 辰巳猫
1/1

母の形見

 天下のお江戸、賑わう大通から外れさびれた長屋では空き家が多く、人の生活の気配が薄い。

治安が悪いと囁かれ、普段は住人以外が足を踏み入れることはほぼなかった。そのため、なんだか空気がどんよりと重く、お天道様を隠した曇天も相まって真昼間だというのに不気味な雰囲気を醸し出している。あまりにも人の入れ替わりが激しいその長屋は、近所ではおばけ長屋と呼ばれていた。


「ここ・・・かしら・・・」


そんな場所には不釣り合いとも言える可憐な少女は、おばけ長屋の中の一つの扉の前で立ち止まり息をのんだ。


『よろづ憑き物払います』


玄関口にぶら下げられたお世辞にも綺麗とは言えない木札に書かれた文字は、あまり綺麗とは言えない上にくたびれた朱色の墨で書かれており、より一層気味が悪い。少女は胸に抱いた風呂敷とその木札を交互に見つめ、意を決して一歩進めようとしたその時。


「おや、こんなところに娘っ子1人で来るなんて不用心だな、お嬢ちゃん」


瞬間、気を張っていた少女は短い悲鳴を上げて振り返った。そう、ここは治安が悪いのだ。とっさに胸の風呂敷を隠すように身をひるがえし、少女はキッと声の方をにらみつける。


「驚かせちまったか。悪いね」


そこにいたのは、紺の着流しを纏い髪はぼさぼさ、切れ長の目と、うっすら口元に笑みをたたえ揶揄うようにククッと喉を鳴らした男だった。器量はいいが、こんな所でニヤニヤ声をかけてくるような男だ、何をされるかわからない。少女は身の危険を感じ、男を睨んだまま叫ぶように言った。


「み、道に迷っただけですっ!もう帰れますから、お構いなく!」


「道に迷った?こんな一本道のところにかい?」


男は顎に手を当てながら心底不思議そうに少女の顔を覗き込むように腰をかがめて聞いてくる。しかし、口元が吊り上がっていることから少女の嘘を見抜いていることは明白だった。少女は次の言葉を探り、どうにかしてこの場から離れなければと思考しているとぽつりと鼻先に冷たさを感じた。


「おやまぁ、降ってきなすった。」


夏も終わるというのに相も変わらず元気に夕立を降らせるお天道様に、少女がこれ幸いと踵を返す。


「そ、それでは失礼します!」


「ああ待て!こりゃ大雨が来るぞ!」


逃げられるとほっと胸をなでおろしたのも束の間、少女は男に腕を掴まれ軒下へと引き込まれてしまった。恐怖で体勢を崩した少女は自分を片手で支える男の顔を見ることも叶わず、少女は胸元の風呂敷を強く握りしめた。


(ああおとっつぁん、先立つ不孝をお許しください・・・)


今にも泣き出しそうな少女をしり目に、ぽつぽつと落ちてきた雨粒は、寸の間のうちに大粒の雨に変わり軒先にいる2人の足を汚す。


「ほらな、まあこの分ならすぐ止むさ。うちで雨宿りしていきなせえ」


「・・・・・」


かすかに震えている少女は口を真一文字に結び、返答がない。頭の中はどうやって逃げよう、怖い、助けて、なんて言葉が渦巻いていて男の言葉は聞こえていないのだ。


「・・・とって食いやしねえよ。それに、その着物のことで俺のところに来たんだろ?お嬢ちゃん」


「え・・・?」


ぼりぼりと頭をかいた後、見かねた男が少女の頭に手を置き、風呂敷を指さしてそう言う。そこでやっと、少女が男の顔を見上げ口を開いた。


(どうして中身が着物とわかったのかしら・・・?)


「まあ話は入ってからだ、ここじゃあ雨音がうるさくてお嬢ちゃんの声が聞こえやしねぇ」


ガラガラと立て付けの悪い玄関を開け、男は雑に草履を脱ぎながらさっさと中に入って行ってしまった。少女は一瞬後ろを振り返ったが、大粒の雨はやみそうにない。腹をくくるしかない、とでも言うように少女は風呂敷を持ち直し、薄暗いその長屋に足を踏み入れた。




「ああもう!お天道様の機嫌が悪いったら!!洗濯物が濡れる!!」


玄関を開けるや否や、甲高い声とどたばたと大きな足音に歓迎され、少女は目を丸くする。


「ただいま。お客さんだよ」


奥から聞こえる物音とは対照的に、のんきな声を投げかけた目の前の男は適当に草履を脱ぎさっさと部屋の中へ入っていく。

玄関に立ち尽くしたままの少女は、まだ警戒が溶けないのだろう、表情が硬いまま男の様子を見つめ、奥の物音に耳を澄ませていた。


「お客さん?ああ、失礼いたしました。」


ばたばたとせわしなく歩き回っていた足音が静かになったと思えば、奥の襖が開き齢12,3の髪をたらした小さな少女が顔を出す。

ぺこりと頭を下げた少女は、桜色の頬に長いまつげ、小さな唇と透き通るような瞳が印象的でまさに器量よしといった赤い着物の少女だった。


「あなたも、ここに住んでいるの?」


「え?はい、まあ。鬼一さんと住まわせてもらっています。どうかしました?」


玄関で立ち尽くしていた少女は、自分より年も下の女の子がいたことに胸をなでおろしたのか、安心したように顔をほころばせた。


「こんなに可愛らしい女の子がいるなら、心強いと思って」


「まあ、上がって適当に座りなさいな。立ち話も何だしな」


「ええ、それじゃあお邪魔します。」


その会話を聞きながら、すでにくつろいでいた男がククッと喉を鳴らして笑いながら手招きで少女を呼んだ。

下駄を脱ぎ小さなちゃぶ台の横へ座れば、先ほどの小さな少女が何やら不機嫌そうにこちらを見ている。


「お名前はなんていうの?」


「・・・お風です。」


「お風ちゃん!名前もとってもかわいらしいのね!こんな器量よしの女の子、私初めて見たわ!」


先ほどとは打って変わって笑顔を見せる少女と対照的に、お風と名乗った少女はどんどん眉間にしわを寄せていく。

見かねた男が、お風に向かって手で何かを合図したのを確認したお風は少女が褒めちぎる言葉に背を向けて一度奥へと戻り、また程なくしてどかどかと足音を立てながらお盆を持ち帰ってきた。


「ごゆっくりどうぞ」


言葉こそ丁寧だが怒気を含んだ声色で、お風はたたきつけんばかりにちゃぶ台へ湯飲みを二つ並べ、またどかどかと足音を立てて奥の襖へ戻っていった。

立て付けが悪いのか、バタンと力任せに閉められた襖はもう開く様子を見せない。


「私、何か悪いことを言ってしまったかしら?」


少女が目を丸くしたまま奥の襖を見つめて眉を下げる。


「まあ、あいつにも色々あるのさ。年頃だからな」


ククッと喉を鳴らしながら男が湯飲みを傾け、口から離した湯飲みを見て再び笑いながらちゃぶ台に戻す。

少女もそれに続くように一口湯飲みに口を付けたが、古びた湯飲みにはお茶でもなんでもなく、冷たい水が入っていた。お風という女の子は相当気を悪くしているようだ。


「俺は鬼一、ここで萬憑き物の祓い屋を生業としてる者だ。お嬢ちゃんは俺に用があったんだろ?」


鬼一と名乗った男は、着物を指さしながら少女に目を向ける。

その言葉にはっとした少女は、湯飲みをちゃぶ台に置き背筋を伸ばした。


「はい・・・。私は通町の菓子屋の娘で、お春と申します。その、この振袖はおかっつぁんの物なんですが、どうもおかしくて・・・」


「ほぉ?どんな?」


お春は風呂敷をほどき、中に包まれた桜色の振袖を優しく撫でながら続ける。


「半年前おかっつぁんが死んで・・・それからしばらくして、嫁入りの準備をしていた時です。毎晩この振袖からすすり泣くような声が聞こえて・・・。おかっつぁんが何か伝えたいんじゃないかって思ったんですけど、おとっつぁんは聞く耳を持ってくれなくて。それで、どうしても気になって私、ここに来たんです。」


視線を落とし、振袖を見つめるお春と振袖を交互に見つつ話を聞いていた鬼一が首をひねった。


「半年前?もっとずいぶん昔の話じゃあないのかい?それとも、お嬢ちゃんのおかっつぁんは相当若く見えたか?」


不思議そうに聞く鬼一の言葉に、今度はお春が首をかしげる。


「いいえ?確かに半年前です。それに、歳の頃は四十すぎで年相応の見た目でしたが・・・どうして?」


その言葉を聞き、鬼一はお春の顔を見つめる。

見つめられたお春は、先ほどまで気づかなかった鬼一の容姿をやっとゆっくり見ることとなった。

切れ長の目に細い輪郭。鼻筋も通っており、眉もきりっとしていてずいぶん男前だ。

これで髪や着物を整えたら、通町でも評判の色男ともてはやされるだろう。こんな仕事をしていなければ・・・の話だが。

しかし、そんな色男に見つめられて居心地が悪くなったのか、ついにお春はぽっと頬を染めて目をそらした。


「そ、それで、これだけで何かわかるんですか?」


いたたまれなくなったお春が焦って言葉を紡ぐ。すると、鬼一は納得したようにうなづいた。


「まあ、泣いているというよりは怒ってるな。これ以上聞きたいなら金子をいただくが、いくら持ってる?」


「え?」


「さっきも言ったろう、俺は萬祓い屋を生業にしている。それにものを頼むってことは立派な仕事さ。金子がないならこれ以上は何もしてやれないな。」


お春が目を丸くしていると、鬼一は頭をかいた。


「まあ、金子がないって断っても俺は困らないがね。あんたが困るだけさ。」


鬼一は金子がないなら興味はない、とでも言うように大きなあくびをしている。


「い・・・いくらですか?お金を払えば、解決してくれるんですか?」


「そりゃあもちろん。額に見合っただけの仕事はするさ。それが俺の仕事だからね。そうだなぁ、1両でどうだ」


先ほどとは打って変わって怪しく笑う鬼一は、面白そうにククッと喉を鳴らした。


「・・・うちは小さな店だし、そんなに大きな額は払えません・・・。」


再び視線を落としたお春は、膝の上でギュッと拳を握り暗い顔になる。


「へぇ?じゃあ、菓子はどうだ。あんたの店の菓子はうまいのか?」


「え?・・・自慢じゃあないですが、うちのおとっつぁんの作るお菓子は、江戸でも一、二の美味しさだと思いますけど・・・」


鬼一の問いに、お春は意図をとらえきれず目を丸くしながら答える。

その言葉を聞いていたのか、奥の襖の向こうでガタガタっと何かが揺れた。


「ククッ。そうか、そりゃあいい。じゃあ大マケにマケて銀五匁と菓子でいい」


なぜか笑い出した鬼一と、襖の奥が気になるお春はさらに目を丸くする。


「本当に・・・いいんですか?」


「なんだ?嫌だといってほしいのかい?あんたの店の菓子は江戸でも一、二の美味さだというのならそのくらいの価値はないとな」


「そんなにマケていただいたら、一生うちの菓子を届けなきゃ行かなくなっちゃいますよ?」


「それもいいな。まあ、それで今回の件が解決するのがあんたにとって安いもんになるかどうかはあんた次第さ。」


口角を上げて楽しそうにしている鬼一は、ちゃぶ台に頬杖をついて身を乗り出した。


「どうする?おかっつぁんの形見の振袖をそのままにしておくかい?」


鬼一の言葉に、お春は意を決したようにまっすぐに鬼一の目を見つめる。


「それでいいというのなら、お願いします。」


「そうかい、じゃあ決まりだ。」


にんまりとより一層口の端を上げた鬼一は、目を細めてちゃぶ台から離れた。


「じゃあ手始めにあんたの身に起こってることから話してもらおうか。片方の話だけ聞くのは不公平だからな。」


「片方?えっと・・・私の身に起こっていること、ですか?」


「ああ、悪いが一旦その振袖はしまってくれねぇかい?」


言われるままにお春が風呂敷で振袖を包み直すと、それを目で確認した鬼一が問いかける。


「すすり泣く声を聞くようになった頃、何か変わったことはなかったかい?」


「・・・そうですね。おかっつぁんの振袖を出した時から、おとっつぁんがなんだかおかしなことを言いだしました。」


「おかしなこと?」


「はい。・・・うちは、小さな店だけどそれなりに商いもうまくいっていて。娘の私しかいないから、小さいころから婿養子を取るって言っていたんです。」


そこまで言って、お春は眉をひそめた。


「なのに、突然今年で十八になるから私に嫁に行けって・・・。店は俺の代までで終わりだって言い始めたんです。」


「へえ、またどうして」


「それが、何度聞いても教えてくれないんです。最初はおかっつぁんが死んで、寂しくて弱気になってしまったんだと思ったんですが・・・どうしても意地になっているみたいで。」


お春の言葉を静かに聞きながら、鬼一はうなづいている。


「おかっつぁんとおとっつぁんは、死ぬ前に喧嘩でもしていたかい?」


「え?いえ、そんなことありません。2人とも仲が良くて、おかっつぁんが死ぬ間際だっておとっつぁんはおかっつぁんの手を握り締めていましたもの。」


「ふむ・・・なるほどなぁ。」


1人で納得している鬼一は、しばらく黙った後おもむろに立ち上がり雨戸の隙間から外を覗いた。


「雨も小降りになったな。せっかくだ、あんたの店まで行こうか」


「へ?」


ここへ来てから何度も目を丸くしているお春は、突拍子もない鬼一の言葉にまた間抜けな声を上げる。


「この話はあんただけに話したって解決しねぇからな。あんたのおとっつぁんに会いに行くのさ。」


いたってのんきな声で話す鬼一は、玄関の傘を二つ手に持ち草履を履いた。


「さ、ぐずぐずしてると日が暮れちまうぜ」


玄関に手をかけながら鬼一が振り向きそういえば、お春はやっと風呂敷を持ち上げ立ち上がった。


「おとっつぁん、聞いてくれるかしら?」


「聞くさ、絶対にな」


下駄を履きつつ問うお春に、鬼一は変わらずのんきな声で返す。

なのに、どうしてかその声色にはどこか信頼を感じているお春がいた。

この人なら、私を助けてくれるかもしれない。

小雨になった夕暮れ空に、二つの傘が並んで歩き始めた。




おばけ長屋から通町のお春の店まではそう遠くなく、菓子屋が見えてきた時、ちょうど店の前ではガタイのいい男が店仕舞いをしている最中だった。


「あ、おとっつぁん!鬼一さん、あれが私のおとっつぁんです」


手を振りながら小走りにお春が駆け寄っていけば、声に気が付いたのかガタイのいい男が振り返る。大きな体に似合わない下がり眉の優し気な顔の男は、娘の帰りに喜んだのもつかの間、鬼一の方に気が付くとピクリと眉を上げた。


「おお、お春。傘持って行ってたのか?」


「ううん、貸してもらったの。あのね、おとっつぁん、この人におかっつぁんの振袖を見てもらったの。鬼一さん、この人が私のおとっつぁんの源八です。」


振り返ったお春が鬼一にそう言うと、鬼一は軽く会釈をして笑う。


「どうも。萬憑き物祓い屋の鬼一と申します。」


名乗った鬼一に目を向けた源八は、あからさまに怪訝そうに眉をひそめた。


「祓い屋?」


「あのね、おかっつぁんの振袖から声が聞こえるって言ったでしょう?私、おとっつぁんには悪いけどどうしても気になって・・・」


申し訳なさそうに胸元の風呂敷を握り締めながらお春が言えば、源八の眉間のシワが深くなる。


「お嬢ちゃんのおかっつぁん達が物申したいのは、どうやら源八さん、あんたなんだ。まあ、立ち話も何ですから入れちゃあくれませんか」

相変わらず笑顔の鬼一は、さも当然のようにけろりと言ってのけた。


「おかっつぁん達?他にもこの振袖に誰か取り憑いてるって言うの?」


意外な鬼一の言葉に、お春が振り向く。

しかし、鬼一がその問いに答える前に源八が鬼一の前にさっと身を乗り出した。


「茶くらい出してやる。ただし、くだらねぇ事を言いやがったら承知しねぇぞ」


娘に向けていた優しげな瞳からは考えられないドスの効いた声ですごむ源八は、鬼一を睨みつけたかと思うと暖簾を片手に店に入って行ってしまった。


「おとっつぁん...どうしたのかしら。鬼一さん、とにかく中に入ってください。」


「ああ、邪魔するよ。」


「どうぞ、座ってください。今お茶を入れますね。」


店に入ると、源八は店の中に置かれた二つの机の奥に背中を向けて座っていた。確かに小さな菓子屋だが、中では茶を飲みながら菓子を食べるために設けられた席がいくつかある。

広いとは言えないが、一休みするにはちょうど良さそうな店だった。中はほんのり甘い匂いが漂っている。

鬼一は適当に入り口の近くの椅子に腰を下ろすと、お茶の支度をしているお春と源八の背中を交互に見た後、机に置かれた振袖に目をやった。


「鬼一さん、どうぞ。ほら、おとっつぁんも」


お春は鬼一と源八に湯飲みを渡し、二人を見てちょっと悩んだ後、机を挟んで二人の真ん中になるよう座った。


「それで、鬼一さん。教えてくれませんか?」


湯飲みの茶を一口飲んで息をついたお春は、身を乗り出して鬼一に尋ねる。

お春はもう待ちきれないといった様子だが、奥に座る源八はこちらを振りむこうともせずにいた。


「ああ、お春ちゃん、その風呂敷を開いてくれねえかい?」


お春は言われるままに風呂敷を開くと、中から振袖が顔を出す。

鬼一はそれを確認すると、振袖に手を乗せ、優しく撫で、静かに目を閉じた。


「・・・お春ちゃん、あんたのおっかつぁんの名は?」


「えっと、お隈です。」


「そうかい。お国という名に聞き覚えは?」


「いえ、ありません。」


「この振袖に憑いているのは、おくまさんじゃねぇ。お国さんという女だ。歳の頃は二十歳そこそこ・・・源八さん、この名に聞き覚えがあるね?」


その問いに、源八がピクリと肩を震わせた。


「・・・てめぇ、どこでその名を聞きやがった。」


こちらから顔を背けたまま、源八は低く唸る。しかし、鬼一はその声に物怖じする様子もなく淡々と続けた。


「この振袖に憑いているお国さん本人に聞いたことだ。しかし、あんたから言いたいなら俺は止めないがどうする?」


「・・・適当言うんじゃねぇ」


ぐっと奥歯を噛みしめた源八は、乱暴に湯飲みを持ち上げ中身を飲み干した。


「俺は本当のことしか言わねぇさ。俺から言っていいなら、このまま伝えよう。」


鬼一は相変わらず振袖を優しく撫でながら、ふうと息を吐く。


「お春ちゃん、これはあんたにはちょいと酷な話かもしれねぇがな」


「・・・なんです?」


一呼吸おいて、鬼一が静かに目を開けた。




「あんたはお隈さんの子じゃあねぇ」




鬼一が言い終わるか終わらないか、その瞬間、源八が何かにはじかれたかのように鬼一の胸倉につかみかかった。


「てめぇ、黙って聞いていれば勝手な事言いやがって!祓い屋だか何だか知らねぇが、今すぐに出ていけ!!」


「おとっつぁんやめて!!どういうことなの?!」


椅子や傘がその衝撃でガタガタと倒れ、鬼一の体は持ち上げられて中に浮く。

焦ったお春がどうにか止めようと、小さな手を源八に伸ばしたその時、鬼一が薄く口を開いた。

はくはくと動く口は聞き取れないほどの小さな声を発していたが、次の瞬間、店中に響きわたる甲高い声が空気を揺らした。


『いい加減にして下さしまし、お前さん!!!!』


鬼一の口から発せられた声は、明らかに鬼一の声ではなかった。どう聞いても女の怒声だったのだ。

その声を聴いて源八は驚いたのか、鬼一を掴んでいた手を離してしまう。

地面に投げ出された鬼一は、転びかけたものの寸でのところで机に手をついた。


「い・・・今のって・・・」


お春が目を丸くして立ち尽くしていると、鬼一がゆらりと体を持ち直し源八の方へ向いた。


『いい加減、お春に話してやってくださいまし。お前さんがそんなんじゃあ、あたしはいつまで経ってもあの世へ行けない。』


またも鬼一の口から女の声で、今度は静かに源八を諭す。言われた源八は数歩後ずさった。


「・・・本当に、お国なのか」


震える声が、ぽつりと零れる。お春は先ほど言われた言葉も、今目の前で起こっていることも理解が追い付かず、ただ見守るしかできない。

ゆっくりとうなづいた鬼一は、まっすぐに源八を見据えて続ける。


『潮時です。お前さん』


そう言うと、鬼一はふう、と息をついて目を閉じた。


「・・・だそうです。源八さん、それでもあんたが話さないというのなら俺から言うがどうする?俺は金さえもらえれば仕事をする。ただそれだけだ。」


次に鬼一が口を開いたときには、いつもの鬼一の声と口調に戻っていた。

目を丸くするばかりのお春と、うつむいて立ち尽くす源八に構わず、鬼一は倒れた椅子を直し、座った。

しばしの沈黙が流れる。拳を握りしめたままの源八は、小さく震えている。

しかし、沈黙を破ったのはかすれたお春の声だった。


「おとっつぁん・・・どういうこと?」


今にも泣き出しそうなお春が、源八を見上げる。

言われた源八は、眉間のしわをより一層深くしてお春から顔をそむけたが、やがて観念したかのように小さく語りだした。


「確かに、お隈は・・・本当のお前のおかっつぁんじゃねぇ。」


「じゃあ、私は誰の子だっていうの?お国さんって誰なの?」


「・・・お国は、おまえがおかっつぁんと呼んでたお隈の、姉さんなんだ。」


「え・・・?」


お春が呆然とした顔で源八を見つめる。


「騙そうとしていたんじゃあねえんだ。だが・・・言えなかったんだ。お前たちが、本当の親子のようだったから」


唇をかみしめて語る源八は、肩を震わせていた。


「どうして・・・?本当のおかっつぁんはどこにいったの・・・?」


「・・・・」


お春の問いに、源八の答えは返ってこない。

重い沈黙が流れる中、どこからともなくカラン、と何かが落ちる音がした。


「死んだんだろう?お春ちゃんを産んだときに」


「え?」


床にかがんで何かを拾い上げた鬼一は、拾った櫛に目をやりながら源八の代わりにお春の問いに答えた。


「それ・・・おかっつぁんの・・・」


鬼一の拾い上げた櫛は、小さくて古いが、丁寧に手入れをしていたのだろう。桜の模様があしらわれたものだった。

おかっつぁんのもの、つまりお隈のものだ。近くにあったわけなどないのに、突然現れた櫛に困惑するお春を置いて鬼一はククッと喉を鳴らす。


「源八さんがあまりにもつっかえるもんだから、お隈さんまで出てきちまった。」


そう言いながら振袖の上に静かに櫛を置くと、鬼一は源八に目を向ける。


「お国さんもお隈さんも、包み隠さず全部言えといってるぜ」


「・・・わかったよ・・・わかった。」


眉間のしわを濃くしながらも、源八はため息を吐いて椅子に腰を下ろす。

つられてお春も源八のすぐそばに腰を下ろしたところで、源八は苦虫をかみつぶしたかのような顔でまた静かに口を開いた。




「・・・お国は、俺の最初の嫁さんだったんだ。だが、お春を産んだときに病をもらっちまって、そのまま逝っちまった。」


「そうだったのね・・・。」


「死ぬ間際に、お国はお隈に子を頼むと伝えてた。お隈は子を成せない体だったが故に、嫁に行ったが帰されてきたんだ。」


ぽつり、ぽつり、と源八は語る。


「最初はお隈にも悪いと思ったんだが、お隈は姉さんの最後に残した宝なんだから私に育てさせてくれって言ってくれた。だから、お前のおかっつぁんとして一生懸命やってくれていたんだ。お前を育てながら、店のことも姉さんの愛した店だから、大切にしたいって」


そこまで言って、源八は目元を手で覆った。


「なのに、お隈まで逝っちまった。きっと、俺のそばにいると女は長生きできねぇ。・・・だから、お前はどこかへ嫁に行って、幸せになってくれ。」


「どうして・・・?どうしてそうなるの?おかっつぁんのことは分かったわ。だけど、私が嫁に行くのとは関係ないじゃない!」


「この店は俺の代で終わりだ。お前は俺のそばに居ちゃならねぇ。わかってくれお春」


「わからないわよ!おかっつぁん達が大切にしてた店なのに、どうして終わりだなんていうのよ!」


悲しみと怒りで、お春がまくしたてる。源八は目を覆ったまま、震えた声で答えていた。



『いい加減になさいまし、お前さん』


二人の言い合いを静かに見ていた鬼一だったが、不意に口を開いた瞬間、今度は二つの女の声が重なってぴしゃりと言い放った。


『黙って聞いていれば、弱くて臆病で、そのくせ頑固な事』

『お前さんのそばに居たら早死にするですって?バカも大概になさいまし』

『あたしたちが死んだのはそういう定めだったからで、お春には何の関係もないでしょうに』

『いい加減に屁理屈をこねるのはやめて、素直に寂しいとおっしゃい!』


鬼一の口から、次々と言葉が溢れてくる。一度決壊した塀から流れる水のように、鬼一のものではないその声は止まることなく源八に降り注ぐ。


『大体、可愛いお春が嫁になんて行ったらお前さん、寂しくて生きていけないでしょう』

『そうよ、強がってるだけで寂しがり屋のお前さんは毎日枕を濡らすに決まっているわ』

『それにこの店を潰すなんて冗談じゃない!』

『『いい加減に弱音を吐くのはおやめなさい、お前さん!』』


息をつく間もなくまくしたてたからか、ふうっと鬼一が肩の力を抜いた。

顔を上げた鬼一は、振袖と櫛を撫でながら驚く二人の顔を見やる。


「お隈さんとお国さんはこう言っていますが、それでもお春ちゃんを嫁に出すって言うんですかい?」


鬼一自身の声で問われ、源八は慌てて頬に伝う涙をぬぐった。


「ちなみに、祓い屋の俺から言わせてもらうとすれば源八さん、あんたにはそんな悪いものはついてねぇさ。本当にただ、二人はそういう運命だっただけだぜ。」


自分のそばに居る女は長生きできない。その言葉をきっぱりと否定する鬼一は、小さく笑いながら源八を見据えた。

目を赤くした源八は、その視線を合わせる。


「本当に、本当に俺には何も憑いていないのか。お春は、長生きできるのか?」


かすれた声で源八が問えば、鬼一は目を細めてしっかりとうなづいた。


「もちろん。俺は本当のことしか言わねぇ。お春ちゃんは長生きするさ。だから安心していい。」


その言葉を聞いた源八は、ふっと息を吐きお春の方へ顔を向けた。


「お春、お前はまだこの店に残りてぇと思ってるのか?」


「当り前じゃない。だって、あたしこの店とおとっつぁんが大好きなのよ?」


「・・・本当に、後悔しねぇか?店だって小せぇし、お前みたいな器量よしなら、もっと大きなお店の嫁にだって・・・それに、俺みないな父親じゃ・・・」


「しつこい!」

『『しつこい!』』


うじうじと悩む源八に、今度は三つの声が喝を入れた。源八は目を丸くして思わず椅子から転げそうになる。

声が重なったお春は、鬼一と目を合わせ堪えきれずに笑い出した。


「ふふ、おとっつぁんが昔から寂しがり屋で時々弱気になるくせに、妙に頑固なのは今に始まった事じゃないもの。私はね、おとっつぁんもこの店も、おかっつぁん達のことだって大好きなんだから。頼まれたって出ていかないわ!それに、おかっつぁん達がああ言ってるんだもの。私がしっかりしなくちゃね」


にっこりと花のような笑顔を源八に向けたお春は、吹っ切れたように爽やかだ。

眉を下げる源八を横目に、お春は鬼一に向き直って背筋を伸ばした。


「鬼一さん、ありがとうございます。胸のつっかえが取れました。」


「ああ、そいつはよかった。あんたのおかっつぁんたちも、安心したみたいだな。成仏できそうだよ。」


「えっ?成仏しちゃうんですか?」


「当り前だろう。この世に霊が留まっていれば悪いもんになっちまう。そうでなくともお国さんはこの十七年間この世にいたんだ。早い所成仏しちまった方がいい。」


言われてみれば確かにそうだ。体を無くした魂は、長いことこの世に留まっていれば悪霊となってしまうというのは誰でも聞いたことがある話であった。

しかし、いざ大切な人が成仏してしまうと知ってしまうとどうにも素直に頷けない。

そんなもどかしい気持ちを真っ先に口にしたのは、意外にも源八だった。


「待ってくれ!最後に、話をしてぇんだ・・・できねぇか?」


身を乗り出した源八は、鬼一の手首をつかんだ。

鬼一はやれやれと笑いながら、静かに目を閉じ、口を開く。


『寂しいから行くなって言われても、聞けませんからね』


「その声はお国だな・・・俺は、お前に謝らなきゃいけねぇことがあるんだ」


『なんです?』


「俺は・・・お国が逝っちまった後、お前に悪いと思いながらも、お隈い惹かれちまってたんだ。もちろんお前を忘れたことなんて一時もねぇ!だけど・・・」


『ふふ、なんだ。そんなことですか』


「お前を一生守ると決めたのに、守れなかった上に妹に心を奪われちまうなんて、俺は」


『何を馬鹿な事言ってるんです。良いに決まってるじゃないですか!』


「え・・・?」


鬼一の手が、そっと源八の手と重なった。


『あたしはお前さんのことを好いていたけど、同時にお隈だってお前さんに惹かれていた。あたしはお隈にお春のことも、お前さんのことも頼んだんだから、それくらいのこと当り前じゃないか』


優しく笑う鬼一の口から、今度はお隈の声が零れた。


『あたしだってお前さんを好いていたよ。だから、お前さんは二人の女房から十二分に愛されてたって訳さ』


「お隈・・・お国・・・ありがとう」


小さくかすれた声で源八がそう言いうなだれると、鬼一はお春の方へも手を伸ばし、お春の頬を撫でた。



『お春、あたしはお前を抱いてやれなかったけれど、ずっとそばで見ていたよ。』


『血は繋がってなくても、お前はきちんと私たちの子だからね。』


「おかっつぁん・・・」


『『不安もあるだろうけど、おとっつぁんを頼むよ、お春』』


鬼一の口から紡がれる二つの声に、お春はぽろぽろと両の目から涙を流し、そして眉を下げながらニッコリと笑って鬼一の手に自分の手を重ねた。


「大丈夫よ。だって、私には二人もおかっつぁんがいるんですもの」


その言葉を聞いた鬼一は、目を細めて優しく笑った後ふと天井に目をやる。


「・・・そろそろ、お暇の時間だな」


鬼一自身の声に二人が顔を上げると、振袖の着物の上に不自然な風が舞い、はたはたと風呂敷が揺らめいていた。

風はゆらゆらと一点に留まりながら集まり、やがて蛍のように弱い光がちらついたかと思うとふわりと二つの拳ほどの大きさの光の玉となり、絡み合うように交差した後、ひらひらと小さくなって上がっていき、やがて、見えなくなってしまった。


「・・・いっちまったのか」


「ええ、お隈さんもお国さんも、満足そうに旅立っていきましたよ。」


「鬼一さん、ありがとうございます。」


宙を見つめる源八は、放心したようにぽつりとつぶやく。頭を下げるお春に、鬼一は着物の襟を直しながら静かに笑っていた。


「本当に、ありがとうございます。なんとお礼していいか・・・・」


我に返った源八は、もう鬼一に敵意を向けていないのか下がり眉の優しい顔に戻り丁寧に頭を下げた。

鬼一は口の端をニッと吊り上げる。お世辞にも上品とは言えない笑顔に、お春が一瞬身を引いた。


「お礼は娘さんとしっかり約束を交わしていますんで、ご心配なく。仕事に見合ったものをくれりゃあ構いませんよ」


視線を投げられたお春は、申し訳なさそうに源八の袖を引っ張って眉を下げる。


「あのね、本当は1両といわれたんだけど・・・おとっつぁんのお菓子と引き換えに、銀五匁でいいって」


「菓子?菓子ならいくらでも、といいたいところだが、今日はあいにく売り切れちまったぞ」


「おやまぁ。それじゃあ後日届けてくれりゃあいい。江戸で一、二の腕前の菓子だそうだからな。期待しておくよ。」


「本当にありがとうございました。」


深々と頭を下げる源八に、紙に包まれた金子を渡された鬼一は二本の傘を片手に下げてひらひらと手を振る。


「鬼一さん、ありがとう」


お春も深々と頭を下げたのを見たか見ないか、鬼一は店を後にした。

いつの間にか夕立は上がり、真っ赤な夕日が沈もうとしている。おばけ長屋へと帰る鬼一の背中は、どこか寂しげだ。


「二人のおかっつぁん、ね」


小さく零れた鬼一の言葉は、誰の耳に届くでもなく夏の夕暮れに消えていった。


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